乱暴に握り締められてシワの寄った書類を机に投げ出して、上司は椅子をクルリと回転させた。
窓の外に面白いものが見えるわけでもないのに。
「俺は行かねーぞ、創立記念式典なんて」
「しかし、総帥の直々のご要請です」
舌打ちをしながら振り返る。幼児的な人だ。まっ、そこがかわいいけど。
「お前が行け。俺は…あー…ジンバブエに遠征に行ったときにかかったマラリアが
脳に来て臥せってるとでも言って」
「はい。お言葉どおりに伝えます」
自室に戻り、滅多に着ない礼服を取り出した。体に当てて、鏡を覗く。
そのまま微笑んでみる。
…くだらない。
●
式典を行う建物の周囲は人でごった返していた。
反戦運動の一環として、ガンマ団に対する抗議を行っているのだとラジオのニュースでは告げている。
当該地域は大変危険な状態になっております、近付かないで下さいとも。
私が乗っていたタクシーも、
さかんに気勢をあげる集団に囲まれて身動きが取れない。
私が着ていたガンマ団の礼服を見咎めて、タクシーのドアを蹴り始めた女もいる。
ハチマキ、プラカード、メガホン。
「殺人集団は解散せよ」
「血も涙もない鬼」
「戦争は犯罪です」
「お前達はただのテロリストだ」
なんか、ものすごい疲れる。好きにしてくれ。この際テロリストで構わん。
窓の外の顔は、それこそ血も涙もない鬼の顔だし。
「おい、発進せんのか。二、三人轢き殺せば大人しくなるんじゃないのか」
「いけませんよ、そんなの焚きつけの材料にしかなりゃしませんって。
お客さん、そんなにあの人たち喜ばせたいんですか?…
ちっ、多勢に無勢だと思って付け上がりやがって。
あーあードアがボコボコだよ。
首謀者から損害賠償請求できんのかなあ。できねえだろうなあ」
「アホくさ。降りるぞ」
釣りはいらん、と言って紙幣を何枚か渡した。
「降りるって…えっ、ちょっと、お客さん!」
特戦部隊ナメちゃいけない。自慢じゃないが、身が軽いんだ、私は。
●
実家の裏庭に生えている梨の木に登っていた。
秋には大量の水っぽい実がなる太い枝に座ると、葉と葉が擦れ合う穏やかな音がよく聞こえる。
脳裏では、泣き叫ぶ幼い友人の声が響く。
あつい、あついよ、ああ、ああ、
喉が詰まった。こめかみがずきずきと痛んだ。
ちょっと髪を焦がしただけじゃないか。
あの子が、私をバケモノって言ったのが悪いんだ。
幼稚な言い訳が自分をさらに惨めにしていることが分かっていて、
それでも止められない。
私は梨の木にすがりついて、悲しい時間を反芻する。
ごめんね、もう会えないの。だってお母さんが遊んじゃいけないって言った。
お母さんが、あの家の子はあぶないのよ、バケモノよ、って言った。
嗚咽する私の頭上で、空は青かった。雨上がりで、大きな虹がかかっていた。
虹の向こうに行けたらいいのに。
毎晩寝る前に兄弟が話してくれた、遠い遠い国へ。
「…よって私は、出自や信教、人種を以て入団者を制限する先代までの
やり方を撤廃しました。もっと他に重んじるべきことがあったのです。
能力、資質、そして何より当人の意志が」
はっと目が覚め、あわてて姿勢を正した。
なんてことだ、総帥のスピーチの最中に居眠りとは。
●
立食パーティーはせわしない感じがして余り好きではないのだが、
今日の料理は中々のものだ。イサキのタリアテッレがことに旨い。
白ワインで喉を潤しているところに、総帥が現れた。
「弟の代理で来てくれたそうだね」
「はい。隊長はジンバブエに遠征された際捕虜にクラミジアをうつされて、
今も臥せっておられますので」
あれ、ヘルペスの間違いだったか?
「ははは、君から少し気をつけるように言ってやってくれ、
あれは小さい頃からそそっかしくてね」
冗談が通じているのかいないのか、
とにかくそそっかしいの一言で済ませる神経は凄い。
「先ほどのスピーチ、すばらしいものでした」
「ありがとう。かなり時間をかけて考え抜いたものだ、
君のように反応してくれる人がいれば報われるよ。
たとえ夢の中で聞いていたのだとしてもね」
見られていたのか。
「ええ。お蔭様で、素敵な夢を見ました」
窓の外ではデモ団体がまだ気勢をあげている。
パーティーの華やかさにまぎれてぼやけた喚声は、遠い汽笛のようだ。
これも一幕の夢に違いない。私の生活は夢で成り立っている。
悪夢から、また別の芳しい悪夢へと。
「よろしければ総帥も、私と一緒にご覧になりませんか」
あなたと見る夢は、さぞ楽しいことでしょう。