●ナショナル代表チームのあゆみ●

 その2:ワールドカップ初出場まで(1948-1954)

世界中を苦痛と悲惨に巻き込んだ第二次世界大戦。
枢軸国(ドイツやイタリア)と、連合国(イギリスやフランス)の利害に直結する「海峡」をかかえ、
かつ社会主義ソビエトと国境を接するという、極端にあやうい場所にありながら、
トルコは綱渡りの外交で、中立を維持しつづけ、
国土を戦火から守り通しました。
げんみつには、1945年2月、ヤルタ協定にもとづいて参戦


アウトライン:1948-1954
データ:1948 1949 1950 1951 1952 1953 1954
トピック:1954年ワールドカップ


当時のトルコ

アタテュルクのあと、1938年に第2代大統領になったイスメット・イノニュ
大戦中は強力な独裁体制をしき、強大な指導力を発揮、
戦後は民主化の潮流の中で、複数政党制への道を開いたものの、
まさしくその選挙(1950年)に敗れて政権を去ります。


第3代、バヤル大統領のもと、50年代の前半は、
経済の自由化が進み、道路網も整備され(財閥も出現し)、
また、米ソ対立の国際情勢の中では、
朝鮮戦争参戦(
国連軍として)につづきNATOに正式加入(1952年)、
これを喜んで「NATOワイン」を販売
(……)

西欧志向の強い、比較的ゆたかな時代だったようです。
その下でくすぶっていた矛盾は、1960年の軍事クーデターとして
あらわれることになるのですが……。


1948年

日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
27 1948/04/23 ギリシャ ギリシャ 親善試合 −1 イグナス・モルナー
28 1948/05/30 トルコ (イノニュ) オーストリア 親善試合 −1 (Ignace Molner)
29 1948/08/02 イギリス ロンドン 中華民国 オリンピック −0 ウルヴィ・イェナル
30 1948/08/05 イギリス ロンドン ユーゴスラビア オリンピック −3 (Ulvi Yenar)
31 1948/11/28 トルコ (イノニュ) イタリア 親善試合 −1 ピーター・モリー

ベシの本拠地「イノニュ・スタジアム」…大統領の名を冠した競技場だったんですね
ロンドン五輪では中国(中華民国)と対戦して大勝。
もっとも、現在の中国(中華人民共和国)は、この対戦を対戦歴として認めていないようです。


1949年

日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
32 1949/03/20 オーストリア オーストリア 親善試合 −1 ピーター・モリー
33 1949/05/13 ギリシャ アテネ エジプト 地中海杯 −2
34 1949/05/15 ギリシャ アテネ ギリシャ 地中海杯 −1
35 1949/05/20 ギリシャ アテネ イタリア(B代表 地中海杯 −3
36 1949/11/20 トルコ (5月19日) シリア ワールドカップ 予選 −0 ジハト・アルマン

今ではユースの親善トーナメントにすぎない地中海カップ。
このころはA(
またはB)代表の試合だったんですね。

36のスタジアム名は「19マイス」とカタカナで書かれることも。
1919年5月19日ムスタファ=ケマルがイスタンブルを離れてサムスンに上陸した、
(後にさかのぼって、この日から独立戦争と「トルコ共和国」の建国活動が始まった、とされる)
独立の記念日。
この名を冠したスタジアムは各地にあるので、36の試合が
どこの町の「5月19日競技場」だったのかは、今はちとわかりません。


50年ワールドカップ大会は、予選を突破したものの出場辞退でした。
ブラジル(開催国)までの旅費がなかったとか?

1950年

日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
37 1950/05/28 トルコ (イノニュ) イラン 親善試合 −1 ピーター・モリー
38 1950/10/28 イスラエル イスラエル 親善試合 −5
39 1950/12/03 トルコ (イノニュ) イスラエル 親善試合 −2 マコーミック

1951年

日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
40 1951/06/10 スウェーデン スウェーデン 親善試合 −3 (Mc Cormick)
41 1951/06/17 西ドイツ ベルリン 西ドイツ 親善試合 −1 レビ・エルカル
42 1951/11/14 トルコ (イノニュ) スウェーデン 親善試合 −0 (Rebii Erkal)
43 1951/11/21 トルコ (イノニュ) 西ドイツ 親善試合 −2

西欧の国との国際試合がおこなわれるようになりました。
当時ドイツは敗戦と米ソ対立に苦しめられ、1949年に東西ドイツとして独立したばかり。


1952年

日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
44 1952/06/01 トルコ (5月19日) スイス 親善試合 −5 プッポ・サンドロ
45 1952/06/08 トルコ (イノニュ) スペイン 親善試合 −0 Puppo Sandro

1953年

日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
46 1953/05/25 スイス スイス 親善試合 −1 プッポ・サンドロ
47 1953/06/05 トルコ (イノニュ) ユーゴスラビア 親善試合 −2
48 1953/12/11 トルコ (イノニュ) イタリア(B代表) 親善試合 −1

1954年

日付 試合地 対戦相手 大会 結果 監督
49 1954/01/06 スペイン スペイン ワールドカップ 54予選 −4 プッポ・サンドロ
50 1954/03/14 トルコ (イノニュ) スペイン ワールドカップ 54予選 −0
51 1954/03/17 イタリア スペイン ワールドカップ 54予選 −2
52 1954/06/17 スイス 西ドイツ ワールドカップ 本大会グループ −4
53 1954/06/20 スイス 韓国 ワールドカップ 本大会グループ −0
54 1954/06/23 スイス 西ドイツ ワールドカップ 本大会グループ −7
55 1954/10/17 ユーゴスラビア ユーゴスラビア 親善試合 −3 ギュンドゥズ・クルチ(TK)

このころは、予選も1回戦だけだったんですね。
チャンピオンズカップで破竹の5連覇を(レアルが)始める直前のスペイン(代表)を破って初出場。



初出場・54年ワールドカップ

第2戦の試合地、レマン湖のほとり、当時のジュネーヴ  

本大会(スイス大会)では、
優勝候補の呼び声高かった「マジック・マジャール」のハンガリー
実際に優勝することになる西ドイツ、初出場の韓国と同じグループでした。
でも、この大会の、ちょっと風変わりな運営方式のため、ハンガリーとの対戦はなし。

朝鮮戦争の傷跡もまだ癒えず、長時間の旅で到着した
韓国代表を破って、ワールドカップ初勝利を飾ったものの、
西ドイツに2度敗れてグループ敗退。
2度目は同率2位同士の、2位決定戦

ふつう、この大会については、「最強のハンガリー代表を相手に、
この大会の独特な(奇妙な)試合方式を活用しつくした西ドイツ代表が
わざとグループではハンガリーに負けてグループを2位で通過し、
決勝でハンガリー代表を破った」、と語られますが……

うーん、こうやってトルコ代表の目から見ると、
もしかしてトルコ代表って、
西ドイツの優勝ゲット作戦(わざと2位)のために、
最も貢献したというか、ていよく利用されたというか、
なチームだったような……

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記念すべき、W杯初出場試合(グループ初戦)
試合地:ベルン(スイス) 対戦相手:西ドイツ代表
出場メンバー(トルコ代表のみ)

NO 背番号 名前 名字 クラブ 出場時間 ゴール
8582 1(GK) トゥルガイ シェレン ガラタサライ フル出場
8420 ルドヴァン ボラトル カラギュジュ フル出場
7802 バスリ ディリムリリ フェネルバフチェ フル出場
8265 ムスタファ エルタン カラギュジュ フル出場
7875 チェティン ゼイベク カスンパシャ フル出場
8425 ロベル エリオル ガラタサライ フル出場
7902 エロル ケスキン アダレトスポール フル出場
8497 スアト ママト ガラタサライ フル出場 1(3)
7978 フェルドゥン ブガケル フェネルバフチェ フル出場
8018 10 ブルハン セルグン フェネルバフチェ フル出場
8194 11 レフテル キュチュカンドニヤディス フェネルバフチェ フル出場

超簡略・試合経過
西ドイツ 4 1 トルコ

Mai 14
Klodt 52
Morlock 60
Fritz Walter 84
SUAT 3

出合い頭に先制したものの早めに追いつかれ、
後半は地力の差が出て点差を広げられる一方だった、
という感じの試合ですね…

とまれ、記念すべきW杯初ゴールをあげたのは、
ガラタサライのスアト・ママト選手でした

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記念すべき、W杯初勝利試合(第2戦)


試合地:ジュネーブ(スイス) 対戦相手:韓国
出場メンバー(トルコ代表のみ)

NO 背番号 名前 名字 クラブ 出場時間 ゴール
8582 1(GK) トゥルガイ シェレン ガラタサライ フル出場
8420 ルドヴァン ボラトル カラギュジュ フル出場
7802 バスリ ディリムリリ フェネルバフチェ フル出場
8265 ムスタファ エルタン カラギュジュ フル出場
7875 チェティン ゼイベク カスンパシャ フル出場
8425 ロベル エリオル ガラタサライ フル出場
7902 エロル ケスキン アダレトスポール フル出場 1(76)
8497 スアト ママト ガラタサライ フル出場 2(10,28)
8312 ネジュミ オナルジュ アダレトスポール フル出場
8194 10 レフテル キュチュカンドニヤディス フェネルバフチェ フル出場 1(24)
8018 11 ブルハン セルグン フェネルバフチェ フル出場 3(6,36,70)

超簡略・試合経過
韓国 0 7 トルコ
BURHAN 6
SUAT 10
LEFTER 24
SUAT 28
BURHAN 36
BURHAN 70
EROL 76

一方的大差の試合。
前半は、10分ごとに1点取る、という感じで5得点を重ねて試合を決め、
後半少し気を抜いたものの、残り20分をすぎたあたりでダメ押しの2得点。

弱い相手からは、かさにかかって点を取りまくる体質は、今も昔も変わっていませんね^^;
まあ、ストライカーがきっちり役割を果たしているようすは読み取れますし、
実力のあるチームではあったのでしょう。


試合風景
捜せばあるもんだ…

 競技場にはためくトルコと韓国の旗


試合開始前・選手整列(手前が韓国代表、向こうがトルコ代表)


たぶん3点目、レフテル選手の得点シーン(ちがったらすみません)


データベースには1〜11の背番号とあるが、
じっさいには20番の選手が出ていますね。(左端)


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初出場同士で対戦し、ともにグループ敗退した韓国とトルコ。
この試合に勝ったのはトルコでしたが、
そののちのW杯での両国代表の歩みは、明暗を分かちます。

韓国代表は、32年後の86年大会で2度目の出場を果たしたあと、
90年、94年、98年、と、4大会連続の本大会出場。
韓国にとって、5大会連続となる02年(開催国)になって、
ようやくトルコは12大会ぶりに2回目の出場を果たします。

48年ぶりの対戦W杯で=親善試合なら3月にやったばかり^^;)のためには、
決勝まで勝ち上がる必要のあるグループに、
たまたま属した韓国とトルコでしたが、

(2国共催のため、隣同士のグループは決勝まで対戦しない変則的なしくみになった)
おそらく、あらゆる予想をくつがえして、両国ともベスト4進出。

48年前にグループ最下位を争った2つのチームが
今度は世界大会3位をかけた舞台で、再会することになります。

…て、こんな風に仕立てれば、大河ドラマのような話にだってなるんですよね…
この試合(^-^)


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特に記念するほどではないが、1試合だけ省くのもナンなので
第3戦(グループ2位決定戦)
試合地:チューリッヒ(スイス) 対戦相手:西ドイツ
出場メンバー(トルコ代表のみ)

NO 背番号 名前 名字 クラブ 出場時間 ゴール
8526 1(GK) シュクリュ エルソイ カラギュジュ フル出場
8420 ルドヴァン ボラトル カラギュジュ フル出場
7802 バシュリ ディリムリリ フェネルバフチェ フル出場
8293 ナジ エルデム フェネルバフチェ フル出場
7875 チェティン ゼイベク カスンパシャ フル出場
8425 ロベル エリオル ガラタサライ フル出場
7902 エロル ケスキン アダレトスポール フル出場
8194 レフテル キュチュカンドニヤディス フェネルバフチェ フル出場
8312 ネジュミ オナルジュ アダレトスポール フル出場
8265 10 ムスタファ エルタン カラギュジュ フル出場
7882 11 ジョシュクン タシュ ベシクタシュ フル出場

超簡略・試合経過
西ドイツ 7 2  トルコ
Othmar 7
Schaffer 10

Morlock 30
Morlock 59
Fritz 60
Fritz 77
Fritz 80


MUSTAFA 21





LEFTER 82

焼け石に水の2得点をあげただけで敗退。
とはいえ、ワールドカップ初出場で、無得点試合はゼロだし、
初勝利もあげているし、
きわめて厳しい状況だった韓国が相手とはいえ
まずまずの実力を持ったチームだったと思われます。

チーム得点王は、
韓国戦でハットトリックしたブルハン・セルグン選手。

まとめ
それにしても、
2002年を合わせて2回のW杯で10回戦った(5勝4敗1分け)わけですが、
対戦相手、変にかたよってますね。
西ドイツと2回(西ドイツはその大会で優勝
ブラジルと2回(ブラジルはその大会で優勝
韓国と(約50年をへだてて)2回。

別な(そして意図的な^^)言いかえをすれば、
「トルコ代表は、ワールドカップで
50年間、優勝チームにしか負けていない!」

…(^o^;…

というわけで、W杯での次の目標は
「優勝チームに勝つ」ですかね。
(めぐりあわせ次第で、不可能なことではありません)


その3:「トルコリーグ発足期」につづく