
戦 士 の 道
応用解釈学ジャーナル
Number 2, Volume 1
ロサンゼルス, 1996年2月
筆者注: このジャーナルでは、解明の目的のために、許される範囲
で専門用語を使わなければならない。従って、哲学的な論議は、それが要求するのと同じくらい形式的に表現されている。その一方で、呪術師の論議は述べられ
たとおりに表現されている。この場合には、許される範囲の専門用語もお遊びになっている。
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意
図性とは何か?
このジャーナルの最初の号で、意図性(intentionality)とは、「直接的な知覚によって残った空虚な空間を膨らます暗黙の行
為、すなわち、観察できる事象を意図(intention)という方法によって富ませる行為」と定義した。この定義は、意図性についての標準的な哲学の説
明から離れる試みである。意図性の概念は、哲学的会話の真正な話題として呪術のテーマを明確にするために、鍵となる重要性をもつ。このジャーナル ―
応用解釈学 ―
に提示した見地は、哲学的修練に関するテーマを修正し、再解釈して表現されている。そのテーマは、呪術の修練に関する別のテーマと一致する。
哲学の修練では、意図性は、元々、自然あるいは不自然な動きについて、万物に関する神の意図や、有徳な生涯を選択または拒絶する人の自由意志を定義する
ために中世のスコラ哲学者(Scholastics)によって用いられた用語である。スコラ哲学者は、教会の神父やアリストテレス、そして、彼の注釈者の
権威に基づいて神学的あるいは哲学的な教えの体系を発達させた西ヨーロッパの学者だった。
意図性という用語は、19世紀末にドイツの哲学者、フランツ・ブレンターノ(Franz
Brentano)により再構築された。彼は、主に、物質的現象から精神的現象を隔てる特質を見出すことに関わっていた。彼は言う。「すべての精神的現象
は、中世のスコラ哲学者が客体の意図的あるいは精神的不在と呼んだもの、我々としては、内容の参照、客体に対する直接性、と呼ぶであろうものによって特徴
付けられている。この文脈は現実の何かとして理解されるものではない。表れの中で何かが表れ、分別の中で何かが認められたり拒否され、欲求の中で何かが望
まれる。この意図的不在は精神的現象にのみ特有のものである。物質的な現象はそのようなものは示さない。従って、我々は、精神的現象を、意図性のやり方に
よって、それら自体の中に客体を含んでいる現象、と定義することができる」。
全ての精神的現象は、それらの客体を参照するための特質に結び付いた、存在しないものとしての客体を含む、とブレンターノは理解していた。それゆえに、
彼にとって、精神的な現象だけが意図性に包まれている。従って、意図性は精神的現象の削減できない機能ということになる。彼は、どのような物質的現象も意
図性に包まれていないので精神的なもの(心)が脳から生じるはずがないことを議論した。
呪術の修練には、意図を呼ぶこと(calling
intent)と呼ばれる入口がある。それは、このジャーナルで与えられた意図性の「直接的な知覚によって残った空虚な空間を膨らます暗黙の行為、すなわ
ち、観察できる事象を意図という方法によって富ませる行為」という定義に関連する。意図する行為が物質の領域の中にはないとブレンターノが直観したよう
に、すなわち、それは脳あるいは他の器官の物質性の一部ではない。意図は、呪術師にとって、我々が知っている世界を超越たものである。それは、エネルギー
的な波動のようなもので、我々に付属しているエネルギーのビームのようなものである。
訳注: 意図性intentionalityは、哲学ではふつう「志向性」と訳されるが、このジャーナルでは呪術においても議論され、ま
た、意図(intent)との関連を思わせるので「意図性」と訳した。

戦
士の道についての質問
我々がこの発行物で取り上げたい2つの質問がある。1つ目は:
いつ見る(see)のか? テンセグリティ(Tensegrity)をしっかりと
行い、できる限り反復(recapitulating)した。次は何か?
宇宙を流れるエネルギーを見る(see)ことは、探求の最初から呪術師たちの主要な目的だった。数千年の間、ドン・ファンによると、戦士たちは、我々の
解釈システムの効力を壊し、エネルギーを直接知覚できるようになることに努力した。これをやり遂げるために、彼らは千年以上にわたって非常に過酷な方法を
発展させた。我々はそれらを「実習」とか「手順」と呼ぶよりむしろ「策略(maneuvers)」と呼びたい。戦士の道は、この意味で、彼らが、エネル
ギーを直接見る目的を達成するために、戦士を支えるよう設計された一貫した策略である。
戦士の道の様々な前提をこのジャーナルの「哲学の実用的な方法論としての戦士の道」の節で議論するように、我々の解釈システムの効力を中断するための唯
一の方法として、呪術師が自尊心(self-importance)の支配を消し去ることに努力し、指導されたことが明らかになるだろう。呪術師は、その
効力を中断することを世界を止めること(stopping the world)と呼んだ。彼らがこの状態に到着する時、彼らはエネルギーを直接見る。
ドン・ファンが手順を終えるという習慣に焦点を合わせることをやめるよう助言した理由は、テンセグリティを行なったり反復したり戦士の道に従ったりする
ことに加えて、実践者は変わることを意図しなければならないからである。彼らは世界を止めることを意図していなければならない。だから、単に数えられるス
テップに従っているのではなく、最も重要なことは、ステップに従うことの効力を意図することである。
もう一つの質問は:
あなたはテンセグリティを通して私に何かをしているのか? 今日、私は、何かが背
後で動くのを感じて、私は恐れている。私は、あなたがこの点を明確化するまで、テンセグリティをするのをやめた。
我々の経験では、たとえば、弁護士や心理学者のような、最も理性的な人々がこのタイプの質問をする。数年前、フロリンダ・ドナー・グラウは彼女の友人
で、とても真剣で、教養のある女性から次のようなことをスペイン語で言われた。「Eres tan linda que te queremos
robar」「あなたを盗みたいほどあなたが愛しい」。スペイン語では、この語法は愛情の表現として完全に正しい。
フロリンダがその友人と会わなくなってから1年後、彼女はフロリンダに、精神医のアドバイスで彼女に会わなければならないと言った。冷酷な力が彼女の家
族や彼女に親密な友人から彼女を連れ去ろうとする夢を彼女は執拗に繰り返し見ていた。そのことに駆り立てられて1年間、分析した後、彼女はフロリンダや彼
女の仲間と向き合いたいと思うようになった。彼女の心の中では、その冷酷な力は、もちろん、フロリンダ・ドナー・グラウと彼女の仲間だった。
我々にとってこれは何も目新しいことではない。我々のすべての人が同じように感じ、同じようにお粗末さの度合いの変化の中でドン・ファン・マトゥスに質
問した。我々すべてが、背後で何かが動くのを感じた。ドン・ファンは、それは、マジカル・パスを行なったことで酸素を初めて供給された筋肉が感謝している
なのだと言った。彼は我々のすべての人、うぬぼれて不平を言う者に、彼が頭に穴を全く必要としていないように、彼が我々を必要としているのではないことを
納得させた。彼は、我々に無限との毎日の約束、全く安楽で清浄な状態の中になければならないという約束があり、他人に影響を及ぼすことはその必要とする安
楽や清浄さのどのような部分の中にもないことを思い起こさせた。我々がモルモットのように悪い力に首を掴まれて扱われている存在であるという考えは、犠牲
者であることを好む我々の生涯の習慣の産物であることを彼は指摘した。「やつはわしにそうするし、わしは自分自身を助けることができん」と彼はさじを投げ
てあざ笑うような口調で我々を叱ったものであった。
過度に影響を及ぼされているという恐怖に関して、ドン・ファンが我々に忠告したのは、60年代の政治的混乱のパロディだった。次のような陳述が当時の政治
活動家の公理だった。「疑わしければ、火あぶりだ」。ドン・ファンはそれを改変した。「疑わしければ、無欠であれ」。
今では、ドン・ファンが「不安、誤解そして悪行に悩まされながら、呪術の真の目的、無限への旅、を果たすことは想像を絶するものだ」と言った時の境地を
我々は理解している。我々のかっての不満を誰かが口にするのを聞く時、我々の無欠の行いが不満を言う者に、我々は自由を探求中であり、その自由はフリー、
無料という意味でフリーであり、不当にそして執拗に自尊心を握り締めていないという意味でフリーであること、を納得させる。

哲
学の実用的な方法論としての戦士の道
以前に発行したこのジャーナルにおいて、戦士の道の第一の前提として、我々は知覚する者(perceptors)であると述べた。知覚する者
(perceptors)が感知する者(perceivers)の代わりに使われた。これは間違いではなく、スペイン語では非常にアクティブに用いられる
知覚する者(perceptor)という用語を、感知する者(perceiver)であることの緊急性を含むように拡張したいという要望である。この応用
解釈学ジャーナルの中で、外来の同語源に基づいて用語の意味を拡張するという問題がしばしば起こる。時には新しい用語の作成を強要されるポイントもある。
しかしこれは、気取ってやっているのではなく、以前には記述されたことのなかった感覚や体験や知覚を記述するため固有に必要だからである。そのままであっ
たなら、それは我々の知識から漏れ出てしまう。言外の意味は、我々の知識が、たとえ不足がないものであったとしても、制限されているということである。
戦士の道の2番目の前提は「我々は我々の初め(inception)のものである」と呼ばれる。これは戦士の道の最も難しい前提の1つであるが、それは
それが複雑あるいは珍奇であるからではなく、自分自身の関する状況、呪術師が千年以上にわたって意識していた状況を認めることが我々にとってほとんど不可
能だからである。
ドン・ファン・マトゥスが初めてこの前提を説明しはじめた時、私は彼が冗談を言っているか、単に私にショックを与えようとしているのだと思った。彼は、そ
の時、私が人生の中で愛を見つけることに関して語ったことについて私をからかっていた。彼はかって私に私の人生の目的は何かと尋ねたことがあった。私は明
瞭な答えを思いつかなかったので、私は半ば冗談で、私は愛を見つけたいと答えた。
「愛を、お前を養う人々を探すことは、セックスを持つことを意味していた」とドン・ファンはその機会に私に言った。「お前はなぜあからさまにいわんの
だ? お前は性的な満足を探しているだけだ、そうだろう?」 私はもちろんそれを否定した。しかし、その話題はドン・ファンが私をからかう種になった。私
が彼に会うたびに、彼は私に、愛、すなわち性的な満足を探すことについて私が尋ねるように文脈を見つけ出したり組み立てたりした。
彼が初めて戦士の道の2番目の前提を議論しはじめた時、彼は私をからかうことから始めたが、突然、彼は非常に真剣になった。
「わしはお前が場所を変えることを勧める」と彼は言った。「そして、お前が探し続けることをやめることをな。それはお前をどこにも導きはしない。最悪の
場合、お前を転落に導く」。
「でも、なぜ、ドン・ファン、なぜセックスを放棄しなければならないんだい?」と私は哀れな声で尋ねた。「お前が退屈な性交(a bored
fuck)だからだ」と彼は言った。
「それは何だい、ドン・ファン? 退屈な性交って何だい?」
「戦士が為す最も重大な事の1つは」とドン・ファンは説明した。「自分の初めの性質を探索し、確認し、理解することだ。自分を孕んだ時に自分の両親が性
的に興奮したかどうか、あるいは、彼らが単に夫婦間の儀式を遂行しただけなのかどうかを戦士はできる限り正確に知らなければならない。文明化された性交
は、当事者にとって非常に、非常に退屈なものだ。呪術師は、文明化された方式で孕んだ子供は、非常に退屈な … 性交、ほかにどう言えばいいかわからん
が、の産物だと全く疑いなしに信じている。もし別の言葉を使うとすると、婉曲したものだということであり、その迫力を失っているだろうということだ」。
この話しの後、ひっきりなしに、私は彼が論じていたことを真剣に考えはじめた。私は彼を理解したと思った。そして、疑念が這い上がってくると、毎回、私
自身が「退屈な性交って何だい、ドン・ファン?」と同じ質問をしていることに気づいた。私は、すでに彼が数十回言ったことを繰り返すことを無意識に望んで
いたと思う。
「わしが繰り返すことを嫌がってはいけない」とドン・ファンは、毎回私に言ったものである。「お前が退屈な性交であることを認めるまで、何年もつき砕く
ことになるだろう。だから、わしはお前にもう一度に繰り返す。もし受胎の瞬間に興奮がなければ、そのような結合で生まれ出てくる子供は、呪術師が言うに
は、本質的に彼は孕まれただけなのだ。配偶者の間に本当の興奮はないが、恐らく単に精神的な欲望によって、子供は彼らの行為の成り行きに耐えなければなら
ない。呪術師は、そのような子供は、貧しく、虚弱で、落ち着きがなく、隷属的だと断言する。彼らは言う。それらの子供たちは決して家を出ない。彼らは生涯
そのままだ。そのような人間の有利な点は、彼らの弱さの中で彼らが極端に首尾一貫していることだ。彼らは、変わりたいという衝動すら感じることなしに、一
生涯同じ仕事をこなすことができる。もし彼らが子供として優秀で、丈夫な模範でありえたとしたら、彼らは非常に有能に成長するが、もし彼らが良いパターン
を持つことに失敗すれば、彼らの苦悩や混乱、不安定さを終わらせることはできない。
「人類の大部分はそのようであると呪術師は大きな悲しみを込めて言う。これが、わしらが自分の持っていない何かを見つけ出したいという衝動に終わること
なく耳を傾けている理由だ。わしらは、自分の人生が続く限り、呪術師によれば、自分に恵まれなかった根源の興奮を探しているのだ。だから、わしはお前を退
屈な性交と言ったのだ。わしはお前の体中に書かれた苦悩や不満を見る。だが、悪く思うな。わしも退屈な性交なのだ。そうでない者は、わしの知る限りでは、
ほとんどいない」。
「これはぼくにとって何を意味しているんだい、ドン・ファン?」私はかって彼に心底不安を感じながら尋ねた。
なぜか、ドン・ファンの言った言葉はどれも私の内側の核心をダイレクトに打った。私は確かに彼が言うとおり退屈な性交の悪いパターンで育てられていた。
ついに、ある日、それは最後の問いの決定的な供述にすべて要約された。
「ぼくは自分が退屈な性交だと認めるよ。何ができるっていうんだい?」私は言った。
ドン・ファンは目から涙が出るほど大笑いした。「わかった、わかった」彼は、私の思いを慰めようと背中を軽くたたいた。「初めは、自分のことを退屈な性交
と呼ぶんじゃない」。
彼は、私がノートを取るのを促すように私を真剣に見つめた。
「すべてを書き留めるんだ」彼は励ますかのように言った。「最初の明確なステップは、まさにB. F.というイニシャルを使うことだ」。
私は冗談と悟るまでこれを書き留めた。私は手を止め、そして彼を見た。彼は本当に腹の皮がよじれるほど笑った。退屈な性交(bored
fuck)は、スペイン語では、cojida aburridaであり、C. A.はちょうど私の誕生名、カルロス・アランア(Carlos
Aranha)のイニシャルと同じだった。
笑いがおさまると、私の初め(inception)のネガティブな状況を相殺する行動の計画を真剣に叙述した。私に説明した時に彼が大笑いしたのは平均
的なB.F.としてだけではなく、神経質であるという余分な負担を持っていたからだった。
「戦士の道では」と彼は言った。「終えられるものは何もない。永遠なものは何もない。もしお前の両親がそうあるべきものを作らなかったとしたら、お前自
身が作り直すんだ」。
彼は、呪術師の道具箱の最初の策略がエネルギーのけちん坊になることであると説明した。B.F.は多くのエネルギーを持っているわけではないので、利用
可能なエネルギー量が十分でないパターンの中では、自分の持つわずかなものを無駄にして役立てることができない。ドン・ファンは、私が、私が持っていない
エネルギーを要求するような行動のパターンに従事することを断つよう勧めた。断つことが答えである。道徳的に正しいからとか、望ましいからとかではなく、
すさまじい興奮の状況の下にあったと想像される人と同等な十分なエネルギーを蓄えるためにエネルギー的に私にとって唯一の方法だからである。
彼の言う行動のパターンには私が為すことのすべて、靴の紐を結んだり食べたりするやり方から、自分の体裁について悩むやり方とか、日々の活動、特に求愛
に関連している時、に従事するやり方までが含まれていた。ドン・ファンは、そのためのエネルギーを持っていないから、私が性行為を断つことを強く主張し
た。
「お前が性行為をむさぼった結果」と彼は宣告した。「重症の脱水状態のように、お前は目の下にくまをつくり、髪は抜け落ち、爪に奇妙な斑点ができ、歯が
黄色くなり、いつも目が荒れ狂っている。女との関係が、お前を噛まずに食べ物をむさぼり食うような神経質な状態にしているのだ。だから、お前はいつも塞が
れている」。
ドン・ファンは、私が悔しがるようなことを加えて話し、大いに楽しんだ。しかし、彼の最後の意見は、救命具を私に投げるかのようだった。
「呪術師は言う」と彼は続けた。「B.F.を想像も及ばないものに変えることは可能だ。それは、まさに、それを意図するかどうかの問題だ。わしが言って
いるのは、想像も及ばないものを意図するということだ。これをするためには、想像も及ばないものを意図するためには、利用可能なものは何でも使わなければ
ならない」。
「『何でも』って何だい、ドン・ファン?」私は本当に興味をそそられて尋ねた。
「何でもと言ったら何でもだ。感覚、記憶、願望、衝動。ことによると、恐怖、やけっぱち、希望。あるいは、好奇心」。
私はこの最後の部分を完全に理解したわけではなかった。しかし、私は、文明化された概念の土台から抜け出すよう苦闘を始めることを十分に理解した。晩年
に、ブルー・スカウトは、それを完全に私に説明した詩を書いた。
B.Fの概念
ブルー・スカウト作
彼女はアリゾナのトレーラーで作られた
ポーカーやって友達とビールを飲んだ夜の後に
彼の足は彼女の寝巻きの破れたレースに捕まえられた。
彼女は煙草の煙とアクア・ネットのヘア・スプレーが混ざったようなにおいを感じた。
自分が勃起していることに気付いた時、彼は自分のボーリングのスコアについて考えていた。
彼女はどうしてこの生涯がどうしても一生の間続くのかしらと思っていた。
自分がくぎ付けにされているのに気付いた時、彼女は洗面所に行きたかった。
彼女が孕まれた時、彼は噴出を抑えた、
しかし彼女にとって運良く、
二人は砂漠の中にいた、
そしてその瞬間、
コヨーテが遠吠えし、
女の子宮を通して憧れという冷淡さを送った。
その冷淡さが彼女をこの世界に導いたすべてだった。

テ
ンセグリティ・ログ
戦士守護者とは何か?
前の発行物で述べたように、ドン・ファンや彼のような他の実践者たちにとって、呪術師とは、修練や目的意識によって、我々が知っている世界を構築するた
めに我々が使用する解釈システムの効力を中断することが可能な人である。呪術師は、エネルギーの全てが感覚データに変換され、そしてこれらの感覚データが
日常生活の世界として解釈されると主張している。だから、呪術とは、妨害するための策略、流れを中断する策略、である。呪術師たちにとって、呪術は、呪文
や儀式が、その真の性質や目的を意図的に覆い隠すために単に連ねられているものではなく、正常な知覚のパラメータを拡大するものである。
ドン・ファン・マトゥスにとって、呪術の実践者とは、日常生活の中で成し遂げる知覚よりもさらに圧倒的な根源に知覚を帰そうと奮闘する戦士たちだった。
彼は、このような戦士を戦士守護者(warrior
guardian)と呼び、彼のようなすべての実践者が戦士守護者であると言った。戦士守護者とは彼にとって呪術師と同義語だった。
ある戦士守護者を他と区別する唯一のものは、彼らには、他にはない明確な目標あるいは目的意識が明示されたという事実である。例えば、該当するケースが、
テンセグリティセミナーやワークショップに随行していることで知られている3人のチャックモール(Chacmools)である。彼らの明確な目的は、他の
戦士守護者を護衛し、一つのユニットとして、テンセグリティを教えることである。
誰のコントロールも越えた状況が現れ、この3人の戦士守護者の反応はそれらの形を解消するよう必ずうまくやり遂げる。ドン・ファンは、すでに、彼の弟子
に、戦士の歩む道を辿る者は誰でも道を開いたり閉じたりするエネルギーの影響に従うべきであると警告していた。彼は、彼の弟子が、エネルギーの意見に従う
勇気を持ち、それらの意志を欺いてそれを指揮しようとしないことを強く主張した。
深く落ち着いた状態に実践者が到着する時には、エネルギーの命令を読み誤ることは決してない。まるでエネルギーに意識があって生きているかのように、そ
れはその意志をはっきり表す。それに逆らうことは不必要な危険であり、彼らが、無知や強情のために、エネルギーの指示に従わなかった時、実践者は高価な支
払いをすることになる。
チャックモールスに代わる戦士守護者の現在の構成は、エネルギーそれ自体によって選ばれた。この新しい構成はエナジー・トラッカーズ(エネルギーを追跡
する者Energy
Trackers)と呼ばれる。最初、公式に紹介された時、エナジー・トラッカーズはペースファインダーズ(進む道を見出す者Pathfinders)と
しばらくの間呼ばれていた。ペースファインダーが、新しい道、新しい手順、新しい解決策を見つけ出すと確信されていた。共に行動するうちに、彼らの為して
いることがエネルギーの追跡であることが明白になった。
ドン・ファン・マトゥスがエネルギーの追跡について説明した時、それは最初、多少紛らわしかった。時間が過ぎるに従って明瞭になり、その重複している点
を明らかにできるようなレベルに達した。
「エネルギーを追跡することは、エネルギーが流れる時に残すかすかな痕跡について行けるということだ」とドン・ファンは説明した。「わしらのすべてがエ
ネルギーの追跡者ではない。しかし、全ての実践者に、一生の間に、たとえ不器用な方法であったとしても、エネルギーの流れについて行ける瞬間が訪れる。だ
から、わしが言えるのは、何人かの戦士は、エネルギーを追跡するような傾向があるので、他の者より手際のよいエネルギーの追跡者だということだ」。
彼の説明がわずかだったので、私は彼が何について言及しているのか想像することも難しかった。その後、私は、ドン・ファンが考えていたものをより強く認識
した。私の意識の変化は、最初は漠然とした感覚で、ほとんどが知的な好奇心に由来していたが、私はエネルギーが何か知らないのに、エネルギーが痕跡を残す
のは当然のことだと肯定できた。ドン・ファン・マトゥスの世界についての困惑がとてつもなく強烈になるにつれて、私は、彼の概念の全てが、私の日常の意識
が理解できないレベルでなされた直接的な観察に基づいていることを確信した。
ドン・ファンは、私の疑問や感覚を、私が少しずつ学んできた内的沈黙の自然な結果として説明した。
「お前が感じているのは、エネルギーの流れだ」。ドン・ファンは私に話した。「それは、みぞおちか腎臓の上の軽い電気的な刺激や奇妙なかゆみのようなも
のだ。それは視覚効果ではないが、わしが知っているどの呪術師も、エネルギーを見ることとしてそれを話している。わしはお前に秘密を話そう。わしはエネル
ギーを見たことはない。わしはそれを感じるだけだ。わしの強みは、わしが感じることについて決して説明しようとしないことだ。わしはわしが感じることをた
だ感じるんだ。ただそれだけだ」。
彼が述べたことは私にとって天啓のようだった。私は、彼が述べたようなことを感じたことがあった。それ以来、私は、原因と結果の関係を見つけ出して説明し
ようとせず、自分の人生の中の出来事としてそれらの新しい感覚を受け入れるようになった。
エネルギーの追跡の話題において、ドン・ファンは、ある者と他の者は非常に近接しているので、戦士守護者の結び付きが形成でき、そして、そのような結び
付きのメンバーたちは、エネルギーを追跡する顕著な能力をよく示すことができるとも言った。そのような出来事がチャックモールスの崩壊した後、我々の間で
起こった。新しい構成は明らかになった。まったく突然、戦士守護者の1つのグループが、奇妙なことにエネルギーを追跡できるようになったのである。これ
は、彼らの異常なほどの神経質と新しい状況を不思議な確信を持って引き掴む機敏さから明白だった。
もし現代の専門用語で言うとしたら、エネルギーの追跡者は特に優れた「チャネラー(channelers)」であると言えるだろう。しかし、チャネリン
グの考えは、用語が説明するような実践者の、彼自身あるいは彼女自身へ物を伝えるある程度の意志を含んでいる。一方、エネルギーの追跡者はそのような意志
の行為を課さない。彼らは単にエネルギーがそれ自体を彼らに現すようにさせておくのである。

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