●ナショナル代表チームのあゆみ●

何をやらかすことやら……
トルコ・ナショナル代表チームのあゆみを、草創期にさかのぼって追いかけてみることにしました。
ったく、何をやらかすことやら……

もくじ

その1:草創期(1923-1938)すぐ下
その2:ワールドカップ初出場まで(1948-1954)
その3:トルコリーグ発足期(1955-1965)
その4:一進一退(1966-1975)
その5:《お荷物》な時代(1976-1985)
その6:夜明け前(1986-1993)


 その1:草創期(1923-1938)

アウトライン:1923年
アウトライン:1924-1938
データ:1924 1925 1926 1927 1928 1931 1932 1936 1937
トピック:ナショナル代表初試合1923

1923年

当時のトルコ

第1次世界大戦に同盟国(ドイツ)側で参戦した旧オスマントルコ帝国が敗戦し、
連合国(イギリス・フランス・ギリシャなど)に分割占領されたトルコの中から、
ムスタファ=ケマル(アタテュルク)を中心とした革命政権によって、
20年、独立戦争(解放戦争)が始まりました。

独立戦争にめどがたった1922年11月、
新政府は連合国との間でローザンヌ講和会議の交渉開始。
会議は1923年の2月に中断(4月に再開)。
ようやく7月になって、講和条約(ローザンヌ条約)が締結。

ローザンヌ会議中断中の4月には、第1回の総選挙があり、
同じ1923年の10月29日(夜)、ムスタファ=ケマルを初代大統領として、
現在のトルコ共和国が成立。

トルコ・フトボル協会は、その怒濤の時代のさなか、
1923年4月23日に設立され(国より早い……
初代大統領選出の3日前(!!)には、初の親善試合をおこなっています。

まあ、すでにベシ(03)ガラタ(05)フェネル(07)は出そろっていたし、
アンカラギュチュ(1910)やアルタイ(1914)もあったわけなので、
無謀な設立、というわけでは(全然)ないのでしょうが。

日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
1 1923/10/26 トルコ (タクシム) ルーマニア 親善試合 2−2 アリ・サミ・イェン

記念すべきナショナル代表初試合の対戦相手はルーマニア。
トルコがホームで、スタジアムは「TAKSiM」というところ。
草創期のホーム試合の多くはここでやっています。

カッコでスタジアム名を入れました

代表初試合

記念すべき、ナショナル代表初試合の出場メンバー
NO 背番号 名前 名字 クラブ 出場時間 ゴール
8317 1(GK) ネディム カレジ アルトゥノルドゥ フル出場
8084 ハサン カミル スポレル フェネルバフチェ フル出場
7805 ジャフェル チャーアタイ フェネルバフチェ フル出場
8154 イスメト ウルー フェネルバフチェ フル出場
8329 ニハト ベクディク ガラタサライ フル出場
7746 バロン フェヴジ アルトゥノルドゥ 先発-
7925 エミン ベイ アルトゥノルドゥ フル出場
7737 アラディン バイダル フェネルバフチェ フル出場
8660 ゼキ リザ スポレル フェネルバフチェ フル出場 2(32,50)
8432 10 サビー アルジャ フェネルバフチェ フル出場
7903 11 ベドリ ギュルソイ フェネルバフチェ フル出場
8115 12 イブラヒム ケッレ アルトゥノルドゥ -終了
ガラタから1人、フェネルから7人、「アルトゥノルドゥ(ALTINORDU)」から4人。
(ALTIN=金 ORDU=軍団・チーム なので「黄金球団」てな意味かな)

試合風景

下の写真は上と同じ試合ではないようですが(ユニがちがう)
まあ、この頃の試合の雰囲気を。


上の写真の中央奥の建物と、下の写真の右寄りの建物は同一と思われる。
スタジアムとは言っても中庭広場のようなところだったようですね。


初代代表監督
アリ・サミ・イェン氏(1886-1951)

ガラタサライ創設メンバーの一人。
1905年から13年間、ガラタの筆頭者をつとめ、トルコ・フトボル界全体の発展にも大きく寄与し、
その名をガラタのホームスタジアム(2002年まで)に残している。


1924-1938

当時のトルコ

ムスタファ=ケマルの強力な近代化の断行と一党支配体制の確立、
文字がローマ字になったり、ターバンやトルコ帽が禁止されたり、
アンチ=イスラムを象徴する「ミス・トルコ」大会が開かれたり(
……)、
一方で、1929年の世界恐慌以降、激動する国際社会の波の中で、
1938年、「建国の父」ケマル=アタテュルクが亡くなるまでの時期


1924
この年は、アウエーばかり6試合。
オリンピック(パリ大会)に出場したあと、東欧の新興国を中心に親善試合ツアー。
日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
2 1924/05/25 フランス パリ チェコスロバキア オリンピック −5 ビリー・ハンター
3 1924/06/17 フィンランド フィンランド 親善試合 −2 Billy Hunter
4 1924/06/19 エストニア エストニア 親善試合 −1
5 1924/06/22 リトアニア? リガ リトアニア? 親善試合 −1
6 1924/06/29 ポーランド ポーランド 親善試合 −2
7 1924/10/16 ソビエト連邦 ソビエト連邦 親善試合 −3
5の試合地、リガはラトビアの町だが…

1925年
前年のお返しにホームで親善試合。
日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
8 1925/04/10 トルコ (タクシム) ブルガリア 親善試合 −1 ビリー・ハンター
9 1925/05/01 ルーマニア ルーマニア 親善試合 −1
10 1925/05/15 トルコ(イスティクラル ソビエト連邦 親善試合 −2
11 1925/10/02 トルコ (タクシム) ポーランド 親善試合 −2
10のスタジアム名「イスティクラル」は「独立」って意味ですね

1926年
日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
12 1926/05/07 トルコ (タクシム) ルーマニア 親善試合 −3 ビリー・ハンター
13 1926/09/12 ポーランド リボフ ポーランド 親善試合 −1
14 1926/07/17 ブルガリア ブルガリア 親善試合 −3
13の試合地、リボフは今はウクライナの町ですが、当時はポーランド領
またこの試合は、試合番号と日付が逆転しています。延期があったのかな。

ここまでの14試合でトルコ代表は6勝6敗2引き分け(ジャスト五分)。
得点21点のうち13点を、ゼキ・リザという選手があげています。

1927年
日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
15 1927/10/14 トルコ (タクシム) ブルガリア 親善試合 −1 トト・ベラ
この試合のうち2得点もリザ選手

1928年
日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
16 1928/04/08 ユーゴスラビア ユーゴスラビア 親善試合 −2 トト・ベラ
17 1928/04/15 ルーマニア ルーマニア 親善試合 −4 Toth Bella
18 1928/05/28 オランダ エジプト 親善試合 −7
この年は3連敗。リザ選手の不調がひびいている?

世界恐慌の年1929年と、翌1930年には、国際試合はありませんでした。
30年といえば、第1回ワールドカップ大会の年ですが、トルコには縁がなかったようだ。

1931年
日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
19 1931/09/27 ブルガリア ブルガリア バルカン選手権 −5 トト・ベラ
20 1931/10/02 ブルガリア ユーゴスラビア バルカン選手権 −0
21 1931/04/17 トルコ (タクシム) ハンガリー 親善試合 −2
1924年のオリンピック以来、7年ぶりの国際大会出場。
21の試合も、試合番号と日付が逆転しています。

追記:クロスチェックの結果、21の試合は1932年4月説もありと判明。真相は不明。

1932年

日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
22 1932/04/22 トルコ (タクシム) ハンガリー(B代表 親善試合 −4 フレッド・ペグナム
23 1932/11/04 トルコ (タクシム) ブルガリア 親善試合 −3 Fred Pegnam
ハンガリーのB代表にボロ負けしていますが、このころのハンガリーは強かった。
38年の第3回ワールドカップ大会の準優勝国です。


1933年から1935年の3年間は、国際試合はありませんでした。
34年のワールドカップも無縁にすぎたみたい。

1936年
日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
24 1936/07/12 トルコ (タクシム) ユーゴスラビア 親善試合 −3 ドノリー
25 1936/08/03 ドイツ ベルリン ノルウエー オリンピック −4 Donnoly
日本代表がサッカーで初出場したベルリン五輪に、トルコも参加あっさり敗退

1937年
日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
26 1937/08/01 ユーゴスラビア ユーゴスラビア 親善試合 −3 エリオット

1938年にはナチス・ドイツがオーストリアやチェコ(の一部)を併合。
時代は、第二次世界大戦へと突っ走ってゆきます。
同38年、トルコでも「建国の父」アタテュルクが死去。
ひとつの時代が終わりました。

1938年を最後にワールドカップも中断
サッカーの歴史は戦争で途絶えます。


その2:「ワールドカップ初出場まで」につづく