地中海カップ 1993
MEDITERRANEAN CUP 1993
時は6月。
所はフランス。
試合は準決勝。
ホーム側チームはフランス代表
アウエー側チームはトルコ代表
トルコ代表のメンバーには、
アルパイ・オザラン選手や、エルギュン・ペンベ選手の顔が。
フランス代表のメンバーにも、
リリアン・テュラム選手や、ジネディーヌ・ジダン選手の顔が。
……
2003年のコンフェデレーションズカップを見終わった目には、
強烈な既視感を感じさせる
(あれ? コンフェデにジダン出たっけ?と本気で悩みそうになる)
このできごとは、
2003年からちょうど10年前、
1993年6月のフランスでおこなわれた、
地中海カップでのことです。
地中海カップとは
地中海カップは、伝統ある国際カップ戦のひとつ。
第1回は1951年に開催され、
その後4年に1回ずつ、最新は2001年まで、
地中海をとりまく諸国の代表チーム
によって戦われる大会です。
(げんみつには、さらに先行して1940年代にも同種の企画があったらしいです)
参加国は、
第1回=ギリシャ・エジプト・シリア(開催はエジプト)
第2回=エジプト・スペイン・フランス・シリア(開催はスペイン)
第3回=イタリア(アマ)・トルコ(アマ)・シリア(開催はレバノン)
というように、
出入りはあるものの、地中海をとりまく地域が
強豪国も含めて、開催し、参加してきています。
(細かいことを言うと、「地中海カップ」と呼ばれる国際大会は3種類あり、
正式にはこの大会は MEDITERRANEAN GAMES というそうです。
でも3種類の中で、規模も歴史も最大なのはまちがいない)
1963年(第4回)大会からは、
10カ国近い参加をみて大会規模も拡大し、
グループリーグ+ファイナルで戦われるようになりました。
歴代参加国としては、(上以外)
ユーゴスラビア・チュニジア・モロッコ・アルジェリア・リビア
レバノン・サンマリノ・ボスニア・クロアチア・スロベニア・アルバニア
などがあります。
(地中海に接する国で参加経験がないのは、島国以外ではイスラエルくらいですね)
開催国も回り持ちで、(上以外)
イタリア・チュニジア・トルコ・アルジェリア・ユーゴスラビア
モロッコ・シリア・ギリシャ・フランス…
おおむね、強豪国はフル代表は送り込まず、
初期はアマチュア、あるいはB代表、あるいは若年代表など、
制限付きのチームを出してくるので、
あくまで若年代表の親善トーナメントに相当する大会ですが、
(トルコも2001年にはAユース代表を送り込んだ)
敬意をもって扱われていることがわかります。
1993年・フランス大会
には、10カ国が参加しました。
| グループA | グループB | グループC |
| アルジェリア ギリシャ ボスニア ・ヘルツェゴヴィナ |
トルコ フランスU-21 チュニジア クロアチア |
イタリア スロベニア モロッコ |
グループBでのトルコの戦いぶりは
| 日付 | 試合地 | 対戦相手 | 結果 | ゴール(トルコ代表のみ) | |
| 1993/06/17 | SETE | フランス | 1−1 | ハカン83 | |
| 1993/06/19 | SETE | クロアチア | 3−2 | アリフ24, セルゲン40, 62 | |
| 1993/06/21 | SETE | チュニジア | 3−0 | セルゲン48, エルギュン70, ハカン85 |
堂々2勝1分けの勝ち点5で、
1勝2分け(勝ち点4)のフランスU-21をしのいで
グループ1位を勝ち取ります。
(以前の勝ち点の数え方は今とちがって、
勝利=2点・引き分け=1点だった)
グループごとの参加数がちがうので、バランスをとるためか、
準々決勝は、多少変則的な対戦となりました。
| グループA1位 (アルジェリア) |
vs | グループC1位 (イタリア) |
| グループB1位 (トルコ) |
vs |
グループB2位 (フランスU-21) |
こうして、冒頭に(思わせぶりに^^;)紹介した、
「10年前の6月のフランス」
の風景に至るわけです。
準決勝の試合は6月24日。
(スケジュール的には2003年のコンフェデと全く同じだが、
惜しいことに、(←何が?)
1993年は2日早く始まってしまったので、日付まで同じ、とはなりませんでした)
雰囲気を少しでも…
準決勝がおこなわれたアルルの町

試合は、0−0のまま進み、残り10分を切った83分に、
ハカンシュキュル選手が値千金のゴールを決め、
1−0
でトルコ代表が勝利。
26日の決勝にコマを進めました。
決勝の対戦相手は、イタリア代表を1−0で破ったアルジェリア代表。
決勝の試合地は、アルルの近くの古い町ニームでした。
決勝がおこなわれたニームの町

いや、このコロセウム(ローマ時代の遺跡)で試合したわけではありません!
試合は0−0のまま前半を折り返しましたが、
残り30分を切った61分に、セルゲン・ヤルチン選手が先制点をあげ、
残り3分でハカン・シュキュル選手がダメ押しゴールを決めて、
2−0
でトルコ代表が勝利。
若年代表の大会とはいえ、トルコ代表が初めて
欧州の大会で獲得したタイトルとなりました。
| 日付 | 試合地 | 対戦相手 | 結果 | ゴール | |
| 1993/06/24 | アルル | フランス | 準決勝 | 1−0 | ハカン83 |
| 1993/06/26 | ニーム | アルジェリア | 決勝 | 2−0 | セルゲン61, ハカン87 |
5試合で10得点。
うち、セルゲン・ヤルチン選手とハカン・シュキュル選手が4点ずつ
(アリフ・エルデム選手とエルギュン・ペンベ選手が1点ずつ)
グループ第3戦以降は失点0(全体で失点3)の固い守りと、
破壊力のある攻撃とで、
トルコ代表チームは、地中海カップ優勝を手にしたのでした。
トルコ代表の選手たち
トルコのナショナル代表チームには
「オリンピック代表」というカテゴリーがあります。
ですが実際の所、トルコはオリンピック世界大会には
あまり意欲がないようで、
(欧州の国は欧州選手権と重なるので、オリンピックどころではないんだろう)
トルコの「オリンピック代表」チームが戦ったのは、歴代で2大会、
あとは、この1993年の地中海カップと、4年後1997年の地中海カップだけです。
(4年後の大会には、バシュトゥルクやファティが出ている)
1993年の大会には、18人の選手が登録されたようです。
2002年W杯の登録選手は太字にしてみました。
また、今(2003年)の各選手の所属を、わかるかぎり追跡してみました(右端らん)
*2003年7月は移籍シーズンですので、ただちに異動があるかもしれません
ちなみに残念なのは、ここにいてもよいはずの2002年組の二人、
リュシュトゥ・レチベル選手とオカン・ブルク選手の名前がないことです。
オカン選手は試合中の事故、リュシュトゥ選手は交通事故(たぶん)で療養中でした
| 1993年の所属 | 名前 | age | G1 | G2 | G3 | SF | F | 2003年7月現在 |
| ゲンチレルビルリ | ハサン ギュルトゥング | 20 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | カイセリスポール |
| ベシクタシュ | アルパイ オザラン | 20 | 2 | 4 | 2 | 2 | アストンヴィラ | |
| ガラタサライ | トゥガイ ケリモール | 22 | 3 | 9- | 3 | 7 | 7 | ブラックバーン |
| ゲンチレルビルリ | エルギュン ペンベ | 21 | 4 | 8 | 5 | 8 | 6- | ガラタサライ |
| ブルサスポール | フェティ オクロール | 21 | 5 | 3 | 6 | 3 | 3 | イズミルスポール |
| ゲンチレルビルリ | ラヒム ザフェル | ? | 6- | 12 | 13 | 2 | 12 | ? |
| カルシュヤカ | シェノル ヤバス | 20 | 7 | 7 | 8 | 4 | 4 | ギョズテペ |
| トラブゾンスポール | アブドゥラー エルジャン | 21 | 8 | 5 | 7 | 8 | フェネルバフチェ | |
| ベシクタシュ | セルゲン ヤルチン | 20 | 9- | 6- | 9 | 6 | 9 | ベシクタシュ |
| ガラタサライ | ハカン シュキュル | 21 | 10 | 11 | 10- | 11- | 11 | ガラタサライ |
| ガラタサライ | アリフ エルデム | 21 | 11 | 10 | 11- | 10 | 10- | ガラタサライ |
| ゲンチレルビルリ | タネル タシュキン | 20 | 12 | 2 | 4 | 5 | 5 | マニサスポール |
| ベシクタシュ | ムトゥル トゥプチュ | 22 | 13 | 9- | 2001で引退 | |||
| フェネルバフチェ | ビュレント ウイギュン | 21 | 13 | 12 | 13 | ユシュキュダル | ||
| カイセリスポール | ジャフェル アイディン | 21 | 12 | ? | ||||
| フェネルバフチェ | エムレ アシク | 19 | 13 | ベシクタシュ | ||||
| アイディン ダーディレン | ||||||||
| ニハト トゥンカヤ |
どうやら当時の交代は2選手までだったようです。先発して途中で交代した選手は「-」をつけました。
交代出場した選手は自動的に(入った順に)12番、13番を振られたようですが、
どちらがどちらの代わりに入ったかがわかるデータは残っていません。
また、一度も出場しなかった選手のデータはなく、所属クラブもわかりません。
なお、トルコ代表以外のチームの選手は、
アルジェリア代表とフランス代表しかキャッチできていないのですが、
その中で2002年W杯出場者は、ともにフランスの
リリアン・テュラム選手(21)とジネディーヌ・ジダン選手(20/21)だけでした。
(ジダン選手は6/23生まれなので大会期間中に年を取る)
それから
この時、地中海カップのタイトルを手にした
「オリンピック代表」の中心選手たちは、
その後まもなく、トルコのA代表の中核をになう選手たちになっていきます。
この時点(93年6月)ですでにA代表キャップを持っていたのは
トゥガイとハカンの2人(とオカン)だけでしたが、
同年10月には
アブドゥラーとセルゲンとエムレ・アシクが、
11月には、ケガの癒えたルスチュが、
翌94年には
エルギュンとアリフが、
A代表に姿を現します。
95年2月、
93年地中海カップ組の最後にアルパイがA代表入りし、
その年の11月には、欧州選手権の予選を突破し、
初の本大会出場を果たす…
(げんみつには、「予選」という手続きのなかった60年代にも「出場」はしているが)
80年代、「お荷物」といわれていた
トルコ代表チームが、
世界の舞台への階段を昇る、大きな一歩を進めた瞬間です。
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今、こうやってふり返ってみれば、
2000年を、2002年を
夜明け前の水面下で準備していたのは、
この93年の地中海カップだった
言い切ってもよいのではないかと思います。
この時いろいろな事情で大会に参加できなかったけれども、
その後代表チームに合流・再合流した選手も、
この時のチームにはいたけれど、
その後浮き沈みの激しいフトボル人生を送った選手も、
あるいは、この大会で活躍しながら、
その後、代表チームから遠ざかり、
今は地方の下部リーグのクラブで、
プレーを続けている選手たちも含めて…
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10年後の2003年、
同じ6月に同じフランスで、
同じく中1日の日程で^^;おこなわれた
コンフェデレーションズカップ。
10年をへだてた2つの大会に両方とも出場したトルコ代表選手は、
アルパイ・オザラン選手とエルギュン・ペンベ選手の二人だけでしたが
(フランス代表ではリリアン・テュラム選手も)
そんなこと、二人は気づいていたのかなあ。
それとも、その後の躍進の10年間の月日の遠くに、
もう記憶もはるかだったのかもしれませんね…


突然ですが、このページにすごくぴったり来る(気がするだけ…私が)歌を見つけました。
岡林信康(詞・曲・演・歌) 「友よ」(1968)
です。
歌詞が見られてメロディの聴けるサイト(JASRAC許諾)があったのでリンクしておきます