飛び立てない滑走路
沖縄・辺野古 '04.12.27〜'05.01.05


                             '01.12.29

 高速バスを石川インターで降り大慌てで自転車を組み立てると、今
にも降り出しそうな空に急かされるように走り出した。
 2年前の沖縄本島一周自転車旅で未走行だった石川市から名護市二
見までを繋げるためだ。それを繋いだからといってどうだというもの
ではないが、それでもひとつの句読点をつける楽しみがある。  

 間一髪、バラック建てのそば屋に入った途端、とうとうパラパラと
雨が降り出した。
 店のオヤジが濡れるから奥に入れと言うが、やはり沖縄は冬でもそ
れなりに暖かく、まして今まで自転車を走らせて汗もかいていたので
少し飛沫のかかるテラスの方が気持ちが良かった。
 そーきそばを頼むと麺の上に太い骨付き肉がどーんと横たわってい
た。

 宜野座高校はやはりというか、なんというか野球少年が目についた。
21世紀枠で出場した甲子園でベスト4になったことがあるのだ。
 沿道に活気があったのはこの付近だけだった。
 金武町に入ると「都市型演習施設建設反対!」という旗が何本も立っ
ていた。
 そんなものがあることを初めて知った。きっと市街戦の訓練施設な
のだろう。銃を構え、ドアを蹴破って攻め入る映画の1シーンが目に
浮かんだ。
 小雨に濡れた道を進むとキャンプハンセン、その向かいの歓楽街も
閑散としていて「日本人歓迎」の文字も空々しく見える。
 坂を走り下ると冷たい風がカッパを突き抜けた。

 ドキュメント小説「海人」の主人公照屋おじーのさしみ屋を見物が
てら、国道を逸れ辺野古へと入った。その店のたたずまいは文章から
想像していたものと違い、新しくて小綺麗だったので拍子抜けしてし
まった。
 印税で改築か?
 座り込みの行われている港への道をベンチの中学生に小声で尋ねた。
うかつに大人に訊くのははばかれると思ったからだ。
 
 漁港のどん突きにヘリ基地移設反対派の座り込みテントがあった。
 雨よけが垂らされて中の様子は分からないが、道を隔てたフェンス
には辺野古の海を写した写真や過去の経緯を表した記事などが掲げら
れていた。
 ニュース映像で見たとおりの風景だが怒号や罵声は聞こえては来ず、
ただ暗い空の下でひっそりとしていた。
 テントを覗くと、一分でもイイからと誘われるままに座り込みに参
加する事になってしまった。
 これも良い経験だ。
 基地はおよそ1km×2.5kmもの大きさで、ヘリ基地なのに何
故か2000mの滑走路がある。
 そんなに大きな必要があるのだろうか。
 渡された注意書きには非暴力の原則を守るようにとあり、ここでも
非暴力の活動家・阿波根昌鴻の思想が生きており、さすが沖縄だと感
動した。
 那覇防衛施設局は基地建設のための地質調査用のやぐら立て工事を
環境アセスを経ずに強行している。その工事で10数カ所で珊瑚礁の
損傷が発見されたと翌日の新聞に大きく報じられていた。その阻止行
動が現在の主活動のようだ。
 テントの中には30人ほどが居り、おしゃべりや三線を弾いたり雑
誌を読んだりとめいめいにくつろいでいた。ピリピリした様子が感じ
られないのは、すぐに年末休暇で防衛施設局も性急な行動をしないだ
ろうと思われるからだそうである。
 およそ15分で短い座り込みテントを辞した。

 近くにシットオンカヤックをたくさん並べた小屋があった。こちら は同じく移設反対派の海上行動部隊のようで、テント座り込み派より も年齢も若く血気盛んなようだ。  今回の旅の目的はこの辺野古沖にあり、基地が移設されると渡れな くなってしまう平島と長島をカヌーで巡り、あわよくばそこでキャン プをしようというものだった。  しかし出発直前に一緒に漕ぐはずだったカミヤマさんからドタキャ ンをくらい、どうしたものかと思っていたところだった。  そこでその海上部隊に様子を聞きに行った訳だが、なんだか胡散臭 いヤツと思われたらしく、まともには相手をしてもらえなかった。  そりゃー俺だって勿論基地移設には反対さ。でも基地への就職が一 番のエリートのような沖縄の経済を見たら声高にそうも言えないとこ ろもある。自然保護にしたって、腹足りて礼節を知るという言葉があ るくらいだし。  だから俺はこのジュゴンが住むという海を漕いでその記録を伝える。 そんなささやかだが俺なりの反対運動をしようと思っているだけなの だが。  なんとなくしっくりしないものを腹に蓄えたまま辺野古を後にした。  道はキャンプシュワブのフェンスと別れ、やがて長い登り坂が続い た。身体の前面は雨に濡れて冷たく、ザックを背負った背中だけがカッ パの下で火照っていた。  峠の大きな丁字路、二見だ。直進すれば名護へ行く。すぐ先には2 年前に世話になったデイケアーセンターが見えた。  世話になったといっても、そこに入所して介護してもらったという わけではない。峠に登り切って、内地ではどこにもあるようなドライ ブインで冷えたジュースでも思ってもここにはそんなものはなく。ケ アーとあるくらいだから俺もケアーしてもらえるだろうと飛び込んだ のだった。  あの時は同じ季節と思えない暑い日だった。  右折し海までヘアピンの続く道を下る。寒いのでスピードは極力出 さないようにする。 閉鎖された観光施設も暗く沈んでいた。  大浦川を渡り瀬嵩集落まであとわずかというところで、すれ違い様 にワンボックスの運転手と目が合った。  お互いに気がつき、少し行き過ぎて止まった。  やっぱり。  テラワークスの諸喜田さんだった。 「30日からのツアーにおいでよ。ウクレレも買ったさー。」  勢いを増した雨の下で短い会話をした。  そういえばこの辺りはショッキーのテリトリーだった。  その方が楽しいかも知れない。  辺野古を出るときのことを思い起こしてそう思った。 
 
PAGE2→