不登校(登校拒否)とその後 30年前から現在まで
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再び不登校
小学校5年の5月から再び不登校をしました。「ひきこもり」です。当時は「閉じこもり」といわれていました。6クラスまである小学校だったのですが、全校で私ともう一人くらいしか、不登校の生徒はいなかった25年前のことです。
ことの発端は腹痛でした。
当時、2週間の診断書をもらうのに、胃腸科の医院に行ったのですが、そんなのかけないと医師から冷たく言われたのを覚えています。母にも申し訳なかったといまでも思っています。
本当に痛かったし、突然来る痛みもありました。
このころ言われていたのは「大学にいけなくなる」「いい就職ができなくなる」ということでした。
でも、いつしか、朝のその時間にだけ腹痛が来るようになりました。お昼にはけろっとしてました。
ただ、精神状態は健康ではありませんでした。その時は、学校が怖かったです。先生がすごくこわくなっていました。先生だけではなく、友達も、近所も怖くなりました。そして、いつしか、外に出られなくなりました。いわゆるひきこもり。ヒッキーになりました。
大学病院まで回ってもらった病名は「自律神経失調症」当時の「はやり病」。
その後、外に出られないことが当たり前に。それでも、半年経た冬には夜間にちょっとだけ外に。でもいつも誰かに見られている感じがしました。当然のことですが、「制服」恐怖症でした。
その後も、一進一退でしたが、結局完全な「閉じこもり」になりました。私も親ももはやなすすべを失った瞬間です。
でも、がんばったんです。先生に家まで迎えに来てもらったり、保健室登校、なんてのもしたものです。よく頑張ったものです。おなかが痛かったです。痛かったこととをなぜか覚えています。
そして、6年生も「ひきこもり」。
そして、何もなく、中学生年齢になったのでした。
この時期は常に、死にたいと思っていた時期です。いま振り返っても、一番暗闇であり、死にたいという気持ちと一緒にすごした時期です。
いい思い出なのは、家でお菓子作りをさせてもらっていたことです。いろいろなものにチャレンジし、それを応援してくれた親には、感謝しています。
もうひとつが、パソコン。親が将来を心配して、買ってくれました。本体だけで15万位したはずですから、ディスプレイ、プリンタも含めると40万はいったのではないかと思います。でも、これがなかったら、本当の真っ暗闇になってしまっただろうと思います。感謝しています。
パソコンは非常に正直者です。こちらのプログラムを忠実に実行してくれます。つまり、間違えたらエラーを出しますが、成功したら、喜びを与えてくれるのです。やればやっただけのフィードバックがあるのです。これが閉じこもってしまった私の心と対話してくれたのです。自分のよりどころを作ってくれたのです。コンピュータがくれた自己肯定感です。