「済みましたか」

通信室から戻った俺に、 部下は氷の美女さながらの冷めた眼差しを向けた。
戦場において炎を吐く体は、 今は熱を失って弛緩したままソファに投げ出されている。

「済んだ」

額にかかる黒髪を撫でてやるとうっすらと目を閉じる。
部下本人は自分のエロティックさにとんと無自覚なのだと 知ったのはもう随分昔だ。

「映像付きの通信ってのも良し悪しだな。 見たくもねぇ身内の醜態見ちまった。 『総帥閣下』は半狂乱だぜ」

錯乱、と形容したいほどの狼狽ぶりだった。 あんな兄を最後に見たのは、誰かさんが右眼を捨てた時、いやもっと前だったか。

「大事な石ころ一つなくしたからってな」

揶揄するように言っては見たが、どうにもしっくり来ない。
兄のともすれば幼稚とも取られかねない行動様式が、 すべて常人離れした意志の力と周到な計算に基づいて構築されていることは よく知っている。
兄が石に執着するのは、その価値を知っているからだ。
ただ俺は兄とは決定的に違うところに立っていて、どうしても目的を共有できない。
それはもう、昔から。

「いいではないですか、 絶大な力をもたらしてくれる綺麗な石にこだわるのも。 人は老いますが石は老いません」

「老醜はさらさんだろうが、砕けるだろう」

細く上げた瞼の奥で黒い瞳が光る。
鉱物に喩えるには有機的に過ぎて。

「だからいい」



ここへ置いておいたはずなんだ。
クッションをひっくり返してみる。
本棚の中は残らず調べた。
あのガーゴイル面の親父ならトイレへ持ち去ったという線も捨て切れない。
どうして見たい時に限って見つからねーんだろう。
無駄だろうけど、一応中国人にも聞いておこう。

「なぁなぁ、俺の5月号のルオモ・ヴォーグ知らね?」

「ああ、借りてる」

言われてみれば、俺が探していた雑誌はマーカーの膝の上にあった。
意外だ。
こいつが女もいないくせして 「あの子を落とす10のセオリー」とか 「必殺モテ香水はこれだ!」とか読んでるのか。 あれ、イタリア語読めたっけ?
それとも各ブランドの新作コレクションに多大なる興味を払ってるのか。 実は中国服の下はイブサンローランのシャツだったらどうしよう。 毎晩エスティローダの美容パックしてたらどうしよう。 ジバンシーの顧客リストに名を連ねてたらどうしよう。 (最年少の顧客は七歳の女の子だそうだ!)

「返そうか?」

「ううん、いいよ。一緒に見よ」

だって何読んでるか知りたいんだもん。 革張りのソファの隣に腰掛ける。 イヤそうな顔をされるのはいつものことなので気にしない。

「『特集:カルティエとのコラボレーション』かあ。 ステキねー」

地面に埋まってた石を掘り出して磨き上げて、 ここまで加工する執念と技術はスゲーよな。
顔を上げて同僚の視線を追うと、やっぱし感動してるらしい。 じっと写真を見ている。
食い入るようにっていう表現はどうにも陳腐だとおもうのだけど。

「マーカー、アクセ好きなの?」

「私はきれいなものしか好きじゃない」

目の保養になった、ありがとう、と呟いてそのまま行ってしまった。
なるほど、宝石みたいにきれいじゃないから嫌いなわけだ、俺のことは。
いいさ。
そんなこと気にしてたらバカみたいだし。




仲良くしたいっていけないことかな。



「やる」

放り投げられた箱を両手で受け止める。
赤い包装紙。自分で包んだんだろうか、ひどく素人臭い。

「自作の手榴弾なんかじゃないでしょうね」

「あに言ってんだよ、店で包んでもらったんだぜ、それ」

ああそうか。西洋人は不器用なのだった。

「開けていいんですか」

「むしろ開けろ。俺の目の前で」

リボンを解く。
包装紙を丁寧にはがす習慣は上司には奇異にうつったようだ。
あらわれたビロード張りの黒い箱を開ける。
赤い光。私のいちばん好きな色。

「ルビー、ですか」

「正確にはルビーをあしらったチョーカー、だ。 『鳩の血』とかいう値打ちもんらしいぜ」

お前に似合うと思ってな、と上司はあからさまな底意を見せて笑んだ。
よろしい、あなたの出方を伺いましょう。

「私に何をお望みですか」

頼むから代償を請求するくらいの善良さを持っていてくれ。
忠誠でいい、将来でいい、生命でいい、身体でいい、何でも払います。
私は無償の好意の重さには耐えられない。

「別に」

焦らさないで下さい、糸が切れそうだ。

「俺はただお前がそれ付けるだけでいいんだ」

「ほんとうに?」

「ほんとうだ。だからなにも考えるな」

いつのまにか上司は立ち上がって私の首に手をかけている。
くだんの寄贈品を持って。
金属の温度が徐々に、徐々に私の肌の温度と同化してゆく。



俺、なんも、見てねえよ。
ほんとだって。

ぐぇ。

痛。痛。いたた。

ダメだって、言えねえ。
殺されちまう。

え?
中世の拷問?
ネズミに腹を食い破らせる?
お前ネズミ好きだからいいだろって…そんなあ。


わかった、言うよ。
俺がバラしたなんてマーカーにゃ言うな。



ゆうべ、喉かわいたから水飲みに行ったんだよ。
で、廊下から洗面所の灯りついてるの見えたから、変だと思って。
見てみたらでかい鏡の前でマーカーがクルクル回ってるじゃない。
高そうなチョーカーつけて。
はまってるルビーなんか、もうガラス玉みてーなリアリティのなさ。
うれしそうなの。
なんか、年上の男に向かってこんなこと言いたくないけど、かわいいの。
表情とか別に普段とかわんないんだけど、口の端だけちょっと上に上がってて。
夜中にコスメ研究してる十代の女の子みたいだったの。
見ちゃいけないもの見た感じで。


しばらく見てたら、見つかって、口止めされて、それだけ。
マーカーの野郎、顔マジ真っ赤にしてやんの、おっかしかった。
他には、なんも。



ロッドなんでそんな事知りたかったんだ?



え?
俺の口の堅さをチェックした?
あとはさっきから全部聞いてたマーカーにまかせる?






そんなあ!