東国武将興亡録  1487年-1531年 戻る

1487年 長享1年 8月 常陸国筑波郡小田城主小田讃岐守持家が年八十六才にして卒し、成治が継ぐ。
 〃    〃 11月 扇谷と山内の両上杉氏が対陣す。
 〃    〃 北條早雲の嫡子氏綱が、駿河国の興国寺城にて生れる。
 〃    〃 水谷五郎重俊が常陸国真壁郡伊佐庄の下館に城を築き之れに居住す。
1488年 長享2年 6月 山内と扇谷の両上杉氏が菅谷原に合戰す。
 〃    〃 8月 禪僧の万里集九が、武藏国入間郡越生に退隠中の太田資清入道道真(道灌の父)を訪ねて、翌日、菅谷の陣に太田資康を訪ねて其の状況と感懐を梅花無尽藏の中に書留める。
 〃    〃 11月15日 扇谷上杉定政が足利政氏と倶に高見原に於て、山内上杉顯定と戰う。
 〃    〃 下総国香取郡飯塚の住人で天真正伝神道流の劔客、飯塚家直入道長意が卒す。
1489年 延徳1年 常陸国の佐竹氏は陸奥国の葦名、伊達、白河ら諸將の侵略を受ける。
1490年 延徳2年 山入義藤、佐竹義武らが天神林、長倉らと倶に太田城主佐竹義舜を追放して攻略し、以後は山入義藤が漸らく太田城に居住し佐竹の家政を見る。
1491年 延徳3年 4月 伊豆国堀越御所足利政知が死して長男の茶々丸が相続す。
 〃    〃 伊勢長氏が伊豆国田方郡の堀越に侵入し堀越の足利茶々丸を滅ぼして伊豆国の韮山城に移り北條宗瑞と稱す。
1492年 明応1年 安房国の安西三郎、金鞠太郎、丸源五、東條四郎ら四家が不和を生ず。
 〃    〃 太田資清が年八十二才にして卒す。
1494年 明応3年 8月 相模国小田原城主大森氏頼入道安栖庵が没して次子の藤頼が継ぐ。
 〃    〃 10月5日 武藏国河越城主扇谷上杉定正が死亡す。
1495年 明応4年 2月 連歌師猪苗代兼載が宗祗と協力して新撰玖波集を撰す。
 〃    〃 8月 安西三郎は金鞠太郎、丸源五、東條四郎らを減して安房国の一国を取る。
 〃    〃 9月 北條宗瑞が相模国小田原城主大森実頼を逐い拂って小田原城を攻略し之れに移る。
1496年 明応5年 5月 山内と扇谷の両上杉氏が柏原に合戰し、北條宗瑞は扇谷上杉朝良を援ける。
 〃    〃 8月 常陸国小田城主小田太郎治孝が小泉五郎と口論し、年二十五才にして殺される。
 〃    〃 11月 里見義豊が安西三郎の館を攻略して稲村城に居住す。
1497年 明応6年 12月6日 里見義豊が上総国へ侵入し、真勝谷、庁南、庁北の三城を攻略す。
1499年 明応8年 8月1日 下総国結城城主結城左ヱ門尉政朝は故あって譜代の家臣結城西館の多賀谷和泉守を攻め破って誅殺してより、常陸国久慈郡太田城主佐竹右馬頭義昭と不和を生じ、佐竹義昭は陸奥国岩城平城主岩城左京大夫重隆と供に下野国宇都宮城主宇都宮弥三郎忠綱を攻め寄せる。結城政朝は宇都宮に加勢後詰めとして出陣し佐竹義昭、岩城重隆らと戰って之れを破り撃退する。
 〃    〃 上総国真里谷城主武田信興入道道鑑が武藏国の浅草寺を再建し後土御門天皇の綸旨を受ける。
1500年 明応9年 12月6日 下野国の宇都宮弥三郎忠綱が結城氏を叛いて之れを亡さんと計り、結城政朝は下総国猿島郡長田村の猿山に於て宇都宮忠綱を破り宇都宮城を攻略し、忠綱は下野国の鹿沼城に逃れ、政朝は芳賀弥五郎与綱に宇都宮城を与へて城主と成し、中村十二郷を取り戻し所領す。
 〃    〃 能山大和尚が下総国豊田郡石毛山に興正寺を草創し開山す。
 〃    〃 小田城主小田左京大夫政治が新治郡金田の片岡掃部介を攻め破って攻略し幕下と成す。
1502年 文龜2年 9月 里見義豊は佐貫城を築きて佐々八郎左ヱ門をして守らしむ。
1504年 永正1年 9月27日 山内上杉顯定と扇谷上杉朝良が武藏国の立河原に合戰す。朝良は敗北して河越に走る。
 〃    〃 佐竹義舜は太田城の奪還に成功し、山入一揆を完全に鎮定滅亡させる。
 〃    〃 9月 北條宗瑞入道早雲が武藏国の立河原に於て上杉民部大輔顯定と戰って之れを破る。
 〃    〃 下総国豊田郡豊田城主豊田四郎政親の臣藤原清知が筑波郡の吉沼に城を築いて本居と成す。
1506年 永正3年 4月 下総国猿島郡古河城主関東公方足利高基が父政氏と不和と成り、同国葛飾郡の関宿に奔る。
 〃    〃 9月 長尾能景が越中で戰死し、其の子爲景が継ぐ。
 〃    〃 相模国足柄郡松田の遠山隼人佐直景が足柄上郡松田の惣領の延命寺に田地を寄附す。
 〃    〃 北條早雲が信濃国の守護職小笠原定基に書状を送る。
 〃    〃 北條氏が所領地の検地を開始す。
1507年 永正4年 8月 上杉房能が長尾爲景に逐われて越後国の府内城を捨てて魚沼郡へ走り、途中、東頸城郡松之山天水の雨溝に於て自殺す。
 〃    〃 下総国古河城の関東公方足利政氏が其の子高基と不和と成り、高基は下野国の宇都宮に走って父政氏に対抗す。
1509年 永正6年 7月 山内上杉顯定は長尾爲景を越中国に逐う。
 〃    〃 12月 將軍足利義稙は上杉顯定、上杉憲房らに命じて其の配下である長尾爲景の押領したる伊勢盛正の旧領越後国松山保を還付させた。
 〃    〃 武藏国忍城主成田下総守顯泰が連歌師の宗長を招きて連歌を興行す。
1510年 永正7年 6月20日 山内上杉顯定が越後国の長森原に長尾爲景、高梨政盛と戰って討死す。長尾爲景は山内上杉家に叛逆す。
 〃    〃 7月 扇谷上杉朝良が伊勢宗瑞の部將で權現山城主上田政盛を攻略す。
 〃    〃 鎌倉雪ノ下の八正院の住僧雪下殿が還俗して足利左兵ヱ督義明と稱し、父政氏や兄高基らと合わず不和を生じて出奔す。
 〃    〃 連歌師猪苗代兼載が下総国の古河に於て没す。
 〃    〃 佐竹氏は白河政朝や小峯義親の内訌を利用し、久慈郡の依上保を奪還する。
1512年 永正9年 8月 北條宗瑞は岡崎城主三浦義同を破り攻略し義同は敗走す。
 〃    〃 11月 下総国豊田郡の石毛山興正寺を遷化す。
1513年 永正10年 9月 北條宗瑞が扇谷上杉方の太田資康を三浦に破って討取る。
1514年 永正11年 10月 常陸国筑波郡小田城主小田中務大輔成治が年六十六才にして卒し政治が継ぐ。
1516年 永正13年 7月11日 北條宗瑞が三浦郡新井城主三浦義同を攻め破って攻略し滅す。
 〃    〃 文人公郷三條西実隆が年六十二才にして出家し、逍遙院殿耕隠尭空と号す。
1517年 永正14年 10月15日 足利義明と武田真里谷三河守信保入道恕鑑ら、千葉氏の一族で重臣である下総国千葉郡生実の小弓城主原次郎胤隆(又は行朝とも云ふ)を攻略すし、之れに移りて居住し小弓御所と稱す。
1518年 永正15年 10月 北條宗瑞の虎印判状が初見す。
 〃    〃 安房国の里見義通が死し、弟の実尭が家政を見たが、義通の子義豊が成長しても家督を譲ろうとしなかったので両者が争いと成り、結局は後に実尭の子義尭が義豊を倒して統一する事と成る。
1519年 永正16年 4月 北條氏綱が弟の北條長綱入道幻庵に箱根の四千貫に上る所領を譲りて箱根神社に譲状が現存す。
 〃    〃 8月15日 北條伊勢宗瑞入道早雲が年八十八才にして伊豆国の韮山に於て死し氏綱が継ぐ。
 〃    〃 下総国古河城主関東公方足利政氏が隠居して、長男の高基が家督を継ぐ。
 〃    〃 武田氏が甲斐国山梨郡甲府の躑躅ヶ崎館を本拠と成す。
 〃    〃 朝比奈備中守泰熈が遠江国小笠原郡の掛川城を築く。
1520年 永正17年 大石定重が武藏国多摩郡の滝山(八王子市滝山)に城を築く。
1521年 大永1年 10月中旬 遠江国土方の福島正成が甲斐国山梨郡に攻め入りて武田信虎と戰う。
 〃    〃 12月23日 武田方の部將原友胤が福島正成を一條河原に於て破り之れを討取る。
 〃    〃 北條氏綱は亡父早雲の遺命によって湯本の早雲寺を建立して金湯山と稱し、京都大徳寺の宗清以天を招請して開山第一世と成す。
1522年 大永2年 9月 北條氏綱が相模国の一ノ宮たる寒川神社を再建し、其の棟札に相州大守北條新九郎氏綱と署名し、初めて北條の姓を稱す。
 〃    〃 9月 伊勢氏が北條の名字を稱したる文書が初見す。
1523年 大永3年 4月1日 里見義尭が上総国久留里城主を築きて之れに居住す。
1524年 大永4年 1月13日 北條右京大夫氏綱が武藏国の武藏野に於て扇谷上杉修理大輔朝興と戰って之れを破り江戸城を攻略し部將遠山四郎左ヱ門を城代として入れ置く。
 〃    〃 1月17日 常陸国真壁郡下館城主水谷五郎重俊の子が生れ、水谷弥五郎と稱して後の蟠竜斉が是れなり。
 〃    〃 11月 安房国の里見実尭の遺児里見義尭は豊見義豊を攻め破って自殺させ、父の仇に報い里見氏の宗家を継ぎ、弟の義弘を館山城に移して之れを守らしむ?
 〃    〃 11月 北條氏綱は伊東九郎次郎に武藏国下平川(千代田区)の代官を申し付ける。
 〃    〃 武藏国豊島郡江戸の住人太田資高が亡父資康の十三回忌に際して、其の菩提を弔う爲めに武藏国下平川に法恩寺を建立す。
 〃    〃 江戸の神田明神に神事能が行われる。
1525年 大永5年 2月 北條氏綱が武藏国豊島郡岩槻の岩付城主太田資頼を攻めて追ひ拂へ攻略す。
 〃    〃 4月16日 上野国平井城主山内上杉憲房が年五十六才にして卒し、憲寛が継ぐ。
 〃    〃 下総国の結城政朝が年四十九才にして隠居し、其子結城政勝が家督を継ぐ。
1526年 大永6年 12月 安房国の里見義尭が鎌倉を侵して鶴ケ岡八幡宮を焼く。
 〃    〃 駿河国の今川氏親が死亡し、子供等の間に相続争ひが起る。
1530年 享禄3年 1月21日 越後国春日山城主長尾信濃守爲景の子景虎が誕生する。
 〃    〃 2月 常陸国筑波郡田倉郷の焼薬師原に尾花山金西院祥庵寺を建立し、中祥庵吉公入道の開墓なり。
 〃    〃 6月 北條氏綱が武藏国の小沢原に上杉朝興を破る。
1531年 享禄4年 9月2日 上野国平井城主山内上杉憲寛は憲政に家督を譲りて上総国の宮原に退穏す。
 〃    〃 越後国に上條の乱が起り、柏崎の上條城主で越後守護職上杉定憲は長尾 爲景打倒の叛乱を起した。
 〃    〃 上野国平井城主山内上杉憲政が関東管領と成る。
 〃    〃 下総国猿島郡古河城主関東公方足利政氏が年六十六才にして死亡し、高基が継ぐ。

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