| 1550年 天文19年 |
2月 |
越後国の長尾景虎が將軍足利義輝より白傘袋、毛氈鞍覆の乱として太刀一振、鵝眼三千疋を送る。 |
| 〃 〃 |
4月 |
北條氏康が税制を改革し役銭を統一す。 |
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7月 |
常陸国茨城郡水戸城主江戸但馬守重通が戸村に於て佐竹義宣と戰う。 |
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越後守護職て上條城主上杉定実が死亡し、春日山城主長尾景虎が国主と成る。 |
| 1551年 天文20年 |
1月23日 |
下野国宇都宮城主宇都宮廣綱は同国烏山城主那須太郎高資の部將千本通長を誘って味方と成し通長をして高資を殺害す。 |
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12月 |
小田原の北條氏康が上野国の平井城主上杉憲政を攻め、上杉方の菅野大膳、上原兵庫助らは逃走し、箕輪の長野業政や岩槻の太田資正らがわずかに五百騎を以て平井城に籠城し之れを防ぐ。 |
| 1552年 天文21年 |
1月初旬 |
上野国平井城主関東菅領山内上杉憲政は小田原の北條氏康の率いる二万余騎に侵略され、常陸国久慈郡太田城主佐竹義昭に加勢の出兵を依頼し、其の代償として上杉家の家名、原譜、重宝、関東菅領職などを譲る事を約束したが、佐竹義昭は佐竹家の由緒有る源氏の後裔なれば、家名の事は承諾出来ないが菅領職だけを申し受けられるのであれば早々に出兵しようと申し出たが、憲政は上杉家の家名滅亡を嫌って思い止まる。 |
| 〃 〃 |
1月10日 |
平井城主上杉憲政は北條氏康に攻められ密かに居城より脱け出し、越後国に落来たりて血脈親類の関係に当る春日山城主長尾景虎を頼りて旧領の回復を依頼し、景虎は其の頼みを承諾し関東出陣を決意し憲政を府内城へ迎へ入れ、憲政は上杉家の藤原鎌足以来の原図、関東菅領補任の綸旨、竹に飛雀の幕、錦旗、天国の太刀などを譲る事を約束す。長尾景虎は直ちに使僧を関東へ派遣して地方の情勢を調べさせる。上野国の平井城に留守居の家臣らは憲政の嫡子上杉龍若丸を小田原軍に渡して降伏し攻略され、北條氏康は叔父の北條長綱をして平井城を守らしめ、更に沼田城を堅固に普請し越軍の来襲に備える。 |
| 〃 〃 |
1月11日 |
上杉龍若丸は小田原に連行され一宮に於て誅殺される。 |
| 〃 〃 |
4月 |
長尾景虎が從五位下彈正少弼と成る。 |
| 〃 〃 |
5月 |
越後国の長尾景虎の放ったる使者が関東の情勢を調べて帰国し景虎に報告し、景虎は七月二十日を関東出陣と定めて各地の武將に其の用意を命じ、裨生城主平子孫太郎に出兵を求め、長尾政景に兵馬の進む道路の修理などを依頼し準備を成す。 |
| 〃 〃 |
5月24日 |
長尾景虎は関東へ出馬する爲めに長尾政景に其の準備を命じ山中の道路をなおす。 |
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8月 |
越後国春日山城主長尾景虎は平子孫太郎や庄田定賢らを先鋒として始めて三国峠を越して関東へ発向し、上野国の沼田に出陣し小田原方の属城を攻め、越軍の部將多却小三郎等は討死する。 |
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10月 |
長尾景虎が上野国の沼田より越後国に帰国す。 |
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12月29日 |
信濃国松本深志城主小笠原長時が武田晴信に侵略され長尾景虎に加勢を乞う。 |
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12月 |
下総国猿島郡古河城主関東公方足利晴氏は三男の義氏に家督を譲る。 |
| 〃 〃 |
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北條氏康は小田原の軍師で根来衆徒出身である金谷斉の遺跡を大藤与七に継がしむ。 |
| 〃 〃 |
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小田原城主北條氏康の次子新九郎が死亡す。 |
| 1553年 天文22年 |
1月 |
信濃国深志城主小笠原長時が武田晴信に追われて越後国に来たり長尾景虎を頼る。 |
| 〃 〃 |
1月 |
常陸国新治郡上ノ室城主吉原越前守安直の長男土佐守が常陸国に於て死亡す。 |
| 〃 〃 |
2月10日 |
越後国府内城主長尾平六郎彈正左ヱ門尉晴景が死亡す。 |
| 〃 〃 |
4月3日 |
小田原方の北條綱成が兵を発し海を渡って安房国の里見義弘を攻める。 |
| 〃 〃 |
8月 |
信濃国葛尾城主村上義清が武田晴信に追われて越後国に来て春日山城主長尾景虎に頼る |
| 〃 〃 |
8月 |
長尾景虎は村上義晴の頼みを聞き入れ、其の旧領回復の爲めに出陣し、信濃国の川中島に於て武田晴信と戰う。 |
| 〃 〃 |
12月8日 |
長尾景虎が宗心と号す。 |
| 1554年 天文23年 |
3月 |
北條氏康が駿河国に兵を出して今川義元と対戰し武田信玄は今川を援けて北條氏康と戰ったが間も無く北條氏康、今川義元、武田晴信らの三將が駿河国の善徳寺に於て会盟し、相模、駿河、甲斐の三国同盟が成立す。 |
| 〃 〃 |
5月16日 |
武田晴信が北條氏康に書状を送り相駿甲三国同盟の祈誠を述べる。 |
| 〃 〃 |
7月11日 |
常陸国真壁郡下妻城主多賀谷下総守家重が年七十五才にして死亡し、其子重政が継ぐ。 |
| 〃 〃 |
8月15日 |
常陸国小田城主小田氏治は部將新治郎土浦城主菅谷摂津守勝貞入道喜翁をして新治郡木田余城主信太勢守範宗を土浦城に誘って之れれを殺害し、土浦の神龍寺に葬り、法名を花林院殿喜山宗觀大彈定門と号す。 |
| 〃 〃 |
11月7日 |
下総国猿島郡古河城主関東公方足利晴氏、同藤氏父子が小田原の北條氏討伐を計画したが、北條氏康は部將松田尾張守憲秀をして逆に古河城を攻め破りて攻略し晴氏、藤氏父子を生捕りにして之れを相模国の秦野に幽閉して隠居させ、晴氏の三男で自分の甥に当る足利義氏の公方家相続を確認し小田原に迎へて関東公方に立て自分は其の後見管領代と成る。 |
| 〃 〃 |
12月15日 |
北條氏康は相模国秦野に閑居中の足利晴氏、義氏父子を鎌倉の葛西ヶ谷に移す。 |
| 〃 〃 |
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北條氏康の子氏政が武田晴信の娘を娶る。 |
| 〃 〃 |
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常陸国多珂郡日立十王の山尾城主小野崎慶通が死亡す。(多珂郡櫛形村友部)。 |
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介川將監通定が常陸国多珂郡助川に介川城を築く。 |
| 〃 〃 |
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越後国の上野家成と下平修理が争う。 |
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越後国北條城主北條高廣が長尾景虎を叛く。 |
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下総国結城政勝は水谷入道全仲をして小田方の部將で常陸国真壁郡真壁城主真壁久幹を離間断交させて味方と成す。 |
| 1555年 弘治元年 |
2月 |
越後国北條城主北條高廣が春日山城主長尾景虎に降伏す。 |
| 〃 〃 |
7月 |
長尾景虎が信濃国の川中島に於て武田晴信と戰う。 |
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10月 |
長尾景虎が信濃国より越後国に帰国する。 |
| 〃 〃 |
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北條氏康が武藏国に広汎の検地を行う。 |
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川中島の戰いに武田晴信は三百挺の鉄砲を動員す。 |
| 〃 〃 |
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小田原軍が安房国へ侵入す。 |
| 1556年 弘治2年 |
1月7日 |
常陸国小田城主小田讃岐守氏治と水戸城主江戸但馬守忠通の娘との間に嫡子彦太郎守治が生れる。 |
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2月下旬 |
常陸国の佐竹義昭、多賀谷政経、下総国の結城政勝、下野国の宇都宮廣綱、壬生綱房、千本義通等が連合して小田方の属城である常陸国真壁郡の海老ヶ島城主平塚山城守入道自省を攻める。 |
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3月5日 |
常陸国筑波郡小田城主小田氏治は真壁郡の黒子村に出陣して下妻城主多賀谷下総守政経を攻め、佐竹義昭、結城政勝らの加勢軍と戰い筑波郡手子丸城主赤松伯胤斉則定入道疑淵らを討取られて敗北し氏治は菅谷摂津守入道喜翁の新治郡土浦(またわ大塚とも云ふ)の城に逃入る。 |
| 〃 〃 |
3月 |
安房国館山城主里見義弘が北條領の相模国三浦郡を侵す。 |
| 〃 〃 |
3月 |
春日山城主長尾彈正少弼景虎入道宗心が隠退を決意す。 |
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4月5日 |
下総国結城城主結城左ヱ門督政勝が伊勢大廟に参詣せんと発向し途中相模国の小田原に至りしに、下野国河内郡宇都宮城主宇都宮広綱、常陸国筑波郡小田城主小田讃岐守氏治等が連合して結城を攻め、小田原の結城政勝は此の報せを受けて小田原城主北條氏康に援兵を頼み、氏康は承諾して武藏国の江戸城主遠山丹波守高俊、道景、岩槻城主太田美濃守を始め富永政家等の五百騎を結城の加勢として派遣し、下野国佐野城主佐野早人正顯綱、上野国館林城主茂呂因幡守忠季、常陸国下妻城主多賀谷政経、下野国の千本通長、梁田、一色、赤井、榎本等も古河公方足利義氏の命により結城へ加勢として集る。下野国壬生、鹿沼両城主壬生中務太夫末治、同下総守政廣父子は同国宇都宮城主宇都宮下野守廣綱、同孫三郎忠綱父子を攻め破って之れを降し攻略して結城へ来り那須五郎資胤も駆せ加わる、結城政勝は小田原の加勢を得て全軍を率へて発向し真壁郡の海老ヶ島に陣す、海老島城主平塚山城守入道自省は城の守りを厳重にして小田原軍の攻撃に備える。小田氏治は江戸、石川、尾上、宍戸等の諸將と二千騎を率へて出陣し海老ヶ島に於て小田原軍と対陣す。此の地は東西ともに悪処なり。結城政勝の子結城七郎晴朝が真っ先き馳けて小田勢に斬り込み結城の兵共大いに奮戰し戰い小田軍を破り、小田原勢の岩槻城主太田美濃守の兵等も悪処を越して小田勢を攻め一千余騎を討取り、遂に小田氏治は敗北して新治郡の土浦城に逃入る。結城政勝は大いに勝利を得て山王堂に集合し首実験を行う。 |
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4月6日 |
結城政勝は真壁郡の海老ヶ島、筑波郡の小田城を攻略し、小田氏の所領中郡四十二郷、田中庄、海老ヶ島、大島、小栗、沙塚、豊田等の地を攻略して所領と成す。 |
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7月24日 |
小田氏の部將常陸国新治郡小野崎城主新井三河守源雅輝が年七十三才にして死亡す。 |
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8月23日 |
土浦城の小田氏治は小田城を攻めて結城勢を追拂って攻略し、城を取り戻して帰住す。 |
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10月 |
北條氏康は上野国に於て長尾景虎方と対陣する。 |
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11月 |
結城政勝は結城家の新法度を制定す。 |
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12月 |
北條氏康は鎌倉葛西谷の足利晴氏、義氏父子を下総国葛飾郡の関宿に移す。 |
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越後国の大熊朝秀が長尾景虎を叛く。 |
| 1557年 弘治3年 |
3月27日 |
常陸国新治郡土浦城主新太紀八郎庄司範国が早世し、土浦の神龍寺に葬り、法名を玉窓院殿荷翁宗蓮大彈定門と号す。 |
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4月 |
越後国の長尾景虎が信濃国に出陣す。 |
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8月7日 |
下総国印旛郡佐倉城主千葉介利胤が年三十才にして死亡し、長男の胤富は公津城に移りて次男の新介親胤が千葉氏の宗家を継ぎて佐倉城主と成る。また一説には、佐倉城主千葉親胤が家臣に殺され、伯父の胤富が入って宗家を継ぐとも有り?。 |
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8月 |
長尾景虎は上杉憲政を御館城に移す。 |
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8月 |
長尾景虎は信濃国に出張し犀川を越して九備へに陣を立て、武田晴信も三万余騎を率いて馳せ向い川中島に於て対陣す。 |
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12月23日 |
北條氏康は常陸国の佐竹義昭の加勢を得て、下野国河内郡宇都宮城に壬生綱雄を攻める。 |
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12月 |
北條氏康は伊豆国修福寺の僧を八丈島に漂流した紀伊国の船乗衆を救助したる廉で褒賞す。 |
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武藏国橘樹郡小机城主笠原信爲が死亡す。 |
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長尾景虎が更科八幡や小菅元隆寺に願文を納める。 |