ホーム ページ書籍関連のページ時間の車輪 >  《沈黙の力》からの引用文

トルテック・アーツU



時間の車輪





《沈黙の力》からの引用文





 戦士は、時間がたてば呪術を学ぶのではない。むしろ、時間がたつことで学ぶことはエネルギーを蓄えることである。このエネルギーが通常は近づきがたいエ ネルギー場のいくつかを扱うことを可能にする。呪術とは意識のあり様であり、我々が知る日常生活の世界を知覚するのに使われることのないエネルギー場を使 う能力である。




 宇宙には、呪術師が意図と呼ぶ、計り知れない、言語に絶する一つの力が存在する。そして、宇宙全体に存在するあらゆるものは連結リンクによって意図と結 び付いている。戦士は、その連結リンクについて議論し、理解し、利用することに関わっている。彼らは日常生活の普通の関心事がそれを鈍らされる影響を取り 除くことに特に関心を持っている。この見地での呪術は、意図との連結リンクをきれいにするための手順と定義することができる。




 呪術師は、彼らの過去に非常に関心を持っているが、それは個人的な過去にではない。呪術師にとって、過去とは過ぎし日に他の呪術師たちが達成したことで ある。彼らは判断の基準を得るために過去を調べる。 呪術師だけが純粋に彼らの過去に判断の基準を捜す。彼らにとって、判断の基準を打ち立てることは意図を調べる機会を得ることを意味する。




 普通の人もまた過去を調べる。しかし、個人的な理由で、個人的な過去を調べるのである。自分の個人的な過去にしろ自分の過去の時の知識にしろ、彼は自分 の現在や未来のふるまいを正当化したり、自分のためのモデルを打ち立てたりするために自分を過去と比較する。




 精霊は至る所で戦士に自らを現わす。しかし、これは真実の全てではない。精霊はあらゆる人に同じような強烈さと一貫性をもって自らを明らかにするという のが真実の全てである。しかし、戦士だけが首尾一貫してその啓示に順応する。




 戦士は、飛んでいく途中、人間に希望と目的を与えるため、一瞬止まった神秘的で不思議な鳥として呪術を語る。戦士は、彼らが叡知の鳥、自由の鳥と呼ぶそ の鳥の翼の下に生きている。




 戦士にとって、精霊が一つの抽象であるのは、言葉や思考なしにそれを知っているからにすぎない。精霊が何であるか考えることができないのでそれは抽象で ある。しかし、それを理解するわずかな機会や望みもなしに、戦士は精霊を扱う。彼はそれを認め、手招きし、そそのかし、親しくなって、自分の行動でそれを 表現する。

 


 普通の人の意図との連結リンクはほとんど死んだも同然である。そして、戦士は自発的に反応しないので役に立たないリンクから取り掛かる。そのリンクを生 き返らせるために、戦士は厳格で激しい決意 − 不屈の意図と呼ばれる特別な精神状態 − を必要とする。




 人間の力は測り知れない。我々が生まれた瞬間からそれを意図しているという理由だけで死が存在する。死の意図は集合点の位置を変えることによって一時停 止されることができる。




 忍び寄りの技法は、あなたの変装の癖を全て学ぶことであり、誰もあなたが変装していることがわからなくなるまでそれらを学ぶことである。それのためには 非情で、狡猾で、忍耐強く、そして優しくなければならない。非情さは過酷さであるべきではない。狡猾さは残酷さであるべきではない。忍耐は怠慢であるべき ではない。そして、優しさは愚かさであるべきではない。




 戦士は自分の行動に隠された目的を持っているが、それは個人的な利益で為すのではない。普通の人は利益を得るチャンスがある時だけ行動する。戦士は、利 益のためにではなく、精霊のために行動する。




 古代の呪術師は、見ることを通して、普通ではないふるまいが集合点に震えを生じさせることにまず気付いた。彼らは、もし普通でないふるまいが計画的に実 行されて、賢明に指導されれば、それがついには集合点に移動を強いることをすぐに発見した




 沈黙の知とは意図との直接的な接触にほかならない。

 


 呪術とは回帰の旅である。地獄へ下りていた戦士は、勝利して精霊へと帰っていく。そして彼は地獄から戦利品を持ち帰る。理解はその戦利品の1つである。




 戦士は、忍び寄る者であるので、人間の行動を完全に理解している。彼らは、例えば、人間が目録の動物であることを知っている。 特定の目録の詳細を知ることがその分野の学者や専門家になることである。




 戦士は、普通の人の目録が役に立たない時、その人は自分の目録を増補するか自分の内省の世界を崩すことを知っている。普通の人は、もし新しい項目が目録 の根底にある秩序を否定しなければ新しい項目を自分の目録に組み入れることができる。しかし、もし項目がその秩序を否定すれば、その人の心は崩壊する。目 録は心である。内省の鏡を壊すことを試みる時、戦士はこれを計算に入れている。




 戦士は世界の人々とつながる橋を決して作ることができない。しかし、もし人々がそれを望むなら、彼らが戦士につながる橋を作らなければならない。




 呪術の謎が誰にでも入手できるようにするために、精霊は興味がある誰にでも不意に訪れる。精霊はその存在だけで人の集合点を特定の位置に移動させる。ま さにこの場所は憐みのない場所として呪術師に知られている。




 集合点を憐みのない場所に移動させるために必要な手順は本当はない。精霊が人に触れるとその集合点が移動する。簡単なものである。




 魔法が我々をつかまえられるようにするために必要なことは、我々の心から疑いを追い払うことである。疑いを追い払えば、どんなことでも可能になる。




 人間の可能性はあまりにも広大で神秘的なので、戦士はそれらについて考えるより、それらを理解したいという希望さえ捨てて、それらを探検することを選 ぶ。




 戦士が為すことは全て集合点の移動の結果として為されるのであり、そのような移動は戦士が意のままにできるエネルギーの量によって左右される。




 集合点のどのような移動でも、個人的な自我に対する過剰な関心から離れていく動きになる。呪術師は、現代の人間を、すっかり自己イメージに夢中になっ て、殺人的な自己中心主義者にしているのは、集合点の位置であると信じている。あらゆるものの源に還る望みを失い、普通の人は利己的なことに慰めを求め る。




 戦士の道の主旨は自尊心を王位から引きずりおろすことである。そして、戦士はこの目的を達成するためにあらゆることを行なう。




 呪術師は自尊心の仮面をはぎ、それが他のものを装った自己憐憫であることをつきとめた。




 日常生活の世界では、人の言葉や人の決断は非常に簡単に裏返すことができる。日常の世界で唯一変更できないものは死である。一方、呪術師の世界では、通 常の死は取り消すことができるが、呪術師の言葉は取り消すことができない。呪術師の世界では、決断は変更したり訂正したりすることはできない。いったんな されれば、永遠にそのままである。




 人間の状態について最も劇的なことの1つは、愚かさと内省との気味の悪い結びつきである。普通の人に内省的な予想に合致しないものを捨てさせるものが愚 かさである。例えば、普通の人として、我々は人間に入手可能な知識の最も重要な断片、集合点の存在やそれが移動しえるという事実に気づかない。




 理性的な人は自分の自己イメージを固守するために底知れない無知を確保する。彼は、呪術が、まじないや奇術ではなく、当たり前の世界だけでなく人間の力 で達成可能なあらゆるものを知覚する自由である、という事実を無視する。そして、自由は彼のすぐ目の前にある。




 自分の隠れた力量を直観しながらそれらを使おうとしないのが、人間の苦境である。これが、愚かさと無知を対比して強調しているのが人間のありさまであ る、と戦士が言う理由である。今、人間は、これまで以上に、もっぱら自分の内的世界について為される新しい考え − 呪術師の考え、社会的でない考え、未 知と向い合い、個人的な死と向い合うことに関する考え − を教えられる必要がある。今、何にもまして、集合点の秘密を教えられる必要がある。




 語り手がしぐさで話す時だけ精霊は耳を傾ける。そして、しぐさは、合図や身振りのことではなく、真に奔放な行為、気前のよい、ユーモラスな行為のことで ある。精霊のためのしぐさとして、戦士は自分の最高のものを発揮し、静かにそれを抽象に提示する。





Top
時間の車輪の目次

書籍関連 のページ

ト ルテック・アーツUのホームページ