一年生の夏山絵日記(復刻版)


暑い夏の夜に、ウィスキーのロックを転がしながら、若い日のロッククライマーたちのお話をしましょう。



1972
年。夏。

夏の合宿は40日。北アルプス劔岳の劔沢からさらに黒部の谷に奥深く入る真砂沢は、学生クライマーたちの殿堂・天国。
ただし、天国と地獄は同居する。

入山のリュックは60キロ。重い。40日分の食料と、特大テント、登攀道具のガチャガチャなる金物やザイルをいっぱいしょっているので、めちゃくちゃ重い。クラクラするほど重い。
おまけに、昨夜の上野駅で、K山さんたち優しいOBが見送りに「元気でな」とスイカをふたつも持たせてくれたものだから、泣きたいくらい重い。

入山して始めの2日間は、雪のトレーニング。
雪の急斜面からドンと突き落とされて、ピッケルとザイルで安全に止まる訓練。もし失敗したら本当に下まで落ちてしまうので、安全のため横断に溝を掘り、ザイルを二重に張って、これで止まる。
雪の山で滑ったら、その瞬間にクルリと体をひるがえして、全身の一撃でピッケルを雪に打ち込んで、サクッと止まらなければならない。1発目を失敗したら2発目はなく、自然の加速度でそのまま谷の下にサヨナラなので、この基本動作を体が覚えるまで、リーダーのS村さんが「うんいいよ」と言ってくれるまで何百回も練習する。この基本動作ができないと、雪の山に入れてもらえない。山岳部と呼ばれない。5月の新人歓迎合宿と6月の"脳力"強化合宿ででよく教わったので、ここはそのおさらいだ。

次の2日間は、岩のトレーニング。やはり、岩場からドンと突き落とされて、安全に落ちる作法と、落ちたパートナーをザイルで止める技術。同時に怖さに慣れる。慣れないけどね。やっぱり怖いもの。
パートナーが落ちたときに、安全に止める技術は結構むずかしく、ザイルをグッと握ってガクンと止めると衝撃が大きくて、ケガしたりハーケンが抜けたり、へたするとザイルが切れるし、かといって、タイミングがわるいとパートナーは本当に墜落して、自分も一緒に落ちる。怖い。
こればかりは体で覚えるしかないのだとか、自転車と同じなのだとか、、

このような基本動作の習得は、脳が覚えるのでなく、筋肉が覚えるのだそうで、いちど覚えたら忘れないのだそうで。

サブリーダーのK杉さんから、「いいかい?ザイルは優しく扱うんだよ。ぜったいに踏むなよ。落っこちたやつを止めるときは、けっして急に力を入れてザイルを握ってはいけないよ。ザイルは彼女のおっぱいに触るときのように、そーっと優しく握るんだよ。わかったかい。」と教わったけれど、ぼくはまだ彼女のおっぱいに触れたことがないので、よくわからなかった。

劔岳
長次郎谷から、
きょうは八ツ峰から劔へ。
あすは源次郎尾根から劔へ。そして帰りは平蔵谷を一気にグリセード。
70度の斜面のグリセードは、ほとんど墜落で、下降一直線の天然ジェットコースター。ヤッホ→

そして、あすから楽しいロッククライミングのはじまり。
ロックンロール!!





(つづく)

雪トレと岩トレをクリヤして、5日目からいよいよ楽しい岩登り。

劔岳には、数え切れないほどたくさんの登攀ルートがあり、今日はここ、明日はここと岩登りに明け暮れる10日間。
ジャンダルム、チンネ、クレオパトラ・ニードルといった尖った岩場は、ほとんど垂直にまっすぐの数100m。
怖くて、足はガクガク、手はブルブル。「あれっ。やば。落ちるかな?」と思ったら本当に落ちる。「エッ!?うそ」と思う間もなく、その瞬間、支えていたはずの足と手の力がスッっと抜けて、景色がクルリと空になって、20メートルくらい落ちる。重力の法則。けれど、落ち方の練習をしたので大丈夫、宙ぶらりんになってもなんとか元に戻るのさ・・…というのは簡単だけど、その時は、死にものぐるいでねー。はあー、、

もっと怖いのは落石で、上にいる人が誤って落とす。落とすまいとしても落ちる。気をつけていても、引いたザイルが浮石に当たったりしてポロッと落ちる。ガラ・ブーンと血の凍るようなうなり音で、自分の横を落ちていく。これに当たるとヘルメットなんて役に立たないよな。
で、自分だって落とす。落としたらすぐに下に向かって「ラーク!(落)」と叫ぶんだけど、まもなく下から、「バッキャロオー!てめーなんか石と一緒に落っこちて死んじまえー!」と、返事が返ってくる。「ゴッメーン」なんて。

ロッククライミングってのは、恐怖と緊張をしょって、頂上を目指して黙黙と岩を攀じる孤独で崇高な作業と思っていたけど、じつは、違う。大声が勝負のチーム・ワーク。大声でワーワーわめきながら登る。
「ザイル張って。張りすぎ。もーすこし緩めて。そーそー。。」・・「違ーう。ザイルの通し方が逆ーっ。それだともつれて動けなくなるよ。」・・「カラビナきちんと回せ。」・・「右足をもーちょい上にもってかないと、次の左をのせる所がなくなっちまうよー。よく見ろよ。」・・「そっちのハーケンよく打っとかないと危ねーぞ。グラグラしてる。」・・「青張ってー。赤じゃないよ。青だってば青ーっ。」・・「OKおーけー。その調子。そこのテラスで確保したら一本(休憩)ねー。」・・「はーい」などと、ワーワーギャーギャー叫びあいながら攀じ登る。大声が勝負。
アドレナリンが沸騰し、脳ミソにはベータエンドルフィンがしみ出てきて、ハイな状態。

そして登頂。「登頂ーっ!!」と、ギュッと固い握手。強烈な開放感。スカッと爽やか。そして長居せずすぐ降りる。クールダウン。
アプザイレン(ザイルにぶら下がってスルスルと降りる)や、グリセード(ピッケルを舵にして雪の斜面をスケートのように滑降する)。70度の雪の斜面をものすごいスピードでヒューーーン。途中、ところどころに口を開けてるシェルンド(クレバス)をピョーーンと飛び越えて、空飛ぶクライマ→!! ヤッホー!!

昼過ぎにはベースキャンプに戻って、あとはのんびり〜、散歩したり谷で水浴びしたり(雪解けの新鮮な0度の水はものすごく冷たくて)、図鑑を持って高山植物を調べたり、カモシカを調べたり、卒論の勉強をしている人や、明日下山して就職試験を受けに行く人や、オペラ好きと演歌好きが一台のラジオを使う交渉をしていたり、そして、みんなで晩御飯のしたく、ニンニクをたたいて餃子の皮を包んだり、ワラジのようなコロッケを揚げたり。
雪渓で冷やしたスイカをわざと大小に切って、ジャンケン。10人が一度にするから時間がかかる。「うー。ぼくが運んだのに一番ちーせー。」。。。
そうこうしていると、OBのO阪さんが、「おーい、やってるかい^^。」と、ビールをしょって訪ねてきてくれて(ここに来るだけで2日がかりなのに)、「いっただっきまーす」ゴクゴク。プハーッ○☆!「わー、うっーめーっ!!」ってね。

やがて夕焼け、黄昏て、雪渓を渡る風は涼やか。
「明日はこことここだな」とルート図に印をつけて、「よーし。明日も行こうよ!」

こうして、ベースキャンプの一日は涼しく静かに暮れて、真砂沢の雪渓に星が降り、
誰かがハーモニカを吹いている。

  ♪星が降るあのコル グリセードで あの人は来るかしら 花をくわえて
   アルプスの恋歌 こころときめくよ なつかしの岳人 やさし かの君♪

                                                   おやすみuu☆<=・・



(つづく)

2週間のロッククライミングを堪能したら、ベースキャンプをたたんで3週間の縦走に出る。
後立山連峰ルート隊(ゴタテ隊)と薬師岳ルート隊(ヤクシ隊)の二手に分かれ、三俣蓮華岳で合流再会して槍ー穂をめざす。

しかし今日までに、予定メンバーでケガしたなど数人は、すでに下山。
昨日も、顔にピッケルを突き刺したT原君が、K杉さんに「おまえ口がふたつになってやんの。」と、優しく付き添われて下山した。
リーダーのS村も卒論のため下山。

さあ。残った部隊で出発だ。リュックは半分に軽くなり30キロ。

ぼくはゴタテ隊。リーダーのO林さん、N崎さんと3人の部隊。
黒部峡谷を2日かけててくてくと欅平(黒部峡谷トロッコ鉄道の終点のあるところ)まで下る。
黒部は深さが数100mの深い谷で、ほとんど垂直の岩壁の中程をコの字に幅1mくらいにくり抜いた細い道(水平歩道)がある。ダム建設・電源開発で多くの人たちが過酷な労働で死んだ。暗くて深い谷。深くて暗くて黒いから「黒部」。
欅平で谷を渡り、ここからまた登る。唐松岳。ここでゴタテの稜線に上がると、あとは穂高めざして南下する。
五竜−鹿島槍−針の木−烏帽子−三俣蓮華−双六−槍−穂高を経て、上高地に下りる。


出典 : この地図は、山と渓谷社DVD「空から見た日本アルプス/北アルプス12」から引用。このDVDはお勧めです。

(追記:
ひと夏で、北アルプスの山をほとんど全部歩いてしまう。ハードな遊びでした。どれくらいハードかというと、登山靴の底がすり減って、下山したら貼り替え修理しないといけないくらい。登山靴屋さんが、「学生さん、この靴どれくらい履いたの?」「ひと夏だけど。」「え?こりゃあ、普通の人の5年分くらい磨り減ってるよ。」「そう。ぼくたち、普通じゃないの。」ってね。)
たしか、学生の暮らしが月3万円の当時、靴が3万円でした。あとは30円の即席ラーメンを食べていた。
ちなみに当時、「国電」は30円、ハイライトは80円、ラーメンは100円、とんかつ定食は180円でした。

(追記:
今は、山登りをする若者がいなくなり、こんなハードな山岳部はもうどこにもありませんが、かといって、当時にもありませんでした。それは、時のリーダーO林さんの趣味であり記録です。彼はヒマラヤを目指していました。
O林さんは学校を出てからも幾度かヒマラヤに行き、ついに両足の指を全部凍傷でなくしましたが、へこたれずにまた次のヒマラヤをもくろんでいます。
20
年ぶりに、O林さんとK泉さんと一緒に「針の木」に行きました。「ほんとうにお久しぶりです。」
「どうだい。指がなくなって、ネコみたいなまん丸な足で、ドラエモンみたいだろう?」といいながら、さらに高度に登っている。むかしとすこしもかわらない、勇敢で優しいクライマーです。

学生のとき、ぼくはそのような人たちと一緒に山に行っていました。
冬の劔で手が凍傷になり、指をなくしそうになった時、リーダーのS村さんはじめみんな夜どおし、交代で湯を沸かして、ぼくの指を暖めて看病してくれたので、今、指はあります。
冬富士のアイスバーンで滑落した時に、O林さんは、自分の身を楯にしてぼくの近くにピッケルを打ち込んで止めてくれて、助かりました。一瞬のタイミングを外していたら、O林さん巻き添えて、たぶん命を失ったと思います。


    (これらのことは、今は、親にはとても申し訳なく言えなく。)


長い山行だと台風の2つや3つはあり、テントは飛ばされるので、岩影にじっと潜んでズブ濡れのシュラフにうずくまって眠る。
食料もだんだん底をついてきたのに、大事な米を雨に濡らしてだいなしにしてしまう。
山岳部は、「山小屋には、宿はもちろん、食べ物も水もお世話にならないものなのだ。」という崇高でエコジなプライドがあり、事故や遭難時以外は山小屋の助けは受けない。ので、そのうちに、カレーかシチューの素をお湯に溶いて飲むだけのつつましい食事。飢餓同盟。
気持ちはすでに修行僧のようになっていて、すれちがう登山者が「こんちわー」とにっこり挨拶してくれても、たとえ二度と会えないような振り向きたくなるような美女であっても、じっと自分の歩いている山を見て歩く。ただ自分たちの山だけを歩く。ものすごく楽しい。




(つづく)

ヤクシ隊からトランシーバが入り、F永君が転落、背中に7針のケガで、薬師隊は継続を断念して下山と。
サバイバルゲーム。残ったゴタテ隊の3人精鋭部隊。自慢のピッケル。ヘルメット。

うちの山岳部は、みんな気持ちは優しい人たちだけど、することはとんでもなくハードだな。
腹ぺこ、服はよれよれ、カネなしの修行僧。を、自覚してきた。
体がしんどいの苦しいつらいのなどの感覚は、とうに過ぎていて、ただただ地と空の間の尖った稜線を歩く。
体は快調フルパワー。澄み切った心。

食料もなくなった飢餓部隊にも、世の中はよくできていて、食べ物には困らない。といっても、特別天然記念物のライチョウやニホンカモシカを捕まえて食べるというのではなく、23泊の裕福な登山者がどっさり持ってきて、「置いて帰る」「新鮮で」「豊富な」食べ物を、ありがたくいただく。
所有者がいなくなった手つかずのオニギリなどがそこに置いてあれば、そっといただく。少しくらい手がついていても、チェックして、いただく。置いていかれた新しいインスタントラーメンが10個ほどそっとそこにあり、「わあ。今日はすごい収穫だね。ラーメンなんて久しぶりだなー。」
山岳部は、山小屋の助けとは一線を画しても、他人様がいらないと置いていったものを、さりげなくいただくのはよろしい。というのがルール。神様のお恵み。山もきれいになります。
お客さんたちがのんびり弁当を食べている傍らで、ぼくらは知らーん顔して観察しつつたたずんでいて、お客さんが置いて帰ったごちそうを、そっと偵察して、つつましくいただく。
この行動を、ぼくらは自らその名のとおり「ゴキブリ」と言った。
かくしてゴキブリ部隊は、栄養をつけながら行進し、ぼくらの通った道はきれいになった。

槍ケ岳−穂高岳の縦走でフィナーレ。槍をピョーンと駆け下りて、穂高をスルスルと上がる。
そして、都会のような上高地に下りて、長くて楽しい夏合宿は終了。握手。
松本の「ピリカ」で、焼き肉とビールをたくさんお腹に納めて、「フルーツパーラ小林」でアイス・フラッペを食べて、新宿行きの夜行電車に飛び乗る。
「秋はまた穂高にいこうね。」





(おわり)

(後記)
夏山の絵日記復刻版は、これで終わりです。ご愛読ありがとうございました。
ぼくの学生時代の山登りは、このようでありました。
夏の劔、秋の穂高、冬はふたたび劔、春はまた劔に白馬と、季節は巡りました。ちょっと飛び出てヒマラヤに行きました。

じつはこの文は、東京農工大学山岳会会報誌にいつか寄稿しようかなと、下書きというか、それ以前のメモに思いつくまま書いたものなのですが、けっきょく、投稿はせず、20年以上もフロッピーに眠っていました。が、時代は変わり、インターネットの時代になり、このたび「復刻」しました。
娘に、お父さんはこんなことしてたんだ、と伝えたい気持もあります。
たぶん、伝わらないと思いますが…
実際に投稿したならば、ケガや死んだ仲間や、そのご家族を思い、もっと短く押さえた文になったと思います。
文は、思うまま、現在形・過去形、書き言葉・話し言葉のまぜこぜで、文法を脱線していますが、そのような訳でお許しください。

クライマーという、日常の暮らしとは無縁の、ぼくにとっても遠ざかって久しい独善の世界をこうして、ホームページという場所に書くことができました。コンピュータだからできる遊びの世界だろうと思います。読んでくださってありがとうございました。
東京農工大学山岳会のみなさんに感謝します。

北アルプスの雪と岩をヤッホーと飛びまわるクライマーの青年がいました。


そんな若いある日に、穂高でうつくしい人に出会い、やがて恋をしました。
その人といつか別れ、のちの消息は知りません。40年も前のずいぶん昔のことです。、
今も、上高地を訪ね、かわらない穂高の美しい姿を見ると、






山よ劔よ (東京農工大学山岳部歌 作:望月力智)

1:肩にくい込む重荷背に 歯をくいしばり一歩づつ
  雷鳥沢にイチゲ咲き 乗っ越しゃ嬉しの劔あり

2:夏風そよぐ雪渓に 心躍るグリセード
  キンバイの花風に舞い 仰ぎゃ本峰雲かかる

3:伸びるザイルに身を託し 響けハーケン池ノ谷
  ガレ場かけおり壁よじりゃ 一輪オダマキ人知れず

4:風雪やまぬ早月に シーバー送る友の声
  待ちし青空友の声 握りあう手に分かつ心

5:長いトンネル北仙人 登頂に酔う黒い顔
  吹雪の中の赤飯にゃ おいらの夢がこもってる

6:胸のラッセル東尾根 寒風うなる主稜線
  源次郎八ツ峰夢果てず 山よ劔よわが友よ



エーデルワイスの歌     (作者不詳)
春:雪は消えねど 春は来ざしぬ 風は和みて 陽はあたたかし
  氷河のほとりを 滑りてゆけば 岩かげに咲く アルペンブルーメ
  紫におう 都をあとに 山に憧れ 若人の群れ

夏:エーデルワイスの 花ほほえみて 鋭き岩角 金色に照り
  山は目覚めぬ 夏の朝風 乱雲おさまり 夕空晴れぬ
  命のザイルに わが身を託し 思わず仰ぐ アルペングリューエン

秋:星影さかかに 空澄みわたり 葉ずえの露に 秋立ちそめぬ
  金と銀とに 装い凝らし 女神のごとき 白樺の森
  紅もゆる 山より山へ 行方もしらず さすらい行かん

冬:吹雪は叫び 黄昏せまり 求むる小屋の 在り処も知れず
  ああこの雪山 重畳として シーロイファー 行く手をとざす
  ああこの雪原 寂漠として 寒月鋭く シュプール照らす

結:ああ玲瓏の 雪の高嶺に 心しずかに 頂に立ち
  尊き山の 教えを受けん 身も魂も けがれは消えて
  とわに輝く 白光受けて 清き幸をば 求めうるらん




#100110




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