| 龍田神社 |
| 法隆寺の南西、龍田集落のほぼ中央に鎮座し、天御柱命・国御柱命と申し、いわゆる風神を祀る。本殿の西には龍田比古・龍田比売神社と滝祭神社を祀る。このほかに、地主神社(猿田彦神)、川合神社を祀る。社伝によると、法隆寺建立に際し、当社祭神の諭により寺地を選定、よって伽藍の鎮守神として祀ったという。現奈良県三郷町立野の龍田大社を本宮というのに対して当社を新宮と称し、本宮から勧請したとする説もあり、祭礼には本宮からの神幸の御旅所となった。(大和志、『聖徳太子伝私記』) 『嘉元記』によると、中世の龍田市は当社を背景に設けられたが、その市神として寛元元年(1243)神社西方に摂津国西宮の夷神が勧請され(法隆寺寺要日記)、龍田・夷両社祭礼には近隣郷の村人によって猿楽・田楽が演じられた。 悠久の昔から、祭り好きがいっぱいいたようです。その歴史が今も尚・・・(^_^;) |
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| 金剛流発祥之地 |
金剛流は、能楽シテ方の一流で、大和猿楽四座(結崎・円満井・外山・坂戸)のうちの坂戸座を源流とする。 坂戸座は、その名称を法隆寺周辺部にあった古代郷である、坂戸郷に由来し、古刹法隆寺に所属して発展をみた猿楽の座である。 中世には、法隆寺付近の郷民たちの精神的紐帯として祀られた龍田神社を中心に竜田市が栄え、摂津西宮から勧請された夷神の 祭礼に郷民自身による猿楽が盛んに演じられた。 法隆寺付近の郷民たちは、竜田市の経済力を背景に、強固な自治的組織を生み育て、祭礼に彼ら自身が芸能を演じて楽しむとと もに、彼らのなかで法隆寺に所属し、大和一円で活躍した専門の猿楽集団である坂戸座を育てたのである。 |
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