皇居外周
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東京の中心部に位置する皇居。お堀に沿って一周して見ました。
下図の大手門からスタートし、 線のコースを歩きました。
(撮影日 −1−及び−3−:2007.10.21、−2−:2007.11.13)

歩行コース図

@ の大手門からスタート、 大手濠(右下写真)沿いに歩きました。
                                 
@
大手門 大手濠

気象庁前にある堀端の小広場Aに、和気清麻呂像が建っています。右下の木は、
震災銀杏と呼ばれていて、 傍に千代田区教育委員会の説明があります。
震災いちょう
この木は、 震災いちょうと呼ばれています。 樹齢150年を超えると思われるこの
イチョウは、 かつて文部省の跡地である一ツ橋一丁目一番一帯(現在のパレスサ
イドビル ・ 住友商事竹橋ビル ・ 一橋総合ビル一帯)にありました。  大正十二年
(1923)九月の大震災によって一面焼け野原となった都心にあって奇跡的に生き
残り、 このイチョウは当時の人々に復興への希望を与えました。 その後復興事業
に伴う区画整理によって 切り倒されることになった際、 当時の中央気象台長岡田
武松氏がこれを惜しみ、なんとか後世に残したいと思い帝都復興局長官清野長太
郎氏に申し入れたところ、長官もその意義を理解しこの地に移植されたという由緒
をもっています。  
(以下略) 平成十三年三月  建替 千代田区教育委員会
左下下段は、小広場から見た大手濠、 右下下段は、平川橋・パレスサイドビル方
向の大手濠です。

和気清麻呂像 A 震災イチヨウ
気象庁前小広場から大手濠 気象庁前小広場からパレスサイドビル方向


平川橋Bのところに来ました。 橋を渡ると平川門です。 橋の近くに昭和61年に
当時の建設省(国土交通省)が建てた日本の道100選内堀通りの道標が 建って
います。 傍には、太田道灌江戸城構築550年に当たっての道灌公顕彰の高札と
没後450年を記念して建立された「追慕の碑」があります(下の下段の写真)。
東西線の竹橋駅がすぐ傍です。

道標「日本の道百選」内堀通り 平川門と平川橋
 B
太田道灌説明 平川橋脇の石碑

平川橋を過ぎると直ぐ竹橋Cです橋を渡った左側に石碑があります。旧江戸城
竹橋見附の写真と竹橋御門の説明が記されています。
竹橋御門は、 旧江戸城内曲輪15門の一つで天正18年、 徳川家康入国の頃、
「竹を編みて渡されしよりの名なり」と、 その由来が伝えられているが、 他にも諸
説あり、 竹橋の架設時期と併せ、 いずれも定かではない。
御門を通る道は、桜田門外の変により一時閉鎖されるが、明治3年再開通し、今
の通称代官町通りへと変遷する。沿道の様子は、時々の社会情勢を色濃く映し、
戦後は、都心の交通・文化・観光のアクセスとして発展し、この地を巡る皇居周回
ジョギングは、 全国的な健康増進気運を高め、 親しまれている。
現在のアーチ型竹橋は、 大正15年、帝都復興事業で架設され、 平成5年3月、
周辺景観との調和や補強を目的に改修を受け、白・黒・桜のみかげ石の橋に、装
いを新たにした。           千代田区

C
竹橋脇石碑 竹橋

竹橋を渡って紀伊国坂を上ると、 右側に国立近代美術館(左下の写真)があり、
その先左側に北桔橋Dがあります。北桔橋を渡り門を潜ると皇居東御苑に入り、
江戸城天守閣跡が近くです。
北桔橋の正面反対側は北の丸公園(左下下段の写真)です。右下下段は、橋の
前の歩道橋から見た紀伊国坂の下りです。

   D
近代美術館 北桔橋と北桔門
北の丸公園入口 北桔橋前歩道橋から紀伊国坂下り方向

北桔橋から少し歩くと乾門Eです。近くに小さい広場があって、笛を吹く女性の像
が建っています。 台座に「森の調べ」と記されていました。 乾門の正面反対側は、
北の丸公園の入口で、 ここに大きな枝垂れ桜があって、 毎年見事な花を咲かせ
ます。
乾門の先は、 代官町通りです。 道の右側に北の丸公園に隣接して、近代美術館
工芸館があります(下段の写真)。 

北桔橋門と乾門の中間の小広場 乾門
 E
近代工芸美術館 代官町通り



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