不登校(登校拒否)とその後 30年前から現在まで
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はじめに
私のホームページ「不登校(登校拒否)とその後、30年前から現在まで」(以下、HP)を見ていただきありがとうございます。このHPは30歳代後半になった私の、30年以上昔の「登校拒否」時代のことを思い出しながらまとめたものです。
私は小1で三学期に登校拒否、小5から登校拒否。保健室登校を経て、引きこもり。中学年齢は引きこもり。高校は通信、昼間の4大に進学、現在会社員生活15年目です。
ネット検索で当HPにあたる人がおられましたら、なんらかの、共通体験をしている方だと思います。そのような方に見ていただけたらと思ってHPを作りました。
最近では高機能自閉症やアスペルガー症候群、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、LD(学習障害)などと不登校の関連を見る見方もあるようですね。
私は自分に障害があるなんて考えたことはないですが、不登校をめるぐ見方、環境が大きく変わっているのだろうなぁと思います。
私は小5の時に大学病院からもらった病名である「自律神経失調症」だと思っていたのですが、いまから振り返ると、死にたいと思っていたのと対人恐怖で閉じこもっていたこと、人前で緊張するようになったことから、「うつ」や「社会不安障害」が該当するのかな? まあ、障害や病気はちょっと横においておいて、見ていただければ幸いです。
小学校1年
私は、小学校1年のときに登校拒否をしました。学校が始まって、勉強できなかった。だれよりも何もできなかったなあと。そして、がんばって一度は学校に通いだすのですが、なぜか、3学期も登校拒否をしました。原因は?
原因を聞かれたり、いろいろ原因を探そうとしてくれたり。でも、これといったものはないような。勉強ができない、だから面白くない。というのだけで、学校に行けないのではない。好き嫌いの問題じゃない。行けないのだから。原因は?それは、理由はわからないが、「学校に行けなくなったから」。
もし、背景を考えると、感受性でしょう。言葉にはならないなにかを感じ取っていたのです。
振り返ってみると感受性の強い小1。つらく感じることが、30歳を超えてしまった今とは比較にならないくらい強くそして繊細で純粋だったのだと思います。それに、こどもって自分がすべてですよね。だれかにヘルプを出すやり方は知らないし、相談して、解決していこうといってもどうしても、親先導。こどもって、自分以外の選択肢がないのもつらいところですよね。
もう、30年前の話です。まだ、「登校拒否」という言葉ですら珍しく、まして、「不登校」という概念と、言葉はできていない時代のことです。
当時の先生方が不登校の原因として考えたのは、「なまけ」や「親の甘やかし」。学校に責任などなく、家庭の問題として片付ける雰囲気があったのを覚えています。だから、不登校は、別になまけているのではなく、行けないだけだったという真相はわかってもらえるはずのなかった時代です。
小1といえど「なまけ」「甘やかし」という言葉がグサッと来たものです。30年以上前のことですが、小学校の先生たちがこのようなことばを使っていたのを昨日のように覚えています。親戚もですよ。三つ子の魂百まででしょうか。だから、私は一部の親戚は今でもかかわりたくないと思っています。
そもそも、小学校低学年といったら、学業も大切ですが、「心」を育むことがもっと大切ですよね。特に自己肯定感を大切にすることだと思うのですが、当時の私の周囲ときたら、学業でもパンチをしてくるし、心の面でも否定してきたのです。大好きな親が周囲から否定されたのがとてもショックでした。
大人になってから、いまさらですが、自分と親を大切にできなかった力の無力さを感じます。
結局は、毎朝、登校の時間になると、泣きながら戦争をしたものです。なきながら抵抗すると、玄関から追い出され、鍵をかけられたものです。道路を引っ張られたこともありました。
登校してしまえば楽になると思われがちですが、そんなことはなく、つらかったのを覚えています。
3学期からは小1ながらいじめもあったので、それもいやでした。
ちなみに、いじめが原因でいやだったのではありません。いじめはそれほど負担にはなっていなかったのです。心の面が大きかったですが、今でも覚えているので書きますと、
いすが水浸しになっていた
いすに氷がおいてあった
机の中のものがなくなった
机の中ものもがゴミ箱にあった
ふでばこをカッターで切られた
無視
仲間はずれ
机に花があった
駄菓子屋でパシリにさせられた
万引きをさせられた
お金を家から盗んできておごらされた
今でも覚えているのはこんなものです。
こころのよりどころがないすさんだ状態だったと思います。
不思議なのは、いろいろなことがあったのですが、小学校2年からは復帰しました。我ながら強い。対策なんてありません。でもたぶん、行かねばならないという「〜しなければならない」の気持ちがそうさせたのでしょう。
勉強はできないし、仲間ともうまくいってなかったのですが、絶望的な状況ではなく、現実に戻っていったのです。こどものもつ柔軟性なのか、先生や親の努力の結果なのかはわかりません。私的には子供の頃のこころの柔軟性はとても広いのではないかということです。
不登校の原因は遺伝ではないし、先生でも友達でもない。親のしつけでもないし、つまりは、私が原因でしょう。と、今でも思っています。でも、子を持つ親となった今の私は、わが子が不登校になったら、これだけは、つまり、わが子の自己肯定感だけは大切にすることだけを忘れないでいたいです。