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| 4月(平成21年)のよく晴れた日、護国寺を訪れて見ました。 護国寺は、元和元年(1681)江戸幕府五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の発願により創建された寺院で、 開山は亮賢僧正、本尊は如意輪観世音菩薩です。 |
| 通りに面した入口の門(左下写真)は惣門と云い、文京区指定有形文化財です。傍らに区教育委員会の説明があります。 護国寺惣門 1棟 区指定有形文化財 この惣門は、 護国寺の方丈への軸線上にあり、寺院の門と共に住宅の門という性格をあわせもっている。 形式は、社寺系のものではなく、江戸時代武家屋敷門の五万石以上の大名クラスの、格式に相当する形式と威容をもっている。 当寺が幕府の厚い庇護のもとで、 高い格式を保持した歴史を反映している。 大名屋敷表門で現存するものは、いずれも江戸時代後期のものであるのに対して、 この門は、中期元禄年間のもので、特に重要な文化財である。 東京都文京区教育委員会 昭和63年3月 門を入ってから左への道を通り、本堂(観音堂)の方へ向いました。本堂への石段の道の右側に富士塚があって、 登り口に「富士道」の石標と鳥居があります(右下及び左下中段の写真)。傍の桜の花がきれいでした。 本堂への石段の下には、両側に身を清める手水舎があります。 石段を上がると、不老門があります(右下中段の写真)。 |
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| 石段下の手水舎には 手洗水盤が置かれていますが、 この水盤について傍に寺院の説明があります。 それによると 水盤は唐銅蓮葉形手洗水盤一対二基で、五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院から寄進されたものです。元禄十年(1697)頃に鋳造、江戸鋳物師椎名伊豫良寛の製作とされています。手水舎は、 江戸時代後期の「江戸名所図会」にも描かれていて、江戸元禄期から明治大正期には境内の湧水を利用する珍しい自噴式の手洗水盤でした。 |
| 石段を上り不老門を潜ると右側に釈迦像、鐘楼があります。鐘楼の傍に区教育委員会の説明があります。 護国寺鐘楼(付梵鐘)1棟 大塚5−40−1 区指定建造物 鐘楼の中では、 伝統を重んじた格式の高い袴腰付重層入母屋造の形式で、 江戸時代中期の造営である。 都内同種の遺構がほとんど失われているなかで、 当時の様式を伝える貴重な文化遺産である。 また、この鐘楼の梵鐘は、天和2年(1682)に寄進されたものである。 銘文は、五代将軍綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられ、 護国寺が、将軍家の祈願寺として、幕府のあつい庇護を得ていたことを示す貴重な歴史資料である。 文京区教育委員会 平成11年3月 |
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| .正面が本堂(観音堂)(左上の写真)で、国の重要文化財に指定されています。 本堂右側の境内には枝垂れ桜が咲いていました。 左側に多宝塔(左下写真)があります。 本堂の裏手は墓地(右下の写真)で、著名人のお墓もあります。 |
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| 多宝塔の奥に左下写真の薬師堂があり、前に建物の説明があります。 護国寺薬師堂 1棟 「区指定建造物」 薬師堂は、元禄4年(1691)の建立になる一切経堂を現在の位置に移築し、薬師堂として使用するようになったものである。 大きな特徴は、柱間に花頭窓を据えていることなど禅宗様建築の手法をとりいれていることである。 小規模であるが、創建以後大きな改変もなく、元禄期の標準的な遺構として、価値ある建造物である。 文京区教育委員会 昭和52年2月 多宝塔の近くにある月光殿(右下の写真)は、大津三井寺から日光院客殿を移築したもので、国の重要文化財に指定されています。 この他境内には、 大師堂、不味軒等多くの建造物があります。 |
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護国寺本堂への正面入口には、 仁王門が建っています(右上の写真)。 傍に説明があります。 |
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| 訪れた日は、ちょうど毎年4月8日お釈迦さまの誕生を祝って行われる潅仏会(かんぶつえ)が間近く、仁王門のところに花御堂(はなみどう)が置かれていました。 仁王門横の坂道にも桜の花が咲いていました。 |
| 撮 影 日 | 平成21年(2009)4月6日 | |
| 所 在 地 | 東京都文京区大塚5−40−11 | |
| 交 通 | 東京メトロ有楽町線護国寺 | |
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