不登校(登校拒否)とその後 30年前から現在まで
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不登校のまま小学校を卒業
いまだったらフリースクールという選択肢があったかも。といっても、完全なひきこもりだったので、行けたか自信はありません。結局、小6は一日も登校しませんでした。
小学校の卒業は特例ということで認めてもらいました。卒業式も当然欠席し、卒業証書だけをもらいました。私にとって、暗黒の時代だったのですが、心機一転のチャンス、中学に無事進学したのです。
制服を買い、文房具を買い、体操着や、体育館履きなど、いろいろそろえてもらえました。
でも、それらの準備は無駄になりました。
中学には入学前に呼び出され、職員室に行ったことはありますが、先生の机の下に潜り込み、ひたすら泣いていたのを覚えています。情けないですね。中学は一日も登校しませんでした。
ひきこもりの自分が本当に情けなく、今でも親にはすまないと思っています。
先生が来るたび、おなかが痛くなったものです。先生もどうしたらという感じで、こまらせてしまいました。社会経験がないままだと「人間成長でだめだよ」と
この頃には、精神がだいぶ落ち着いていたのですが、人間として集団生活をしないとだめになってしまうという言葉が非常に重かったです。今振り返ると、自己肯定感なんてもてるはずがないですよね。相変わらずパソコンが話し相手。
このころ、勉強は母に教えてもらっていました。
進度はそれほどではなかったですが、外に出て恥じないよう、午前中の時間くらいを勉強に当てていました。
庭先で野菜などを育てるようになったのですが、だんだん面白くなり、だいぶ力を入れたものです。何も知らなかったのですが、通販で資料を取り寄せ、種も取り寄せ、室内は野菜だらけになりました。このころは自分なりに生活に手ごたえを感じるようになっていました。つまり死にたいばかりではなく、種をまいて、育つまでの長い期間が必要ですが、この待って育てるという体験が生きる意味で大いに参考になりました。
ひきこもりのまま、中一年齢、中二年齢、中三年齢になり、いよいよ卒業という時期になりました。
当時の母校・中学は一日も登校しない生徒を卒業させるか、留年させるかで議論があったようです。事実、不登校の他校の事例では留年させていた例があるようでニュースに取り上げられたものでした。
当時、近所の高校は限りなく無試験と同様でしたので、もしかしたら希望すれば入学できたかもしれません。
しかし、制服をみるのが怖かった私としては、とてもとても、通学なんて無理だと思っていました。
そこで、父が示してくれたのは通信制の高校。当時、新聞のテレビ欄の隣に、NHK学園(以下、N学)の広告がでていて、これはどうかというのです。通信制かー。全日制の高校に通学できるはずもなく、現実路線だなと思ったものです。
この現実路線が母校の中学で議論され、次があるなら卒業させようということになったようです。当時の中学としての大英断に感謝。親にも感謝です。