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                                                                     20142.3 更新

 

会報・172号

  戦争する国≠ヨ向かう動きにノー≠! 第20回総会開く

 

 来年創立20周年を迎える富山大空襲を語り継ぐ会の第20回総会が、12月7日。県民会館で開かれ、20人近い会員が出席しました。冒頭のあいさつで、田中悌夫代表幹事は、「安倍政権の動きはとても危険。日本の国を『平和の国』から『戦争する国』に変えようとするのが安倍政権の狙いだ。日本は、戦争をしない国に向かわなければならない」と述べました。また、「出前講座」の感想が「会報」に掲載されていることに触れ、その中から「語り部の方が『どうして私が生き残ったのかと考えると、それは語り継ぐために生き残ったのだとしか思えない』と言われ、感銘を受けた」、「今は戦後≠ナはなく戦前≠ゥもしれない。将来は『戦争はいけない』と言える人になりたい」などの中学生の感想を紹介しました。

 総会の第T部・議事では、2012年度の活動・決算報告と2013年度の活動方針・予算・役員案が提案され、若干の討論の後、承認されました。質疑討論では、役員会の若返り≠竅A似たような悩みを抱える他県の「会」との交流を進めよなどの意見が出されました。(裏面に「活動報告」と「活動方針」を載せました。)

 第U部の記念行事では、松浦幹事が「『富山戦災写真帖』の写真を見る」と題して、先ごろ県立図書館に所蔵されていることが分かったこの写真帖の写真をパワーポイントで映写しながら、説明しました。その後の懇談では、「この風景は覚えている」、「あれはOOの土蔵だ」、「この近くに住んでいた」などと話がはずみました。 

 なお、来年夏の「富山大空襲69周年のつどい」は、2014年8月2日午後、県教育文化会館・集会室

で開き、田中悌夫代表幹事が「富山大空襲を語り継ぐ会の20年を振り返る(仮題)」と題して記念講演を

行うことになっています。

 

 

毎日新聞 8月5日付

惨禍を後世に    富山大空襲から68年

                             県民会館でつどい

 1945年8月1日深夜の富山大空襲から今月で68年。惨禍を後世に伝えようと、「富山大空襲68周年のつどい」が4日、富山市新総曲輪の県民会館で開かれた。                                                 市民グループ「富山大空襲を語り継ぐ会」(田中悌夫代表幹事)が95年から毎年開いている。この日は40人が参加。全員で焼く3000人ともいわれる犠牲者に黙とうした。また、和田雄二郎事務局長が、昨年から今年までに発見された当時の資料から大空襲の実態を解説した。                                                           和田事務局長は、愛知県春日井市の研究家、金子力さんから提供された公文書「空襲ニ対スル民心ノ動向に関する件」を紹介。空襲後に当時の特高警察が被災者の考えを聞き取った記録で、県知事から政府に提出された。                      「初めから逃げた方がよかった。無理に消火に努めた者が多く死んだ」という意見や「我々は政府に騙された」「一台も飛行機が出撃しなかった。軍は何をしているのか解らない」とする声など、空襲の被害を防げなかった当局への反発が高まっている様子が分かる。  また、和田事務局長は、米軍資料に空襲の目標は軍関係の施設などではなく、ほぼ市街地だったことが明記されていると指摘。「米軍による非人道的犯罪だ」と断罪した。【青山郁子】

                                              富山新聞 8月5日付

平和の尊さに思い新た

                        富山大空襲68周年のつどい

 富山大空襲68周年のつどいは4日、富山市の富山県民会館で開かれ、約50人が2700人以上の犠牲を出した大空襲に関する資料に理解を深め、平和の尊さに思いを新たにした。                                         富山大空襲を語り継ぐ会が主催した。大空襲の犠牲者に黙とうをささげた後、田中悌夫代表幹事があいさつ。和田雄二郎事務局長が194582日の富山大空襲の1ヵ月後に書かれた杉山與作氏による手紙や、米軍による高岡・伏木への空襲計画などを紹介し、「米軍による空爆の目標は全て罪のない市民が居住する人口密集地だった」と述べた。                             大空襲時、2日午前2時すぎに最高気温33.6度、最大瞬間風速20.5bを記録するなど、戦下の異常な富山測候所の観測データも示した。

                                            しんぶん赤旗 8月6日付

    悲惨な体験 風化させぬ

富山大空襲68周年のつどい

 富山大空襲を語り継ぐ会は4日、富山市内で「富山大空襲68周年のつどい」を開きました。                 1945年8月2日未明の大空襲の犠牲者に黙とうをしたあと、田中悌夫代表幹事が、結成19を迎えた会の活動にふれ、“出前講座”に寄せられた小中学生の感想文を紹介し、戦争の悲惨を若い感性がしっかり受け止めているとあいさつしました。                   和田雄二郎事務局長が「当時の資料から読み解く富山大空襲」と題して話しました。和田氏は、米軍資料を使って米軍の都市爆撃の目標はすべて罪のない市民が住む人口密集市街地だったことや、99.5%の市街地が焼かれた比類のない富山大空襲の全容を明らかにしました。 大空襲からわずか1ヵ月余の時期、県外の息子に出した父親の手紙に、焼失した市街の様子が生々しく描写されているのを紹介。特高警察が大空襲のあと民心の動向を調査した記録(国会図書館で発見)の中にある、被災者が政府にだまされたと怒りを爆発させているという記述に参加者が注目しました。                                               和田氏は、悲惨な体験を決して風化させず、再び日本を「戦争をする国」にしようとする憲法改悪のたくらみを押しとどめようと呼びかけました。                                                        会場いっぱいの参加者から多くの質問や感想が出され、平和への決意がみなぎりました。                                                                                                                 

                                                         

    

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