チベット ヒマラヤ越え 旅行記
ラサからギャンツェへ
、ラサのゲストハウスに迎えに来たランクルに荷物を詰め込んだ僕ら五人は、ヒマラヤ越えの初日の目的地ギャンツェに向けてラサを出発した。ドライバーは、チベット族のワンゲン。口数は少ないがラサを去るときにサヨナラ、ポタラ!などと知っている日本語をボソッと喋るお茶目な男だ。ワンゲンは、出発してから30分ほど小声でチベットのマントラ(お経)を唱えながら運転していた。
ラサを出発して1時間半、車はどんどん標高を上げ標高4,794mの峠カンパ・ラの上に出ると、聖湖ヤムドク湖(ヤムドク・ユムツォ)を眺めることができた。まだ午前中のため雲が掛かっていたが、トルコ石という名前の由来通り青くて美しい湖だった。ランクルの中は暖房を入れなくてもそれほど寒くはないが、車から外に出ると気温が低く強風も吹いているので寒くてじっとしていられない。
4時間走ると周辺の景色は絶景の連続で、ドライバーのワンゲンに頼んで車を停めてもらって写真を撮ったりした。車内は禁煙なのでこういった休憩時に友人Kは一服するのだが、酸素が薄いため町で売っている1元ライターではなかなか火がつかない。
、先の道に土砂崩れがあったらしく、ランクルは舗装道路を外れてオフロードを進む。標高4,000mを超えるこの一帯は、荒涼と大地に砂漠が広がる。過酷な地で農夫が土を耕していた。
休憩の際は、ドライバーのワンゲンが他のドライバーとコンタクトを取り一緒に休憩する。安全のためだろうか。30分ほどの休憩中に大自然を堪能した。
ギャンツェ(4,040m)には、に到着した。町の背後の岩山にギャンツェ・ゾンと呼ばれる城塞が建ち、町にはパンコル・チューデという大きなチベット仏教のゴンパ(寺院)がある。ギャンツェの宿にチェックインして荷物を降ろしてからパンコル・チューデにコルラしに行った。
この寺院は、ギャンツェ王が1418年に建設を始めて1425年に完成させたもので、その後の1439年に建てられたパンコル・チョルテンという大きな仏塔が有名。中共の行った文革でほとんどの宗教的建造物が破壊されたが、境内にあるパンコル・チョルテンは破壊を免れたそうだ。
最上部にブッダの目が描かれた巨大な仏塔パンコル・チョルテンは、8階で構成されている。右回りにらせん状に階段を登ってコルラするようになっていて、各階には数多くの小部屋があり、各部屋には壁画や仏像、チベットの神々の像が置かれている。
各階にある小部屋の中は真っ暗でライト持参でないと何も見えないが、フラッシュを焚いて撮った写真を後から見ると、仏像や壁画の様子がよくわかる。仏像や仏画、神々を見て回るとチベット仏教の濃密さや奥深さを感じた。この小部屋を見て回っている間に雨が降ってきてしまったので、後半は急ぎ足で回ることになった。
パンコル・チョルテンから眺めるギャンツェの町。山の上の古城が幽玄な雰囲気を醸し出している。今日は日が暮れてしまったので、明日の朝、古城に登ることにして早めに宿に戻った。
僕らが泊まったのは、Jian Zang Hotelという二つ星ホテル。TV、シャワーに加えて久しぶりにバスタブが付いたダブルの部屋が180元(2,700円)だった。標高4,040mの寒い夜に温かいお湯に浸かって疲れを癒すことができた。TVでは大阪で行われている世界陸上が放送されていた。
ギャンツェからシガツェ経由でティンリへ
に起床し、古城ギャンツェ・ゾンを見に行った。この城は、967年に原型が建てられ14世紀に本格的な城塞となった。しかし1904年、鎖国を続けていたチベットに開国を求めて侵攻したイギリス軍によってわずか半日で没落し今に至っている。
城塞の中は見事に朽ち果てていて足場も悪い。地下牢や当時のままの大砲などが残っているが、補修などされておらず、岩山にある廃墟のようだ。
息を切らしながら最上部まで登ると、ギャンツェの町並みや周囲の麦畑が一望できて美しかった。出発時間が迫っていたので急いで城塞を降りた。
ギャンツェは、チベット第3の都市で人口6万人が暮らしている。ギャンツェ・ゾンのある町の中心部は朝から活気があった。
ギャンツェの町をに出発。羊とヤギが道路を塞ぐという可愛らしいハプニングはあったが、シガツェまでの道路は舗装されていて、ランクルの中でウトウトしていたら1時間半後にシガツェに到着した。
チベット第2の都市シガツェ(標高3,836m)は人口約9万人の大きな町。師弟関係にありながら政治面でダライ・ラマと対立してきた歴代のパンチェン・ラマを祀ったタシルンポという僧院が町の中心にある。
タシルンポの境内は、広すぎてゆっくり見て回っていたら日が暮れてしまうので、メインの部分のみを見て回った。驚いたのは、ダライ・ラマ14世がインドに亡命した頃に、中国の北京で政府の幹部となったパンチェン・ラマ10世の霊塔で、に急逝した10世のために中国政府が黄金500kgなど莫大な国費を投じたとてつもなく豪華なものだった。
タシルンポもラサのデプン寺のように境内がひとつの町のようになっていた。シガツェはこのタシルンポに立ち寄ったのみで、昼食後に再びランクルに乗り込んで今夜の目的地ティンリへと向かった。ティンリに宿泊するのは、翌朝エベレストのべースキャンプへ行くためだ。チベットからネパールに抜ける中尼公路を走れば世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)を遠くに眺めることができるが、その雄姿をもっと近くで見るためには、ティンリからベースキャンプまで行かなければならない。
シガツェからティンリまでの中尼公路も舗装されていて快適な移動だ。チベットの空は青い。これまでに見たどこの空よりも青く、群青色で塗りたくったような空だ。密閉与圧された青蔵鉄道の車窓から見る景色も素晴らしかったが、車での移動はこの空の下で究極に開放的な立ち小便もすることになるので、よりチベットの地を体感できる。青蔵鉄道はラサまで通っているが、今後はネパール国境まで延長する予定があり、近い将来この中尼公路の横に線路が敷かれることになるそうだ。
シガツェを出発して約3時間、中尼公路で最も高いラクパ・ラの峠で車を降りて海抜5,248mの石碑の前で写真を撮った。旅に出る前は、5,000mを超えるような場所に立つことなんて想像すらできないことだったが、それが現実になるとすごく遠くまで来たことを体で感じる。
空は青く、遠くにヒマラヤ山脈が見える素晴らしいポイントだったが、さすがに空気が薄くて風も強いので、10分も外に立っていられなかった。そして信じられないことに、こんな場所にも食べ物や金銭を求めるチベット族の物乞いがいた。ここを旅人が通ると知って集まる物乞いに何かくれと言われ、車の中にあるリンゴを渡そうかと思ったが、少し考えた末にやめた。
シガツェから約4時間半、途中でチェックポストがあり、腰に小銃を携えた公安の指示で僕らは全員車から降ろされた。ヒッチハイクなどでパーミットを持たずにここを通過しようとして見つかると、ラサまで強制的に送り返されたり、多額の賄賂を求められることがあるそうだ。小さな建物の中でパスポート番号と名前を記入し、何事もなく通過することができた。
ティンリの町に到着する直前、中尼公路からチョモランマを見ることができた。雲がかかり山頂が見える程度だったが、真っ白い塊が山の向こうにそびえていた。生まれて初めて見た世界最高峰だ。
ギャンツェからシガツェを経由して7時間でティンリ(標高4,390m)に到着した。中尼公路沿いに数件の宿や飯屋が並ぶだけなので町と呼べるほどの規模ではないが、ここで一泊して明日エベレストベースキャンプへ向かうことになっている。
ギャンツェやシガツェと比べても人の数も少なく、町もさびれている感じだが、立ち寄った飯屋の主人がすごく陽気で楽しい方だった。子供たちが元気に走り回っている姿を見てほっとする。
宿は五人部屋で1ベット35元のドミトリー。電気が夜間の一定時間しか通っていないうえに水道がないため、手洗いはドラム缶に溜められた雨水を利用する。トイレはひどいニイハオトイレで外でするほうがマシな位だった。そして夜は凍えるような寒さ。チベットの旅は過酷だ。
ティンリからエベレストベースキャンプへ
、チベットの空は重たい雲に覆われている。冷たい雨もパラつくなかティンリから約120km離れたエベレスト・ベースキャンプ(チョモランマ・ベースキャンプ)に向けて出発した。未舗装の湿原地帯を1時間ほど走ると、ゴツゴツとした岩や石の転がる荒れた山道になり、崖沿いで車の通行が危ない箇所では、車を降りて歩かなければならなかった。
森林限界を超えた荒地のドライブは健康器具のロデオボーイに乗っているようなひどい状態が続く。この車の中でただ一人ノートパソコンを持っている僕は、激しい振動でパソコンが壊れないようにひざの上でしっかりホールドしていなければならずキツかった。
わずかな草花が生えるだけの大地には、プレーリードッグのような中型のリス(マーモット?)がたくさんの巣穴を掘っていた。チョコンと座る姿が可愛らしい彼らは、時折僕らの前に姿を表してはすぐに身を隠してしまう。雪解け水が作る湿地に現れたキツネは、そのマーモットの天敵だろうか。
ティンリの宿を出発して約4時間後のに、標高5,000mちょうどの場所にあるチベット寺院ロンブク寺に到着した。ロンブク寺は、世界で最も高い場所にある寺院。この先のベースキャンプまでは、車の通行できないので歩いていかなければならない。寺院前の宿に荷物を降ろし、軽い食事をしてからベースキャンプに向けて出発した。
ベースキャンプ手前には、登山家やトレッカーのための簡素な宿泊施設が並んでいた。
ロンブク寺からエベレストベースキャンプまでは、約5kmの上り道。5kmくらいなら歩けるだろうと思っていたが、馬車を断ったことをすぐに後悔した。標高4,000mから5,000mになると気圧もさらに下がり、酸素濃度は低地の半分しかない。思っていた以上に体にこたえる。
上半身は服を重ねて、さらに雨具を羽織っていたので問題なかったが、下はジーンズだけで、膝の部分に穴が開いてしまっていたので風が入り寒い。これまで大丈夫だったが、ロンブク寺に着いてから始まった頭痛が悪化してきたので、ゆっくり歩くのもつらくなってきた。この薄い酸素ではマイコもかなりキツそうだ。
何度目かの休憩をしていると、さっき下の湿地で見たよりも大きなマーモット?が現れた。上空にはヒマラヤに生息するカラス、キバシガラスが飛んでいる。このキバシガラスは8000m以上まで飛び、ヒマラヤ登山家の食料を荒らすこともあるそう。
ロンブク寺から歩くこと約2時間、ついにエベレストベースキャンプに到着した。ベースキャンプというので野営設備のある場所なのかと思っていたが、中国人民軍が数名駐留する小さな詰所があるだけ。Mt. Qomolangma Base Campと書かれた石碑には、標高5,200mと書かれている。
運が良ければここから正面にエベレストが見えるはずだが、雲がかかってしまって見える気配がない。ラサでランクルをチャーターした際に、いまの時期にベースキャンプまで行っても山が見える確立は20%だ。と言われていたので、半分諦めていたが、西の空から雲が晴れてきたのでこの場所でしばらく待つことにした。
寒さに耐えながらエベレストが姿を現すことを願って2時間ほど待ったが、雲は地球上で世界で最も高い場所を覆い続け、その後もわずかに山肌が見えるだけ。姿を現すことはなかった。怪しい黒雲も出始めたので、諦めて宿に引き返すことにした。
ロンボク寺の宿は、標高5,000mちょうどの地点にある。宿のまわりはそこらじゅうにヤクがうろついていた。この宿も昼間蓄えられた電気で照明が夜間の数時間点いただけ。水場もないのでペットボトルの水でコンタクトレンズを洗った。Kと学生Aは、タバコを吸いたいのに酸素が薄いためライターが使い物にならず、携帯酸素を使ってライターに火を点けていた。
ヒマラヤを越えてネパール国境へ
ランクルはにロンブク寺の宿を出発した。昨日通った道を戻ってティンリの町を経由し、中国とネパールの国境の町ダムに向かうことになっている。また長い一日になりそうだ。
ティンリまでの荒野を走っている途中、朝は厚い雲がかっていて見えなかったエベレストが雲間から姿を現した。昨日のベースキャンプほど近くはないが、しっかりと8,850mの山頂を確認することができた。世界一高いその響きの持つ絶対的な魅力を味わうことができた瞬間だ。エベレストというより、神々の母を意味するチベット名チョモランマがこの場所からの呼び方に相応しいだろう。
この道を通る他の旅人を乗せた車も姿を現したチョモランマを見るためにエンジンを止めていた。
ロンブク寺を出発したランクルは荒野を走り、3時間後にティンリに到着した。何もない場所を走っているとこんな小さな集落に着いただけでもホッとする。二日前にここに泊まった際に利用した飯屋がおいしかったので、今日も同じ飯屋で腹ごしらえをした。
連日の長時間移動で疲労が溜まっているが、今日はネパールとの国境の町ダムまでこれまでで最も長い移動だ。車窓には美しいチベットの原風景が流れる。
ティンリからの40~50kmは標高4,500mの高原地帯の真ん中に1本の真っ直ぐな中尼公路があるだけで、村や集落などはほとんど見当たらない。道路沿いにはいつの時代のものかわからない小さな遺跡が点在していた。
ネパール国境までは、ラルン・ラ(4,950m)、タン・ラ(5,050m)と呼ばれる峠を越える。タルチョが風にたなびくタン・ラの峠で車を降りると、マニ・ドプンと呼ばれる積み石が足元に点在していた。巡礼者がこの峠をを越えるときに積んでいったのだろうか。遠くには少し雲がかかっていたがシシャパンマ(8,013m)ほか、ヒマラヤの大パノラマが広がっていた。
標高5,050mのタン・ラ峠を越えて国境に近づくにつれ、小さな山あいの集落が目立つようになってきた。まだまだ標高は高いが農家も点在していて、収穫の時期を迎えている様子だ。見える景色も徐々に変わってきたのでチベットの地から離れていくことを感じる。
ここまで順調に進んできたが、国境ダムの手前にあるニャラム(3,750m)で思わぬ足止めを食うことになった。に到着してパーミットのチェックをしたものの、これより先、ダムへ行くゲートは、にならないと開かないというのだ。待っている間にチベット各地からヒマラヤを越えてネパールへ抜けるために訪れた旅人の乗るランクルやジープなどが20台ほど集まってきた。そのうち、待ちくたびれた運転手がクラクションを鳴らしてゲートの係官を挑発したりしていた。
にゲートが開き、ようやく車列が動き出したが、先頭のランクルが土砂崩れの水たまりのなかで故障してしまい、ここでも1時間ほど足止めされた。標高3,750mのニャラムと標高2,350mのダムとの間はわずか30km。この短い距離で1,400mも一気に下ったので、空気が潤い酸素が多くなったのがわかる。森林限界も終わり周囲は深い緑で覆われるようになった。
陽が落ちて真っ暗になったヒマラヤの南部の山中を、何台もの四輪駆動車のヘッドライトだけが明るく照らしている。落ちたら確実にジ・エンドとなる足がすくむような崖沿いギリギリの道を車列がへばりつくように走り続ける。土砂崩れがあったり、崖から滝のように水が落ちていたりする下を車で通り、無事ダムに着いたのはだった。
ここで数日間に渡って運転し続けてくれたワンゲンとお別れだ。他のドライバーと比べてスピードを出さず安全運転の彼は、ラサに待つ奥さんと二人の子供のもとへ来た道を帰って行った。世界の屋根と言われるヒマラヤを越えてチベットとネパール間で旅人を運ぶワンゲンという男は、どんな世界観を持っているんだろう。ここまで一生忘れられないような景色の連続で、地球の大きさを感じる数日間だった。
ダムの町で泊まった宿は、1ベッド40元のドミトリー。喉が痛むほどカラカラに乾燥した寒い夜を過ごしてきたので、湿気っぽいのは嬉しいが、この町は町全体が霧に包まれたようにジメジメしている。宿の近くの飯屋で軽く食事をし、虫だらけのシャワー室で久しぶりのシャワーを浴びた。
チベットからネパールへ
朝、ジトジトしてカビっぽい宿をチェックアウトし、ダムの町を歩いて中国とネパールの国境へ向かった。
中国側のイミグレで出国カードに記入し、荷物のX線検査など簡単なチェックがあった。学生Aは、ビザの期限が1日過ぎてしまっていたが、ペナルティなしで通してもらっていた。ここからネパール側のイミグレまでは、ボロタクシーでいろは坂のような山道を下って行く。
深センから入国した中国の旅もようやくお終いだ。香港から桂林までのバスで出会ったチワン族の閻さんも、ラサからここまで運転してくれたチベット族のワンゲンも同じ中国という国に生きている。この国は本当に広い。日本にいると色眼鏡で見てしまう中国を自分の目で見ることができた。歴史も文化も宗教も世界観も違う50以上の民族をまとめるには、中共のようなやり方じゃないとダメなのかもしれない。理不尽なこともあるし、ツッコミどころもかなり多い。僕はこの国の素晴らしさを何ひとつ知らなかったので、それを知ることができただけでも旅ができて良かった。南シナ海の香港から中国を横断し、ヒマラヤを越えてついにここまで来た。続きを読む