創る村から。。。飴屋日記(飴屋先生の哲学について日々更新しています)
実践活動から生まれた哲学
飴屋善敏先生は高校教員として教鞭をとってから50年にわたって、わが国の社会及び教育の荒廃をいかに改善すべきかを、さまざまな実践の中で試みながら研究を深め、実践活動を通して社会に問題提起をしてきました。
創る村におけるフリースクール活動を通して、校内暴力、登校拒否、受験戦争など数多くの問題に悩める子供たちとともに、閉鎖的で疲弊しきった社会を、普遍的で正しい価値観によってつくり直していきたいと考えてきました。
(PDF:朝日新聞「校内暴力の底にあるもの」247KB)
本来の民主主義とは
前述の様々な問題が起こる根源的な原因として飴屋先生が指摘するのは、先の戦争に至る軍国主義下において、全体主義として個と全体のバランスが大きく全体に傾いてしまったことへの反動から以来60年、個の尊厳ばかりが民主主義社会の中で大切にされ、エゴイスティックな価値観が蔓延してしまっているのではないかという危機感です。
本来民主主義社会においては、一人ひとりの人間の「個人の尊厳」と国家・人類という集団の「全体の尊厳」を両立させなければなりません。そして、少数の選ばれたリーダーに国家を任せるという過去の政治形態がとれなくなった現代では、リーダーに代わって国民主権を担う私たち国民一人ひとりが、人類・種を存続させようとする普遍的な価値観とそれを実現させるリーダーシップを備える必要があると提唱されています。
(PDF:上毛新聞「自然と君が代」282KB)
教育基本法前文を守ることが教育改革への道
その実現のためには、哲学者イマヌエル・カント(1724〜1804)が「人間は教育的動物である」と言うように、正しい人間観や教育観に基づく民主主義教育が実現されなければならないのです。
そのことはすでに、「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」とわが国の教育基本法前文に述べられています。飴屋先生はこの教育基本法の前文の精神に立ち戻ってこそ、本当の教育改革、社会改革が実現されるものと考えました。
(PDF:毎日新聞「基本法の創造性を見直そう」228KB)
教育から福祉へ
基本法の前文にあるような、「民主国家を維持するためには、国民は常に自己を磨き、より普遍的な完成度の高い人間性を確立していかなければならない」という哲学が教育の現場で維持されることによって、そのことを子どもたちが好きになるような教育環境が作られるという考えのもと創る村の教育は実践されてきました。
そんな創る村では、完成に向かってより経験を積んだ人が尊敬され、後進の人間の成長の糧として尊重されるという、謙虚な自己確立への学びの姿勢が子どもだけでなく、大人にも浸透するようになりました。
その中で飴屋先生は、既にわが国において敬老の日として祝日を設け、尊重しようとしている「敬老〜老いを敬う」という言葉の本来の意味を実践の中で問い直していきたいと考えられました。
(PDF:河北新報「敬老を考える」532KB)
そして、福祉から教育へ
自己を磨くための心の教育は本来の敬老の精神を取り戻すことによってこそ導かれる。敬うということがどれほど大切であるのかを再確認し、「敬われる人間づくり」と、「敬う人間づくり」の教育を同時に進めることによって健全な民主主義社会が成立する。今日、わが国の大きな課題になっている高齢化社会は、この考えを充分に活用する教育を実践することによって、きわめて創造的に生かされると飴屋先生は考えました。
「多くの豊かな経験を持つ、年齢を重ねた人々に学びながら子どもたちは成長しなければならない。また同時に、高齢者はこの自分の使命をしっかりと認識し、世の中に役立つ喜びを持つことが大切である。」以上のような考えを基本にした、子供たちがしっかりと育ってゆける楽しい社会づくりを飴屋先生は目指しています。
(PDF:河北新報「祝う本当の意味考えて」265KB)