今ないものを見る力
最近、つくづく自分の考えの足りなさに気づくことが多くあります。考えが足りないっていうか、「何も分かってないんだなあ」とか「こんなのも気づかないんだ」とかって感じです。 そんなとき周りを見たりしてしまいます。別に悪いことじゃないと思うんですが、どうしても周りと比べてしまったりします。何も変わりはしないんですけどね。
それはそれとして、人間は全部が全部できるわけじゃないし、誰が特別な人間で誰が普通の人間かみたいなことはどうだっていいことです。比較的今の自分の周りにはそういうことを求める人が多いような気がします。考えすぎなのかもしれませんが、時間を大切にしない人が多いような気がします。限りのある時間をうまく使おうとすることはそんなに的外れなことかなあって最近よく思います。それを求めることも求められることも、別に気にしなければそれほど問題にすることではないけれど、やはりどかで不自由さを感じます。人生は不自由なものと言ってしまえばそれまでですが。自分は身勝手で自己中心的な人間だなあと思っているし、それを否定することもないですが、やっぱりできるものなら世の中もう少し自分が思うように生きれればいいのにって思ったり、もっと暮らすのに楽なところで暮らせばいいじゃないかって思ったりもします。
自分自身で勝手に大切にしていることがあります。それは「今ないものを見る力」を身につけたいということです。それでも実際に必要なものは「今あるものを見る力」なんだろうなあと思います。今の自分は見えている。それでも今の周りはそれほど見えていない。そんな風に今は自分をとらえています。今の状況が分からなければ何もできないのかもしれませんが、今は分からないことが多すぎるような気がします。これは言い訳なんだろうかと自問してみても何が変わるわけでもなく、独り悶々として愚痴をこぼすばかりです。こぼされてる方、ごめんなさい。それでもやっぱり自分は「今ないものを見る力」を大切にしていきたいのです。
「今ないものを見る力」って言ってしまえば、まず想像してくってことですよね。本当にこれは難しい。想像したものが創造につながっていくまでは、かなりの時間と実力が必要なのかもしれません。それでも自分は少しずつでもそんな力を磨いていきたいと思っています。甘ちゃんと言われてもいい。それでもそんな自分を大切にしていかなければいけないような気がします。
それは自分の中で、人から認められたい的願望があるからなんだろうなって思いもします。自分のことを人に伝えたいと願うことも、周りに流されずに自分は自分であり続けようとすることも、きっとそんな願望があるからなんだろうなって思います。自分はどこまでいっても中途半端に一生懸命な努力しかしてこなかったけれど、心底努力できるものが最近は絞られてきたような気もしています。コラムを書かなくなって約1年。コラムにやるせない気持ちをぶつけ続けていた頃よりは、少しはうまく世渡りできるようになったのかなと・・・。
何かを見つけるたびに自分は小さな感動を大切に生きてきたような気がします。今ないものを見るとき、小さな感動を見つけることがたくさんできるような気がします。ひとつひとつ願いをかなえるように、小さなことでいい、そんな心の中の願いを人に伝えていけるように生きていきたいなと思います。
P.S.「いま、会いにゆきます」なんか泣けました。ブックオフで買いましたが・・・。