神戸復興塾/震災復興の神戸を歩く (1997/ 4/26-27)
神戸復興塾

芦屋川沿いに出て南に向かいますが、橋の両岸の高さの変化など、地震による地形の変化なども伺われるようです。しばらく行くと昭和初期位でしょうか古い洋館が見えてきました。仏教会館と言われましたが、しかしこれなどは全く無傷。またルナホールや市民会館もしっかり残っていましたが、一部倒壊した部分はまさに工事の最後の仕上げ中でした。
少し歩き、芦屋保健所のあたりを南に向かうと、突然空き地とプレハブ仮設店舗が入り交じる芦屋中央地区に入る。このあたりは震災前から再開発の計画が進められていた商店街地区だそうで、「再開発準備組合」という立て看板が「こんな物だけが残った」そうです。今は仮設の店舗が点在していますが、震災後2年以上を経てなおこの状態、かつ周辺では営業されている新しい商店街がいくつかある状況では、この地域の将来はどうなるのか、特に区画整理の計画のために時間がかかっていることが生活再建を送らせ、致命的な影響をもたらさないか、不安です。
さらに北上して広い道路を渡り、北側の従来から道路がなかった地区(芦屋西部第1地区)に入っていきます。こちらの方はやはり接道が取れないのか、再建状況はかんばしくない。それでもえっここに、といった路地奥に建物が建ったりしている。こうして空き地と新築住宅の入り交じる中を神戸市域に入り、森南地区を歩き、JR沿いの地区で議論を呼んでいるという計画道路沿いなどを歩きつつ、新駅南側(といっても駅の影も形もありませんが)の大型店舗まで歩いて、再度コーヒーを飲みつつ、お話を伺いました。
まずはJRで鷹取駅へ。途中、兵庫駅南側の公団のキャナルタウンの話(地震後、災害住宅として家賃6,000円で供給とのこと)、鷹取工場の話(死体安置場になっていたとか、職員通路を使って行き来したとか)などをききながら、駅前に立ちます。駅前は広く普通の地方の町の駅という感じでした。少し歩いて、まずは大国公園(扉の画像)に向かいました。ここへはやはり震災後に自転車で来たことがあります。そのときはそこから東は焼け野原で、黒く焦げてなおかつ営業していた病院と遠くに見えたアパート、そして「何処そこにいる ○○」といった張り紙や献花が記憶にありますが、今日は4月の青空に鯉のぼりが何尾も元気に泳いでいました。またちょうど、公園内にある記念碑の前では、震災後記録映画を撮り続けている青池監督がまさにカメラを回しているところでした。その記念碑に埋め込められたタイル画が設置後わずか2〜3日で何者かの手で壊されたそうで、森栗さんも相当嘆いていましたが、ひょっとすると被災者自身の手かもしれない、そう思うと余計悲しくなりますね。
さて鷹取といえば鷹取教会だそうで、ボランティアの拠点になったそうですが、一応訪問し、紙パイプでできたホールなども見せてもらいました。鷹取東部の区画整理はいち早く事業認可され、道路築造なども進んできています。もともとこの地区は前に訪れたときも感じましたが、道路は碁盤目状に比較的しっかり入っており、区画整理といっても、裏筋に1本道路を入れる、といった程度で済んだのではないでしょうか。今はまだ仮設店舗なども残っていましたが、周辺、特に西側の地区がしっかり残っていることからも復帰は早いと感じましたが、甘いかな。森栗さんが声を潜めて「あの××屋のおじさんは反対派やったんやけど・・」と説明をしてくれましたけど、もちろん今の状態になるまでの苦労というのは、住民共々大変だったと思います。
続いてその東側、鷹取駅南再開発の区域に入っていきます。ここは火災は大丈夫だったけど壊れた家はかなりあった模様。市営住宅の裏手などに市が買収した空き地が真新しいフェンスに囲まれて数多く点在しています。これらはこの地区を出ていった人の土地、一方、プレハブや仮設で再建された家もいくつかあり、市の再開発の構想と地元の状況との食い違いが今後どういう展開を見せるのか、心配です。森栗さんが紹介してくれたのは、震災で亡くなった7人のおばあちゃんが守っていたという小さな祠。名前の書かれた白い紙が悲しい。
新長田駅前のアーケード街を南進して久保町・大正筋商店街へ。この地区も前に来たときはアーケードがつぶれ、家々も壁のない1階部分で潰れたり、隣にもたれかかったりし、さらに裏手は火災で何もなくなって、悲惨な状況でしたが、今は復興仮設市場パラールが再建され、元気を取り戻していました。仮設テント張りの市場内にはダイエーを始め100近い小売店舗が入り、少し前のショッピングセンターのイメージでそこそこ賑わっていました。
この市場を抜けて、久二塚まちづくり協議会の事務所内で森栗さんから今後の構想などを聞きました。この地区では、久二塚5(ファイブ)バザールマーケット構想なるものを元に再開発計画を進めているとのこと。パラールの中を通りながら「これで十分やんか」とつぶやき、「これを実現するのもしんどいけど、できた後、周りの商店街がどうなるか、ということも問題やねん」とも言っていた森栗さん。その次には、その震災後、壊れずに残ってしまった市場というのを見に行きます。
それが丸五市場。言われるとおり、昔のまんま、錆かけたトタンの看板が垂れる中をいくつかの小さな商店が軒を連ねます。全部で20位はあるでしょうか。狭い中ではそれなりに活気のあるように見えましたが、その中の1店。韓国料理の素材などを売る店でチゲ(韓国風お好み焼き)を買ったところビールを出してくれてみんなで飲みながら食べましたが、独特のたれをつけて食べるチゲのおいしかったこと。しかし出してくれたビールの方が高いよ。「俺が行くといつも酒を出すんねん。困るねん。」と言っていた森栗さん。韓国人のこの女性にも震災前、そして震災後の人言えぬ苦労があったのでしょうね。
「くらし」があり「すまい」がある。「すまい」があるからこそ成り立っていた「くらし」があって、震災が「すまい」を奪い去った後、そうした「くらし」をしていた人たちはどうすればいいのでしょうか。
この地区の真ん中、三ツ星ベルト工場の北側、鉄工場との間で建設中の真野ふれあい住宅「コレクティブハウジング浜添」の隣の空き地に一旦集まって、コレクティブの概要や真野地区の概要などを聞いた後、「あとは自由見学」と突然突き放されました。
まずは真野小学校へ行きました。震災後、元々建替計画があったこともあり、アーチ型屋根の3階建ての校舎に建て替わっていました。そこで本当に森栗さんと別れ、次は地域型仮設住宅を見学。地域型仮設住宅とは言ってみればコレクティブ型住宅。すなわち共同炊事共同トイレとなった仮設住宅のことで、この真野地区だけでも3ヶ所作られています。各住戸は2間4間の8坪で多分2部屋あると思うので取りあえずはなんとか生活できる規模でしょうか。問題はここからどこへ行くか、ですよね。コレクティブ住宅や災害公営の評価については別の稿で。
ついで「真野まちづくり会館」を訪問。突然おじゃましましたがちょうど留守番をしてみえたおじさん(中藤さん?失礼、名前失念)に色々とお話を伺いました。会長の林さんや宮西さんの活動の状況(なんでも名古屋へ行っているとか)、延藤先生のこと。震災時のこと。コレクティブへの好意的な評価。まちづくり協議会自体は今でも月3回住民が集まり、打ち合わせをしているとか。トンプーさんの段ボール棚もしっかり活躍していました。私達が夕食の場所を探しているというと、これだけ入れる店はあそこしかないと自転車で案内してくれ、その途中で近所のおじさんに「ちょっと留守を頼む」と言い置いていくところなど、この地域で根付き育っているコミュニティの力をかいま見せていただきとても参考になりました。
最初に訪れたのは、県営片山コレクティブハウジングです。神戸で唯一最初に完成した公営コレクティブハウスですが、残念ながら入居希望者がなく、現在は空き家。この住宅の前に、今日の道案内役の三谷さんと、神戸協同病院の上田院長が待っていてくれて、上田先生の方からコレクティブ住宅及びシルバー住宅について説明をいただきました(ちなみに上田先生は私と同年くらいの若い?でした)。
片山住宅からの急坂を下って(これも高齢者に優しくないと不評でした。私はいつまでも元気な高齢者を育てる、と冗談を言っていましたが)、長田神社の参道を通り、長田中央小売り市場に向かいました。ここは新湊川沿いの市有地に戦後の闇市が発端でできた市場で、震災により建物は全壊したものの、幸い焼失は免れたことから、震災直後に炊き出しを行い、さらに1ヶ月後には共同仕入れ、共同販売という形で仮設市場を再開したところです。その後、仮設住宅への行商など、地域と密着した商売を続けてきたということですが、それでも住民がいなくなった、というのは商売にとっては決定的に辛いことだったようです。当日は残念ながら市場は休みでしたが、衣料部とか日用雑貨部、精肉・かしわ部といった看板が共同経営を示していました。なお今年の12月には近くの市有地へ移転・新築が決まっているということで、これからの更なるがんばりが期待されます。
昼食後、午後のメインイベント、大道通りの自立型環境調和協同再建マンションに向かいました。このマンションは、大道通り沿いの阪神高速道路の建設に伴い建設を計画していたところを、震災後、受け皿住宅として建設されたものです。
さて私はその後、南下し、御菅の区画整理地区に向かいました。このあたりもそうですが、神戸の街全体に、表通りに面する部分は、かなり建物の再建も進んでおり、ほとんど他の街と見分けがつかないような状況ですが、1歩奥に入ると、途端に仮設プレハブが並んでいます。御菅地区も同様で、飛び飛びに美容院等の仮設の店舗が並んでいますが、その間には、まだ基礎が剥き出しのままの土地が点在しています。その地割りを見ると相当狭い。この地区の震災前が想像されます。まちづくり協議会の建物の中では、ちょうど住民の集まりが開催されており、共同建替らしいパースを手に懸命に説明し、また議論している姿が見えました。50名位でしょうか。おおぜい集まっている、という印象です。
瓦礫と仮設店舗と花壇に花が咲く中を菅原市場に入りました。あいにくここも休日でしたが、今回いくつか回った仮設市場の中では、エアコンなども完備し、相当に水準の高い整備がされていました。
それにしても元町といい、トアロードといい、すごい人混み。我々はさらに北野町の異人館を巡って新神戸駅まで歩いたのですが、異人館はすっかり修復され、以前以上に賑わっている、という印象でした。逆に昨日、今日と見てきた街はなんだったのか、と思わせます。しかし、実際はあちらが現実。この事実をもっと我々は知り、噛みしめる必要があると思います。
久しぶりの神戸 (1999/ 1/19)