当たり前にできるということ

 

 さてコラムも久しぶりです。とりあえず久々の1作目です。適当に読み流してください。半分日記ですね。

 今日、仕事をしていてこんなことを言われました。

「それはお前の考えであって、そういうことではない」

 まあ一理あるなと思った反面、ちょっとむなしい気持ちになりました。私自身としては「自分ではこれが普通。当たり前」と考えて説明したつもりでしたが、今あるものと食い違ってしまうという点で「万人にとっては当たり前のことではない」ということのようです。ちょっと話が不透明ですね。具体的に説明します(いいのか!?)。

 今日私は地図を作っていました。地図といっても、地理研のみなさんが使っているような地形図じゃなくて、テーマ図って類でしょうか。具体的に書きすぎるとなんか良くないと思うんですけど、面倒くさいので言ってしまいます。券売機の上にある運賃表(地図っぽいやつ)の新幹線版です。あれって私の働いているところは東京方面が上になってるんですよね。他のところは分からないですけど、東京が上で秋田が下にある地図なんです。

 絶対どこから見ても「図」なのに運賃「表」なんですよね(この意味分かってくれます?)、これ。地図って言ったら普通は北が上になるようになってますけど、東京が上で秋田が下ってことは、ズバリこれ、南が上になってます。それをあまり考えずに私は北が上になるように隣に並べる図を作ってしまったんですね。そうするとどうしてももともとあった運賃表と図の方向(方角)が食い違ってしまうじゃないですか。それを指摘されて話をしてたら、思わず「けどこれ(私が作ったほう)のほうが普通じゃないですか」と言ってしまいました。それで冒頭の話につながるわけです。

 もともと南が上になってるのは、南が上ってことでもなくて東京が上ってことでもなくて、ただ線路に合わせたってことらしいので、まあ納得しましたけど、人が思ってる普通ってことや当たり前と思ってることは、意外に小さいものなんだなあと思いました。普通って感覚も違えば、当たり前って思ってることもきっと他人から見たら当たり前ではないのかもしれません。

 こういうこともありました。最近近くにスキヤ(牛丼)がオープンしました。いろいろあって開店しても行ってなかったんですが、この間とうとう行ってきました。そしたら入っても店員が全然来ません。まだ新しいですから店員も慣れてませんし。基本的にファーストフード店ですから待たされるってことは考えてませんよね。すぐに出てきてすぐに食べれる。そこが魅力で行ってるわけですから。すいませんと言っても「お待ちください」ばかりで一向に来ません。まずどこから言われてるのか店員が把握できてないんですね。とりあえず声だけ条件反射(笑)。なんだかんだと水が出てくるまで15分くらいかかりました。やっぱり自分が想像してることと違うことが起こると、当たり前の範疇を超えてしまってとても違和感を覚えます。あまりに便利な当たり前に慣らされてしまっていると感じずにはいられませんでした。

 こうしてみると自分の思う当たり前って感覚は、ひどく自分勝手で思い込みの激しい感覚なんだなあと思いました。きっと他人に対しても「普通だよね」とか「当たり前じゃん」とか言うときって、かなりの強制を含んだ言い回しなんだなと今更のように気付かされました。無意識にそこから外れることを良しとしない雰囲気ができているんでしょう。

 そして自分はこの「普通」とか「当たり前」という言葉の中に安心感も覚えることもあるし、その言葉の範囲からはみ出してしまうことをどうしても恐れているし、言い切ってしまえばその言葉に縛られて生きているのも事実だということです。「普通」とか「当たり前」というものラインからはみ出す勇気もなければ、踏み越えることも出来ない。この言葉を建前に、普通・当たり前のことをしていくことが是となってしまっています。

 それでもそのことを否定はしないし、むしろそれはそれでいいんじゃないかと思っています。自分がやれることを自分で信じれなければ、そこで時間が止まってしまうような気がします。自分で感じる「当たり前」は他人には測れないからこそ、自分で強く生きることが出来るんだと思います。そう信じたいと思います。

 自分にとっては「普通」であり「当たり前」。その枠を拡げられるように時を進めていきたいなと思います。

 みなさんも「普通」「当たり前」見直してみませんか?    


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