
東大紛争の様子 |
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学生運動が全盛を迎えていた1967年(昭和42年)、現NPO法人『創る村』 代表の飴屋善敏先生が高校教員時代の教え子たちと共に、「社会を耕やすには、まず己を耕してから」という思いを実現しようと、『耕の会』を結成しました。
『耕の会』においては、現実の危機と向き合い、改善を試みるための学習活動、音楽を通して「芸術とは何か」「感動の根源とは何か」を研究する音楽活動を中心に、人間の生き方の普遍性を求めようと情熱を傾けてきました。 |
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そんな『耕の会』の活動に注目した、当時の町田市長 大下勝正氏の招へいを受け1973年(昭和48年)には、飴屋先生とスタッフ3名が町田市の職員として採用され、町田市の社会教育の場『ひなた村』が誕生。
「遊びの創造の村」と呼ばれた『ひなた村』においては飴屋先生をリーダーに10名余のスタッフがオペラや人形劇、冒険会を通じ、「万能グループ」という子どもたちのグループを生み、 さらには週1回の「ほがらかグループ」では老人の社交の場を提供、老若男女を問わず、村に関わった言わば「村民」は延べ3万人に達しました。
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(PDF:1.14MB)
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(建設中のバンガロー)
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1978年(昭和53年)には、活動の場を町田市だけでなく宮城県の日本三景松島湾に浮かぶ野々島に広げ、無人島での合宿活動を開始。
1980年(昭和55年)には創設者である飴屋善敏先生の宮城教育大学赴任を受け、奥松島(宮城県鳴瀬町新東名)に移転しました。
その際、東京より5人の中学生が飴屋先生を追いかけ転 校してきたことは、朝日新聞に「ガキ大将先生と小島へ」(PDF:1.54MB)と取り上げられました。
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さらには『創る村』における小学生から高校生の合宿活動と並行して、園舎を持たず、マイクロバスで川や野原へ直行し、子どもたちが自然の中で思い思いの遊びを創る移動幼稚園『青空幼児村』活動を行ってきました。
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⇒卒村式の様子はこちら(PDF:236KB) |
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1983年(昭和57年)には先天的な病を持つ合宿生のY君が、創る村の環境の中で、誰にも習わずソナチネを突然弾き始めたのをきっかけに、第1回『生き生きコンサート』を開催。
30年にわたる創る村の活動の中で、延べ18回の開催を重ねてきました。
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⇒次の生き生きコンサートはこちら(ブログへリンク) |
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現在は、理想人学校や「劇団創る村」等の活動を中心に、民主主義時代に求められる人材の育成を目指し、
教育基本法の前文(文科省HPへリンク)
「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。
この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」
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と書かれてあるような本来の基本法の理念を貫くモデル的教育活動の実践を継続しています。
なお、現在創る村は、フリースクールにディサービス・宅老施設を付設した複合施設『老莱子の家』(HPへリンク)を建設し、「一生涯を幸せに生きる」ための理想郷づくりを目指して、その実践と研究を進める活動を展開しております。
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NPO法人『創る村』代表
飴屋 善敏先生
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