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《ドン・ファンの教え》からの引用文
時間の車輪
| 《ドン・ファンの教え》からの引用文 |
力というものは人が持っている知識の種類によるのだ。役にも立たないことを知ることになんの意味があるのか? それらは我々に避けることのできない未知との出会いを準備させない。 この世界に贈り物などない。学ばねばならないものは何でも地道に学ばねばならない。 人は戦いに行くのと同じように油断なく、恐れと、注意と、絶対的な確信とをもって知へ赴く。他の仕方で知や戦いに行くのは間違いだ。そして間違いを犯し た者は誰しも自分の道を後悔して生きることだろう。 人がその四つの要件 − 油断なく、恐れと、注意と、絶対的な確信とをもつこと − を満たせば自分で責任を持たねばならない間違いは存在しないし、そういう状態では彼の行いは愚か者の持つヘマな資質をなくしてしまう。そういう人間がもし 失敗するか挫折に悩まされたら、彼はただ戦いに敗れるだけでそのことに対してひどい後悔はしないだろう。 自分について思案しすぎると、恐ろしく疲労する。その位置にいる人は何も聞こえないし見えない。疲労それ自身が彼に彼の周りの驚くべきものを見ることを 止めさせる。 学ぶことを自身に課するたびに、彼はできるかぎり勤勉に働かなければならない。そして、彼が学ぶことの限界は彼自身の天性で決まる。従って、知について 語ることに論点は全くない。知の恐怖は自然だ。わしらは皆それを経験し、それについてできることは何もない。たとえどんなに恐る恐る学んだとしても、知の ない人について考える方が恐ろしい。 人々に腹を立てるということは人が彼らの行動を重要だと考えていることを意味している。そのように感じることは必ず止めなければならない。人の行動は、 我々の唯一選択可能な選択肢、変えることのできない我々の無限との遭遇を相殺できるほど重要ではありえない。 何だって百万の道の一つだ。だから、戦士は、いつでも、道は道にすぎないということを心に刻んでおかなければならない。彼がその道を行くべきでないと感 じたら、どんな状況下でもそこに留まってはいけない。その道を進むか離れるかの決心は、恐れや野心とは無関係でなければいけない。彼はどの道もじっくりと 慎重に見なければならない。戦士が義務的に問いかけなければならない問いがある。この道には心があるか? どの道も同じだが、それはどこへも導いてはくれない。しかし、心のない道は決して楽しくない。一方、心のある道は容易だ。それはそれを好むように戦士に 仕事をさせない。それに従い、それとひとつになれば楽しい旅ができるのだ。 違いのことを聞く者などひとりもいないから物事の間に違いのない幸福な世界がある。だが、それは人間の世界ではない。ある人は自分が二つの世界に生きて いるというむなしい考えを持っているが、それは彼らだけのむなしさなのだ。我々にはたった一つの世界しかない。我々は人間であり、人間の世界に満足して従 わなければならない。 人間には4つの自然な敵がいる。恐怖、明晰さ、力、そして老年だ。恐怖、明晰さ、そして力には打ち勝つことができるが、老年にはできない。その効力を延 期することはできるが、決してそれに打ち勝つことはできない。 |
