マチュピチュ 旅行記
クスコからマチュピチュへ
クスコからマチュピチュへは、観光列車PERU RAILで向かう。サン・ペドロ駅からマチュピチュ村のアグアス・カリエンテス駅までは110km、4時間の道のりだ。朝発の列車に乗るため、夜明け前の静まりかえった小雨のクスコを歩いて駅へ向かった。
空が明るくなり始めた頃、大勢の旅行客を乗せた列車がマチュピチュに向けて出発した。山の傾斜に建つ民家の間を縫うように、前へ後ろへとスイッチバックしながら進む。車窓から見えるクスコは雲で霞んでいた。
山を越えた列車は、ポロイ駅に一時停車し、その後は渓流沿いをスムーズに走るようになった。朝食セットのコカ茶を飲み終えた頃には、車内も暖かくなり、雨もあがって青空が広がり始めた。マチュピチュへと続く渓谷には濁流のウルバンバ川が流れる。
朝9時、天窓から差し込む光で眩しいくらいに明るくなった列車内は、車窓の景色をカメラで撮影する乗客で賑やかになった。こんな景色の中ならいつまでも乗っていたい気分だが、マチュピチュ村の終点アグアス・カリエンテス駅には、あと1時間で到着だ。
マチュピチュに到着する少し前、車窓からオリャンタイタンポ遺跡を見ることが出来た。この遺跡は、スペイン軍に抵抗するインカ軍が砦として使ったそうだ。この辺りを過ぎると谷が深くなり、鬱蒼とした緑が生い茂るようになる。
列車は、出発から4時間後の朝に標高2,400mのアグアス・カリエンテス駅に到着した。駅を降りてから宿を歩いて探し、Hospedaje Joeというオスタルにチェックイン。ダブルが二人で30ソル(1,200円)だった。標高3,600mのクスコから1,000m以上も降りてきたので気温が高く蒸し暑い。
マチュピチュ村へ着いたものの、今日は特にすることがないので周辺の散策に出かけた。村からウルバンバ川沿いをマチュピチュがある方へ歩いてみる。
頭上をインコの群れが飛び、周囲には美しいランがいくつも咲いていた。腹部の赤い大型のアリが行列を作る。少し変わったイナゴのようなバッタもいた。
1kmほど歩くとウルバンバ川に掛かる橋があった。この先がマチュピチュへと続く山道になっていて、左がバスの道、右はトレッキングルート。
マチュピチュ村のアルマス広場周辺には、たくさんのレストランが軒を連ねている。観光客の数と比べると供給過剰気味だ。どこもロモサルタードやピザなど同じようなメニューで、団体ツアー客向けの料金とバックパッカー向けの料金が設定されていた。夜になって雨が降り出したので明日の天気が心配だ。
マチュピチュ
朝に起きると雨は止んでいた。アンデスが雨期の11月~4月は、マチュピチュでも降水量が多く、渓谷が洪水になることもあるらしい。天気が悪かったら晴れを待つつもりだったが、薄っすらと青空も見えていたので支度をした。
村のツーリストオフィスでマチュピチュのチケットを122ソル(4,800円)で購入し、往復36ソル(1,400円)のシャトルバスに乗ってマチュピチュに向かう。日光のいろは坂のようなハイラム・ビンガム・ロードを登ると30分ほどでマチュピチュに到着。
遺跡内に入るとマチュピチュが朝日に照らされていた。遺跡には鳥のさえずりが響いている。まずはマチュピチュの背後にそびえるワイナピチュに登るため、真っ直ぐ登山口へ向かった。
マチュピチュが朝の太陽に照らされていたのは10分ほど。ワイナピチュの登山口まで歩いている間に、温められた空気が雲になって谷底から上がってきて、マチュピチュは谷ごと霧に包まれてしまった。
遺跡のある場所とワイナピチュの標高差は250m。山頂までは朝露に濡れた急な斜面をロープや手すりに掴まって登った。
狭い洞窟を這うように進み山頂へと向かう。
ワイナピチュ山頂には、登り始めてから1時間で到着した。山頂と言っても足場の悪い巨大な岩がゴロゴロしているだけ。ここからマチュピチュの全景を眺めることができるはずだが、谷底からの雲が遺跡を覆ってしまって、しばらく何も見ることができなかった。
岩の上で待つこと30分。雲が晴れてマチュピチュが姿を現した。ケチュア語で老いた峰を意味するこの遺跡は、遺跡の背後にあるマチュピチュ山から名付けられている。ワイナピチュは若い峰という意味の山で、この二つの山に挟まれた尾根にマチュピチュの遺跡がある。
日本の室町時代と同じ頃、クスコを中心に繁栄したケチュア族の大帝国インカは、皇帝アタワルパがスペイン人に捕らえられたことであっけなく滅びてしまう。スペイン人はインカの黄金を片っ端から奪い、インカの町を徹底的に破壊したが、ウルバンバ渓谷の奥地、絶壁の上に築かれたマチュピチュは見つかることがなかったそうだ。
マチュピチュには、750人ほどが住んでいたとされるが、居住時期や建造目的など詳しいことはわかっていない。マチュピチュの墓地とされる場所からは、173体のミイラが見つかり、そのうち150体が女性のミイラだったことから、インカ帝国滅亡後、マチュピチュの秘密を守るため、残された女性が葬られたとも言われている。
その後、400年近くもの間、歴史から忘れ去られていたマチュピチュは、1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムによって発見された。マチュピチュは、ほぼ完全な状態で残っていたため、インカの歴史を現代に伝える貴重な遺跡として、周辺の自然環境と共にユネスコの世界複合遺産に登録されている。
ワイナピチュからマチュピチュへ降りる道。足を踏み外したら本当に危ない。崖下に転落して死亡する事故が実際に起きているらしい。混雑を避けるためワイナピチュ登山は1日400人までに制限されていて、登山口で名前とパスポートナンバーをチェックするようになっていた。
下から眺めたワイナピチュ山頂。こんな高い場所にもギリギリまで段々畑が残っている。
花崗岩の山肌から石を切って建造したマチュピチュには、クスコでも見られるような石壁の住居が数多ある。遺跡を歩くと規模の大きさに驚いた。
マチュピチュの住居跡とされる場所で、崩れた遺跡の上にウサギのような動物がちょこんと座っていた。お腹に置いた前足が可愛らしい。勝手にマチュピチュウサギと呼んでいたが、後で調べると、ビスカーチャというウサギよりもネズミに近い動物だった。近づいたら石の隙間に逃げてしまって、それ以降は姿を見せてくれなかった。
昼になると、マチュピチュは各国のツアー客で混雑するようになったので、落ち着くまで見張り小屋のある高台で腰をおろして待った。ここからはマチュピチュとワイナピチュを一緒に眺めることができる。
遺跡には、切り出し途中の岩が残された石切場とされる場所も残されていた。
アンデスの語源となった段々畑アンデネスが何段も連なる。標高差を利用して、ジャガイモ、トウモロコシ、キヌア、コカ、イチゴなど、200種類以上の作物を栽培していたそうだ。
マチュピチュの住居区から眺めるウルバンバ渓谷。
ワイナピチュ登山もキツイが、階段だらけの遺跡を歩き回るのも結構大変だ。マチュピチュはしっかり見たければ一日では足りないくらいに広い。
マチュピチュには、太陽の神殿や三つ窓の神殿と言われる宗教的な施設もあるが、どれも精巧な技術で作られている。
朝から夕方までマチュピチュでゆっくり過ごした。遺跡も素晴らしいが谷の景色も本当に美しい。
マチュピチュ村の旧称は駅名と同じアグアス・カリエンテス村。スペイン語で温水とか温泉という意味で、その名の通り村には温泉がある。夜、疲れた体を癒すために温泉施設に向かった。10ソルのマチュピチュ温泉は、10m×10mほどのプールのような温泉がいくつかあって、地元の人たちが大人も子供も大はしゃぎで泳いだり潜ったりしていた。旅行者の姿は少なくアウェーな雰囲気。久しぶりにお湯に浸かれると思っていたが、温泉はぬるく、逆に身体が冷えてしまった。
マチュピチュ村滞在
今日はのんびりマチュピチュ村で過ごす。悪天候の場合を考えて、帰りの列車は余裕を持って予約していたので、駅で予約を変更してもらい、その後は村を散策した。
駅の前には、大きなマーケットがあり、たくさんの土産物が売られていた。言い値は高めだが、いくつかの店で値切り交渉をしてお土産を購入。原色使いの派手な織物や民族模様の陶器などは見ているだけで楽しい。
昼食後のティータイム。ペルーのお茶といったらコカ茶だ。微妙な風合いがクセになり、僕らはアンデスへ来てからコカ茶のティーパックを買って毎日飲んでいる。乾燥したコカの葉に熱湯を注ぐだけのコカ茶は、高山病の予防になるのでアンデスでは飲むことを推奨されているが、コカは日本に持ち帰ることができないので土産にできないのが惜しい。
マチュピチュからクスコへ
発のペルーレイルのバックパッカークラスに乗り込んだ。マチュピチュからクスコまでの帰りの列車は走るのが夜なので、天窓付きのビスタドームにしなくても良さそう。
列車がクスコに近づきスイッチバックを始めると、車窓からクスコの夜景を眺めることができた。マチュピチュ村を出発した列車は、過ぎにクスコに到着。荷物を預けていたオスタルChoquekiraw Innに再びチェックインした。続きを読む