R-TYPE A's
著:人形使い
「う……」
視界に、ぼんやりと光。
天井灯だということを理解するのには、数秒を要した。
ベッドに横たわっていた身体を、高町なのははゆっくりと起こす。
「ここ……どこ……?」
あたりを見回す。
最低限の調度品しかない簡素な部屋。自分の部屋ではなく、彼女の知っているどの場所でもない。
記憶が徐々に戻ってくる。
「そうだ、アースラに帰ってきたときに、なにか……」
どのくらいの間眠っていたのか分からないが、意識を失う前の記憶は、時空管理局の管轄時空域の一つにて、違法に創造された幻獣掃討の任務に就いていた時点で途切れている。
痛む頭で懸命に記憶を辿る。
任務を終え、彼女の母艦である巡洋艦アースラへ帰還しようとした時、転移直前に正体不明の転移ゲート開放警告。しかも複数。
ゲート内から感じる異様な気配。同地点における転移ゲート開放による相互干渉警告。そして……意識の途絶。
「……っ!? レイジングハート!?」
そこまで思い出して、なのはは致命的な違和感にはっとする。
慌てて胸元を探る。
平時は常に宝石状の待機状態で首から提げている、インテリジェントデバイス・レイジングハートが――いない。
落とした? まさか。とすれば、奪われた――?
にわかに動悸が激しくなる。
自分が与り知らない場所に放り出された状態で、しかも常にそこにいてくれるはずの戦友がいないという孤独感に、小さな身体が押し流されてしまいそうになり、なのはは両手で肩をぎゅうっと抱く。
否、真に彼女を苛むのは、ここにはいないレイジングハートや、離れ離れになってしまったアースラのクルー、そしていちばんの友達、フェイトたちのことだった。
縋るように、フェイトから教えてもらった方法で気持ちを落ち着かせようとする。
「私の名前は高町なのは、私立聖祥大附属小学校3年生、10歳……。うん、記憶はどうもないみたい……それで、ええと、ここは……」
ややあって少しずつ落ち着きを取り戻したなのはは、改めて室内と自分の身体を確かめる。
室内は自分が身を横たえていたベッドの他には簡単な調度品がいくつかある。窓はなく、ドアはアースラのそれとよく似た自動ドアだ。ドアロックの液晶部分には赤く「LOCK」の文字が点灯している。
自分の方は、レイジングハートが見当たらない以外は、手足が縛られているわけでもなく異常はない。怪我をしていたらしい腕や足には治療用のパッドが数箇所当てられているが、骨折などはないようだ。体は何とか動かせる。
「誰かが……助けてくれたのかな」
ここがどこなのかは未だに分からないが、自分が悪意を持ってここに閉じ込められたのではないこと、どうやら自分はあのあと誰かに保護されてここにいるらしいことはとりあえず理解できた。
だが彼女の心には暗い影がさしたままだ。
「アースラのみんな、大丈夫なのかな……」
異常が起きたのは、アースラに帰るときだった。自分はもちろん、アースラの方にもなんらかの異変が起こっている可能性がある。
思わず涙がこぼれそうになったとき、部屋のスピーカーから声が聞こえた。落ち着いた男性の声だ。
『あー……聞こえるかね? 意識は戻ったようだが、入っても構わないかな?』
「あ、は、はいっ」
思わず敬語で返事をすると、排気音とともにドアが開いた。
入ってきたのは眼鏡をかけた年配の男性だった。手には何かを乗せたトレイを持っている。
服装から見て軍人、それもかなり高い階級にある人物らしい。
「言葉は通じるようだな……具合はどうかね、タカマチ・ナノハ君」
「どうして、わたしの名前を……?」
「このAI……いや、『彼女』と呼ぶべきかな。彼女から聞かせてもらった。返しておくよ」
男性が持っているトレイに乗っているのは、赤い宝石状の球体……紛れもなくレイジングハートだった。
「レイジングハート! よかった……無事だったんだね」
『あなたも無事で何よりです、マスター』
なのはは涙ぐみながらレイジングハートを首にかける。
それだけで、自分の両足がしっかりと地面についたような、安心した気分になれた。
「すいません……安心したら、なんだか涙、出てきちゃって……」
「構わないよ。はぐれてしまった仲間と再会できるのはとてもいいことだ」
レイジングハートを「仲間」と言ってくれたこのまだ名前も知らない男性に対し、なのはは警戒を解いた。男性はなのはが落ち着くまで、何も言わず待ってくれた。
「……ん、すいません、もう落ち着きました。え、と……」
「ああ、これはすまない。自己紹介がまだだったね。私はアイバン・コックス。この艦……ヘイムダル級宇宙戦艦「ファフニール」の副長をしている。さて、なにから説明したものか……」
「あの、私たちを、どうやって……?」
「ではまず、そこから話そうか。私たちのことも知ってもらわなければな。着いてきたまえ」
コックス副長について部屋を出たなのはは、道すがら彼の話を聞いていた。
「我々はこの宙域を巡航中に、微弱な指向性ノイズをキャッチした。永世SOS信号に酷似したそれを無視するわけにはいかなかったからな。そして君らを発見したというわけだ。正直信じられなかったよ。何らかのフィールドで保護されていたとはいえ、生身の、しかもこんな小さな女の子がいたんだからね」
「レイジングハート……守ってくれてたんだね」
ぎゅっとレイジングハートを抱きしめるなのは。それに応えるように、レイジングハートは柔らかい光で明滅した。
「そして我々は彼女、レイジングハートから君と、君の所属する組織に関する必要最低限の情報を提供してもらった。ああ、これは全て彼女の自発的な協力によるものだ。強制したものではないよ」
『たいへん紳士的に扱って頂きました』
レイジングハートの冗談に、くすりと笑みをこぼすなのは。
「我々が彼女に提供してもらった情報は大きく分けて3つ。ひとつは君の名前と簡単なプロフィール。ひとつは君の所属している組織、時空管理局について」
「あの……どういう聞き方をすればいいかわからないんですけど……」
時間をかけて言葉を選び、なのはは続きを口にする。
「ここ、その、この世界は……どこ、なんですか?」
「私たちの基準で言うなら、22世紀の地球圏、ということになるかな。そしてここは地球の衛星軌道上だ。君らの基準で言うなら、第478管理世界……ということで良かったかな?」
『はい、副長』
その言葉になのはは、安堵と不安を同時に覚えた。
安堵は今自分がいる場所と世界がはっきりしたことから、不安は自分が、アースラがいた世界とは別の世界に迷い込んでしまったことからもたらされたものだった。
「あの……驚いたでしょう?」
「ふむ……確かに君が20歳にも満たない年齢であること、レイジングハートのような極めて高度な人工知能の存在、そして『魔力』と呼ばれる我々にとっては幻想の産物としか思えない未知のエネルギーの統御と体系化……驚くべきことは山ほどあった。しかし……」
そこまで言って、副長はいったん言葉を切った。
「我々は君らのように異なる世界線を自由に行き来するレベルの技術をいまだ有してはいない。だが、異なる次元、異なる時空を行き来する存在に関しては珍しいことではないのだ」
「え……?」
「そしてもうひとつ。君が我々の世界に飛ばされてしまった理由……。これに関しても、我々の予想の範疇だった。レイジングハートから提供してもらった、君がこちらの世界に飛ばされる直前の各種データから、その原因が我々になじみ深い『ある存在』にあることが分かった」
なのはは見逃さなかった。今まで柔和な表情と口調を決して崩さなかった副長が、『ある存在』という言葉を口にしたとき、かすかに表情を変えたのを。
ほんの僅かの間だったが、確かに垣間見えたその表情は……深い憎悪、そして、明確な殺意。
その表情はすぐに消え、副長の顔はもとの穏やかな笑みを浮かべたものに戻っている。
「結論から言うと、君がこちらの世界に飛ばされる原因となったのは、同一座標における転送ゲートの干渉に起因する転送パスのランダム展開だ。君の所属している艦――アースラと言うそうだが――それの展開したゲートともうひとつのゲートとの相互干渉で生じた不正規な形でのゲート開放に、君は巻き込まれたというわけだ」
「そう……ですか」
「先ほども言ったとおり、我々は君たちほど自由に異なる時空間を行き来する技術はない。そのため我々からアースラに向けてメッセージを送ることは困難だ。現在、レイジングハートの協力で彼女の発信する救難信号を増幅・発信する方法を検討中だが、正直なところ目処は立っていない。しばらくの間は、君は民間人としてこの艦内で生活してもらうことになるが……構わないかね?」
「ありがとうございます、副長」
深くお辞儀をするなのは。副長はその様子に少々面食らったようだったが、ややあって穏やかな表情で笑って見せた。
「はは……そんな風に言われると、柄にもなく嬉しくなってしまうな」
と、廊下の曲がり角で、副長が足を止めた。
「アルファ03、相変わらず耳が早いな」
「突撃部隊としては当然であります、副長」
曲がり角から現れたのは、パイロットスーツ姿の若い男性だった。人懐っこそうな笑顔を浮かべている。
「で、この子が例の? やあこんにちは。オレは突撃部隊のアルファ03ことジム・ウィリアムス。よろしく、お嬢さん」
「あ、初めまして。高町なのはです」
「タカマ……ああ、君は日本人なのか。うちの艦長と同じだな」
「え、そうなんですか?」
「この艦には色んな人間が乗っているんだ。人種の違いなんて珍しくもないさ。……それにもう、今じゃ国境も事実上土地の境目以上の意味を失ってるしな」
その言葉を聞いて、なのはははっとした。
この艦は軍艦で、軍事行動を行っている。つまり明確に「戦っている相手」がいるのだ。しかも、アースラで自分が相手にしているような幻獣などのような単体の相手ではなく、もっと大規模で組織的な、恐らくは極めて危険な戦闘力を持った集団。
……もしかして、相手は人間?
なのはには想像もつかない。今、この艦は、一体どんな相手と戦っているのか。
そんななのはの様子を察してか、副長が言った。
「――今君の思っている通り、我々には戦っている相手がいる。しかも我々は押されている。本星――我々が、そして恐らくは君も地球と呼んでいる星も、もう3割以上が『奴ら』の支配圏内だ。そして、君がこちらの世界に飛ばされる原因を作ったのも、『奴ら』だ」
ジムと別れた副長となのはは、会議室のような大きな部屋に入った。前面に大型スクリーンがあることから察して、ブリーフィングルームなのだろう。
「さて、君には説明しなくてはならないことがたくさんある」
副長に促され、席に着くなのは。大型のモニターが点灯する。
「これもレイジングハートから提供してもらった情報なのだが……」
副長が
「君は元の世界では、様々な時空を渡り歩き、危険因子を排除していたそうだな」
「はい。私ももともとはただの小学生だったんですけどね」
「これは私の個人的な推測だが、君や君の属する時空管理局は、我々が戦っている敵と接触する可能性が……あるいはすでに接触している可能性がある」
「え……!?」
なのはは思わず息を呑む。
彼らの、そしてもしかしたら自分たちがすでに相対しているかもしれない敵。その正体とは――?
「『奴ら』は、圧倒的な破壊本能と強力な自己進化能力を有し、そして生物・無生物を問わずあらゆるものに寄生融合する」
モニターに映し出されたのは、あまりにも醜悪な生物。悪夢をそのまま体現したかのようなその姿に、なのはは声を詰まらせた。
モニターに表示されたそれらは、なのはが今まで目にしてきたどのような幻獣や魔法生物とも違い、なおかつ、それら全ての特徴を備えていた。
獣のような牙をむく二足歩行獣、毒々しい燐光を放つ奇怪な植物、装甲の隙間から細胞のような生物組織を覗かせた兵器群――。
一切の統一感を欠いたそれらが唯一持つ共通点。
それは破壊。
建造物を、対抗する兵器を、道路を、街を、そして恐らくは、人を。
自分たち以外の存在をこの宇宙から根絶しようとでもいうかのように、それらはどの画像でも、破壊を繰り返している。
なのはは言いようのない悪寒を覚えた。
それらの醜悪な姿に、ではない。奇怪な姿をした相手なら、これまでに幾度も戦ってきた。
モニタ越しの決して鮮明とはいえない画像に、なのはの幼いが故に敏感な感受性は、それらの上げる軋るような咆哮を確かにその身に感じていた。
姿かたちではない、もっと根源的なところから生じる嫌悪感に耐えながら、なのはは副長の説明に耳を傾ける。
「『奴ら』と我々人類とは、もう数十年に渡って戦い続けている。過去我々は4度、『奴ら』の大規模な侵攻を、大きな犠牲を払いながらも食い止めてきた。自己増殖機能を備えた粒子で構成された生命体。質量のある物質でありながら、波動としての性質も併せ持ち、あらゆるものに伝播する。時には人の思念にさえ干渉し、そして貪る……」
モニタに表示される、様々な観測データ。その全てが、異常としか思えない数値を示していた。
「我々はそれを、『バイド』と呼んでいる」
「バイ……ド……」
その名を知ったのがきっかけだったように、なのはの脳裏にその異存在・バイドのイメージが、より鮮明に根付いた。その名前すらもが禍々しく感じる。
「奴らは異層次元を自由に行き来し、あらゆる生命体に襲い掛かる。知能という枠組みすら意味を成さない超知覚能力で、君が秘めた魔力を嗅ぎつけてきたというのが我々の見解だ」
「つまり……私を追ってくる可能性がある……ってことですか?」
副長は黙ったままうなずいた。
「奴らの超知覚能力は、光学、音紋、熱源、生体反応、電子かく乱、あらゆる隠蔽を無効化する。だから、我々は常に奴らの襲撃に対して備えているんだ」
「でも、じゃあ……私がここにいたら!」
慌ててそう言うなのはに、副長はいくらか表情を和らげて返す。
「はは……どの道我々とバイドとの交戦は避けられないし、第一こんな小さな女の子を放り出すわけには行かない。心配することはないさ。我々には奴らと戦う手段もある」
「でも……」
『マスター』
赤い光を明滅させながら、レイジングハートがなのはに語りかける。
『我々の戦闘スタイルがバイドとの戦闘で有効である保障はありません。また、宇宙という特殊な環境における戦闘経験や戦闘手段は我々にはありません。彼らに任せましょう。そもそも我々は異なる世界線から期せずしてこちらに接触した異邦人です。過度に干渉すべきではありません』
「そう……だね。うん……」
『くれぐれも無茶な行動はなさらないよう』
「はは……まるで仲のいい友人のようだな。うらやましいよ」
副長のその言葉を聞いてなのははいくらかは安心した表情を見せた。それを見て副長も安心した様子でなのはを促す。
「さて……あとは艦内を案内しようか。まずはブリッジに行こう。艦長もそこにいる」
「あ、はい。お願いします」
二人は艦内エレベーターを使い、ブリッジへと移動する。
艦内の様子はアースラと似通っていて、まだ不安は拭いされないものの、なのはは少しずつ自分の置かれた状況を冷静に見つめなおせるようになっていた。
今のところこちらからアースラに連絡を取る手段はなく、向こうがこちらの位置を特定することも困難だろう。加えてなのはにとっては未知の敵、バイドの存在。
直接接触したことはなくても、否、するまでもなくその凶暴性は十分すぎるほど理解できた。もし仮に今の自分がバイドと対峙したとして、満足に戦えるかどうか――。
事実上、現状でできることはないと言っていい。それがなのはには歯がゆかった。
それを察してか、なのはの胸元からレイジングハートが言う。
『マスター、気持ちは理解できます。しかし……』
「うん、分かってるよレイジングハート……」
また気分が俯きがちになってきたとき、ポーンと軽い電子音が響いた。ブリッジに着いたようだ。
「ここが我々の艦、ファフニールのブリッジだ」
エレベータのドアの先には、座席が馬蹄形に配置されたブリッジだった。アースラのそれとよく似た構造に、なのはは既視感と同時に郷愁めいた感情を覚えた。
今にもエイミィの陽気な声やリンディ艦長の優しい笑顔、そして最愛の親友であるフェイトの姿が現れそうで、なのはは胸の奥がずきんと痛むのを感じた。
ブリッジにはすでになのはのことは連絡されているようで、肩越しに興味深げな視線を送るもの、軽く手を振るものと、おおむね友好的に迎え入れてくれているようだった。
「テンガイ艦長、タカマチ・ナノハ君を連れてきました」
副長が声をかけると、ブリッジの中央、艦長席らしいシートに座っていた人物が、ゆっくりとなのはの方を振り返った。
さきほどジムが言っていた通り、黒髪に黒い瞳で一見して東洋人だと分かる。隻眼だった。右目は眼帯で隠されており、幾戦もの戦いを潜り抜けてきたであろう左目の鋭い眼光がなのはを射る。
「それが、警戒宙域で拾ったという娘か」
「はい、艦長」
ぎろり、と艦長の隻眼がなのはを睨む。どうやら他のクルーと違い、艦長にはあまり歓迎されていない様子だ。
「え……と、た、高町なのはです、お世話になります……」
おずおずとなのはが挨拶をしても、艦長の眼光は緩まない。じっとなのはに視線を据えている。
その視線が、副長の方を向いた。
「SOS信号の増幅と発信は?」
「彼女の持つAI、レイジングハートの協力のもと、現在急ピッチで進行中です」
「急げ」
「は」
短くそれだけの言葉を交わすと、艦長の視線は再びなのはに向けられた。
「ここでの扱いは副長から聞いているな。この艦にいる以上、こちらのルールに従ってもらう」
それだけ言うと艦長は、なのはの返事も聞かずに踵を返した。
シートに戻るときに、肩越しに振り返り、もう一度艦長はなのはに視線を放った。
「……こんな、子供が」
忌々しげとも言えるその口調に、なのははむっとする以前に、やはりそれが当たり前なのだろうと心のどこかで思った。
無条件で受け入れてもらおうと思うほうが無理があるのだ。
レイジングのハートの言ったとおり、ここの人々にとって、自分は本来絶対に出会うはずのない異邦人なのだ。
いや、さっき副長から聞いた「バイド」という怪物が自分の魔力を追って来ているというのなら、自分はここで暮らしている人々にとって……「敵」だと言えるのかも知れない。
その「敵」から、艦長は部下達を守らなくてはいけないのだ。
助けてくれたのは素直にうれしい。けれど……。
なのはの表情がかすかに暗くなったのを察してか、副長がなのはに声をかける。
「さ、ここもじきにあわただしくなる。次は我々の自慢の場所に案内しよう」
そう言って副長は、いたずらっぽく笑って見せた。
「君の心配も、これでいくらかは和らぐといいが」
「……?」
怪訝な顔をするなのはに、副長はもう一度笑いかけ、エレベーターに乗った。
静かに移動するエレベーターの中で、ふと副長がなのはに言った。
「すまなかったねえ」
「え?」
「艦長のことさ」
「あ……でも」
なのははちょっと口ごもってから、
「……仕方ないと思います。わたしを助けてくれたのはうれしいですけど、でもやっぱり、ご迷惑ですよね……」
「ん? ああ、いやいや、そういうことではなくてだな」
副長はきょとんとした表情を浮かべたあと、ふっと苦笑いをする。
「ああいう言い方しかできんのさ、あの人は。まあ、大人にはいろいろあるんだ。分かってやってくれ」
「は、はい……」
そう答えたものの、なのは今ひとつ副長の言うところがピンと来なかった。
首をひねっているうちに、エレベーターは目的の場所に着いたようだ。
扉が開くと、そこには戦艦の中とは思えないほど広大な空間があった。
なのはは自分のいる艦・ファフニールがどのくらいの大きさのものかは聞いていなかったが、この空間から判断するに恐らくはアースラよりも大きいだろう。
そこは飛行機の発着場のようなところだった。アースラにはこういった施設はなく、なのはは強く興味を引かれた。
と、巨大なシャッター――エアロックだろうか――が開く音がして、一機の飛行機のようなものが姿を現した。
ようなもの、となのはが思ったのは、それには飛行機と言われて思い起こすような目立った翼がないからだった。円筒状ののっぺりしたキャノピーに、主翼のない機体は、どちらかといえば飛行機というよりも、むしろアースラにもあった艦外作業用の小型作業艇のように見えた。
「副長、あれは――?」
「うむ。あれが我々人類の対バイド主力兵器、R戦闘機だ。あれは標準タイプのR−9アローヘッド。ここには他に、目的にあわせて数タイプの機体が配備されている」
見渡せば、同じような機体が天井から伸びるアームで固定されていたり、整備を受けたりしている。ここはそのR戦闘機のハンガーなのだ。
「すごい……」
なのはは呟く。
レイジングハートや時空管理局の面々との出会いから、すっかり非日常が日常になってしまった感があるなのはだったが、今目の前にある光景はそれでもなお非日常的なものとしてなのはの目に映っていた。
『慣性制御機構、異層次元航行システム……。素晴らしい。我々の世界とは全く異なった技術で建造されています』
機体をスキャンしたらしいレイジングハートが珍しく感嘆の声を上げる。なのはにはよく分からなかったが、あの恐ろしい、映像を見ただけでも怖気を奮うような怪物を退けることのできる力を、この機体が秘めていることは分かった。
きっとここにあるこれらの機体や、それらを駆るパイロットたち、そのほかの人々の尽力によって、多くの人々が救われているのだ。
自分の生まれた世界ではないけれど、ここにも誰かのために戦っている人々がいるのだ。
確かにここは自分の世界とは遠く離れたところだけれど、自分と同じように大切な何かを守って戦っている人々がいる――そう思うと、なのははずっと胸中にあった孤独感が、すうっと消えていくような気がした。
『エネルギーの利用・転換方法には斬新な点が散見されます。特に、物理的な砲口を機体に設置することなく、充填したエネルギーを異層次元から放出するというコンセプトを持った武装――「波動砲」は興味深い。我々の用いる魔法にすら通じる部分がある。しかし、残念ながら私たちがこの技術を再現することはできません』
胸元で点滅しながら語るレイジングハートを、なのはは不思議そうに見下ろす。
「どうして? レイジングハート。やっぱり特別なものだから?」
『いいえ。異なる世界線で得た情報や技術はみだりに使用してはならないと、時空管理局によって規定されているからです。未遂に終わりましたが、プレシア・テスタロッサの画策していた異世界アルハザードへの接触は重犯罪に当たります。今回の一件も事故であるとはいえ、本来あってはならない接触なのです』
「我々の方は、そもそもこの世界以外の世界からの来訪者など想定してもいなかったからな。その辺りは君らの判断に任せるとしよう」
『興味は尽きませんが、今回は私のささやかな好奇心を満たすに留めておきましょう。徹底的な方法を求めるなら記憶処理まで行うべきなのですが、精神的・肉体的負担を考慮し、時空管理局内における誓約というかたちで、他世界で入手した情報には守秘義務が課せられています。』
なのははもう一度、改めてその巨大な機体に目を向ける。と、別のハッチが開き、R戦闘機とは異なるオレンジ色の球体がハンガーに搬入されてくるのが目に入った。
途端、何か嫌なものの気配を感じ取ったかのように肩が跳ねた。同時にレイジングハートも鋭く点滅する。
「……っ!? あれは……!?」
時空管理局に属するようになってから数々の戦闘をこなしてきたなのはに深く身についたほとんど動物的な直感が、今しがた搬入されてきたオレンジ色の球体が恐ろしいほどのエネルギーを秘めていることを告げていた。
否、それだけではない。オレンジ色の球体から感じるエネルギーは強力なだけでなく、どこかいびつな……人間の手によるもの以外の匂いを漂わせている。
『超高密度エネルギー体です。膨大なエネルギーを制御機構によってコントロールしています。しかし……』
「あれは『フォース』。R戦闘機と並ぶ、対バイド戦闘装備。我々人類の、切り札だ。そしてあのフォースは……」
副長はそこで言葉を切った。その表情に一瞬、さっきブリーフィングルームで見せた苦々しげな感情が走る。
「我々の怨敵バイドと同質の超高エネルギー生命体『バイドの切れ端』を培養・加工した次元武装だ。我々人類が唯一、バイドに対抗しうる兵装さ」
「でも、あれは……あれはなんだか……」
言いかけて、なのはは身震いをする。
「とても、よくないものに見えます……」
そういうなのはに、副長は複雑な表情を見せた。
「……分かるのかね?」
「分かるわけじゃないけど……感じます。すごい力と……今にも爆発しそうな、邪悪な気配……」
言いつつなのはは、我知らず首から下げたレイジングハートをぎゅっと握り締める。
「君が危惧を感じるのもわかる。この『フォース』はつまり、我々の仇敵バイドと同質の力……我々は生き残るために、自分たちの敵の力すらも利用している、そういう状況にまで追い詰められているんだ」
なのはははじめて、この世界がどういう状況にあるのか、肌で感じていた。
どんなに詳細なデータの集積よりも、忌むべき敵の力を使わねばならないところまで追い詰められているという事実が、なのはにこの世界の状況がどういうものかを突きつけていた。
「すまない。怖がらせてしまったかな」
表情を穏やかなものに戻した副長の言葉にも、すぐには返事を返せなかった。
「君には理解してもらうべきだと思ったのだ。我々のこの世界がどういう状況に陥っているかということをね」
「でも、いいんですか、その……軍事機密とか、そういうのは」
そんななのはの言葉に、副長は苦笑交じりに答える。
「我々の方が先に君らについての情報を、しかも重要度の高いものを提供してもらったのだから、そのお返しとでも思っておいてくれればいいさ。それに――」
副長は整備中のR戦闘機に目を向けながら続ける。
「ここだって100パーセント安全な場所ではないということも、理解しておいて欲しい。この艦の中……今私たちがいるこの場所も、広い意味では戦場なのだ。もっとも現在の地球圏に100パーセント安全な場所など存在しないも同然だがね」
「……」
「……すまない。怖がらせてしまってばかりだな。どうにも年の離れた相手と話すのは苦手でね。しかも君のような子がこの艦に足を踏み入れることなど想定外の事態もいいところだ」
「いいえ……大切なことを話してくれて、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるなのはに、副長は照れたような笑みを返した。
「さて、案内はこれくらいにしておこうか。慣れない場所で疲れたろう。もう夜になる、ゆっくり休みたまえ」
副長に促され、なのはは自室としてあてがわれた空き部屋に戻った。
多少の疲労は感じるが、ベッドに横になってもなかなか眠気はやってこない。
慣れない場所というよりは、いろいろと考えてしまうせいだった。
『マスター、休息をとることをお勧めします』
「うん……」
胸元のレイジングハートの声に生返事を返しながら、なのはは天井をじっと見つめている。
確かに自分は時空管理局に身を置くようになってから、さまざまな戦いを経験してきた。命の危険にさらされたこともある。
しかし、今この艦で、この世界で行われている戦いは、自分の経験してきたどんな戦いとも違う。
戦争……しかも、どちらかが完全に滅ぶまで続く戦争なのだ。
しかも、人間同士の場合のようなコミュニケーションが成立可能な相手との政治手段としての戦争ではなく、殺すか殺されるか、それ以外に選択肢のない絶望的な状況。
そんな状況が、恐らくは自分が今まで生きてきた時間よりも長く、この世界では続いているのだ。
「でも、やっぱり考えちゃうよ。わたしに何かできないのかな……って。見ず知らずのわたしを、危険を承知でこうして助けてくれたんだし……」
『……』
黙ってしまった胸元のレイジングハートがため息をついたような気がして、なのはは小さく笑う。
と、そこに軽い電子音。部屋のドアロックシステムのコール音だった。
「はーい、どうぞ」
返事を返すと、入ってきたのは今日食堂で会った女性医療スタッフ、メアリー・キルシュだった。回収されたなのはを介抱してくれたのも彼女だった。
「こんばんわ、タカマチさん。お加減どうかしら?」
「あ、メアリーさん!」
見知った顔に、なのはは表情をほころばせる。メアリーの方も、はじめて会ったときに比べてずいぶんとリラックスしたなのはの様子に微笑を返す。
「体の調子は大丈夫です。あと、気持ちの方も。みなさん優しくしてくれますしね」
「それはよかったわ。でも、質問攻めにされちゃったんじゃないかしら? みんなあなたみたいな子がこんなところに来るなんて考えもしなかっただろうし。でもまあ、こういうところにいるとなかなか外部との接触もないし……何にせよ刺激っていうのは大切だわ」
「大変なんですね……」
「大変っていうならあなたこそ大変でしょう? まだ10歳だっていうのに、こんなことになっちゃって……」
そこでメアリーははっとして苦笑いをする。
「いけないわね、すぐに暗くなっちゃって。こんなかわいいお客様の前だっていうのに。ごめんなさいね」
「私なんかより、皆さんの方が大変に決まってます……あの、私の事情は?」
「簡単にだけど、艦内の全員に連絡はされてるわ。正直、なかなか信じられることじゃないけれどね」
「こうして助けてもらって、こんなに優しくしてもらって、ほんとに感謝してます。私に何かお手伝いできることがあればいいんですけど……でも、私はこの世界の人間じゃないし、あんまり干渉しちゃいけないんですよね……」
「ふふ、そんなの気にすることないわ」
言いながらメアリーは、慣れた手つきでなのはのバイタルチェックを行っていく。
「みんな喜んでるのよ。こういう場所だから新しい刺激は貴重だし。もう質問攻めにされたんじゃない?」
「あはは……でもみなさん、優しくしてくれて、とっても助かりました。いろいろ不安でしたけど、ずいぶん安心しました」
「そう、よかったわ。……よし、チェックは終了よ。肉体的には問題なし。外傷もなかったしね。精神的には……ふふ、大分リラックスできてるみたいね」
「えへ、おかげさまで」
そうして二人は平和に笑いあった。
――ふと、メアリーの表情が崩れた。
「――っ!」
なのははメアリーに抱きすくめられていた。困惑するなのはに、メアリーは語りかける。
「ごめんなさい、いきなり」……でも、聞いて」
メアリーの表情は分からない。ただ、声音が震えていた。
「私たちのいるこの世界は、はっきり言って地獄だわ。人類の生活圏はどんどん狭くなっているし、戦局は悪化し続けている……たくさんの人が死んでいったわ、軍人、民間人問わず……」
「メアリーさん……」
なのはは言葉を返せなかった。ただ、両手をメアリーの背中に回す。
「私たちがこうしている間にも死んでいっている人たちがいるのよ、戦闘だけじゃない、地球の環境そのものが有害なものになっていって、抵抗力のない体の弱い小さな子供はどんどんいなくなっていく。」
ぐ、と、なのはを抱きしめたメアリーの両手に力がこもった。
「タカマチさん。たとえ違う世界の人でも、あなたみたいな小さな子供がいるっていうのは……ほんとうに、ほんとうに救いなのよ」
メアリーは泣いていた。気がつけば、なのはも泣いていた。
「だから……生きていてくれて、ありがとう」
なのはは知らず、メアリーの背中に手を回していた。
自分の生きてきた世界とは本来つながるはずのなかったこの世界。
戦いと荒廃にまみれているはずの世界を、なのはははじめて、美しいと思った。
それはなのはがファフニールに保護されてから5日後のことだった。
突然の警報音になのはは飛び起き、反射的にベッド脇の棚においてあったレイジングハートを首にかける。
部屋を飛び出したときにはすでに通路は警告灯で真っ赤に染まっている。
走り抜けていく隊員たちの一人に見知った顔を見つけ、なのはは慌てて声をかける。
「ジムさん!」
「あ、ナノハか。部屋に戻ってた方がいい。艦内はすでに
「……! バイドが攻めてきたんですか!?」
「ああ、規模はまだ不明だがかなりデカいらしい……ナノハ! どこ行くつもりだ!」
ジムの言葉をしまいまで聞かずに、なのはは駆け出していた。いても立ってもいられなかった。
自分を追ってきた……自分のせいで戦闘が起こり、人の命が失われるかもしれないと分かっていて、部屋でじっとしていることなどできはしなかった。
『マスター、我々には……』
「分かってる! 分かってるけど!」
レイジングハートに答える声はすでに涙声になっていた。
通路を駆けながら、なのはは考えていた。何か、何かないのか。自分にできることは。脳裏にいつかのメアリーの言葉と暖かな感触がよみがえる。
あの言葉が、あのぬくもりが、失われてしまうかもしれないのだ。
なのはの足は無意識にブリッジを目指していた。
自分に何かできるのかはわからない。自分に何ができるのかもわからない。しかし、じっとしていることなどできなかった。何もできないのならせめて、戦っている人たちのそばにいたい。
そんな衝動に駆られて走るなのは。ブリッジに飛び込む。
「副長!」
「ナ、ナノハ君!? こんなところにどうして!?」
「敵が来てるんでしょう!? 今、どうなってるんですか!?」
瞬間、艦内が大きく揺れ、ブリッジの全面モニターが警告メッセージで埋め尽くされた。
「――っ!?」
数日前に会議室のモニターでデータを見たときとは比べ物にならないほどの悪寒……否、殺気に全身を貫かれ、なのははその場に座り込んでしまう。
「こ、これ……真っ黒い気配が、たくさん……!」
『マスター、気をしっかり持ってください。メンタルレベルに乱れが生じています』
スピーカーから、ノイズ交じりの声が聞こえてきた。
「ファフニール! こちら早期警戒部隊シーカー04! ポイントC−1−Nにバイド群出現! 周辺の廃棄コロニーはバイド組織に覆われ生体洞化してる! 巣をつぶさない限りキリがない! 援軍は……」
スピーカーからの声がノイズに呑まれた。
同時に正面モニターに表示されていた味方機を示すマーカーがひとつ、またひとつと消えていく。
ブリッジを静かに、だが確実に絶望感が覆っていくのが、なのはには分かった。
「艦長!」
ほとんど悲鳴のようななのはの声に、ブリッジにクルーが思わずなのはの方を振り向く。
「私に……私に何かできることはないんですか!?」
ブリッジが沈黙に包まれる。モニターががなりたてるアラームも、なのはにはもう聞こえていなかった。
「私をっ、私を追ってきたんでしょう、バイドは!? だったら……!!」
「君に、何ができる」
鉈のような重さを持った声。艦長がなのはを見据えていた。
鋼の色をたたえた隻眼が、真正面からなのはの涙に濡れた瞳を見据えていた。
「君にできることなど、何もない」
「でも……!」
「君は民間人だ。戦闘員ではない」
なおも言い募ろうとするなのはに先んじて、艦長は言葉を続ける。
「加えて君は異邦人だ。われわれの行動への干渉は控えてもらおう」
中空で噛み合っていた視線を外し際、艦長はもう一言、告げた。
「もう一度言おう。君にできることは何もない。――自室に戻っていたまえ」
銃弾で撃たれたかのような衝撃がなのはを襲った。
これまでの戦いで味わってきたどんな恐ろしい苦痛よりも、否、戦いの中では決して現れない、だからこそ深く深く、心臓の奥底まで突き刺さる衝撃だった。
ふっと両足が折れた。一瞬、今まで自分がどうやって立っていたかが思い出せなくなった。
血を抜かれたかのように、こめかみの辺りがすうっと冷えていくのがぼんやりとわかった。
今まで、たくさんの戦いを経験してきた。命の危機にさらされたこともあった。多くの血を流してきた。
しかし――
『君にできることなど、なにもない』
自分のいた世界とは違う世界の人々は、なのはを受け入れてくれた。この世界においては何の縁故も持たない彼女にとって、それは命綱とも言っていい絆だった。
『君にできることなど、なにもない』
毒矢を受けたように、ついさっき自分に向けられた言葉が胸の奥でじくじくと痛む。
否定。それも明確な。
無力感が、巨岩のように重い。
魔法という大きな力を手にし、今まで戦ってきた。
その戦いの中で、多くのものを得てきた。
決して慢心からではなく、自分には戦い続けられるだけの力が、信念があると信じていた。誰かを救うことができるだけの、力が。
しかし、ここではどうだ?
見ず知らずの自分を助けてくれた人々が、強大な敵に襲われている。しかもその敵は、自分を追ってきているのだ。
にもかかわらず、自分には何もできない。
小さな手を、ぐっと握り締める。
全身が鉛にでもなったかのように、ずしりと重い。
自分の手足に、じゃらりと重い鉄鎖の幻触さえ覚える。
なのはは、自分の涙が数滴落ちた床を凝視するほかなかった。体が動かなかった。ともすれば心さえ、動かなくなりそうだった。
「タカマチさん……」
見かねたメアリーがそっと肩を抱いてくれたが、なのはは彼女に返事を返すこともできない。
小さく震える唇からは唇からは、もう嗚咽さえ漏れてこなかった。
しかし――
同時に、彼女の奥底、表層意識には上らない精神の奥底で、なのはは考え続けていた。
無力感、絶望感、それらから隔絶され、強靭な冷徹さを保っているなのはの精神その一端は、自動機械のように動き続けていた。
何かあるはずだ。なにかが。
そこには一切の諦観は存在しない。幼く無垢であるにもかかわらず――否、だからこそ形成された、不屈の心。
すべてが絶望に凍てつく中で、そこだけが小さな熾き火のように、熱を保っていた。
何かあるはずだ。何か、何か、何か――。
「――っ!」
なのはが、かっと両目を見開いた。
小さく頼りない火種が、なのはの中で爆発的に燃え広がった。
暗く凍てついた絶望を、膨れ上がった炎が紙のように吹き飛ばしていく。
あった。たったひとつだけ、自分にやれることが。
「タカマチさん!?」
弾かれたように立ち上がったなのはは、メアリーの声にも返事を返さずブリッジを飛び出していった。
その背中を見送るしかなかったメアリーは、困惑してブリッジ内を見回す。
しかし、誰もがうつむき、何も言えずにいた。
その中で、艦長だけが、目深にかぶった制帽越しに、なのはの消えていったドアを見据えていた。
「艦長……!」
たまりかねたように、副長が艦長を振り仰ぐ。艦長は正面のモニターを見据えたまま、目をあわせようともしない。
「ほうっておけ」
「ですが……」
「ここにいても邪魔になるだけだ」
そして、小さくつぶやく
「あんな、子供が……」
遠く戦闘の響きが聞こえてくる無人の廊下を、なのはは息を切らせて走っていく。
自暴自棄ではない、明らかに目的を持った足取りだった。
なのはは走りながら、胸元のレイジングハートに呼びかけける。
「――どう? できそう?」
ややあって、レイジングハートが答える。
『可能です。しかし――』
「いまさら止めろ、なんて言わないよね?」
『分かっていますとも』
「あのときのデータ、まだ残ってるんだよね?」
『はい。あなたのバリアジャケットを形成したときの方法が転用できるでしょう』
目指す場所にはまだ一度しか行ったことがなかった。民間人扱いのなのはには、普段は用があるような場所ではなかったからだ。
しかし、そこへ行く道順ははっきりと覚えていた。
なのはは胸中で、艦の中を案内してくれた副長に感謝する。
幸い誰かが追ってくる様子はなかった。
『しかし驚きました。想定外のアイディアです』
「そうかな?」
『はい。類推や推測ではなく、そういった種のいわゆる「ひらめき」は、我々AIにはないものです』
レイジングハートはしばらく間をおいて、「すばらしい」と付け加えた。
『それにあなたは、深い精神的ショックを負いながらも、それとは無関係に解決策を模索していた。思考の分割とも呼べる特殊な精神状態です』
「難しいことは、よくわからないけど……」
息をつきながら、なのはは答える。
「戦える方法は、きっとあるんだよ、きっと。わたしは戦えるのに、やれることがあるのにやらないのが嫌なだけ……ほんとに、それだけだよ」
目的の場所が見えてきた。
副長に案内してもらった、R戦闘機の
ドアを開けると、そこは喧騒の坩堝だった。
大声で専門用語を怒鳴り散らすクルーたち、鉄塊と見まごうほどにダメージを負って回収されてきたR戦闘機。ストレッチャーに乗せられて、医療室へと運ばれていく兵士たち……。
紛れもない、「戦争」の空気。
その中になのはは、一歩を踏み出した。喧騒の中、見知った顔を捜して辺りを見回す。
「班長さん!」
「むん?」
汚れまみれの作業服を着た大柄な男が振り返る。視線はなのはの方に向けながら、手元は器用に作業を続けていた。
整備班長のアレックスは、この場に似つかわしくない小柄な少女の姿に眉をひそめた。
「お嬢ちゃん!? こんなところに来てはいかん! 危ないから部屋に戻ってろ!」
「ごめんなさい、班長さん! ここ、使わせてください!」
「何を言って……」
アレックスの返事も聞かないまま、なのはは開いているスペースを見つけ、首から提げたレイジングハートを両手で握り締める。
「――お願い、レイジングハート」
静かにそう告げ、なのはは精神を集中させる。
『Allright. My Master.』
レイジングハートが光を放つ。その周囲に、ワイヤーフレームを思わせる光のグリッドが構成されていく。
『データロード。再構築開始』
レイジングハートはなのはの手の中でスタンバイモードからシューティングモードへ、そして、より巨大な姿へと変容する。
『エミュレート完了』
「こ、こいつは……」
光の中にたたずむそれを、アレックスは呆然と見上げる。
得体の知れない……否、彼がよく知るものが、そこにあったからだ。
丸みを帯びた特徴的なキャノピー。
中空に浮かぶ球体。
それは紛れもなく、彼らがよく知るR戦闘機そのものだった。
だが、そこにあるR戦闘機は、白金の装甲、金色のコントロールロッドのついた真紅のフォースと、誰も見たことのない姿をしていた。
「ごめんなさい、班長さん。前に見せてもらったこの戦闘機のデータを、レイジングハートに再現してもらったんです。使わせてもらったデータは、終わったら必ず破棄します。だからお願い、行かせてください」
「い、行くって、まさか!」
アレックスが言い募る前に、なのはは静かに告げる。
「戦ってるんですよね、みんな。だったら、戦う力があるなら、戦わなくちゃ。わたしだけ安全なところにいるわけになんか……いきません」
「だが……!」
アレックスはその続きを口にすることができなかった。
なのはの決然とした、悲壮感さえ漂うその瞳に、言葉を続けることができなかった。
「班長さん、お願い。行かせてください」
アレックスは目の前にいる少女が、たった10歳の幼い少女であることが信じられなかった。こんな小さな女の子が、こんな目をするなんて。
そう思ったときには、もううなづいていた。
「……分かった。おい、5番エアロックを開けろ。ああとこの機体の発進準備をしろ。今すぐだ!」
スタッフたちは困惑した視線を返すが、アレックスが一喝するとはじかれたように作業を始める。
天井に据え付けられたアームがR戦闘機を模したレイジングハートを固定し、エアロックへと移動していく。
『マスター、搭乗を』
なのはは吊り上げられたレイジングハートを見上げ、それから班長に視線を戻す。
そして、深く一礼するとコクピットへと飛び込んだ。
コクピット内にはモニタ類はなく、シート以外にはシューティングモードのレイジングハートのグリップとよく似た操縦スティックが1対、左右から伸びているだけというシンプルな構造をしていた。
『周囲の状況の把握、と武装選択は知覚の拡張と音声入力、武装使用はトリガー入力で行います。また、急激な加速や機動によるGに対しては機体内部に展開するフィールドで対処します』
目の前のハッチが開き、レイジングハートはエアロックの向こう側へと運ばれていく。
『マスター、大丈夫ですか?』
問いかけるレイジングハートに、なのはは深く息をついてから、答えた。
「あなたが、いるもの」
ブン、と真紅のフォースがひときわ強く輝く。
機体をつかんだアームが伸び、発進の準備が整った。
なのはは機体の中で、深呼吸する。たったそれだけで、精神が凪いでいく。
「……行こう、レイジングハート」
「All Right. Main Engine Egnittion.」
両手に握りこんだグリップを通して、魔力の高まりを感じる。
キャノピー越しに見える、カタパルトの出口。星々の――今は戦火の瞬く宇宙。
ぐっとグリップに力を込める。
同時にアームが解除され、機体が急加速する。
瞬く間にカタパルトの床が後方に流れ去り、レイジングハートは宇宙空間へと飛び出した。
『マスター、知覚を拡張します。幻惑感に注意してください』
視覚と聴覚をはじめとする違和感が起こり、すぐに収まる。
肌が直接宇宙空間にさらされているような感覚がなのはを襲う。さらに真空中では聞こえないはずのさまざまな音、見回すのではなく、360度が同時に見えるという異様な知覚を、なのははこらえ、ねじ伏せる。
「……うん、大丈夫。もう慣れたよ。……っ!」
前方から光弾。機体をひねってかわす。
小型のメカが5体。こちらに向かってくる。
「レイジングハート、データをちょうだい!」
『エネミーデータ、ロード。『キャンサー』と判明。一体一体はそれほど強力ではありませんが、数が集まると厄介です』
なのはは光弾をかわしつつ、魔力弾を放った。
ショッキングピンクの閃光がほとばしり、キャンサーの編隊を撃ち砕く。
「みんなは!?」
『ベクタ6−4−7。コロニー残骸周辺で交戦中です』
返事を返す間も惜しんで、なのはは指定された宙域へと向かおうとする。
それを阻むように、接近警報。
『キャンサー群の接近を確認。囲まれています』
「くっ……!」
レイジングハートの警告の直後、前後から光弾が迫る。
レイジングハートの装甲を通して感じる、肌を刺すような殺気。
光弾をかわしつつ反撃するが、後ろから数体のキャンサーが追いすがってくる。
「後ろから来る……!」
『問題ありません』
機体の前方に位置していた真紅の球体・フォースが、突然自律意思を得たかのように機体を離れ、後方に移動した。
フォースから魔力弾が放たれ、追ってきていたキャンサーが爆散する。
「すごい……! こんな使い方もできるんだ」
『ですが我々はR戦闘機の扱いに熟達しているわけではありません。この機体にしても本来の機能のすべてを発揮できているわけではありません。気をつけて下さい』
爆風を突っ切るように、味方部隊が交戦している宙域へと急ぐ。
戦場はすでに乱戦状態だったが、なのはには容易に敵味方を識別することができた。味方側の戦力はほとんどR戦闘機で、それ以外の戦力といえば無人の浮遊砲台くらいのものだったし、なにより敵であるバイドの機体からは、あのドス黒い、殺気と呼ぶのもおぞましい醜悪な臭いがする。
一機、動きのおかしいR戦闘機を見つけた。機体上部にレドームを装備した哨戒機らしいその機体は動力部を破損しているらしく、追ってくる人型メカの砲撃を辛うじてかわしているものの、今にも撃墜されてしまいそうだ。
レイジングハートが魔力弾を放つ。その機体は見かけの鈍重さとは裏腹に、すばやく攻撃をかわす。
『エネミーデータ、ロード。『ガイダッカー』と判明。地球軍の機体にバイド組織が寄生したものです。主武装の陽電子砲の破壊力は侮れません。気をつけて』
人型メカ・ガイダッカーは、レイジングハートの方を脅威度の高い敵と認識したのか、破損したR戦闘機を負うのをやめて機体を反転、向かってきた。
「あのR戦闘機につなげる!?」
『了解。回線つなぎます』
回避運動を取りながらも、なのはは破損したR戦闘機のパイロットに通信を入れる。
「聞こえますか!? 大丈夫ですか!?」
『!? そ、その声、まさか!』
「ジムさん!?」
ノイズ越しに聞こえてきたのは、哨戒部隊のジムの声だった。
『ナノハか!? それに乗ってるのか!? どういう……』
「後で説明しますから、安全なところに逃げて下さい! 敵はわたしが……」
なのはの脳内に、R戦闘機の武装情報が流れ込んでくる。それがなのはの魔力体系と有機的に連結し、レイジングハートによって実行される。
相手は強力な装甲と機動力を備えている。通常の魔力弾だけでは倒し切れない。
機種部分に力場が発生する。漆黒の宇宙空間を切り裂く、まばゆい光。
「倒します!」
『Divaine Baster』
閃光がほとばしる。
ガイダッカーは真正面からその閃光に飲み込まれ、消滅した。
「よし……!」
『魔力の消耗には注意して下さい。この機体の構成自体にも魔力を用いていますから、いつもより消耗は激しいはずです』
ディバインバスター1回の使用で、魔力をかなり消費してしまったのは確かに感じられた。それを差し引いても慣れない状態での戦闘は体力と精神力双方に影響を与えている。戦闘が長引くのはまずい。
「ジムさん、みんなは? 無事ですか?」
『あ、ああ。戦力の大半がダメージを受けているし、消耗してる。バイドどもは廃棄コロニーに巣を作ってるらしい。戦力はそこからどんどん供給されてる。そこを潰さないと……』
「分かりました。座標を教えてください」
『だが、一人で大丈夫なのか?』
「いいえ、一人じゃありません」
「ナノハ……」
なのはは力強く強く答える。
「ジムさんも、レイジングハートも、ファフニールのみんなもいます。一人なんかじゃありません」
ジムはもう余計なことは言わなかった。バイドの巣となっている廃棄コロニーの座標を、レイジングハートに転送する。
なのはが指定されたポイントへ向かうと、大きな残骸となった円筒形のオニール型コロニーが見えてきた。
外壁だけを残して内部はほぼ崩壊している。バイドはこの中に巣を作っているのだろうか?
内部をズームする。
「う……!」
なのははコロニー内部の光景に息を詰まらせた。
『根』だ。
不気味に脈動する太い植物の根のようなものが、コロニー内部をびっしりと覆いつくしていた。
『バイド細胞がコロニー内に寄生し、巣を……いえ、これは生体要塞と言えるでしょう。このコロニー全体が、巨大なバイドそのものなのです』
今まで見たこともないような、生理的嫌悪感がそのまま具体化したかのような光景に、なのはは身震いしながらも慎重に内部を観察する。
中にはこぶ状の物体が点々とあった。どうやら廃棄コロニー内に張り巡らされている根は、ここから伸びているらしい。
ならば、このこぶ状の物体をすべて破壊してしまえば――。
『マスター、12時、9時、2時方向からバイド反応。「ガウパー」です!』
「!」
ぞっと、なのはの全身に悪寒が走った。
むき出しの殺意、殺気。そして、暗黒の宇宙空間におぞましい叫喚を撒き散らしながら、至近距離にまで迫っていた。
筋肉組織がむき出しになったような四肢。長大な牙が生えた口だけがある頭部。
今まで交戦してきた敵とはまったく違う、悪夢を体現したかのようなその姿に、なのはの意識が一瞬それた。
『マスター!』
ほんの一瞬。その一瞬で数体のガウパーがレイジングハートを押さえつけていた。
「う……!」
拡張された知覚に、なのははまるで自分の体が直接爪を立てられているような感覚を覚える。
否、レイジングハートの装甲にガウパーの爪が突き立てられるたび、なのはの肌にもうっすらと細い傷が走る。
機体からのフィードバックだ。
『マスター、機体とのリンクを一時切断……』
「だめ!」
歯を食いしばり、苦痛に耐えるなのは。だが、振りほどけない。
装甲の一部がダメージに耐え切れず剥落する。……違う!
「魔力が吸収されてる! 今ここでリンクを切ったら、機体の構成が維持できなくなっちゃう!」
装甲を通してか、ガウパーの牙がこすれあう耳障りな音が聞こえた。
哂っている!
必死に振りほどこうとするが、そのときにはもうレイジングハートは外から見えないくらいたくさんのガウパーにまとわりつかれていた。動けない。
……いや、動いている。どこかへ連れ去ろうとしている?
なのはの脳裏に副長の言葉がよみがえった。
――バイドたちは、君の魔力を……
魔力。
バイドの巣。
バイドたちは、魔力に引き付けられてきた。
なのはの全身を、ある仮定が貫いた。バイドたちは自分をどうしようとしているのか。
そして……その仮定は、間違ってはいなかった。
「アンノウン、廃棄コロニー内へと移動! 反応が消失!」
ブリッジの前面モニタ、戦域マップに表示されていた黄色のマーカーが、「LOST」の表示に切り替わった。
「撃墜されたのか!?」
「分かりません! すべての反応がジャミングされています!」
「く……!」
モニターをにらみつけ、副長は軍帽のつばをぎゅっとつまむ。
横目で艦長の表情を伺う。
艦長は前面モニターに巌のような表情で視線を据えている。
バイド群は、なのはの機体の反応が消えた廃棄コロニー周辺へと集まっており、自軍は何とか全滅を免れている。
しかしどの機体も損傷、消耗しているのに対し、バイドは生体洞化した廃棄コロニーから無尽蔵に戦力を供給してくる。
さらに、バイド群はなのはの魔力に引かれて集まってきている。これ以上の戦力が集まってくる可能性すらあるのだ。
「副長」
突然の呼びかけに、副長は振り返る。艦長だった。
「主砲は使えるか」
「ブルドガングですか? エネルギー充填には時間がかかりますが、使用は可能です」
「主砲のチャージを始めろ。バイド群がコロニー内のアンノウンに集中しているうちに破損した機体の収容を急げ。体勢を立て直す」
「ですが、艦長、それでは……」
彼女をおとりに使う気ですか、という反論を、副長は飲み込んだ。
艦長の握り締めていた手が、震えていた。
それだけで、副長はすべてを悟った。
「――了解しました、艦長」
そして、付け加える。
「必ず、助けましょう」
艦長がかすかにうなずいた。
『シーカー03よりブリッジへ! アンノウンが、ナノハが廃棄コロニー内の生体洞に……』
「こちらでも確認している。破損、消耗した機体は帰還し修理、補給を受けろ」
『だが、それじゃあ……』
ジムの抗弁をさえぎるように、通信が入る。
『こちらトパーズ中隊! なんとか健在だ、助けに行かせてくれ!』
オペレーターが反射的に戦域マップと機体のステータスを確認する間、次々と通信が入ってきた。
『こちらサファイア中隊、健在です。廃棄コロニー周辺の状況を!』
『バイドどもがコロニーに群がってる! あの子あそこにいるんだろ? 助けなくちゃヤバいんじゃないのか?』
戦域マップの中、損傷した機体が帰還して行く中、生き残っている部隊が隊列を組み直し、バイドの巣となっている廃棄コロニーへと集結していく。
『ブリッジ、聞こえるか!』
スピーカーから響いてきたのは、整備班長のアレックスの声だった。後ろから聞こえる整備作業の喧騒に負けず劣らずの大声でアレックスはがなりたてる。
『損傷した機体は整備が終わり次第再出撃させるぞ! 機体はともかく、パイロットどもが出て行くと言って聞かんのだ! どいつもこいつもロクデナシばかりだ!』
「艦長」
副長が艦長に向き直る。
「ご命令を」
す、と艦長が立ち上がった。
「全機に通達」
ブリッジに満ちていた絶望的な空気は、もうどこにもなかった。誰もが、笑みすら浮かべて艦長の指示を待つ。
操縦桿を握る手に力がこもる。
酸素マスクの内側で、獰猛な笑みを浮かべる。
「
「う、く……」
レイジングハートの中で、浅く息をつくなのは。
体が重い。視界がぼやけ始めてきた。
周囲に漂う千切れ飛んだバイドの肉片と体液が、レイジングハートの純白の装甲を汚している。
アラートの鳴り響く中、意識が沈みそうになるのを懸命にこらえ、なのはは周囲を見渡す。
廃棄コロニーの外壁に根を張ったバイド組織は、コロニー内部を完全に覆いつくしている。
何とか応戦はしているものの、このコロニー内にいる限り、敵は無限に現れるだろう。
加えて、この異様な疲労感。
ガウパーの群れによって捕らえられたレイジングハートは、コロニー内部へと連れ去られた。
バイド組織に覆いつくされ生体洞と化したそこは、文字通りバイドの巣……否、もはやこのコロニー自体が巨大なバイドと言ってよかった。
そこへ連れて来られてから、なのはは急激に魔力を消耗していた。吸収されているのだ。この巣に。
副長が言っていたとおり、バイド群はなのはの魔力を狙っていた。
動物が獲物を巣に持ち帰るように、高純度の魔力を持つなのはを餌として、より大きく大規模に増殖しようとしているのだ。
『マスター、メンタルレベルが危険域にまで低下しています』
警告するレイジングハートの声も、どこか遠い。
肉塊に覆われた壁面が避け、長大な胴体を持ったバイド「ムーラ」が飛び出してくる。
ほとんど反射的に魔力弾を放つが、堅牢な甲殻に阻まれて十分なダメージを与えられない。
1対の巨大な牙を持つ顎が眼前に迫る。
「……っ!!」
一瞬の判断。なのはは機体を前方に加速させる。
意識がぐらりとかしぐのを何とかこらえ、機体前方に配置したフォースに魔力を注ぎ込む。
レイジングハートは真正面からムーラの口内に突っ込み、そのまま胴体の中ほどまでを真っ二つに割り裂いていく。
青緑色の体液が四方にぶちまけられ、なのはの視界がふさがった。
その血煙を破って、ムーラの尾部が突っ込んできた。
トリガーが間に合わない。
割り裂かれた胴体部分を切り離し、ムーラは残った胴体でレイジングハートを締め付ける。
「ぐ、ううう……!」
装甲が悲鳴を上げ、同時にそのダメージがなのはにもフィードバックする。歯を食いしばって、全身を襲う激痛にひたすら耐える。
ムーラの関節の隙間から無数の触手が伸び、ひびの入ったレイジングハートの装甲に突き刺さる。
「あうう……っ!」
体の中に直接異物の浸食を受ける異様な違和感がなのはを襲う。ほんの一瞬だったが、完全に意識が途絶した。まずい。
体の自由が利かなくなり始めている。トリガーにかけた指が曲がらない。
ばきん、という何かが割れる音と、ぞっとするような喪失感。左側のエンジンユニットが破壊……否、分解・消滅している。
ついに機体を構成するだけの魔力が尽き始めたのだ。
『マス……状態が……不安定に……ルギー供給を……』
レイジングハートの声にノイズが混じり始めた。
視界が暗い。ラウンドキャノピーに、鋭い音とともに亀裂が入る。フォースが不規則に点滅し、光を失い始める。
コロニーの外壁を覆ったバイド組織がぞわぞわと波打ち、剥がれ落ちた肉片が、四肢を、牙を、爪を、不気味に伸ばして急速に形を成して行く。
ブリッジで味わったあの絶望感が、津波のように押し寄せてくる。
思考力が諦観に裏返り、その諦観すらも閉塞的な暗黒へと消えて行く。
完全に意識が閉じる、その寸前。
閃光と爆音。そして衝撃。
圧壊寸前のレイジングハートが、バイドの破片とともに投げ出される。
さらに閃光、閃光、閃光。
コロニーの外壁を突き破って、何条もの閃光が内部のバイド組織に突き刺さる。
爆散したコロニーの外壁の向こうに、光が見えた。
「な、に……!?」
爆風にあおられ完全にコントロールを失ったレイジングハートを、何かががっちりと捕まえた。
バイドの牙ではない。牙のように長大なそれは、フォースのコントロールロッドだ。
『聞こえるか!? 無事か、お嬢ちゃん!!』
接触回線での通信だ。
何かに引っ張られる感覚。機体が3本の爪を持つ特徴的なフォースに引き寄せられ、外壁に開いた穴からコロニーの外へと脱出する。
拘束から逃れ、辛うじて回復した意識で周囲をチェックする。
「う……あれ、わたし……?」
『よし、無事か! 後は俺たちに任せな!』
破損したレイジングハートをコロニーから救い出したのは、黒いカラーリングのR戦闘機・「R−13Aケルベロス」だった。
見れば周囲には続々とR戦闘機が集まり始めている。
「あ、ありがとうございます、助けてくれて……」
『おう! 俺はトパーズ中隊のアレンだ、覚えといてくれよな』
聞こえてくるパイロットの陽気な口調に安堵を覚えつつ、なのははレイジングハートに呼びかける。
「レイジングハート! 大丈夫?」
『――自己診断プログラム、ロード。機体損耗率60パーセントを超過。機体構成はなんとか維持していますが、危険です』
「なんとかして回復しなくちゃ……く……」
魔力を吸収されたせいか、意識がうまく集中できない。なのはは力なくシートに背中を預ける。
荒い息をつきながらも、なのははアレンに尋ねる。
「アレンさん、戦局は?」
『破損してた機体は大部分が母艦に戻れた。修復が済んだ機体からどんどん出撃してる』
「でも……!」
『心配はいらねえさ。お嬢ちゃんが捕まってる間、バイドどもはあのコロニーの周りに群がっていった。その間に俺たちは何とか体勢を立て直せたんだ。あとはやつらの巣をたたくだけだ』
アレンの言葉に答えるように、長大な砲身を搭載したR戦闘機「R−9Dシューティングスター」が隊列を組んで現れる。その砲口にチャージ光が現れると、コロニーの周囲のバイドを迎撃していたR戦闘機が射線を開けた。
シューティングスターの砲身から光がほとばしり、槍のように長く鋭い波動砲のエネルギーがコロニーを次々と貫いていく。
飛び散る破片にまぎれるように飛来するバイド群も、周囲を油断なく警戒していたR戦闘機によって撃墜される。
射撃を終えたシューティングスターは後退し、隊伍を組んだ「R−9ADエスコートタイム」が面攻撃をかける。
コロニーはその外壁の大部分を破壊され、その内側のバイド組織がほぼむき出しになっている。そのバイド組織も、間断なく撃ち込まれる波動砲によって破壊されていく。
元を断たれつつあるのか、コロニー周辺のバイドもそのほとんどが駆逐されたようだ。
戦闘は収束しつつある。
「……」
しかしなのはの胸中には、まだ警戒心がわだかまっていた。
コロニーの外壁が引き剥がされるたびにあらわになって行くバイド組織。あれは本当に滅びつつあるのだろうか?
異様なまでの生命力を有し、巨大なコロニーを覆いつくすほどの規模を持ったバイド組織。
そして、自分から吸収した魔力。
コロニーを侵食していたバイド組織には変化は見られなかった。ならばそのエネルギーはどこに?
疲弊した思考を叱咤する。
――回答は、すぐにもたらされた。
コロニーの外壁とそれを覆うバイド組織のほとんどが吹き飛ばされたことで、コロニーの基底部分がむき出しになっている。
そこを侵食していたバイド組織が急激に活性化、縦に亀裂が走る。
周囲のバイド組織を押しのけるようにして、何かが、見るもおぞましいなにかが生まれ出ようとしていた。
この世界に存在するどんな生き物とも似ていない、醜悪なフォルム。
うつろな眼窩を持つ縦長の頭部。粘液を滴らせる牙。腹部の皮膚が割れ、第二の頭部が現れる。長大な尾部が、コロニーの基底部分を叩き壊す。
――それは悪夢。
悪夢が受肉したその姿。
見るものに、等しく絶望をもたらす、悪夢の具現。肉体を持った悪意。
『廃棄コロニー内にドブケラドプス型バイド出現!! 全機……』
通信は途中で、激しいノイズとともに切れた。
巨大なバイド「ドブケラドプス」が腹部から放った生体レーザーが、コロニー周辺をなぎ払い、一瞬で数十機のR戦闘機を撃墜したのだ。
『クソったれ! 何機やられた!?』
悪態というよりはほとんど悲鳴に近いアレンの声。
ノイズでちらつく拡張視覚の中、なのはは確かに見た。感じた。
見るも忌まわしい、汚わいの中から生まれ出た怪物が、こちらを見ている。
視線と表現するのも生ぬるい、それは悪意の刃となって、疲弊したなのはの肉体を、精神を、切り刻もうと忍び寄る。
ドブケラドプスが、その口を開けた。
咆哮。
哂っている。見るものを等しく戦慄させる、悪魔の哄笑。
レイジングハートの装甲を通して、肌に突き刺さり心を砕くかのようなそれを――なのはは、真正面から受け止める。
あの巨大な怪物が自分の魔力を吸収して生まれたのは明白だ。
ならば……自分が仕留めなくてはならない。1秒でも早く。これ以上犠牲が出る前に!
「……レイジングハート、機体は?」
『機体損耗率68パーセント。魔力弾以外の武装は使用不可能。エンジンユニットの損失によって機動力は通常時の40パーセントにまで低下しています』
加えて、敵の戦力は増大し、こちらの戦力は最初の一撃で半分以上が撃墜されている。
絶望的、としか言いようのない状況だった。
戦わなくてはならない。しかし、戦いの趨勢を決定付けるのは感情などではないことを、なのはは知っている。知識としてではなく、経験として。
なのはにとって戦いとは敵を倒すことを意味しない。
守るべきものを守ることが、彼女の戦いだ。
そしてそれを成し遂げるためには、戦えるだけの力が、技が必要だ。
今の自分には、そのどちらもが不足している。
機体の状態は戦闘を続行するにはほとんど絶望的、現在の敵・バイドとの戦闘経験はないに等しい。
加えて、魔力をほとんど吸収されてしまった今の状態では、機体が無事だったとしても……。
『……えるか! 聞こえるか、タカマチ君! 応答するんだ!』
飛び込んできたのは、ファフニールからの通信だった。声の主は、副長だった。
「……はい、副長。聞こえてます。……ごめんなさい、勝手なことして……」
『コロニー周辺の状況はこちらでも確認している。君は無事のようだが……しかし、なんて無茶を……いや、今はこんなことをいっている場合ではないな』
「ええ、コロニーの中から巨大なバイドが……。損害はよく分かりませんけど、たぶん、ほとんどが……」
『君はもう帰還するんだ。機体も損傷しているのだろう? ファフニールの方も損害を受けた。主砲のエネルギーチャージブロックが一部破損し、エネルギーの充填がストップしている。現在修復作業を急がせてはいるが……」
通信の中にもノイズが混じっている。おそらくファフニールは、今この瞬間にも敵の襲撃を受けているのだ。
今すぐ駆けつけたい。しかしそれは不可能だ。
「今の戦力じゃ……」
『ああ、防戦に専念して持ちこたえられても、あのドブケラドプスに対する決定打となる攻撃がない。残っている機体だけでは十分な火力が足りない。唯一ファフニールの主砲なら……』
「でも、主砲は……」
『ああ、使用自体は可能だが、チャージにさらに時間がかかる。しかもあの大きさのドブケラドプス型だ、フルチャージでも一撃で倒せるかどうか……』
手詰まり、という言葉が思考を支配しかけるのを、なのはは必死に抗う。
しかし、損傷した機体で戦闘を行ったところでどうなるものでもない。機体を動かすだけで精一杯だろう。できることはせいぜい固定砲台の代わりくらいが関の山だ。
「……!」
固定砲台。その場から動かずに、弾だけ撃っていればいい。
電撃のように思考が連結する。
「副長! わたしに考えがあります」
『な、何を言うんだ! まだ戦うつもりかね!? バカなことはよせ!』
「でも副長! わたしにはまだ戦う力があります! ううん、戦わなくちゃいけない理由があるんです、あなたたちがわたしを助けてくれたみたいに、わたしもみんなを助けたいんです!」
「タカマチ君……」
なのははレイジングハートに補足してもらいながら、自分の考えた作戦を副長に話す。
副長はそれを黙って聞いていた。
『……分かった。ただし、私の独断で承諾することはできない――艦長』
かすかなノイズとともに通信が切り替わる。
『――聞こえるかね。タカマチ・ナノハ君』
「艦長……」
『機体データの盗用、艦内施設の無断使用、独断での戦闘行為……すべて軍規違反だ』
「ごめんなさい、艦長、でも……」
『まったく想定しようのない事態だ。対応のしようがない。加えて君は別次元の人間だ。こちら側の法の適用のしようもない』
「……」
『自分がどれだけ危険なことをしているのか、分かっているのか』
艦長の言葉に、なのはは何も言えなかった。
自分の行動を責められているからではない。艦長の言葉の中に、なのはははっきりと彼女を本当に案じている色を見て取った。
だが、しかし。
「艦長、お願いです。行かせてください。これは――」
ぐ、とグリップにかけた手に力を込める。
「わたしの、戦いでもあるんです」
『……』
スピーカーの向こうで、艦長が深く息をつくのが聞こえた。
『言っても、聞かんのだろうな』
「……ごめんなさい」
『子供に言い聞かせるのは、苦手だ』
ぼやくようなその口調に、なのはは小さく笑う。
『……タカマチ・ナノハ君。この命令には従ってもらうぞ』
「……」
艦長の声音に、かすかに、ほんのわずかに柔らかいものが混じっていた。
『生きて帰れ、必ずだ』
「はい……はい! ぜったい、無事に帰ってきます!」
通信を切る。
廃棄コロニーに発生したドブケラドプスは、ゆっくりとこちらに近づいてきている。
コクピットの中には、相変わらずアラートが鳴り響いている。
その中でなのはの精神は、静かに凪いでいた。
両側の操縦スティックに、そっと細い指をかける。
金属の感触の中に、不思議な暖かさを感じた。
「レイジングハート」
『はい、マスター』
人差し指で、中指で、薬指で……指先を絡め合う恋人のように、ゆっくりとスティックを握り締める。
「わたしはもう、大丈夫だよ」
『そうでしょうとも』
笑みすら浮かべ、シートに背中を預ける。
「……行けるよね!」
『ALLRIGHT MY MASTER!』
握ったスティックから、なのはは渾身の魔力を注ぎ込む。もっと、もっと、もっと!
枯れ果てていたはずの魔力が、体の、否、心の奥底から溶岩のように熱い奔流となって溢れてくる。
波動砲システムの転用だ。
かすかに残った魔力を、チャージすることで増幅する。機体構成を再構成した後に、移動を含むすべてのエネルギーを砲撃にまわす。
それが、なのはの立てた作戦だった。
チャージ中は完全に無防備になる上、はずせば次はない。
リスクだらけの戦法だったが、なのはの心には迷いはなかった。
まだだ。まだ自分は戦える。戦う力がある。その力をくれる人たちがいる。
自分を助けてくれた人たちに報いるために。
そして、自分の帰りを待ってくれている人たちのもとへ、帰るために。
破損していたレイジングハートの装甲が、急速に修復して行く。
否――修復ではない。変質だ。
亀裂の入っていた装甲が再生し、その上を外骨格状の装甲がさらに覆って行く。
コントロールロッドが伸張し、真紅のフォースを取り囲む。先端部が接合して、槍の穂先を思わせる形状を成した。
脱落したエンジンユニットよりもさらに大きなユニットが現れ、2対のバーニア炎を噴き出す。
宇宙空間の暗黒を押しのけるように輝く、それは翼だった。
「天使……だ」
パイロットの誰かが呆然とつぶやく。
一気にファフニールに接近しようとしていたバイドたちの群れが、移動を停止した。
徹底した破壊衝動以外には何の感情も持たないはずのバイドの群れが――おびえている!
『野郎ども! 連中がブルってやがる内に突っ込むぞ!』
生き残っていたR戦闘機が、最後の力を振り絞ってバイドの群れに攻撃を仕掛ける。
それは決して無謀な特攻などではない。
自分たちの後に続く者のための血路を開くべく、血と涙を、そして己の命すら刃と化して立ち向かう。
『ファフニールの主砲、来ます』
レイジングハートの警告と同時に、後方からすさまじい閃光がほとばしった。
ファフニールの主砲、ブルドガングだ。
射線の先、ドブケラドプスの眼前に力場が展開する。肉眼でも確認できるほどの強力な力場だ。
激突の瞬間、空間が揺さぶられた。
バイドの群れが衝撃をまともに食らい、一気に半分ほど砕け散り、肉片を飛び散らせた。
なのはにも、レイジングハートの装甲を通してすさまじい衝撃がびりびりと伝わってくる。
ドブケラドプスの巨躯の数箇所にある眼球状のバリア発生器官が赤熱し、次いではじけ飛ぶ。
申し合わせたように同じタイミングで、ファフニールの左舷側で爆発。エネルギーブロックが破損したのだ。
主砲からの照射が途切れる寸前、バリアを維持できなくなったドブケラドプスの半身が吹き飛んだ。
聞くもおぞましい、真っ黒な憎悪をみなぎらせた絶叫が、宇宙空間に響き渡る。
『マスター、砲撃を!』
「まだ、まだだめ! フルチャージまで、あと少し……!」
半身を吹き飛ばされたドブケラドプスは、すでに再生を始めている。むき出しの内臓組織が絡み合い、骨格が急速に復元している。
バイドには強力な学習能力と適応能力、そして自己進化能力ががある。受けた攻撃によって自身の肉体構造を急速に変化・対応させることができるのだ。
二撃目はない。ここで必ず仕留めなければもう反撃の術はないのだ。
なのはの拡張視界に表示されたゲージが、フルチャージ状態にじりじりと近づいている。
ドブケラドプスはすでに吹き飛んだ半身の三分の一ほどを再生させている。
ぐ、と歯噛みするなのは。1秒がとてつもなく長い。
そこで気づいた。
再生していくドブケラドプスの姿が、違う。
半身に巨大なこぶのような半透明の器官。
それが生体レーザー発信器官であること、そしてその射線がファフニールを向いていることを悟った瞬間、なのはは行動を起こしていた。
「レイジングハート!!」
『Allright! Let's Roll!!』
瞬間、コクピット内の防護フィールドでも中和しきれないすさまじいGがなのはを襲った。
超加速!
誰が止める間もなく、レイジングハートは矢のように一直線にドプケラドプスに向かって飛んで行く。
なのはの視界いっぱいに、今まさに照射されようとしている生体レーザーの禍々しい光が広がる。
レイジングハートのフォースユニットの先端が、そこに深々と突き刺さった。
なのはの視界が今度は赤黒い肉片と体液にまみれる。何も見えない。視界ゼロ。
だが、この距離なら外すはずがない!
トリガーをありったけの力で引き絞る。
『STARLIGHT』
「ブレイカーーーーーーーッ!!」
ドブケラドプスの背中から、超指向性の魔力の奔流が火柱のように吹き上がる。
なのは自身の魔力を波動砲システムで増幅したスターライトブレイカーが、強靭な再生力を持つドブケラドプスの肉体を焼き尽くす。
表皮が一気に蒸発し、骨格が砕け、内臓がはじけ飛び、それでもなお無事な部分から時間を巻き戻すかのような速度で肉体が再生していく。
レイジングハートの装甲が、負荷に耐え切れずにはじけ飛ぶ。フォースにノイズが走り、出力が不安定になりかかるのを、なのはは懸命にこらえる。
再生してきたバイド組織が、レイジングハートを取り込もうとするかのように伸びてくるが、装甲に触れたとたんに蒸発する。
「ーーーーーーっ!!」
声にならない雄叫びを上げ、なのはが最後の力を振り絞る。
エンジンユニットが咆哮し、外骨格状の装甲すべてが過負荷に耐え切れず吹き飛んだ。
装甲と一緒に意識を吹き飛ばされそうになりながらも、なのははコントロールを保っていた。
機体を縦にロールさせる。
ドブケラドプスの腹部に矢のように突き刺さったレイジングハートは、今度は剣となってその巨体を脳天まで両断した。
制御中枢を失ったドブケラドプスを構成するバイド組織が暴走、急速に膨張し、そして周囲のバイド群を巻き込みながら大爆発を起こす。
魔力の残滓が星屑のように飛び散り、コクピットを照らした。
その中でなのはは、安堵の息をつく。
なのはがファフニールを飛び出してから今まで、実際には2時間と経っていない。
その間なのはの肉体と精神は極限の緊張状態を維持していた。
にもかかわらず、なのはの浮かべた表情は、10歳の女の子のそれだった。
『敵性体の消滅を確認。マスター、無事ですか?』
「あはは……もう動けないや……」
『私もです。慣れないことはするものではありませんね。しかし、いい経験になりました』
「ごめんね、いつも無茶ばっかりさせちゃって……」
『それが私の役目です。お気になさらず』
「うん……ありがと」
ふらつく腕を上げて、なのははキャノピーを優しくなでる。
冷たく固い防弾ガラスでできているはずのそれに、なのはは人肌の温かさを覚えた。
「あ……」
キャノピーに添えた指先越しに、ちかちかと瞬く光が見える。
生き残ったR戦闘機たちだった。
肉眼では見えるはずもないのに、なのはは疲れも忘れて手を振った。
艦に収容されたなのはは医務室で休息と精密検査を受け、数日後には回復した。
その間病室にはパイロットや整備士たちが詰めかけ、看護士と押し問答を繰り返していた。
薄い意識の中で、副長が日に何度も心配そうに
なのはが目を覚ましたときに見たのは、部屋中に置かれた見舞いの品だった。
リボンをかけたプレゼントの箱から得体の知れない重火器まで、山のように詰まれた見舞いの品を見て目を白黒させるなのはに、クルーたちはそろって大笑いしたものだった。
だがその間、艦長だけは顔を見せなかった。
「……ねえ、メアリーさん」
「うん? どうかした?」
薬の抜け切らないぼんやりした頭で、なのはは真っ白なシーツに視線を落としている。
傍らには彼女がここに収容されたときのように、看護士のメアリーが付き添ってくれていた。
少し考えて、なのはは言葉を続ける。
「出歩けるようになるまでは、どのくらいかかりそうですか?」
「そうねえ……実際のところあなたの状態って、別に大きな怪我をしてるわけでもなくて……レイジングハートが言うには、リンカー……コア、だったっけ? そこから発生してる魔力を使いすぎちゃった状態ってことらしいのよね。だから正直、私たちの方からできるアプローチってほとんどないのよね」
メアリーは優しくなのはの頭をなでながら、くすくすと笑う。
「なあに? もう暴れたくなっちゃった?」
「あば……っ!?」
なのはは顔を真っ赤にして反論する。
「そ、そんなんじゃないですってばあ! もお、メアリーさんまでそんなこと言わないでくださいよう」
「あははは、ごめんなさい。パイロットのみんながもうベタ褒めだったから。『連合艦隊の中にもあんな強いやつはいない!』ってね。中にはあと10年経ったらプロポーズするぞーって言ってる人もいたっけねえ」
「もお……あ、プロポーズは残念ですけど……」
「まあ!」
やおら顔を輝かせるメアリーに、はのははちょっとのけぞってしまう。
「もう心に決めた相手がいるのね!? どんな子!?」
「め、メアリーさん落ち着いて……。ええとですね……」
なのはの脳裏に浮かぶのは、寂しげな瞳をした金髪の少女。
幾度も刃を交えて、心をつないだ相手。
「すごく、寂しがりな子なんですよね。でも、がまんづよいせいで自分じゃそれにも気づいてないような子で。だから、早く……早く帰って、安心させてあげないと……って、メアリーさん?」
「ああ……いい! いいわ! このところ不足しがちだった私の乙女袋がぎゅんぎゅん満たされていくわ!」
「メアリーさん、なんか性格変わってませんか……」
「ま、冗談はさておき、目立った外傷があるわけでもないし、メンタル面も問題ないから、もう何日か休んでれば体も回復すると思うわ。あなたのもといた世界へのコンタクトも、副長が進めてくれているはずだわ」
「わかりました、もうしばらくはおとなしくしときます」
そう言って二人はひとしきり笑いあった。
やがてメアリーはほかの仕事のために部屋を出て行き、なのはは一人になった。
一人になると、やはりいろいろと考えてしまう。
もちろんフェイトをはじめとするアースラのみんなのことも気がかりだったが、なのはにはもうひとつとても気がかりなことがあった。
艦長だ。
この艦の中やこの世界の規律はよくは分からないが、艦長はおそらくそれを曲げて自分を助けてくれたに違いない。
体の具合がよくなったらぜったいにお礼を言いたいと思っていたのだが、艦長がなのはの病室を訪れることはなかった。
意識が戻ったとはいえ、まだ安静にしておかなくてはいけないので、こちらから会いに行くことはできない。
見舞いに来てくれたジムにそれとなく聞いてみたところ、やはりあの大規模な戦闘の後の処理に忙殺されているらしい。
早くアースラのみんなのところに帰りたいという気持ちはもちろんあるが、このまま艦長に何も言わずに別れてしまうのは嫌だ。
なのはが考え込んでいると、ドアのアラームが鳴った。
「はい、どうぞ。開いてますよ」
滑るように開いたドアから姿を現したのは、誰あろう艦長だった。
ブリッジでの姿と同じように、軍帽の向こうで鋼色の隻眼がなのはをじっと見つめている。
「艦長!」
なのはぱっと顔を輝かせる。しかし艦長は何も言わない。
やはり自分が勝手な行動をしたことを怒っているのだろうかとなのはは不安になってしまう。
と、ドアのところに立っていた艦長が、一歩踏み出した。足早になのはの方に近づいてくる。思わず身構えてしまうなのは。
艦長はそのままベッドのところまで来てひざまづき、なのはの手を取った。
ごつごつした、傷だらけの両手が、なのはの小さな両手を握り締めていた。
その感触が、なのはの頭の中から、艦長に会ったら言おうと思っていた言葉すべてを消し去ってしまっていた。
何も言えなくなったなのはの目を、艦長が見上げた。
艦長もまた、何も言わなかった。何を言おうか、迷っている様子だった。
なのはの手を取った艦長は、ややあって、つぶやくように言った。
「こんな、子供が……」
それは、艦長がなのはに初めて言った言葉だった。
艦長は、その続きを口にした。
もしかしたらあの時も、艦長はなのはの背中に同じことを言ったのかもしれない。
艦長は、言った。
「こんな子供が、命がけで戦っているとは……」
その言葉はなのはには、賞賛、後悔、苦悩……さまざまな気持ちが入り混じったものに感じられた。
そのうちどれが、艦長の本当の気持ちなのか、なのはには分からない。もしかしたら、そのどれもが艦長の本当の気持ちであるかもしれなかった。
だが、なのはにはひとつだけ、はっきりと分かったことがあった。
同じだ、自分と。
自分もこの世界のことを知った時に、同じことを思った。
次元を異にした世界でさえも、人間が居る限り決して戦いの炎が払拭されない。己の足元から伸びる影のように、戦い――戦争を、呪いのように人類は引きずって歩んでいる。
しかし同時に、戦いは尊いものだ。何かを、誰かを守るための戦い。どれだけ傷つき、血を流そうとも決して退かず、刃を振り上げることを止めない人々が、必ず居る。
それが、自分を助けてくれたこの艦の人々と、その人々を率いるこの人だった。
「同じです、あなたと」
その言葉は、自然に、するりとなのはの口から滑り出た。
「守りたい場所があります。守りたい人がいます。そして、わたしには戦えるだけの力がある」
艦長は何も言わず、なのはの話に耳を傾けている。
「わたしがこの世界のことを知ったとき、なんて恐ろしい世界だろうって、思いました。あんな恐ろしい怪物と、何十年も戦ってるなんて。でも――」
なのはは笑みを浮かべた。
「でも、すばらしい世界だな、とも思いました。見ず知らずのわたしを助けてくれた人たち、こんな恐ろしい世界にも負けずに戦っている人たち、そういう人たちがいる世界……。すばらしいなって、思いました」
「君のいた世界は……すばらしい世界だったかね」
「はい!」
なのはの答えに、艦長ははじめて……微笑んだ。
岩のようないかつい顔に笑みを滲ませて、艦長は「そうか」とだけ答えた。
「……艦長、本当に、ありがとうございます」
「ああ……私からも、礼を言わなくてはな」
艦長の大きな両手が、、なのはの細い肩をつかんだ。
「ありがとう」
「はい」
たったそれだけの言葉を交わしただけで、なのはは言いようのない幸福感を覚えた。
「そうだ、君にひとつ、うれしい知らせがある。君のもといた世界線へのコンタクトが成功したそうだ」
「ほんとですか!?」
「ああ、数日中には向こう側からこちらの位置を特定して来てくれるそうだ」
「わあ……!」
思わぬ知らせになのははぱっと顔を輝かせるが、すぐに視線を落としてしまった。
「それは、もちろんうれしいことですけど、でも……お別れ、なんですね」
艦長はしばし瞑目し、言い聞かせるような口調でなのはに語りかける。
「私たちは、本来ならこうして出会うことがなかったはずの存在だ。異なる時空の人間が交わることは、あるはずのない……あってはならないことなのだ」
「艦長……」
悲しそうな顔をするなのはの頭を、艦長は優しくなでた。
「だが、私はこの出会いに感謝しているよ」
そういって艦長は、やさしく笑ってくれた。
その日が来た。
ファフニールが周辺宙域の安全を確保した上で、レイジングハートが発信する信号を目標に、なのはにとってはもう何十年も目にしていなかったように思える転送ゲートが開かれた。
ブリッジから見えるアースラの姿に、なのはは思わず涙ぐむ。
アースラがファフニールに接舷し通路が結ばれるまでの十数分間が、なのはには何十時間にも感じられた。
もうすぐ、ずっと会いたかったみんなに、そして、フェイトに会える。
デッキのハッチが開くのすらもどかしく、なのはは駆け出す。
ハッチの向こうから金髪のツインテールをなびかせて、同じように駆け出してきた少女がいた。
「なのはぁ……!」
ほとんど涙声で、その少女はなのはに駆け寄る。なのははその細い体を優しく抱きとめた。
「ごめんね、フェイトちゃん……いっぱい、心配かけちゃったよね……」
「いいの……なのはが、なのはが、無事に戻ってきてくれたから、いいの……」
フェイトの後ろからは、リンディ艦長をはじめとしたアースラのクルーが続く。なのはの顔を見ると、みんな一様に安心した顔を見せた。
「リンディさん……ごめんなさい、心配かけて」
「いいの、いいのよ……無事に帰ってきてくれたのなら、わたしから言うことは一言だけよ」
そういってリンディは、なのはとフェイトをそっと抱きしめた。
「おかえりなさい、なのはさん」
「……ただいま、リンディ艦長」
リンディはもう一度なのはに微笑みかけると表情をただし、クルーを後ろに従えて直立不動の姿勢を保っている艦長に向き直る。
「お初にお目にかかります。時空管理局所属、巡洋艦アースラの艦長を務めております、リンディ・ハラオウンと申します」
艦長の背後から飛んでくる男性クルーの歓声に、リンディはまんざらでもなさそうな顔で手を振ってやる。
「地球連邦軍第23艦隊所属、ファフニール艦長、テンガイです。貴艦との出会いに、まずは感謝を」
「こちらこそ、私たちの仲間をありがとうございました。……本当に、感謝しています」
艦長は目深にかぶった帽子の奥の隻眼で、アースラとそのクルーを見渡した。
そして、なのはの方に視線を向ける。
「君の言ったとおりだな」
「え?」
「すばらしいクルーだ」
なのはは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑顔になって、「はい!」と答えた。
「みんな、みんな、大切な仲間なんです。わたしの、守りたい人たち。わたしを、守ってくれてる人たち」
「そうか……」
そう言って艦長は、かすかに表情を緩めた。しかしすぐにその表情は優秀な軍人のそれへと立ち戻る。
「――我々の側では、異なる時空世界の人間との接触は、おそらくこれが最初のケースとなるでしょう。しかし我々にはそのような事態に対する対処法や規定がない。したがって、彼女……高町なのは君との接触、および彼女から得た情報、そして彼女の得た情報に関する処遇についてはそちらの指示に従おう」
「正当な判断、感謝いたします。……と言っても、今回のケースは非公式なものとして内々に処分することになるでしょう。我々時空管理局も発足当時は記憶消去をはじめとする強引な手段も用いていたようですけど……」
そこまで言って、リンディはやや口調を柔らかくした。
「大切な仲間の命を救ってくれた人たちにそんなことをするほど、私たちは道を外れてはいませんから」
リンディの言葉に、艦長もまた口元をわずかにほころばせた。
「――ただし、異なる時空世界に長く逗留することはできません。一刻も早くもとの世界に戻らなくてはいけません。私たちには戦うべき相手がいるのです。そして――」
「ああ、我々にも戦うべき相手が、守るべきものがある」
艦長の隣に立っていた副長が、申し訳なさそうな口調で言う。
「お別れ――というわけだな。さびしくなる」
「副長も、いろいろお世話になりました。……みなさんも、お元気で」
「ああ、元気でな、ナノハ!」
まだ包帯も取れていないジムが、無理やり手を振ろうとして仲間に押さえつけられる。
その姿に、なのはは思わず噴き出してしまった。
そのおかげで、なのはの胸中を支配しかけた湿っぽい気持ちはきれいに吹き飛んでくれた。
なのははフェイトと手をつないで、アースラのハッチに向かう。
そして振り返り、大声で叫んだ。
「みなさん、また……またいつか会いましょう!」
いつか、などという日はもう来ないということは、なのはにも分かっていた。
かつて艦長が言ったとおり、これは本来あるはずのない出会いだったのだ。
しかしなのはは、そう叫ばずにはいられなかった。そうすることで、本来なかったはずの出会いを、深く深く、胸に刻み込むことができると思った。
艦長は、副長は、そしてファフニールのクルーたちは、言葉では何も答えなかった。
ただ、誰もが、一人の例外もなく、申し合わせたようにいっせいに――敬礼した。
あるものは直立不動で、あるものは軍帽を脱いで、あるものは涙を浮かべて、誰もが、本来出会うはずのなかった人々に、自分たちと同じように戦っている人々に……仲間に、敬礼をした。
「
なのはは、無意識に同じように、今まで一度もしたことのない敬礼の姿勢をとっていた。
フェイトも、リンディも、アースラのクルーも、同じ姿勢をとっていた。
「行ってしまいましたな。ここも寂しくなる」
アースラが転送ゲートの向こうへ消えた後、艦長と副長は艦長室にいた。
テーブルの上にはめったに開けない年代物のワインが、グラスに注がれている。
「思い出してしまいまいたか」
副長の言葉に艦長は答えず、代わりに懐からロケットを取り出す。
「ちょうど、同じくらいのお年でしたからな……」
副長は何かを思い出すように、ワイングラスに視線を落としている。
艦長は片手で器用にロケットのふたを開ける。
中には、一人の小さな女の子の写真が入っていた。
栗色の髪をした女の子は、古びた写真の中で無邪気に微笑んでいる。
どこか、なのはに似た雰囲気の少女だった。
艦長はロケットのふたを閉じ、瞑目する。
副長がグラスを持ち上げた。
「祈りましょう、艦長。幸福のあらんことを」
そうつぶやき、副長はグラスの中身を一気にあおった。
促すように、空になっていた艦長のグラスにワインを注ぐ。
艦長はそのごつごつした手でワイングラスを取る。
「
星の海の向こう、ここではないどこかで戦い続けるであろう小さな少女のための、それは祈り。
戦うものたちの祈りは、
星の海を渡っていく。
振り向くことなく、
光を追い越し、時を跳んで
いつまでも、
どこまでも――。