不登校(登校拒否)とその後 30年前から現在まで
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就職活動
就活は大学3年の2月から始まりました。当時、リクルートに企業情報を送ってほしいと手紙をだし、電話帳のような厚さの資料を何冊ももらうことができました。一方で、パソコン通信の時代から、学術ネットであるWIDEネット、そして、インターネットに移行する時代でしたので、採用ページを見ていたものでした。 就活としてはバブル世代が遠くかなたになり、ベビーブーム世代である私たちは経済の低空飛行とあいまって、超氷河期と毎年言われる中での就活でした。私は、理系なので文系の方よりかは研究室につながりのある企業や、大学への指定求人などがある分、恵まれていたのですが、それでも、大変な時代に入っていました。
就活の流れは、公務員かなじみの企業か。地元に帰って自治体を受けるかでした。
当時の面接会は20社でも集まろうものなら、会場には入りきらないくらい学生が集まったものです。結局、大学4年の7月までに専門に関連のある30社ほど受けていました。
それでも、内定は一社ももらえず、文系の他大学の学生のバイタリティと熱心さに、ただただ圧倒されるだけでした。
そんな私でも、「いままでの人生でこれほど勉強したことはない」と思えるほど就活に体当たりしていたのでした。企業を知れば知るほど入りたい気持ちで満たされ、不採用通知をもらうと絶望的になり、また、次の企業を調べると入りたい気持ちになり、そして、落とされる。その繰り返しでしたが、不安とのお付き合いの中で、自分のできること、やりたいこと、そして、仕事がしたいことがだんだんと見えてきました。やりは、自己肯定感がわたしを支えてくれたのです。
内定は突然でました。しかも、本命。先輩がたくさん入っている王道に内定したのです。信じられないくらいうれしかったのを覚えています。やっぱり、苦しかったし、なにより不安でしたから。生きていくエネルギーを不安が吸い取ってしまうような、魔物のようなものから一気に開放されたのですから。
期待を胸に就職しました。不登校再び
就職して1年2年と苦しいことばかりでしたが、何とかやっていました。その間、同期が転職するようになり、みんなとは一足ずつずれていきました。でも、自分なりに納得して仕事を続けていました。
5年目。転勤があって今までの価値観と新しい場所での価値観とのずれに驚いていたのも1年過ぎ、なんとなく惰性で流れるようになっていました。
余裕も持つようになったのですが、なぜか、怠け心というか、職場に行くのがつらくなってしまいました。
こんなとき、学生相談室が身近にあればなあと思ったもの。
自暴的にもなり、お酒に飲み込まれてしまいました。
次第に、離職したくなり、両親には仕事をやめたいと毎週のように話すようになってしまいました。
不登校再びです。
再び転勤
今度は自分から転勤希望を出し、それが実現しました。これで心機一転つまり、人間関係はリセットです。
出社拒否をしたい衝動があったのですが、この、転勤で気持ちがだいぶ楽になりました。転勤は嫌なものだと思っていたのですが、意外と副産物があって、このときの私は一つ成長することが出来ました。
なので、出社拒否の程度が軽くなりました。
その後も出社拒否の気持ちはずーと続くのですが、休むのは月に1日だけと決めていました。これで、なんとか、乗り越えられるようになったのですから、私もだいぶ変わっていまた。