クレオパトラはご機嫌ななめ?



喜界島 '02.12.24〜'03.01.02




名瀬まで走るのだ


























クニちゃん























メリークリスマス!

 ナンダ、ナンダ、話が違うぞ。
 お天道さんと約束したわけではないが、暗い空の下にいかにも  
寒そうに広がる海を見て思った。
 ヒコーキは震えるように奄美空港に降りた。ちょうど羽田〜奄
美線就航10周年とかで土産を貰い、初っぱなの幸運にタダチに
機嫌が治ってしまった。
 自転車を組み立てていると、暇をもてあましていたかのように
タクシーの運ちゃんたちが集まって来た。
 名瀬まではアマシンのおかげで道も良くなり、ひとっ走りだと
教えてくれた。
 アマシン?きっと奄美振興なんとかという土建屋ワッショイの
団体だろう。しかしここで議論をしてもショーガナイので名瀬に
向かって自転車を走らせた。
 喜界島が黒雲の中に溶け込むように霞んで見えた。

 名瀬のことを島の人はナセと呼ぶ。ナゼなのかは分からない。
 その島の西岸にある名瀬に来ると冷たい北風がダイレクトに吹
き付けるようになった。道は狭く混雑して名瀬見物などという気
持ちまでさらって行かれ、俺は空模様のように不機嫌にフェリー
ターミナルに直行した。
 売店にビールは置いてなかった。しかし電話すれば6本から配
達してくれると、店のおやじは不思議ことを言う。
 ちなみにおやじは喜界島の三味線弾きで、島に行ったら師匠の
安田なんとかを訪ねると良いと教えてくれた。
 6本は多いなあ。
「3本は私が貰います。」
 フクオカさんから声を掛けられた。これまた喜界島の人だった。  
そのまま一緒に飲んだり、食堂に行ったりして1時間以上も遅れ
たフェリーを待った。

 島に着いたのは深夜12時をまわっていた。フクオカさんの案
内でラーメンを食いに行き、フェリーターミナルに戻ると鍵が掛
かっていた。
 島人からここに泊まると良いと言われていたのだが。
 扉をガチャガチャしていると中から人が現れた。写真家のタマ
ゴ・クニちゃんだった。彼もこのターミナルの宿泊者だった。
 その夜二人でターミナルのベンチで眠った。

 翌日もパッとしない天気。海から怒濤の風が吹き、港の中でさ
え大きな波がうねっている。
 カヌーなんてとんでもない。
 島の偵察を兼ねて自転車で一周することにした。
 環状線からナポリ通り、そして空港通りを抜けて行く。名前だ
けはどこか有名リゾートにいるようだ。
 空港通りからはずれてしばらく行くと海岸に面したダート道に
なった。背丈以上の草が道を覆い隠しそうな勢いだ。海に出ると
海岸線はギザギザの珊瑚石灰岩が囲んでいた。
 この島は1年に1.7mmも隆起しており、そのためサンゴの成長
が追いつかずにリーフができないそうだ。
 満潮時にリーフ内を漕いで安全快適に島を一周というのは完璧
に無理と分かった。

 遊歩道を通って荒木集落へ出た。簡易郵便局のおやじは高崎に
親戚がいて先日も行って来たばかりだと言っていた。
 なだらかな湾を見下ろして手久津久(てくづく)から上嘉鉄、
閉鎖した製糖工場の煙突だけが暗い空と戦っていた。
 上とあるから下とか中嘉鉄もあるのかと思ったら、そのどちら
もなかった。ということは、これは神から転じたのだろうと勝手
に決め込んだ。じゃあ、カテツはと訊かれたら口ごもるしかない。
 浦原で石垣に誘われて路地に入り込むとメロンの出荷作業をし
ていた。ここでは1年に2回収穫できるという。しかしそのオヤ
ジさんは大変だから1回しか作らんと言っていた。
 きっとそこまでする必要がないのだろう。
 花良治(けらじ)簡易郵便局ではケーキをご馳走になった。
 そう、今日はクリスマスなのだ。1年前は名護の公園でプータ
ローに脅されて、やはり強風の海岸線を一日中走っていた。
 1年経っても同じことをしている。俺の辞書には進歩や学習と
言う言葉などまるで無いらしい。

 早町は荒天時にフェリーが入港する。
 一軒だけの店でゴハン、ギョーザ、そしてナガノーという魚の
フライを買った。ナガノーとは名前のように長い魚のようだ。き
っとナガ・イオが変化したものだろうと金田一を気取ってみても、
あたりに聞いてくれる人は居らず寂しいだけだった。
 フェリー待合所は鍵が掛けられてあり、軒下で昼食を取ってい
ると雨が降り出した。風が回り込んで吹き付けるので、その度に
ゴキブリのように軒下の壁に張り付いて移動した。
 なるべく雨に当たらぬよう、身体を薄くして2時間ちかくいた。
 こんな様子も全く1年前と同じだ。
 小降りになった頃ひとすじの風が吹き、その拍子で待合所横の
ドアがキーっと開いた。
 なんだよ。さっきは押しても引いても開かなかったのに。

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