舞闘剣士vs魔槍猟兵
〜前哨戦〜
もはや十分に日も落ちた暗い路地裏で、一人の男が走る。
その男の走り方は、普通の人間から見れば明らかに違和感を感じさせるものだった。
そう。
疾走しながらも男の上体はまったく微動だにしていなかったのだ。
左右はもちろん上下にさえ。
いくら全力疾走でないとはいえ、常人からすれば十分に速いペースを維持しながら、まったく上体をブレさせず呼吸も一切乱さない男の走法は、見るからに異質だった。
だがその走法よりもなお違和感を感じさせるのは男が身に纏った緊張感だろうか。
まるで自分の周囲に存在する全て------空気中の塵の一片さえ見逃しそうにないほどの集中力とプレッシャーを周囲に張り巡らせている様は、正に『触れなば斬れん』というに相応しい。
そしてその集中力は自らが疾走する前方ではなく、後方に対して最大限発揮されていた。
濃紺のロングコートをたなびかせて走る男の体格は中肉中背。
決して肉付きは良くないが、一片の贅肉も無駄も感じさせない体躯は見るからに運動能力が高そうだ。
年の頃は二十代半ばほどだろうか。
癖のある淡い金髪に、いかにも気の弱そうな繊細な容貌。
ブルーの碧眼と相まって女性からは好かれそうな優しげな顔立ち。
「さて。どこまで通じるか」
だが、その顔に浮かぶのは女子供はおろか荒くれさえ震え上がらせそうな凄みを帯びた薄笑い。
剃刀ほど華奢ではなく、鉈ほど鈍重ではない。
まるで鍛え抜かれ研ぎ澄まされた日本刀のような微笑。
男はロングコートの懐から二振りの投擲短剣(スローイングナイフ)を取り出すと、その一振りを背後の路地裏目掛けて投擲する。
男-----”舞闘剣士”の二つ名を持つミゲイルの能力(を以てすれば、本来なら投擲する必要などない。
ミゲイルが丹誠込めて作り上げ血盟洗礼を施した短剣は、放っておいても彼の意を受けて自律飛翔し目標を補足するだろう。
しかしミゲイルの信念はそんな安易な真似を許さない
彼にとって刀剣とは単なる鉄のかたまりではないのだ。
その素材が掘り出されるまでの過程。
鍛造の段階で込められる技術と情念の数々。
そしてその刀剣が振るわれるために必要な戦技と、戦うべき理由。
その全てを歴史として、血肉として、魂として背負うからこそ刀剣は美しく、重く、そして鋭い。
ましてや相応しい強敵に放たれる一撃ならなおのこと。
故にこそミゲイルは全身全霊-----彼の持てる投擲技術、戦闘センス、経験、知識、殺意、そして相応しい敬意と賞賛-----を込めてナイフを放つ。
本来なら投げナイフの射程はせいぜい数メートル程度だが、ミゲイルが放ったナイフは明らかにその常識を覆して見せた。
緩やかな放物線を描いて目標を補足するはずのスローイングナイフは、見事な直線軌道を描きながら更に加速すると、十メートルほど先の路地裏の曲がり角で直角に曲がる(。
もはや物理法則さえ無視した動きを見せる一撃を確認するより速く第二撃を投擲。
今度は一投目より下の軌道を狙って。
同時に逃走途中で路地裏に置いてきた三本目(のスローイングナイフを起動させると、追撃してくる『目標』の後方から襲いかからせる。
直接目標を視認することは叶わないが、ミゲイルの分身たる血盟刀剣群は触覚代わりに気配を感じることができる。
前方からあり得ない軌道を取って時間差で襲いかかる二本の短剣と、後方の死角から飛来する三本目の短剣。
通常ならまず防げない必殺の挟撃だ。
「……やはりな」
だが、相手は”通常”の範疇に収まる代物ではなかった。
常識を越えたミゲイルの挟撃は全て迎撃され、叩き折られるのが気配として感じられる。
そして次の瞬間、目標が路地裏の曲がり角から飛び出してきた。
「-----曲芸ばかりでつまらんな。サーカスにでも転職したらどうだ?」
良く通る低い声に僅かな嘲笑を込めて言い放つ”敵”は三十代後半ほどの屈強な男だった。
筋骨逞しい長身を暗褐色で統一したブルゾンとスラックスで包んで佇む様は、荒波にも微動だにしない巌を思わせた。
ミゲイルの体躯を『ワイヤーを寄り合わせたバネ』と表現するなら、こちらは『鋼鉄をねじ曲げて作り上げた彫像』というところだろうか。
赤銅色の髪をなでつけた荒っぽい容貌は美男子とは言い難い無骨なものだったが、その凄みとプレッシャーはミゲイルをも凌ぐ。
こめかみには大きな刀傷。
ミゲイルを研ぎ澄まされた日本刀に例えるなら、この男は無骨で屈強な剛槍にも似ていた。
この男こそ今回のミゲイルのターゲットであり、そして今まで誰も凌ぐことができなかったミゲイルの猛撃を悉く跳ね返して見せた強敵------ゲルンハルト・ミューラー。
通称”魔槍猟兵(”のミューラー。
ミゲイルを雇った白銀の革命団に敵対する秘密結社の幹部らしいが、ミゲイルにとってそんなことはどうでもいい。
重要なのはミゲイルの能力を存分に発揮するに相応しい強敵だということだけだ。
両手をブルゾンのポケットに突っ込んだまま佇むミューラーの姿勢はお世辞にも戦闘態勢には見えなかったが、この男の周りには見えない防壁が存在する。
そう。
先ほどから繰り出すミゲイルの連続攻撃は、不可視の鉄槌によって全て撃墜されていた。
ミゲイルの動体視力と気配関知を以てしても見切れぬ”何か”。
その防壁を打ち破らない限りミゲイルに勝ち目はないだろう。
「いよいよ諦めがついたか?」
「まさか。メインディッシュはこれからだよ」
あくまで余裕を崩さないミューラーにナイフを投げつけると、それが撃墜されるのを確認するより速く背を向けたミゲイルは、今度こそ全力疾走に移る。
まだだ。
まだ早い。
これだけの強敵と雌雄を決する舞台は別に用意してある。
そこに辿り着くまで果てるわけにはいかない。
背後で追撃に移るミューラーの気配を背中で感じながら、ミゲイルは己の内に渦巻く複雑な感情をもてあましていた。
絶対の自信を持っていた戦技を打ち砕かれた戦慄と、それ以上の神業を引き出してくれそうな強敵に対する高揚。
今まで経験したことの無い追われる恐怖と、迎え撃つ歓喜。
何年も何年も待ち焦がれた”天敵”に遂に巡り会えた今、ミゲイルは鬩ぎ合う感情の波で震える己の体を押さえるので精一杯だ。
(遂に-----遂に俺は存在価値を証明することができる!!)
次へ続く