今、飛躍の瞬間

 

 「今夜も特盛り・休肝日」をご覧のみなさん、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 今年も始まりました2004年。今年は何があるんでしょうか。第一にオリンピックイヤーですね。アテネ五輪。世間では高橋尚子が出れるかどうか微妙とか、谷夫妻がダブルで金メダルとか、末続慎吾と渋井陽子がダブルで出場とか、そんな話題でいっぱいですが、私の身の回りはオリンピックとは無縁です。当たり前ですけど。あとは何がありましたかねえ。うるう年、自衛隊イラク派遣、あまり思いつきませんね。よほど俗世間から離れた生活を送っているんですね。自分の親のほうがワイドショー通で情報に詳しかったりします。

 さて、ここ数ヶ月の話ですが、職が変わりました。転職ではなく転勤?いや業種変更って感じでしょうか?やはり慣れた場所から異動するってのはそれなりに大変なんだなあと実感しています。今までの生活が恋しくなったりもする。けれど、これは自分が選んだ場所であって、そんなに後悔もありません。なんか人生ってそんなもんなんだなあと、たまに悟った感じで思ったりもします。まだまだ四半世紀も生きていないのに生意気なような気もしますが。

 昨年の新年明けにもコラム書きました。ほんとによく思うんですけど、今いる自分を肯定できる生き方ってのをしてみたいなあと思います。自分が生きている根底にあるのはこの考え方であって、これまでの過去を懐かしむこともこれからの未来に想いを馳せることも、今の自分を見つめるためには大切な作業のひとつなんだなと思えるように生きているつもりです。運があるとかないとか感じることも、運があったから出来たものなのか、それとも出来てしまってから運があったかなと思うのではかなりの違いのような気がします。実際にはたいして変わったような気もしませんが、やはり人間は気の持ちようなのかもしれません。

 新年早々、こんなことを考えたのには理由があります。先日親が定年を迎えました。自分としてはそれほど無理をしないでこれからは静かに暮らしてほしいものだなと思ったりもするわけですが、本人としてはこれまで働いていた時間が余ってしまって元気がないらしいのです。定年も間近になってちょっと働きすぎなんじゃないかと思うくらい残業もしていました。今思えば、それは定年前の意地だったのかもしれません。自分は定年になってもまだやれると周囲に感じさせたかったのかもしれません。今までと同じことには積極的に取り組むが、還暦の行事とかには出たがらない。年齢を感じさせるものには目を背けていたいといういう気持ちがどこかにあるのかもしれません。全力で生きるその背を見て育った自分にとっても、そういう話を聞くと寂しい気持ちになります。

 それでもやはり現実は現実としてありますよね。それでも結果的には気の持ちようとしか言えないことだったりもします。心理学とかそういうのに少しでも精通していたら違った結論になるのかもしれませんが。ボケるという言葉がありますが、そういう言葉が日常会話で聞こえてくる我が家の会話、ちょっと心配です(笑)。

 けれど私自身としては気の持ちようってのが生きる上では一番大事なことのような気さえします。折れない心を持って生きていきたいと。それが一番大事なことであり、それが一番難しいことなのかもしれませんが。それでも今年の目標はそういう生き方をしていくことです。そういうことにします。

 気持ち次第ってのは、一歩間違えれば気分次第になりがち。特に気分屋の私の場合・・・。今の職種について1ヶ月とちょっと。研修期間も入れれば2ヵ月半。ようやく自分の進みたいものが見えてきたような気がしています。仕事に対してもそれ以外のことに対しても。どんなに職が変わっても、肩書きが変わっても、自分は自分。考えることは違っても行き着くところはなんかいつも一緒のような気がします。自分が持つべきものは何なのか、自分が支えている人にも支えられている人にも、どんなに時間が経っても、ずっと変わらぬ自分のまま生きていきたいと思っています。

 変わらぬ自分を幹として、これから出会う人や出来事が枝葉のように彩っていけるように、まずはこの一年を過ごしていきたいと思います。一年後の自分も家族も周りの人も想像することすらできませんが、飛躍のステップとして一年の記憶を得られるように願ってやみません。

 「今夜も特盛り・休肝日」に関わる全ての方へ、この一年が素敵な記憶とともに彩られますように。

2004年1月6日 


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