![]()
| − 北品川宿 − |
| 品川駅前の第一京浜国道から左に八つ山橋を渡ると 京浜急行の踏切がありま す。右手の踏切の先の道路が旧東海道です。 表通りの第一京浜国道に対して、 人や車の往来も少なく静かな通りです。 踏切を渡って、 再び第一京浜国道と出 会う南大井の鈴ヶ森まで歩いてみました。 (撮影2007.9.17・20) 踏切を渡ると、道の左側に一番の道標(右下の写真)があります。道案内の道標 は新しく建てられたもので、一番八ツ山口から二十五番鈴ケ森口までと番外の計 26本あります。 道幅は、江戸時代当時と同じとのことです。 |
![]() |
![]() |
| 八ツ山口の道標から2分ぐらい歩くと、 左側に菊すし総本店の看板のかかった建 物があります。 かつて海岸先に波止場があり、 三代将軍徳川家光が東海寺を訪 れたとき、出迎えた沢庵和尚と問答をしたという「問答河岸跡」の石碑が、 その角 に建っています。 その問答とは、将軍「海近くして東(遠)海寺 とはこれ如何に」 和尚答えて「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」 といい伝えられています。 (品川区北品川1−22) |
![]() |
![]() |
| 問答河岸跡から2,3分歩くと三番の道標があり、歩行(かち)新宿 土蔵相模跡と 記されています。その傍のコンビニエンスストアーの入ったビルの入口脇に高札が あり、次のとおり記載されています。 土蔵相模跡 旅籠屋を営む相模屋は、外壁が土蔵のような海鼠(なまこ)壁だったので、土蔵相 模と呼ばれていました。 1862年(文久2年)品川御殿山への英国公使館建設に 際して、攘夷論者の高杉晋作や久坂玄瑞らは、 この土蔵相模で密議をこらし、 同 年12月12日夜半に焼き討ちを実行しました。 幕末の歴史の舞台となったところ です。 (品川区北品川1−22) |
![]() |
右の写真の道標は、 左の写真のビルの左 端にあり、右端に見え る隣のビルに、上記の 高札が建っている。 |
![]() |
![]() |
![]() |
|
| 北品川1丁目29の角を曲がり台場小学校の方へ行く坂道は、台場横町と呼ばれ ています。 角に高札があって 1853年(嘉永6年)ペリー率いる4隻のアメリカ艦隊が浦賀に来航した後、幕府は 江戸防衛のために、江川太郎左衛門の指揮で品川沖に品川台場の築造に着手し ました。 当初計画は11基でしたが、完成したのは5基で、他に陸続きの御殿山下 台場(現在の品川区立台場小学校)を完成させました。 この御殿山下台場へ下っ ていく横丁を台場横町と呼んでいます。 と記されています。左上の写真が台場横町、右はその角にある高札です。 (品川区北品川1−29) |
| 北品川2丁目3にある五番の道標は通りの右側にあって、表面に 虚空蔵横丁と 記されています。 道標の上に虚空蔵横町の説明があります(下の写真)。 虚空蔵横町 東海道から養願寺へ入る横町をいいます。養願寺の本尊はかつては阿弥陀如来 でしたが、 現在は虚空蔵菩薩で品川の虚空蔵さまとして親しまれています。 江戸時代には、毎月十三日にお参りしていました。 今は毎年四月七日と十一月 七日の大祭に開帳され七の付く日が縁日で新馬場北口の通りには露天が出店し ています。 (品川区北品川2−3) 五番の道標がある通りの反対側に、 一心寺があります(左下中段の写真)。 一心 寺は、1855年、山村一心によって成田山分身の不動明王を本尊として洲崎弁天 境内に堂を建て安置したのが始まりといわれています。 昔より延命 ・商売の守り といわれ東海七福神の寿老人に指定されています。 (品川区北品川2−4) 通りの電柱には、「ここは 旧東海道」の表示が載せてあります(下中段右の写真)。 |
![]() |
左の写真が虚空蔵横町 右は、その角にある道標 と説明。 左下の写真が一心寺。 |
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
| 八番の道標が、 聖跡公園の入口にあります。 ここは、 東海道品川宿本陣跡で 品川区が史跡に指定しています(上の写真)。 区教育委員会の説明を見ると 品川宿は江戸四宿の一つで、 東海道五十三次の第一番目の宿駅として発達し た。 ここはその本陣跡であり、 品川三宿の中央に位置していた。 東海道を行き来す る参勤交代の諸大名や公家・門跡などの宿泊・休息所として大いににぎわったと ころである。 明治五年(1872)の宿駅制度廃止後は、警視庁病院などに利用さ れた。 現在、跡地は公園となり、明治元年(1868)に明治天皇の行幸の際に行在所と なったことに因み、 聖跡公園と命名されている。 (品川区北品川2−7−21) |
| 左下の写真は、 品川橋近くの商店街通りです。 目黒川に架かっている品川橋ま でが品川宿で、橋を渡ると南品川宿になります。 橋の傍にある品川区の説明を 見ると、 品川橋は、 旧東海道の品川宿と南品川宿の境を流れる目黒川に架けられ江戸 時代には境橋と呼ばれていました。 また別に行合橋 ・ 中の橋とも呼ばれていた ようです。 最初は木の橋でしたが、 その後石橋、 コンクリート橋、そして現在の鋼橋へと時 代とともに変わりました。 周辺は、東海道五十三次 一の宿として多くの旅人で賑 わい、海が近く漁業も盛んでした。 神社・仏閣も多く残っています。 (品川区北品川2−28) |
![]() |
![]() |
| 下の写真は、橋を渡った南新宿川から見た品川橋です。 |
![]() |
![]() |
所 在 地 品川区北品川1、2
交 通 京浜急行北品川、新馬場下車
§ご意見・ご感想を kunio.suzukim@nifty.com へお気軽にお寄せ下さい§
∽∽ このホームページ上の写真は、掲載者が撮影したものです ∽∽