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| ■ ソニー・ロリンズとの共演について |
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| ●コルトレーンとロリンズのオフィシャルな共演の機会で現在わかっているものは3回(或いは4回)、予定されていながら実行されなかったものが1回ある。 |
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| ●1回目は1951年3月11日土曜日の午後、オーデュボン・ボールルームでのもので、コルトレーン自身の言葉によると、dance job だったという。リーダーはマイルス・デイヴィス。コルトレーン、ロリンズの他、ピアノにバド・パウエル、ドラムスがアート・ブレイキー、ベーシストは不明、さらにジャッキー・マクリーンも参加( sit in )したらしい。ディジー・ガレスピーのコンボに在籍していた頃で、スタジオ録音で初のソロをとった We Love To Boogie がレコーディングされたちょうど10日後のことだ。ロリンズはマイルスのバンドに在籍していた時で、プレスティッジでマイルスと初めてのレコーディングをした2ヵ月後。この当時の両者の残された音源を聴き比べると、ロリンズの凄さにコルトレーンが震え上がったというマイルスの証言もあながち大げさなわけでもないと想像できる。アイディアにしろ、フレージングの切れにしろ、ロリンズが上まわっているのは明らか。但しコルトレーンもひどい破綻やミスがあるわけではなく、それほど悪くない。コルトレーンにとってはバド・パウエルとの唯一の共演の機会でもあった。(註1) |
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| ●2回目は1956年5月24日水曜日の Tenor Madness のセッション。詳細はセッションの概観 →1956, 5/24. 及び → Tenor Madness へのコメント参照。 |
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| ●3回目も1956年で、マイルス・デイヴィスのバンドがカフェ・ボヘミア出演中の10月後半。2度目のマラソン・セッションが行なわれた頃。1回だけだったのか、幾晩かに渡ったのかは不明。詳細は→足跡4参照。Fujioka氏のディスコグラフィーでは1957年11、12月頃とされているらしいロングアイランド某クラブでの共演を Lewis Porter はここら辺に位置付けているが、根拠は明示されていない。もしそうであるなら、同時期の複数の機会ということでここに含めて良いように思う。 |
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| ●4回目、があるとすると上記ロングアイランドでのジャム・セッションが1956年10月頃ではなく、1957年の11、12月頃、或いはそのテープを聴いたことがある妙中俊哉氏による推定で1958年頃だった場合。音を聴けば少なくとも56年であるかないかは確認できそうな気がするが、テープはいまだ行方不明で公にされていないようだ。(註2) |
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| ●4回目或いは5回目で実現されなかった最後の機会は、1966年2月19日土曜日、リンカーン・センター、フィルハーモニック・ホールでの"Titans of the Tenor"と題されたコンサートでのこと。開催前から2人の共演が巷で噂されており、実際ロリンズが率いた自身のグループでのセットの最後に、コルトレーンのグループで再びステージに登ることを自らアナウンスしたらしいので、この共演が企画されたものであることが窺える。ロリンズはその気でいたわけだ。ところが暫しの休憩後登場したコルトレーンのグループは、マッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズが抜け、新たにアリス・コルトレーンが加わっていたのみならず、カルロス・ワードというアルト・サックス奏者に、アイラー兄弟というトンでもないおまけが付いていた。無論ファラオ・サンダースとラシッド・アリ、ジミー・ギャリソンもパーマネントなメンバーとして顔を連ねていた。 Om と My Favorite Things の2曲が演奏され、どちらが先だったか定かではないが、楽屋で待機していたロリンズは初めの数分を聴いただけで共演を断念しホールを後にしてしまった(だったら Om かな)。コルトレーンはそんなこととは知らずに(或いはわかっていたのかもしれないが)演奏を続け、My Favorite Things では短いソプラノのソロの後、アイラー兄弟に場を譲り、高音の大絶叫大会が始まった。これに他のプレイヤーが加わってフリーキーな喧噪に輪を掛ける段になると、聴衆は耐えられずに席を立ち始め、演奏が終わった時には半減していたという。 Tenor Madness でロリンズがジャム・セッションでよく演奏されていたという Royal Roost を選んだように、コルトレーンもなんらかの共通の場となりうるものを準備する配慮があってもよかったのではと思わないでもないが、当時のコルトレーンからすると、そんな余裕はなかったのかもしれないし、或いはフリーなフォーマットの下でアイラーと並んでロリンズに吹いてもらいたかったのかもしれない。しかし、このエピソードはロリンズとの実現しなかった共演というよりは、やはり何よりコルトレーンとアイラーのオフィシャルな唯一の共演ということで記憶されるべきものなのかもしれない。(註3) |
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| ■註 |
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註1).
• Coltrane A Biography / C.O. Simpkins, p.40. ("Jazz Review", 59年1月号掲載のAugust Blumeによるコルトレーンのインタヴュー)。
• 『コルトレーンの生涯』p.143〜144. (ロリンズの証言)。
• 『マイルス・デイビス自叙伝T』p.252。
• John Coltrane - His Life and Music / Lewis Porter, p.86. (Chapter9のNotes1, p.314に各証言の日付の不一致を掲げ、正しい日付が Ken Vail が見つけ出した広告によるものであることを付記)。
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| 註2).「チェイシング・ザ・コルトレーン・イン・USA」妙中俊哉.『ジャズ批評 / コルトレーン大全集』p.81。→本文へ戻る |
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| 註3).Ascension / Eric Nisenson, p.202∼203. →本文へ戻る |
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| (吉野) |
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