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卒論を書くために『自然の権利 ―環境倫理の文明史―』( ロデリック・Fナッシュ著 松野弘訳1999)という本を読みました。そのときからです。生きる方向性が変わったのは。
私は胸が熱くなりました。「なんてすばらしい本なんだ!」と思いましたし、つぶやきました。読めばわかります。とにかく私は感動しました。そして私はこの「すべての生命の母」のために命を捧げようと思いました。
もともと自分の幸せのために生きようなんて気はさらさらありませんでした。なんとなく人間の大量消費社会に疑問も持っていましたし、よく人の「人間の命はそんなに軽いものではない」という発言にも、「散々人以外の命を殺しといてなんだ」と思っていました。
この本を読んではっきりとわかりました。人間の倫理の対象には、自然というものが入っていないのだと。人を殺すことにはかなり罪悪感を感じるでしょう。犬、猫を殺すことにも感じるはずです。しかし、虫とかにはあまり感じないでしょう。豚とか牛とか鶏とかを食べるときはどうでしょう。申し訳ないと感じる人はあまりいないでしょう。私は肉としか思っていませんでした。
しかし、食べ物すべては生きていたものです。一生懸命生きていたでしょう。動物などは痛みもあるでしょうし、屠殺される前には自分が殺されることがわかるとも聞きます。自然に対してもそうです。せいぜい自分たちの「環境」としか思ってないのでしょう。そこに生きる生命もただの景色だと思っているのでしょう。わかってたらこんな社会が成り立つはずはありません。
私は最近思います。「人の命が尊い」のではなくて、「すべての命が尊い」のです。すべての命は尊いのです。しかし、生きるためには殺さなければならないことも当然あります。生き物は生命を奪うことでしか生きていけません。しかし、すべての命は尊いのです。遊び半分で殺したり、贅沢のために殺すことがあってはなりません。なぜならすべての命は皆一生懸命生きているのですから。死にたいと考えながら生きてる生き物は人間ぐらいのような気がします。みんな生きよう、生きようと思って必死で生きて、子孫を残すために、我が子のためにときには命を擲って死にます。
人間も一生懸命生きているかもしれませんが、明らかに人間以外の命を軽んじています。贅沢のために平気で命を奪います。貪欲で、もっと、もっとと、金を稼いで幸せになるため殺し続けます。
人間には考える頭があるはずなのに、視野が狭く、自分たちの幸せしか考えず、自制もせず、とりあえず幸せになるため生きています。
たしかに環境保護のために頑張っている人たちもいるでしょう。でも自己満足の域で止まっている人たちが多いような気がしますし、社会は裕福になるため発展を目指します。当たり前です。そりゃ自分が一番かわいいですし、人間には幸福を追求する権利があります。そして自由です。
でもこんな世の中間違っています。自然は人間に対して文句が言えません。海や森の動物は「住処を返せ!」と言いません。でも言いたいかも知れません。いや、言いたいでしょう。たしかに世の中弱肉強食です。しかし、人間はわかってるはずです。こんなのは弱いものいじめです。いつか科学が発展して、自然破壊が食い止められるのでしょうか?私はそうは思いません。
こうしている今も自然破壊は進みます。今こそ行動を起こさなければなりません。 こ人手が必要です。私の考えに共感を持ってくれる方は連絡お待ちしています。
tokkou5644@yahoo.co.jp
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