午前8時前、白保の宿を出て国道を北に向かって走り出した。南の 島は日の出が遅いだけにまだ清々しい風が吹いている。しかし颯爽と 走ることができたのはほんのわずかで、すぐに容赦のない太陽がジリ ジリとスペシウム光線よろしく俺の後頭部を焼きだした。 この季節の沖縄を自転車で走るなんて自殺行為だ。 そんなことを思ったのは初めてではないが、台風が接近しているで 今日を逃すといつ遊べるか分からないのだ。 今日は何が何でも遊び倒す。固い決心を胸に出発したのだった。 道が下り始めてやっと楽になったと思ったとき、対向車線をキャン プ道具だろう、荷台を一杯にした自転車が登って来た。 こちらは余裕だが、彼はハンドルから手を離せず、照れ笑いを隠す ように頭を下げるのが精一杯だっだ。 まさかもうひとり自殺志願者がいようとは・・・。 朝からガブガブと水を飲んでいるので腹具合がおかしい。伊野田浜 のトイレに自転車ごと走り込んだ。 デーッ! すると入り口で通せんぼをするようにまるまると太ったヘビが寝そ べっていた。 慌ててブレーキをかけ、寸前で止まった。 もう少しで轢いてしまうところだ。 ハブではないようだが、これでは安心して入れやしない。そっと隣 に並んでみると長さが2mはある。静かに後ろに回り、機嫌を損ねな いようにそっとモクマオウの林へ追い立てた。 敵はまだ寝ぼけているようで、じれったいほどゆっくりと這って行 く。 林に届いたところで恐る恐るトイレの中を上下左右くまなく偵察。 安全を確認すると再びヘビのところへ戻るとまだ体は半分林の外だ。 再度強くお願いして、完全に林に消えたのを確認すると、やっと安 心して用を足せた。 沖縄でこの大きさになるヘビといえばきっとサキシマスジオだろう。 宮古島以来8年ぶりの対面にしては冷たかったかも知れないと少々 後悔もした。 国道を逸れて野底林道に入るとあたりは一変した。濃く深い緑が空 を暗く遮り、そのジャングルを揺るがせるように何百匹ものセミの声 が響いている。 俺の出現に慌てて道路を横断しようとしているセマルハコガメがい た。こいつにも前から会いたいと思っていた。 近づくと手も足も頭も全部隠して閉じこもってしまったので、誰で もそうするようにカメをひっくり返すと、腹側の甲羅は真ん中からふ たつに折れて隙間を完全に塞いでいた。 数mにもなるシダがてっぺんで特徴ある葉を360度に広げ、パパ イヤは白い花をつけていた。アカショウビンが音階練習のように鳴い ている。コントラストのきつい木陰は薄暗く、なんだか気味が悪い。 さっきのヘビのことが頭をよぎった。 ジャングルを過ぎると突然空が広がった。北回帰線に近い八重山の 太陽はすでに真上にあって逃れようがない。ジューっと肉を焼く音が 聞こえてきそうだ。 遠くの海を見下ろして勾配のきつい道を自転車を押して歩く。目指 す山頂は見えず、道はどこまで続くのかと不安になった。 峠まで来ると似つかわしくないほどきれいな展望台があった。残り わずかの水を飲んで屋根の下に寝ころぶと汗が止めどなく流れた。目 を閉じてもセミやトリの声がさらにやかましく聞こえるだけだった。 こんなに疲れては山は登れたとしても、それから島の最北部まで走 るのは無理だろうな。 しばらくそうしていると車が通った。登山道はこの林道の終点にあ るが草に覆われて判りづらい。そう聞いていたので、この車が登山者 ならラッキーと思い後を追いかけた。 路肩に停められたレンタカーに追いつくと近くには野底マーペー登 山口と標識があった。心配するほどのことはなく、道はしっかりと山 頂へ向かっている。 アサギマダラも暑いのか日差しを避けて林の中を飛んでいる。キノ ボリトカゲが枝から枝へ飛び移る。その動きはまるで映画ジュラシッ クパークで見た恐竜そのものだ。 先行者を追い抜いて三角形の山頂に着くと、陽を受けた海が台風雲 を押し返そうとしていた。 マーペーとはその昔黒島から強制移住させられたマーペーさんが別 れ別れになった恋人を想い、この山に登ってふるさとを眺めようとし た。しかし於茂登岳がじゃまをして黒島が見えない。嘆き悲しんだマ ーペーさんは己を儚んで石になってしまったといういわれの山で、地 元の人は親しみを込めて野底(のすく)マーペーと呼んでいる。 |

国道に戻ると再び北上した。頭の上を赤い鳥が追い越していった。 アカショウビンだ。 声は何度も聞いているが姿を見たのは初めてだった。 船越は島のもっとも細いところで、左右どちらを見ても海が広がっ ている。幅は1kmもなさそうだ。その名前の由来はきっと昔、舟を 担いで島の東西を横断していたからなのだろう。 最初の店で休憩と考えていたが、その店がいつになっても現れない。 やっと見つけたときには伊原間(いぱるま)まで来ていた。 商店でアイスとさんぴん茶を交互に腹に入れる。店番のおねーちゃ んが島バナナを一本吊した房から取って分けてくれた。 郵便局で貯金のついでに冷たい水をもらおうとした。 たいてい郵便局には冷水器が置いてあるのだがここには置いてなかっ た。 がっかりしていると、恐縮した局員が代わりにタオルをくれた。 ここまで来てしまったからには最北の集落・平野まで行かなければ 区切りがつかない。そう意気込んだ途端にまたアップダウンが続く。 路面を睨みつけるようにペダルを漕ぐと、よくもまぁというほど生き 物が轢かれている。 ハブやその他のヘビは合計3匹も見た。ヘビは分かるがシギのよう な足の長いトリもよく轢かれている。何でトリまでもと思うが、それ もこの島が豊かな証拠なのだろうと分かったようなことを汗だくの脳 みそで思ったりする。 ゴキブリやウマオイも転がっていて、大きさが10cmくらいある。 喫茶店のテラスにシンスケ人形が立っていた。駐車場をたくさんの レンタカーが出入りしている。きっとここが島田紳助の店なのだろう がさっき通り過ぎた手作りシャーベットの店ほど気持ちがそそられな い。 こんな南の島に来てまでそんな店に寄って何がうれしいのだろう。 平久保の民家の軒下で休憩していると、レンタカーが止まっておば ちゃんに何やら訊いている。その車が今来た方向へ走り去ると、俺と 目があったおばちゃんが話しかけてきた。 「シンスケの店だって。来るときに分からなかったのかねー。」 さっきの店のことだ。 「あたしも一度行ったけどお腹こわしたサー。」 そう言うと行ってしまったが、またすぐに近くの集会所からシンス ケの店だってーと大きな聞こえてきた。 レンタカーには男ばかり4人も乗っていた。 緩い坂が海まで続いていた。川が流れ込んだ浜は白い砂が魅力的な 海岸線を描いている。 帰りにここで泳ぐぞ。そう決めると再び上りだした道を睨みつけて ペダルを踏んだ。 さらに斜度が増すと下りて自転車を押した。目的地はもうすぐそこ と分かっているので、休む時間が惜しい。 道が下り出すとほっと息を吐いた。 午後1時半、最北の集落・平野に着いた。しかし商店は一軒もなかっ た。ひたすらビールだけを思い描いてここまで来たというのに。 コミュニティーセンターで頭から水を浴びて休むが、何度そうして も生暖かい風が吹いてくるだけだった。 スズメも日射しを避けて集荷場の屋根裏でおしゃべりをしていた。 平久保灯台はビューポイントとして紹介されている。そこなら店も あるのではと思い、素通りした平久保灯台への道を折れた。 牧場に挟まれた道を岬に向かって登って行くと海の青と牧草の黄緑 色が眩しい。その中を赤い点になったトラクターが唸声を上げている。 ビールはなかったが自販機があった。アイスクリームの屋台も出て いる。しかし人も車も忙しく行き交って、落ち着いて休む雰囲気では ない。水分だけ補給して、先ほどの平久保の浜へ自転車をすっ飛ばした。 |

橋の袂の踏み跡を辿って浜に降りるとモンパの木陰に自転車を止め た。あたりにはニガナもたくさん生えている。 これは帰りには採ろう。 水中めがねの曇り止めにはモンパの葉で拭くと良い。多良間島で教 わった方法だが、そんなことをしているのももどかしく海に飛び込ん だ。 まるで温泉のように首まで浸かると、疲れが一気に飛んでいく気が した。 ここらは広くリーフに囲まれているが、近づく台風のせいか風波が 立ち、水は濁っていた。それでも砂のグレーをバックに鮮やかな青の サンゴがあり、そこには何種ものサカナが群れていた。 ずっとこのまま波に身体をませていたかった。しかし帰路もまだ30 キロある。遅くなると台風の影響も心配だ。そろそろ上がろうと浅瀬 を歩いていると右足がイラクサに触れたようにチクっとした。 イテッ。 慌てて足を退くと今度は左足にもっと大きな痛みが走った。足下を 見ると半透明の箱状の体から50cmほどの黒い触手を伸ばしたクラ ゲがいた。 ヤバイ!ハブクラゲだ。 どうしよう。 そうだ、酢だ! でも、ない。 水はあるけど、水で洗って良かったっけ。 どうする、どうする。 慌てるな。とにかく触らずに地元の人に訊くことだ。 荷物を放り出したまま一目散に集落まで走った。こんなにアドレナリ ンを出しても良いのか不安だったが、それよりも一刻も早く適切な手当 が欲しかった。 平久保の集会所に行くとすぐに酢をかけてくれた。シンスケの店で腹 をこわしたと言ったおばちゃんは看護師で今日はデイケアーに来ていた のだった。 「ハブクラゲに刺されたの初めて見たサー。誰も海なんかで泳がないよ。 今年はこのあたりにクラゲが多いって新聞に書いてあったさー。」 地元でも滅多にない事件に人が集まって来て、その度に同じことを答 えた。 いつ泡を吹いて倒れるか分からないからと、石垣市社会福祉協議会の 車に自転車を押し込んで宿まで送ってくれた。 しかしその後心配するほどのことはなく、どーだ!と得意そうに傷跡 を見せていた。そのときには、俺はオオスズメバチからも生還したんだ かんね、と付け加えることも忘れなかった。 |