僕が散歩を終えて家に帰ると、原田さんはご機嫌でした。
例のアメリカ人の青年に会ってきたのだそうです。
原田さんがそこまで彼に固執する理由はよくわかりませんし、
同僚とは言え部外者の僕がしつこく知りたがるのは愚かです。
それが恋である、と言われれば納得せざるを得ません。
ただ、そうやって片付けてしまおうとすると、どうしてか
胸がもやもやするのです。
僕が情熱とは無縁の人間だからかもしれません。
自分に無い感情は時に慕わしいものです。
「ずいぶんご執心ですね」
少しだけ込めていた揶揄の意図に、原田さんは気付かなかったようです。
「ワシは、こんな仕事じゃし、
見とうもないもの沢山見とったからのぅ」
じゃから、リッちゃんが眩しいんじゃ。そう言って原田さんは
笑いました。
僕は、僕にあるまじき事ながら、いささか恥ずかしく思いました。
原田さんにあるのは、恋するものの覚悟だけです。
全てを粉砕しながら突き進む恋の情熱にとって、周囲からの揶揄
など足元の砂利、いいえもっと微細なものに過ぎないでしょう。
僕はそこを読み誤っていたことに気付きました。
「リッちゃんはな、わしの天使じゃ」
「僕にはわかりませんね。たかが下働きじゃないですか。
しかも金のためでもやむをえない事情のためでもない、
自らの意志で服従を選んでいる。とんだ変態だ」
自分でもどうしてこんな事を言ってしまったのかは不明です。
ただ、抗わずにはいられなくなったのです。
論破して、撃墜して、完膚なきまでにその恋とやらを
叩きのめしたくなったのです。
原田さんはびっくりしたように僕を見ました。
さあ、怒るといい。
原田さんの激昂を、僕は内心待ち構えていました。
しかし、それはとうとう訪れませんでした。
「服従に甘んじて歪まない。稀有な男じゃと思うが」
原田さんはごく平静にそう言っただけでした。
そうして出て行きました。
きっと恋しい人のために、また夜通し働くのでしょう。
誰もいない海辺に出て、膝を抱えて、少し泣きました。
これと同じ甘い痛みを、原田さんが受ける日が来なければいいと、
衷心より思います。
それだけの話です。