東国武将興亡録  786年-1335年 戻る

786年 延歴5年 桓武天皇の第五の皇子葛原高明親王が誕生する。
853年 仁寿3年 6月4日 一品式部郷葛原親王高明が薨じ、其子の高見王が継ぐ。
875年 貞観17年 慈覚大師が武蔵国の浅草に寺塔を建立する。
889年 寛平1年 5月12日 高見王の子高望王は宇多天皇の勅として平の姓を賜り、上総介に任ぜられ東国に下向して居住する。
 〃    〃 6月 一説に、高望王が従五位下上総介に任じ平姓を賜り東国に下向すと有り。
935年 承平5年 2月 相馬小次郎平将門が王命に背いて伯父常陸大掾平良望国香を殺す。
939年 天慶2年 11月 平将門が反乱を起す。
940年 天慶3年 2月2日 藤原忠文、忠舒、源経基ら節度師として東国に発向する。
 〃    〃 2月14日 平貞盛、藤原秀郷ら下総国猿島郡の岩井に於て平将門を討ち取る。
 〃    〃 寛項僧正が下総国柑子原に都高雄山不動尊の御堂を建立する。
1028年 長元1年 6月 下総国海上郡大友の前上総介平忠常が反乱を起す。
 〃    〃 本尊弘法大師作の常陸国河内郡谷田部の不動明王が草創する。
 〃    〃 上総権頭平忠常の叛乱の時に、下総国柑子原の都高雄山不動尊の御堂が焼失する。
1029年 長元2年 2月 平忠常が平直方を破る。
1030年 長元3年 9月 朝廷が平忠常追討の命を下す。
1031年 長元4年 6月 平忠常が源頼信に降服し連行の途中で病死する。
1050年 永承5年 中納言藤原道常朝臣が常陸国の国司に任ぜられ、栗原式部も之れに隨行し常陸国筑波郡の小田に下向し国司の補佐と成る。
1056年 天喜4年 8月 八幡太郎陸奥守源義家が陸奥国の浮囚長安部頼時、貞任、宗任父子を誅伐の時、下総国豊田郡石毛郷十一面山住人赤須四郎平政幹が参陣し、奥州阿武隈川の洪水を渡りて先陣し數度の戦いに軍功有り、義家公より御鎧と石毛郷を賜る。
1058年〜1064年
康平1年〜7年
源頼義が下総国柑子原に都高雄山不動尊を再建する。
1076年 承保3年 常陸大掾平清基が常陸国真壁郡下津間に城を築き、其子大掾盛幹をして之れを守らしむ。
1118年 元永1年 5月24日 従五位下下総権大介千葉常重と平政幹の娘との間に千葉常胤が誕生す。
1156年 保元1年 7月 保元の乱に栗原太郎信勝が軍功有りて、勲功として常陸国の信太、筑波、新治の三郡を拜領し、其子らは栗原、苅間、谷田部、坂井、強清水、山口、小野崎、久野、若栗、岡見等の地に居住す。
1180年 治承4年 8月 源頼朝が伊豆国に於て兵を挙げる。
 〃    〃 9月9日 下総国千葉城主千葉大介常胤が源頼朝の誘いに応じて其の麾下に属する。
 〃    〃 9月13日 千葉小太郎成胤、東六郎胤頼ら下総国の目代を攻め殺し、更に千田庄の千田親政を生け捕りにする。
 〃    〃 9月17日 源頼朝が下総国の国府に入り千葉常胤、千葉胤政父子に対面し、千葉父子は囚人千田親政を召し出す。
 〃    〃 10月 常陸国久慈郡太田舞鶴城主佐竹秀義は源氏の一門であり乍ら恩顧を受けた平家に味方を成し、源頼朝の上洛を背後より牽制し、久慈郡金砂郷の金砂山に於て頼朝の来攻を迎え撃って激戦したが遂に敗北して陸奥国の花園城(北茨城市)に逃れ、其の所領地である奥七郡の那珂東、那珂西、佐都東、佐都西、久慈東、久慈西、多珂や太田、糟田、酒出などを収公された。
 〃    〃 源頼朝の御祈師、円城寺津師房千葉日胤は高倉天皇に隨い光明山鳥井の本に於て討ち死する。
1181年 養和1年 7月 源頼朝が鶴ヶ岡八幡宮の造営の為めに、武蔵国の浅草住人大工守郷司を招く。
1184年 元歴1年 9月 千葉常胤が源範頼に隨って西海に趣く時、源頼朝より乗馬を賜る。
1185年 文治元年 1月 千葉常胤が豊後国に渡る。
 〃    〃 9月 源頼朝は片岡八郎経春の領地三崎庄を召放ちて千葉常胤に賜う。
 〃    〃 12月1日 千葉常胤は下総国より鎌倉に参上し、源頼朝に酒を献上する。
1187年 文治3年 8月 命を蒙り千葉介常胤、下河辺四郎行平ら洛中の狼籍者を鎮定する。
1188年 文治4年 7月10日 源頼朝の子万寿丸頼家が七才にして始めて鎧を着する。
1189年 文治5年 7月4日 近江国八田の住人従五位下兵衛尉八田四郎知家は千葉常胤と倶に陸奥国平泉城主藤原泰衡征討の為めに東海道の大将を命ぜられる。
 〃    〃 8月12日 源頼朝が奥州に発向し、千葉常胤は多珂郡の国府にて頼朝の軍に参会する。
 〃    〃 9月20日 奥州平定後に諸将等に奥州征伐の勲賞が行われる。
 〃    〃 源頼朝が千葉常胤に命じて、下総国柑子原の都高雄山不動尊の本堂を建立する。
 〃    〃 源頼朝が奥州の藤原泰衡征伐の時に軍利を祈らんが為めに下河辺行平を派遣し、関東八ヶ国の郡毎に神社を崇建し、下総国岡田郡今里邑の香取宮が建立さる。
1190年 建久1年 源頼朝が千葉小太郎成胤の軍功を賞して感状を与える。
 〃    〃 6月 千葉常胤が泰衡餘類の反逆を平定する。
 〃    〃 10月 源頼朝が上洛する。
1192年 建久3年 1月 武蔵国の住人愛甲三郎秀隆は的始めの式の射手を努める。
 〃    〃 7月 源頼朝が征夷大将軍に補任する。
 〃    〃 8月5日 源頼朝が千葉常胤を下総国の地頭職に任ず可き下文を与える。
1193年 建久4年 5月 源頼朝が駿河の冨士、下野の那須、信濃の三原に牧狩を催す。
 〃    〃 常陸国真壁郡下津間城主下津間大掾弘幹が鎌倉執権北條時政と不和を生じ、右大将源頼朝の命を得たる八田知家が下津間城を攻め弘幹を破って攻略し之を云えし後に小山下野守朝政が此の地を兼領し、次男の小山長朝をして下津間古城跡を修繕し之に拠らしむ。
1194年 建久5年 8月15日 将軍源頼朝が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮に詣る。
1199年 正治1年 八田知家が常陸国筑波郡の小田城を賜り小田の姓を名乗る。
1200年 正治2年 小山朝光が下総国結城郡の結城の地を賜りて城を築き結城姓を名乗る。
1201年 建仁1年 3月24日 下総国千葉城主六位千葉大介常胤が年84才にして卒し、其子千葉介胤政が継ぐ。
1206年 建永1年 嵬天和尚が常陸国真壁郡大串村の多宝院を開基する。
1212年 建歴2年 2月15日 千葉小太郎成胤が叛逆人の阿静房安念を捕押さえて鎌倉に送り、更に其の餘類を討つ。
1215年 建保3年 11月24日 真壁郡大串村の下妻多宝院の開基である嵬天和尚が入寂する。
1218年 建保6年 3月2日 常陸国筑波郡小田城主従五位下八田右衛門尉知家が年75才にして卒し、其子知重が継ぐ。
 〃    〃 4月7日 千葉小太郎成胤が病床に臥す。
 〃    〃 4月10日 下総国千葉上総介成胤が卒し胤綱が継ぐ。
1228年 安貞2年 3月 常陸国筑波郡小田城主贈三位小田筑後守知重が年60才にて卒し時知が継ぐ。
1238年 歴仁1年 3月 下野国小山城主小山下野守朝政が年84才にて卒する。
 〃    〃 武蔵国埼玉郡多賀谷郷の住人多賀谷左衛門尉家政は鎌倉将軍藤原頼経が上洛する時に其の後陣の隨兵に備わる。
1247年 宝治1年 3月13日 常陸国筑波郡小田城主従三位小田太郎左衛門尉泰知が年23才にして卒する。
1250年 建長2年 1月 多賀谷弥五郎重茂が鎌倉将軍藤原頼嗣に仕へて鎌倉の弓始を勤むる。
1252年 建長4年 2月 常陸国久慈郡太田城主佐竹義重が年六十七才にして死す。
 〃    〃 勧修寺修理大夫重房が丹波国の上杉荘に居住し上杉氏を名乗る。
 〃    〃 3月 丹波国上杉庄の上杉重房が関東に下向す。
1254年 建長6年 2月 下総国結城郡結城城主従五位下結城下野守左ヱ門尉七郎朝光が年八十七才にして卒し、朝廣が継ぐ。
1256年 康元1年 多賀谷景茂が後嵯峨天皇の皇子家尊親王に奉仕し弓始の器に撰ばれる。
1293年 永仁1年 1月 常陸国筑波郡小田城主従五位下小田常陸前司時知が年五十三才にて卒し宗知が継ぐ。
1306年 徳治元年 4月 常陸国筑波郡小田城主従五位下小田筑後守宗知が年四十八才にて卒し直知が継ぐ。
1331年 元弘1年 9月 千葉貞胤は鎌倉執權北條高時に隨って笠置の寄手に加わり笠置城を攻略す。
1332年 元弘2年 3月 千葉大介胤宗、千葉介貞胤父子が後醍醐天皇の隠岐国に移るの時に警固に加はる。
1333年 元弘3年 土岐大膳大夫頼遠の三男土岐彈正忠が下総国葛飾郡の柳橋に居住し城を築く。
1335年 建武2年 2月 常陸国筑波郡小田城主従五位下小田常陸前司直知が年五十三才にして卒し治久が継ぐ。
 〃    〃 8月 千葉介貞胤が足利尊氏に属し、相模次郎北條時行と戦う。北條時行が関東に蜂起し、武蔵国の女影原合戦に下野国小股城主渋川義季ら討死す。
 〃    〃 足利尊氏が北條氏の菩提を弔う為めに鎌倉の宝戒寺を建立し、惠鎮の開基なり。
 〃    〃 上杉憲房が上野や越後の両国に派遣され、上野守護職に任ず、然し間も無く死亡して憲顯が継ぐ。
 〃    〃 三浦高継が相模大介職を安堵さる。

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