乱暴に握り締められてシワの寄った書類を机に投げ出して、上司は椅子をクルリと回転させた。 窓の外に面白いものが見えるわけでもないのに。

「俺は行かねーぞ、創立記念式典なんて」

「しかし、総帥の直々のご要請です」

舌打ちをしながら振り返る。幼児的な人だ。まっ、そこがかわいいけど。

「お前が行け。俺は…あー…ジンバブエに遠征に行ったときにかかったマラリアが 脳に来て臥せってるとでも言って」

「はい。お言葉どおりに伝えます」

自室に戻り、滅多に着ない礼服を取り出した。体に当てて、鏡を覗く。 そのまま微笑んでみる。
…くだらない。



式典を行う建物の周囲は人でごった返していた。 反戦運動の一環として、ガンマ団に対する抗議を行っているのだとラジオのニュースでは告げている。 当該地域は大変危険な状態になっております、近付かないで下さいとも。 私が乗っていたタクシーも、 さかんに気勢をあげる集団に囲まれて身動きが取れない。 私が着ていたガンマ団の礼服を見咎めて、タクシーのドアを蹴り始めた女もいる。
ハチマキ、プラカード、メガホン。

「殺人集団は解散せよ」

「血も涙もない鬼」

「戦争は犯罪です」

「お前達はただのテロリストだ」

なんか、ものすごい疲れる。好きにしてくれ。この際テロリストで構わん。
窓の外の顔は、それこそ血も涙もない鬼の顔だし。

「おい、発進せんのか。二、三人轢き殺せば大人しくなるんじゃないのか」

「いけませんよ、そんなの焚きつけの材料にしかなりゃしませんって。 お客さん、そんなにあの人たち喜ばせたいんですか?… ちっ、多勢に無勢だと思って付け上がりやがって。 あーあードアがボコボコだよ。 首謀者から損害賠償請求できんのかなあ。できねえだろうなあ」

「アホくさ。降りるぞ」

釣りはいらん、と言って紙幣を何枚か渡した。

「降りるって…えっ、ちょっと、お客さん!」

特戦部隊ナメちゃいけない。自慢じゃないが、身が軽いんだ、私は。



実家の裏庭に生えている梨の木に登っていた。
秋には大量の水っぽい実がなる太い枝に座ると、葉と葉が擦れ合う穏やかな音がよく聞こえる。 脳裏では、泣き叫ぶ幼い友人の声が響く。
あつい、あついよ、ああ、ああ、
喉が詰まった。こめかみがずきずきと痛んだ。 ちょっと髪を焦がしただけじゃないか。 あの子が、私をバケモノって言ったのが悪いんだ。 幼稚な言い訳が自分をさらに惨めにしていることが分かっていて、 それでも止められない。 私は梨の木にすがりついて、悲しい時間を反芻する。
ごめんね、もう会えないの。だってお母さんが遊んじゃいけないって言った。
お母さんが、あの家の子はあぶないのよ、バケモノよ、って言った。
嗚咽する私の頭上で、空は青かった。雨上がりで、大きな虹がかかっていた。
虹の向こうに行けたらいいのに。
毎晩寝る前に兄弟が話してくれた、遠い遠い国へ。




「…よって私は、出自や信教、人種を以て入団者を制限する先代までの やり方を撤廃しました。もっと他に重んじるべきことがあったのです。 能力、資質、そして何より当人の意志が」

はっと目が覚め、あわてて姿勢を正した。 なんてことだ、総帥のスピーチの最中に居眠りとは。



立食パーティーはせわしない感じがして余り好きではないのだが、 今日の料理は中々のものだ。イサキのタリアテッレがことに旨い。 白ワインで喉を潤しているところに、総帥が現れた。

「弟の代理で来てくれたそうだね」

「はい。隊長はジンバブエに遠征された際捕虜にクラミジアをうつされて、 今も臥せっておられますので」

あれ、ヘルペスの間違いだったか?

「ははは、君から少し気をつけるように言ってやってくれ、 あれは小さい頃からそそっかしくてね」

冗談が通じているのかいないのか、 とにかくそそっかしいの一言で済ませる神経は凄い。

「先ほどのスピーチ、すばらしいものでした」

「ありがとう。かなり時間をかけて考え抜いたものだ、 君のように反応してくれる人がいれば報われるよ。 たとえ夢の中で聞いていたのだとしてもね」

見られていたのか。

「ええ。お蔭様で、素敵な夢を見ました」

窓の外ではデモ団体がまだ気勢をあげている。 パーティーの華やかさにまぎれてぼやけた喚声は、遠い汽笛のようだ。 これも一幕の夢に違いない。私の生活は夢で成り立っている。 悪夢から、また別の芳しい悪夢へと。

「よろしければ総帥も、私と一緒にご覧になりませんか」

あなたと見る夢は、さぞ楽しいことでしょう。