◎近隣では数少ない日本の友好国「台湾」と縁のある選手編 (中込、郭李、林) 05/10/24作成

◎今年でユニフォームを脱ぐ元阪神選手編 (石毛、山田、曽我部) 05/10/19作成(29日に加筆)

◎2005年に飛躍した80年生まれの若手投手トリオ編 (杉山、江草、橋本) 05/10/14作成

◎1985年&2003年の優勝を陰ながら支えた男編 (長崎、工藤、浅井) 05/9/16作成

◎阪神70年史に残る名サウスポー編 (三輪、権藤、湯舟) 05/8/23作成

◎パ・リーグから移籍してきた渋い外野手編 (加藤、本西、中村豊) 05/7/26作成

◎地味ながら心に残る名選手編 (ヒゲ辻、吉竹、葛西) 05/7/2作成

◎野村監督時代のダメ外国人編 (ミラー、フランクリン、クルーズ) 05/6/15作成

◎只今、パリーグ首位独走中のロッテ出身の選手編 (アルトマン、弘田、立川) 05/5/28作成

◎明日、開幕する「交流戦」で注目の阪神出身選手編 (塩谷、高波、山村) 05/5/5作成

◎名前に数字が入っている選手編 (上坂、上田、大崎) 05/4/19作成

◎今は亡き「近鉄」から移籍してきた地味な人々編 (永尾、久保、西川) 05/4/09作成

◎2005年期待(?)の新外国人編 (シーツ、スペンサー、ダーウィン) 05/3/30作成

◎伸び悩んでいる若手野手編 (葛城、藤原、喜田) 05/3/28作成

◎他球団からやって来た孤高のアウトロー編 (高橋、松永、石嶺) 05/3/23作成




中込伸  (投手・1989〜2001・阪神球団職員→阪神
90年代、阪神ファンの誰もが愛した(?)我らの「デブ魔神」
92年の活躍は凄まじかったが、その後は右ひじの故障もありパッとしなかった
それでも何かと記憶に残る投手であることは間違いない
伊良部との「大相撲コンビ」を見てみたかったが、伊良部が入団する2年前にあっさりと解雇された
そして家族の反対を押し切り台湾球界に渡り、「兄弟エレファンツ」のエースとなった
心身ともに豪快な男に繊細さを要求される日本球界は水が合わなかったのかもしれん

郭李建夫  (投手・1993〜1998・俊国棒球隊→阪神
バルセロナ五輪でエースとして地元・台湾を銀メダル獲得に導き、その勢いで阪神入団
だが「PKO問題」や「外国人待遇問題」といった”外的事情“に悩まされた
96年に藤田監督の下、8勝15セーブの好成績を残したが”束の間の栄光“だった
帰国後、「和信ホエールズ」に入団するが2003年で引退し、大学の野球部監督になる

林威助  (外野手・2003〜・近大→阪神
台湾台中市出身で高校時代に野球留学のため日本に渡り、そのままプロ入り
シェアなバッティングが売り物で、まだ若いのに常に落ち着いていて貫禄のある態度は頼もしい限り
2軍ではもちろん、今年は1軍でも結果を残してアピール
2006年はもっと凛々に輝け!リンウェイツゥ

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石毛博史  (投手・2003〜2005・市立銚子高→巨人→近鉄→阪神
2003年の8月以降に貴重な中継ぎ役、敗戦処理として1軍に定着
その勢いで日本シリーズにも2試合登板した
残念ながら翌年からはまったく活躍できなかったが、最低限の意地は見せてくれた
巨人と阪神の両方で優勝できたことは、石毛の野球人生で最大の誇りだろう

山田勝彦  (捕手・1988〜2002・東邦高→阪神→日本ハム)
もう数少ない「1992年組」の山田も2005年限りで現役生活に別れを告げた
あまりファンに大きなインパクトは残せなかったが、長年甲子園のホームベースを必死で守ってくれた
今日の栄光を考えた時、苦しい時代に苦心のリードを続けた彼の存在を忘れるわけにはいかない
矢野、関川に比べると「打てない捕手」というイメージが強いが、2000年に.319をマークして打撃開眼
2006年から阪神時代の恩師・野村新監督が率いる楽天のバッテリーコーチに就任した山田
甲子園で培った貴重な経験を若手に伝授して頂きたい

曽我部直樹  (外野手・1996〜2003・サンジルシ醸造→阪神→ロッテ)
阪神&ロッテという人気球団で10年も現役を続けたが、ほとんど1軍には呼ばれなかった
それだけ首脳陣の評価は低かったのだが、それでも33歳まで現役だったのは立派の一語
あの「星野フィーバー」が爆発した2003年に一度だけ1軍に昇格した曽我部
結果はわずか1打席でしかも三振を喫したが、まぎれもなく「優勝メンバー」の一員に加わった
その誇りを胸に、これからも強く生きていってほしい

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杉山直久  (投手・2003〜・龍谷大→阪神
自由獲得枠で入団するも、まったく優勝に貢献できなかった2003年
嬉しいプロ初勝利を手にするも、それだけで終わった2004年
2年間の無念を晴らし先発ローテに定着、9勝をあげてチーム優勝に大貢献した2005年
激動の3年が少年を立派な大人へと成長させた
好不調の波が激しいのが玉に傷だが、それも彼のキャラなのかも
マウンドでは大人に、だけどマウンドを下りたらいつまでも純情な少年でいてほしい

江草仁貴  (投手・2003〜・専修大→阪神
豪快で美しいフォーム、キレの鋭い速球、多彩な変化球、素晴らしい制球力
おまけにピンチにも動じない心臓の強さをもっている
プロ入り2年間はケガに泣いたが、今年は中継ぎで潜在能力を爆発させた
こんなんで満足せず、これからますますスケールの大きいピッチャーになってもらいたい
エグサの未来はボクらの未来!エグサの未来はアカルイ未来!

橋本健太郎  (投手・2005〜・日本新薬→阪神
こんなにいい投手が昨年まで“眠っていた”のだから、やはり野球界は人材豊富だ
魔球チェンジアップを生かした落ち着いた投球でルーキーながら51試合に登板
一見「打たせてとる」タイプにみえるが、奪三振の数も多くチームの信頼も厚い
見るからにプロ向きだし、周囲のムードに流されない芯の強さをもっている(・・・と思う)
今後の問題は起用法だろう(このまま中継ぎでいくか先発にまわすか・・・)
どちらにしても来年も素晴らしき「ハシケンサンバ」で阪神ファンを楽しませてくれるだろう
余談だが「日本新薬」で彼はどんな仕事を任されていたのか知りたい

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長崎慶一  (外野手・1985〜1987・法政大→大洋→阪神
大の阪神ファンで高卒の時にドラフト指名されるも敢えて大学進学
その後大洋に入団して首位打者も獲得したが、球団の体質になじめず空虚な日々を送る
1985年、35歳にして念願の阪神の一員となり代打の切り札としてプロ生活唯一の優勝を経験
日本シリーズ最終戦では高橋直樹から劇的な満塁ホームランを放ち大喝采を浴びる
引退後には評論家として「オレが阪神の監督だ!」という隠れた名著を出版
焼き肉屋のオーナー、コーチ、さらには荒川区議員としても名を馳せるオールマイティな男でアル

工藤一彦  (投手・1975〜1990・土浦日大高→阪神
「ゾウさん」の愛称で知られる渋い男
ティーよりもコーヒー(特にブラック)が似合うタイプだ
85年には先発中継ぎを両方こなし6勝3敗の成績を残す
地味ながらベテランらしい安定した投球で投手陣を支え、日本シリーズにも登板した
右ヒジの故障で引退を早め、現在は”陰気な解説者”(失礼)として地味に活躍

浅井良  (捕手・2002〜・法政大→阪神
2003年は5月あたりに代打の切り札として密かに活躍していた
また一年通して星野監督の隣りに座り続けて愚痴と叱責をひたすら聞いていた
そんな貴重な経験が血となり肉となるはずだったが・・・なぜか翌年は全く1軍に呼ばれなかった
その悔しさをバネにして2005年は1軍定着し、打者としても捕手として奮闘している
天性の思い切りの良さと独特の風貌から、カラをつき破れば人気も出てくるだろう
浅井よ!もっと本能のままに暴れるんだ!

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三輪八郎  (投手・1939〜1943・高崎中→タイガース・阪神
昭和15年8月3日、大連球場で阪神投手史上初のノーヒットノーランを達成
巨人の強力打線を剛球一本で封じ込めた色白の18歳
伝説だけを残して可憐な少年は戦地で散っていった
ミスター・タイガース藤村富美男いわく「タイガースの歴代最高の左腕は三輪と江夏」
合掌・・・

権藤正利  (投手・1965〜1973・柳川商→洋松・大洋→東映→阪神
身長177センチ、体重60キロ
体はガリガリ、でも心は超一流
度胸の良さを武器に9年間、甲子園のマウンドで暴れる
今でいえば「先発も任せられる貴重な中継ぎ左腕」的な存在だった
最後は「サル」発言をした金田監督を殴って、そのまま引退した
もう一年やれば40歳まで現役ができたのだが、そんなことよりも男の意地を貫いた

湯舟敏郎  (投手・1991〜2000・本田技研鈴鹿→阪神→近鉄)
ノーヒットノーランも達成した名投手だが、あまり現役時代の印象はない
それよりも「解説者」としてのイメージの方が強い
それだけ解説の仕事が水に合っていた、ということだろう
ダンディかつキツい関西弁を用いて素人にも分かりやすく楽しい解説をしてくれる
若手解説陣のなかではダントツに好感がもてる
人柄も良さそうだし、もっと勉強をすれば名コーチになれる可能性もある

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加藤博一  (外野手・1976〜1982・多久工業高→西鉄・太平洋→阪神→大洋)
若手の頃は自称「いつでもクビにできる粗大ゴミ」
そんな誰からも見向きもされない雑草が“阪神という名の水”を得て花になった
プロ11年目でレギュラーをつかみ、そのひょうきんキャラで人気者となる
その後はケガでの不振がひびいて大洋に移籍するが、そこでは「スーパーカートリオ」として活躍
ある意味では強運な男ともいえるし、したたかな「戦略家」でもある

本西厚博  (外野手・1997〜1998・三菱重工→阪急・オリックス→阪神→日本ハム→ロッテ)
オリックス時代にはイチロー、田口というメジャーリーガーとともに最強の外野陣を形成
その高度な技術はなぜか阪神時代には生かされず、試合出場も少なかった
よほど縁が合わなかったのか後年には「阪神の選手は練習が足りない」という強烈な暴露までする始末
その後在籍した日ハム、ロッテでは渋い活躍を見せていただけにヒジョーに残念だ
現在はNHKのメジャー中継の解説などで活躍している

中村豊  (外野手・2003〜・明大→日本ハム→阪神
バランスのとれた好選手で日ハム時代はレギュラーまであと一歩だった
阪神に来て出番はグッと減ったものの貴重な存在であることは間違いない
守備固め、代打、代走・・・どんな場面でも使える監督にとってはありがたいベテラン
また明大出身者ならでは(?)のムードメーカーとして一面ももっている
2005年は、なかなか調子がいいので後半戦の活躍にも期待!

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ヒゲ辻  (捕手・1963〜1969、1975・明大→阪神→近鉄→大洋→阪神
ああヒゲ辻よ・・・あなたは今、天国でなにをしているのか
まだキレイに、あのか細いヒゲをたくわえているのだろうか
先日、亡くなられた遠井吾郎さんとは再会できましたか
特異なキャラクターで引退後はタレントとしても活躍されたあなた
これからも天国からタイガースをあたたかく見守っていてください

吉竹春樹  (外野手・1979〜1986・九州産高→阪神→西武)
プロとしては少々パワー不足も巧打好守のいい外野手だった
西武に行って阪神時代には仇だった部分(器用貧乏)が生きて、西武黄金時代に欠かせぬ顔になった
日本シリーズには毎年のように出ていたし、オールスターにも出場できた
引退後は古巣に戻って一軍と二軍の外野コーチを歴任
地味だけど、なかなかめぐまれた野球人生を送っている

葛西稔  (投手・1990〜2002・法大→阪神
最初は先発で、途中から中継ぎ、晩年には抑えをつとめたサブマリン
マニアックな阪神ファンの「昔話」には欠かせぬいぶし銀である
もっと現役やろうと思えばできたと思うが、スパッと辞めたのがこの人らしくて潔い
引退後は二軍投手コーチとして精力的に若手を育成中
2000年の「遠山スペシャル」での活躍は忘れたくても忘れられない

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ミラー  (投手・1999〜2000・ウエスト高校→阪神
入団した時の野村監督のコメントは「投手陣のミラー(鏡)になってほしい」
ストレートに頼る単調な投球で悪い方での「鏡」になってくれた
2000年序盤には抑えを任されるも失敗を連発しあっさりと2軍降格
結局、二度と復活することなく解雇された
その後の消息は不明

フランクリン  (外野手・2000・リンカーン高校→日本ハム→阪神
2000年6月に日ハムから途中入団したソーサ似のスラッガー
前年には30本塁打80打点の活躍をしただけに誰もが期待したが、やはり現実は甘くなかった
すぐにケガをして、わずか8試合の出場で退団
ただケガがなくても一発重視の粗いバッティングが緻密なセでどこまで通用したかは疑問だ
今となっては、こんなことを考えても何の意味もないが・・・

クルーズ  (内野手・2001・ジャクソンビル大学→阪神→中日)
クルーズです
オープン戦では「バース級」の活躍をしてみせたとです
クルーズです
でも本番(公式戦)になったら内角攻めに苦しんで、さっぱり打てなくなりました
クルーズです
で結局、肩を痛めて“ニッポンの夏”を満喫できないまま帰国しちゃいました
クルーズです
2年後、今度は中日に入団したけどやっぱりオープン戦でしか活躍できませんでした

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アルトマン  (内野手・1975・テネシー農工大→ロッテ→阪神
ロッテ時代は主軸打者として活躍
阪神でも、まあそこそこの成績を残した通称「足長おじさん」
その素性は謎だが、とりあえず「いい人」であることは間違いない
田淵と仲がよく、アルトマンが帰国する際にはパーティを開いて別れを惜しんだという
また守備力も高く、当時サードのレギュラーに就き始めた掛布の守備向上にも貢献した
とにかくスゴい人、その名はアルトマン!

弘田澄男  (外野手・1984〜1988・高知高→ロッテ→阪神
ローズとの「場外乱闘」で一躍、名を馳せた現巨人のコーチ
その男気あふれる性格&指導力で引退後も各球団のコーチを歴任している
阪神時代には渋い2番打者として優勝に貢献
ケガをおして出場した日本シリーズ終了後、愛娘から「ねぎらいの手紙」をもらって感涙する
阪神史上で最も「背番号1」が似合う男である

立川隆史  (外野手・2004〜・拓大紅陵高→ロッテ→阪神)
いわば「濱中の代理」を求められて阪神に入団した右の長距離砲
ところが濱中が復活した今となっては、ほとんど存在意義を見失っている
ロッテ時代は4番を任せられる程、期待されていたが才能は開花せず
阪神に来ても、なかなか結果を残せない
小野、福浦、大塚、諸積といった同期入団組が古巣で大躍進しているなか・・・
鳴尾浜の空の下でひとり、立川隆史は懸命にバットを振り続ける

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塩谷和彦  (内野手・1993〜2001・神港学園高→阪神→オリックス)
誰に何を言われても絶対に自分の生き方を変えない”反骨精神の権化“
その卓越したバッティング・センスは新天地で開花した
だが阪神時代から続く「連続最下位生活」はなんと7年に到達した
楽天の誕生により、どうやら今年でその不名誉な記録は途切れそうだ
されど塩谷は塩谷
チームの状況などかまわず、これからもその”極太な生き様“を見せつけてほしい

高波文一  (外野手・1994〜2003・熊本工高→阪神→西武)
若い頃から「代走・守備固め要員」として重宝されたため、打撃能力を向上させられなかった高波
そこに彼の不幸がある
西武に移籍しても、その役割は変わらない
しかも赤田、栗山ら若手の台頭に押されて近年は長い二軍生活を余儀なくされている
それでもファームでは、きっちりと立派な成績を残すあたりはさすが
ベテランのイメージがあるが、まだ29歳だし老けこむには早すぎる
阪神での豊富な経験を生かして、なんとかもう一花咲かせてくれ!

山村宏樹   (投手・1995〜1999・甲府工高→阪神→近鉄→楽天)
ドラフト1位で入団も今やほとんど「元阪神」の面影はない
それもそのはず
「自律神経失調症」によりわずか5年で解雇されて、阪神では通算1勝しかあげていない
近鉄でも一時期、先発ローテを確保していたが長続きせず尻つぼみ
楽天に入団した今年は文字通りラストチャンス
幸い絶望的なチーム状況とは裏腹に、本人はかなり調子を上げてきた
願わくば阪神との交流戦でその雄姿を見てみたい
そう望んでいるのは私以上に山村自身だろう

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上坂太一郎  (内野手・2000〜・王子製紙春日井→阪神
2000年、俊足巧打の若手としてブレイク
2001年、不動の1番打者となり大活躍
ここまではよかった、ここまではね・・・
2002年、今岡の復活で出番激減
2003年、さらに出番減少で優勝の美酒に酔えず
2004年、例の「事件」勃発でマイナスイメージ先行
そして2005年今、太一郎は何を思う・・・
とにかくガムシャラに突っ走るしか道はない
暴走ボーイの明日はどっちだ!?

上田二朗  (投手・1970〜1979、1982・東海大→阪神→南海→阪神
忘れえぬアンダースローの名投手・上田二朗
南海移籍後、35歳で阪神に復帰
甲子園での「出戻り登板」で彼に送られた大歓声は素晴らしかった
地味ながらファンに愛された13年間
通算100勝まであと8勝足りなかった

大崎三男  (投手・1953〜1958・明大→阪神→近鉄)
愛称は「マシンガン投手」だって
明大の島岡監督と大喧嘩して阪神に入ったんだって
でも阪神でもフロントの連中と毎年モメてたんだって
「ビール一気飲みによる腹痛」で近鉄に移籍したんだって
イキだねえ
昭和の男だねえ

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永尾泰憲  (内野手・1982〜1987・いすゞ自動車→ヤクルト→近鉄→阪神
私が以前、知り合ったヤクルト担当経験のある元スポーツ記者いわく
「永尾ほど人のいい野球選手はいない!」
その人柄の良さを買われて(?)阪神に入団し、すでにベテランながら6年も在籍した
85年には、ほとんど代打出場なのに打率.327をマーク
こういう渋くてファイトのある選手の支えがあって初めて85年の優勝は完成した
その事実を絶対に忘れてはならない
所属した3球団すべてで優勝を経験した永尾
「リアル優勝請負人」と私は呼びたい

久保康生  (投手・1988〜1996・柳川商高→近鉄→阪神→近鉄)
今年から投手コーチとして再び甲子園のマウンドに上がるようになった久保
そのいい意味での存在感のなさは現役時代と変わることはない
「クロマティを負傷に追い込むデッドボールをぶつけた男」としても有名だが(?)
阪神時代は主に中継ぎエースとして若い投手陣のリーダー的存在だった
その人間性や指導力に定評があり、今後も手腕を発揮してほしい

西川慎一  (投手・2000〜2002・NTT四国→近鉄→阪神→広島)
大半の阪神ファンは忘れているだろうが、2000年の中盤から終盤にかけて結構活躍した
近鉄時代は制球に難があったが阪神に来て球威の良さでそれをカバーした
広島戦でメッタ打ちされたことが遠因で阪神を解雇されたが
その広島に入団し、貴重な中継ぎ左腕として復活したのは皮肉だった
昨年オフ、また解雇されてしまい球界を去る

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シーツ  (内野手・2005〜・ルイジアナ州立大→広島→阪神
アンディ・シーツはとにかく完璧な男だ
安定感のあるシャープなバッテイングに卓越した守備力
体は頑丈でルックスも良く頭脳も明晰
おまけにジェントルマンでプロとしての闘争本能ももっている
まさに非の打ち所のない優良外国人
オープン戦から、その素晴らしさをいかんなく発揮してくれた
だが、はっきりいって阪神のカラーにそぐわないキャラであることは事実
黙っていてもそれなりの成績を残してくれるのは確実だが
例によってまた何かトラブルが起きるではないか・・・という不安も少々ある

スペンサー  (外野手・2005〜・グラナイトヒルズ高→阪神
「素行不良」という前評判通り、キャンプからいろいろな話題を提供してくれたスペンサー
それだけでスペンサーよ、お前は十分に役割をはたした
万が一、活躍しなくても桧山もいるし、そんなに心配することはない
シーズンでは気楽な視点で「スペンサー」という“現象”を楽しみたい

ダーウィン  (投手・2005〜・ENB高→阪神
オープン戦では制球難と打たれっぷりの良さをまざまざと見せつけてくれた
他球団のスコアラーからは「本番で見ることはないでしょう」と言われる始末
昨年のモレル、ホッジス弟、マイヤーズに続く「マニアック外国人」に加わることは必至である
とりあえず公式戦に1試合でも登板できたら「ダーウィンの勝ち」としたい
例えどんな結果になろうとも

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葛城育郎  (外野手・2004〜・立命館大→オリックス→阪神
「荒削り」
良くも悪くもそれが葛城の持ち味である
昨年はその部分が評価されたのか、一軍に定着することができた
しかし今年は、それが仇となりオープン戦からほとんど出番なし
特に守備面でのミスが多いのが目につく
「荒削り」をさらに磨いていくのか
そこから脱却して「新生・葛城」をアピールしていくのか
プロ6年目にして葛城は今、大きな岐路に立たされている

藤原通  (外野手・2002〜・立命館大→阪神
毎年、必ず1回は一軍昇格するのにまだ何も存在をアピールできいない藤原
名前、顔も平凡だし、野球選手として「これが藤原だ!」というセールスポイントが見えてこない
今季のオープン戦にはずっと一軍に帯同して途中出場することも多かった
だが打席が回ってくると、いつも代打を出されていた
まだ若いのにもう便利屋扱いされてしまっている
内外野守れる起用な選手なだけに、何かきっかけを掴めば一軍定着できそうな臭いはあるのだが
いかにも人が良さそうな感じがするのがちょっと気にかかる・・・

喜田剛  (内野手・2002〜・福岡大→阪神
藤原と違いこちらは名前といい顔といい結構インパクトがある
父親が元力士というプロフィールもなかなかナイスだ
ところが層の厚さに阻まれて、全然一軍に上がることができない
巨人との「二軍交流試合」でルーキー・野間口にプロの洗礼(ホームラン)を浴びせるなど勝負強さもある
道のりは極めて厳しいが、なんとか「代打の切り札」として一軍に定着して欲しいと願う
GO!GO!剛!

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高橋慶彦  (内野手・1991〜1992・城西高→広島→ロッテ→阪神
往年のスーパースターも前年は大不振
1992年という年は大ベテラン・高橋にとって最後の勝負の年だった
ところが彼に与えられたポジションはルーキー・久慈の控えという屈辱的なもの
結局、ほとんどチャンスを与えられないまま5月下旬には二軍落ち
そしてシーズン終了後、ひっそりと引退を表明
あまりにもせつない晩年を送った高橋
ちなみに彼はその年、二軍の試合には1試合も出場していない
それは「スター・ヨシヒコ」としての意地だったのかもしれない

松永浩美  (内野手・1993・高校中退→阪急・オリックス→阪神→ダイエー)
開幕戦(中日)でいきなり5打数5安打
最低でも3割、ヘタすりゃ首位打者も獲れるかも
タイガースファンならば誰もがその時、思ったはず
ところが、終わってみれば打率は3割にも満たずホームラン8本、打点31点
エース野田を放出した代償としては、あまりにも平凡すぎる成績
そしてそのオフ、松永はFA宣言をしてダイエーに移籍
「嫌いな阪神選手」の上位にエントリーされることの多い一匹狼・松永
そんな彼が日本球界で初めて「FA」の制度を提唱したことはあまり知られていない

石嶺和彦  (外野手・1994〜1996・豊見城高→阪急・オリックス→阪神
記念すべき「FAで阪神に入った」第一号
彼が阪神に残した功績はそれだけである
それでも一応、初年度(94年)は全試合に出場したが打率はわずか.246
引退した96年に至ってはなんと26試合しか出場していない
別に大きな故障をしたわけではないのに
よっぽど藤田監督(当時)と相性が悪かったのだろう
その年の11月下旬、唐突に戦力外通告を受けて引退を余儀なくされた石嶺
彼はいまだに、そのことを根に持っているようだ

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