掲示板ログ
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No.282 あまり時間はないぞ 投稿者:六さん  投稿日:2004/03/10(Wed) 00:11

先日、よっきさんの地区のちょうさ好きなおっさんが一人亡くなりましたね。うるさいけど好きなおっさんでした。(わりと仲良しでした)
あの年代の人が親から聞いた話を世間話でよく聞きましたが、それでも明治中期までしか遡れません。
その頃には、うちのもよっきさんとこのも既に存在していたはずです。どうにかしてその前が知りたいですね。
でもそんな話を聞くことも出来なくなろうとしています。
今のうちにお互い遠慮せんと聞いときましょう。
そして得た情報をこれからどんどん出し合いましょう。
榎井型解明の糸口を見つけましょう。

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No.281 おおっ!よっきさんの登場や! 投稿者:六さん 投稿日:2004/03/09(Tue) 23:47

先日はどうも。これからも一緒にいろいろ想像して遊びましょう。
うちの昔の写真みて、七重の形と大きさがよっきさんとこのとほぼ同じだと思いませんか?
再建の時、私達はそう判断して、よっきさんとこのを実測させてもらい今の七重を作りました。

昔の蔵中の七重の形は明らかにうちのとは違いますよね。
昔の旗岡も正倉院校倉造りみたいな重で、昔の大橋とよく似ていて明らかに違います。

うちのとよっきさんのとこは、同じ時期に同じ人か工房の作品だと想像できませんか?

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No.280 香川県歴史博物館 投稿者:よっき 投稿日:2004/03/09(Tue) 01:31

香川県歴史博物館の「太鼓台を支えた技と心」 展に行ってきた感想を書いてみます。

◆会期/ 2月5日(木)〜4月4日(日) 
香川県歴史博物館のHP
http://www.kagawaken-100anniv.or.jp/main.html

●善通寺市の南町ちょうさ(現在は運行していない)の形は、琴平型のちょうさだった。

 展示されていた写真で見ましたが、西讃の三豊観音寺のような形ではなく、中讃の琴平満濃の形のちょうさでした。
 これは貴重な形であると思います。
 飾りは観音寺からのおさがりですが、本体が貴重な中讃型だったことは大変嬉しいです。


●琴南町の上内田のちょうさの四枚掛け布団の下絵が展示されていた。

 驚きました。あの図柄まったくそのままの下絵が見れるとは。
 琴南の方や天川神社の氏子の方は、是非一度あの下絵を見ることをお勧めします。
 もたかさんに聞いた話では、昔に同じ図柄の幕のちょうさがあったとか?

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No.279 おひさしぶりです 投稿者:よっき 投稿日:2004/03/09(Tue) 01:29

どうもおひさしぶりです。
しゅうじさん、ごぶさたしておりました。
昔の六条の写真が素晴らしいですね!

また時間がとれたら、中讃のちょうさのことをもっと調べていきたいと思っています。

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No.278 ありがとうございます♪ 投稿者:いわねえ  投稿日:2004/03/07(Sun) 23:14

 今日はどうもありがとうございました。
バスの時間に遅れたらあかんと思い、昨日はカキコ前にみたので、背広のことは読んでいませんでいた。
読んでたら、おまつり博士に御礼いえたのに。
後で六さんから御礼言っといてくださいね。

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No.277 お疲れ様でした 投稿者:す〜 投稿日:2004/03/07(Sun) 20:05

六さん ちょうさ博士
今日はどうもありがとうございました
私は手ぶらで行ったから恐縮してます
またどっかでお会いしましょう

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No.276 す〜さんへ 投稿者:六さん 投稿日:2004/03/06(Sat) 22:53

質問ですか・・・。最初はこっそりと、誰にも気づかれずに、隅のほうで講演を聴こうと思っていたのに・・。

明日、私は午前中仕事で、そのまま会場に行くので、おそらく数少ないサラリーマン姿です。でも、私に声をかけようとしている人達が確信できるよう、目印を用意しましたので、明日はよろしくお願いします。

す〜さんといわねえさんに、満濃のちょうさ博士が用意してくれたちょっとした手土産があります。もし既に持っていたらごめんなさい。私からも、些細な手土産あります。

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No.275 先にいわねえさんへ 投稿者:六さん 投稿日:2004/03/06(Sat) 22:41

うちの房は、再建しようとしてた時に、こっちから何も言わんのに、近所のおばちゃんやおっちゃんらが、「お前ら金ないんやろ、しばらくこれでも付けとけ」言うてリリヤンで作ってくれたもんです。当時はほんまにありがたかったです。
その反面、正絹のを新調したいのに、なかなか言い出しにくいです。
でも、正絹の中古よりはずっと価値があると思ってます。
またまたしびれる六若逸話でした。

昼提灯の下に吊るす小さい房は、近所の染物屋さんで買いましたが、もし新調するとしたら、おそらく金鱗に注文すると思います。全体のバランスなんかを適切にアドバイスできるとこがいいんじゃないかと思います。
他所のちょうさは多分刺繍屋さんに注文したとこが多いと思います。

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No.274 へー 投稿者:いわねえ  投稿日:2004/03/06(Sat) 22:03

 私は昔から家にрキるもんね。
それに春に一度は(去年は2度)淡路で会うもんね。

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No.273 3月7日の講演 投稿者:す〜 投稿日:2004/03/06(Sat) 15:25

六さん 
尾崎さんへの質問を考えといてください
講演が終わったら質問させてくれます
明日は質問責めですよ

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No.272 3500ゲット 投稿者:いわねえ  投稿日:2004/03/05(Fri) 21:18

 キリ番かな?
さておたくらは房はどこから買ってるの?
 京都の房屋の岡本啓助商店に遊びに行ったもんで。

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No.271 3463 投稿者:六さん 投稿日:2004/03/02(Tue) 19:44

さよう六さん(3463)ゲット!
そんなに来るんですか?
こらほんまに赤い薔薇が必要かも・・・

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No.270 3456 投稿者:いわねえ  投稿日:2004/03/01(Mon) 21:03

 3456ゲット。
 さて3月7日の講師の尾崎さんにрオました。
参加者110人超えたそうです。
みなさんに会えるかな?
私も君たちに紹介したい人がいるから、見つけてね。

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No.269 六さん様 投稿者:いわねえ  投稿日:2004/02/13(Fri) 23:18

 メールありがとうございます。
さて3月7日はすーさんは夜勤なので、高松に来れそうらしいです。お会い出来たら紹介します。
四国のマニアの方々とは春に淡路で会うし、
以前に尾崎さん宅で寄合してもたか君に会いましたが、
私が一度でも会っていれば、あたかも旧知のふりしてあなたに紹介しますね。

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No.268 オフ会? 投稿者:いわねえ  投稿日:2004/02/11(Wed) 21:24

 いやいや。あくまで講演会でしょう。
ついでに懇親会かな。
六さん来るというんで多くのマニアが来るでしょう。
あ、それからうどん大歓迎よ(^o^)丿

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No.267 なるほど! 投稿者:六さん 投稿日:2004/02/10(Tue) 00:57

皆さん、そうやって情報収集してるわけなんですね!
甘いもんとお酒どっちが好きやろか、無難にうどんのほうがええやろかと真剣に考えてました。(これマジです)
ところがそうなってくると、琴平は何にも無いんですよ。行政は一切関わってないし、全体をまとめる組織もないんですよ。なんせ、氏子祭に奉納しているだけなもんで。私も去年ADSLにしてからいろんなとこに興味持ち出したとこなんで資料なんて持ってないし。
う〜ん・・・私の師匠のちょうさ博士と相談しときます。

あのう・・ひょっとしてこういうのをオフ会っていうんですか?初めてなんでちょっとドキドキしてます。皆さんはすでに結構顔見知りなんですか?

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No.266 欲しい物 投稿者:いわねえ  投稿日:2004/02/09(Mon) 21:50

 プロフィールは公正を期すため、他人のHPの直リンクです。むしろはじめにをごらんください。
交換で全国の山車、だんじり、太鼓台の写真は沢山あるのですが、中讃地方はないもんで。
当方は全国の山車祭りのパンフレット持って行こうと思っていますが、よその地方は興味ないですか?
 それから、堺の布団太鼓の本要るなら買っておきますが?(税別3、000円)

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No.265 手土産ですか・・・ 投稿者:六さん 投稿日:2004/02/08(Sun) 23:49

何か考えておきます・・・
希望があれば調達しておきますが。
HPのプロフィール見ても、地車以外に好きなものは無いように思えますけど・・・
当日は満濃のちょうさ博士と一緒に行きます。アナログ時代の写真等の量はすごい人です。

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No.264 RE ようおいでな 投稿者:いわねえ  投稿日:2004/02/07(Sat) 22:07

 ろくさん様。
目印に団扇持って行きますね。
手土産用意しますんで、お返しお願い致します(^o^)丿

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No.263 長炭にて 投稿者:六さん 投稿日:2004/02/01(Sun) 22:29

今日、チャリで鳩峰神社に行きました。神社のすぐそばの倉庫にブルーシートを被ったちょうさを見つけ、ふと思ったことを綴ります。
最近、合併協議は旨くいってないらしいですね。話聞いただけですけど、琴平の人間ってえらい嫌われとったんですねぇ。
さて、ちょうさを比べると、
旧町内は、どこかの蛙のごとく、他市町のちょうさには見向きもせず、ひたすら今までとおりでいようとしています。
榎井は、なんか2軍みたいな奴が多いわ。春日が終わってからつる屋の角に行くなよ。
満濃にいくと、大きさや豪華さでこれらを凌ごうと西から買い付けて、本体どころか、とうとうかき方まで新居浜様式が出現したな。
これって、各々の歴史や風土が醸し出した町民性ってやつなのでしょうか。
長炭は昭和の合併まで綾歌郡やったのに、今はそんなことはお互い微塵も感じないと思うんですけどねぇ。
結果はどうあれ、祭が今のままであればよしとしますか・・・。
こんな屁理屈ばっかり書くから嫌われるんやろか?

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No.262 ようおいでな 投稿者:六さん 投稿日:2004/01/29(Thu) 23:35

そしたら目印は胸に赤い薔薇でも・・・
初心者だからよろしくお願いします。

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No.261 この場を借りて 投稿者:いわねえ  投稿日:2004/01/29(Thu) 01:13

 来る3月7日に高松に行きます。
うどんを食べに(^。^)
いえいえ、尾崎さんのお話聞きに。
そして六さんのご尊顔見に。
 他にもよっきさんも来るのでは。
まあみなさんもお手すきなら聞きに行こう。

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No.260 忘れんうちに 投稿者:六さん 投稿日:2004/01/07(Wed) 12:40

満濃生稲のちょうさ博士に用があったんで、ついでに訊いたら即答でした。

○中村は西条の朔日市(ついたち)の子供の中古(あれで子供かい!)だそうです。博士が中1の頃なんで35、6年前ですな。ちなみに今年新調になるそうです。

ついでにようけ言うてくれたんでお知らせしときます。よっきさんやいわねえさんのお役にたつやろか?
○木の崎・・・・・・・・新居浜市長野→観音寺山王から(長野はずっと菅原作なんでこれもおそらくそうやろう)
○久保上組・・・・・・西条市野々市から(えらい大きな高欄幕が下のほうにあるやつやな←四角布団いうらしい)
○善通寺市大麻・・満濃町新道から(なんちゅうても梶内作やて)
○長炭広袖・・・・・・幕はこんぴら南新町から(そういえば丸金やわ)
満濃のほとんどの地区は西からの中古の購入から始まったと言いよりました。
博士も先代大橋の虎の掛布団は大好きやって言ってました。彼と意見が合うなんて、なんかワシもだんだんマニアの仲間入りしよるような気がする・・・

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No.259 すみません下のものです 投稿者:西条 投稿日:2004/01/06(Tue) 16:12

下の間違って送ってしまいました。
改めて質問ですが中村の地区の飾り幕は、三角形の飾り幕があるようなんですが、あの飾り幕はどこで作られたのか知りませんか?

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No.258 質問なんですが 投稿者:no Name 投稿日:2004/01/06(Tue) 16:07

はじめまして私は

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No.257 先代大橋のちょうさ 投稿者:六さん 投稿日:2004/01/02(Fri) 16:50

しゅうじさん、先代大橋の写真ありませんか?もし無かったら、誰かこの掲示板見ている大橋の方はいませんか?あの独特の七重の形が、五重・七重の謎解きのポイントの1つなんです。

そらそうと、先代大橋の掛布団がメチャ好きでした。もと金さんが虎若と命名したほどの、虎一匹しかおらんかったけど、迫力が全然違うやつです。(別の柄もあったと思うけど、印象深いのは虎一匹のやつです)私の中ではナンバー1です。あれ以上のものは私の生涯で未だ見たことないです。

私も写真探したけど、当時勝手に正面から撮ったらくらされへんやろかという気持ちが表れている、遠くから写したピンボケ2枚しかなかったです。

脇道にそれてばかりで、謎の続きにはいれんですみません。昔学校でこういう先生必ずおったなぁ。

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No.256 よっきさん、243のレスやで 投稿者:六さん 投稿日:2004/01/02(Fri) 16:22

町史の大井さんの向かって右の写真は最近のもんや。知り合いが写っとる。法被から先代四条本村と思われるな。
問題は左や。町史ことひらに載せるくらいやから、伝説の先代五條ではないんかい?明らかに先代大橋じゃないで。
五條本村に住む知り合いのおばちゃんから最近聞いた話では、嫁にきた50年くらい前には大きいのが出よったげなで。五條本村と慶納の人等で世話しよったげなで。(今の五若と一緒か?)
そのおばちゃんは今の五若は昔の子供ぢょうさを出っしょんやと信じとったがな。そら勘違いやとは否定せんかったけど、裏を返せば昔は子供ぢょうさもあったってことになるわな。それも今の五若と間違うくらいの大きさの子供ぢょうさが・・・。
ということは、それは果たして何処に行ったのか?上内田や岡田には年代が合わんけど・・・。

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No.255 みなさん、おめでとう 投稿者:六さん 投稿日:2004/01/02(Fri) 02:59

さて続きを書こうと思った瞬間、ランケーブルの先が壊れて、今までケーブルの引き直しやってました。予備があったんはラッキーやったけど、近所から正月の夜中に何やっとんやと思われるで。ノートやし、無線ランにしたほうがえんかなぁ。

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No.254 あけましておめでとうございます 投稿者:いわねえ  投稿日:2004/01/01(Thu) 21:07

 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくです。
 よっきさん、君の記述また引用させてもらいます。
いつもありがとう。
 さてカウントダウンで太鼓蔵開けたり、
新春曳行、注連縄奉納などいろんな名目でちょうさ出すとこはありませんか?

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No.253 あけまして おめでとうさん 投稿者:こんぴらの酔狂 投稿日:2004/01/01(Thu) 10:09

初参加です。去年一年楽しく読ましていただきました。
今年も、期待しながら元旦早々掲示板をひらいてみました。
が、まだどなたも書き込みなしでした。
又、一年楽しませてください。

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No.252 謎の続きは年明けてから・・・ 投稿者:六さん 投稿日:2003/12/31(Wed) 20:58

こたつの上に料理がいっぱいなんで、ノートを膝にのせて打ってますので、えらいです。
六さんは酒飲めんので、お茶でチビチビつまみながら、管理人さんがアップしてくれた六若見ながら、紅白でもエンジョイしますわ。
みなさん、どうぞええ歳とってくださいね。

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No.251 大変遅くなりました 投稿者:しゅうじ(管理人) 投稿日:2003/12/31(Wed) 12:46

みなさんお久しぶりです。(^^;
公私共に忙しい状態が続いているので、なかなか書き込みが出来ませんでした。

▼六さんへ
写真ありがとうございました。アップするのが遅くなってしまって申し訳ありませんでした。m(_ _)m
いい写真ばっかりですね。古い写真なども少ないので貴重な資料になりますね。

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No.250 おおっ!!!! 投稿者:六さん 投稿日:2003/12/31(Wed) 10:44

管理人さんありがとうございます。ほんまにうれしいです。(容量は大丈夫でしたか?)
一応今まで書き込みした内容に合わせてチョイスしたつもりです。もし暇やったら、掲示板読み返しながら見てください。

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No.249 ちょっと時間があったので 投稿者:六さん 投稿日:2003/12/30(Tue) 19:31

「満濃には西から買うてきた大きなちょうさがようけある」これは私が小さい頃に近所の誰かに言われて、ずっと心に引っ掛かっていた言葉です。それがどこのちょうさかは分からなかったのですが、いわねえさんのHPで確認できました。あの先代大橋は新居浜から買うてきたものやったんですね。他にもいろんなHPによると、やはり満濃には西から買うてきたちょうさがかなりあるような気がします。
ちょうさや山車のようなものを所有する方法として、他所から購入するという方法は、かなり古い時代のことでも、その地区に伝承していることが多いと思いませんか?いわねえさんのHPからでも、全国中でかなりの数が見られますね。
私にはこの伝承が、例の謎を探る上で、大きなポイントになると思えてなりません。

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No.248 いやぁ、よかったよかった 投稿者:六さん 投稿日:2003/12/30(Tue) 00:36

所用でしばらく家を空けていたのですが、皆さんの書き込みなかったので心配していました。
さて、例の謎についてですが、五重と七重との境目は、大雑把にいうと鳥坂ですよね?鳥坂から西は文化も言葉も違うということは小さい頃からよく聞かされたけど、高校はいって同級生からそれを実感した記憶があります。
インターネットのおかげでほんまにいろんなことが即時に分かるようになったんですが、鳥坂の東は、大阪・淡路・倉敷・小豆島・宇多津・こんぴら等、一部の例外はあれど、基本的には三重か五重ですよね。ところが西に行くと、基本は七重、今やそれがエスカレートしてどんどん大きくなってますね。金糸の見せ方も鳥坂が分岐点のように思います。
それがなんと、塩田歯科と樋口たこ焼き屋の今や暗渠になっている榎井とこんぴらを分ける川が、東西は逆でも、もう一つの境目だと思うとうれしくなってきます。
明日の朝早いので、今日はこれくらいで。明晩も夜警で書き込みできないので、31日に紅白と格闘技を見ながら・・・

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No.247 木の崎 投稿者:よっき 投稿日:2003/12/29(Mon) 03:12

●満濃町吉野の須佐神社の、木の崎。

○とんぼ無し、○七条布団、○四枚掛け座布団、○四隅の昼提灯 にこちらもあてはまりますね。

ちなみに木の崎の子供ぢょうさも幻のちょうさですね。かなり小さなちょうさでした。
今年は10月12日(日)の昼にしか出ていなかったそうです。

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No.246 七条でとんぼ無しのちょうさ 投稿者:よっき 投稿日:2003/12/29(Mon) 02:52

○とんぼ無し、○七条布団、○四枚掛け座布団、○四隅の昼提灯 の、大井八幡宮・春日神社以外での中讃南部のちょうさについて少しまとめてみます。

●琴南町造田の天川神社の、上内田(かみないでん)。

地元の方にお話を聞きましたが、このちょうさは大正時代には既に上内田のちょうさとしてあったそうです。
それ以前の昔、このちょうさは琴平か榎井のちょうさであり、そのまままるごと貰い受けて来たそうです。
布団締めの龍や幕は当時のものではありませんが、掛け布団や昼提灯や彫刻などは当時からのままのものをずっと使っているそうです。
子供ぢょうさをもらって来たと言ってました。

●綾歌町岡田の岡田神社の、赤坂(赤坂と室塚とで合同の運営)。

言い伝えによると、大昔に琴平方面あたりから伝わったちょうさだそうです。
平成12年までは出していましたが、人手不足のせいか、それ以降出ていません。

●満濃町神野の久保神社の、久保。

久保神社のちょうさは、昔はとんぼが無かったらしいです。

●満濃町吉野の大宮神社の、杉の上、宮東、野津郷。

大宮神社の中村のちょうさは、愛媛県西条から来たものです。

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No.245 七条 投稿者:よっき 投稿日:2003/12/29(Mon) 02:47

琴平はごじょう(五条・五重)布団(蒲団)、榎井はしちじょう(七条・七重)布団(蒲団)。

なぜこのようにはっきりと分かれとるんか謎ですね!
琴平の札ノ前は七条布団やけど、これは例外でしょうし。
琴平町歴史民俗資料館(文化会館)に飾られとる谷川は五条布団ですね。昔の南新町もやっぱり五条布団やったんかな?

先代天皇のちょうさは七条ですね。しゅうじさんのおかげで写真が見れて大変嬉しいです。大橋の子供ぢょうさも七条ですね。
大昔の本村・五條・石渕などはどんなちょうさやったんやろうか?

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No.244 太鼓のたたき方 投稿者:よっき 投稿日:2003/12/29(Mon) 02:43

太鼓のたたき方は、満濃町でも神社ごとに違うし、琴平町に至ってはちょうさ毎に違うようですね。
小学生の時は、祭り前後には学校の教室でロッカーや壁を相手に太鼓を叩くまねばっかりしょったなあ…
ほんだきん、特に同じ小学校校区内同士では、よそのちょうさの叩き方の影響を受けることもあったと思います。

五條は、今は四条のちょうさと同じ叩き方やけど、以前は大井さんの五台の中で、五條一台だけが琴平の叩き方をしょったですね。
五條は琴平町やから、榎井小学校・琴平中学校というのもあって琴平の叩き方をしょったんかな?
それより昔は五條はどんな叩き方をしょったんでしょうか?

琴平の四台の大人ちょうさのそれぞれの叩き方の違いをじっくりと聞き比べててみたいです。
喧嘩の時も、四台とも微妙に違いますね。

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No.243 大昔のちょうさの写真 投稿者:よっき 投稿日:2003/12/29(Mon) 02:40

こんばんは。
六さん、町史ことひら五巻の写真見ました!いやあ、これはええ写真ですねえ・・・!
この写真では高張提灯の文字が読めんきん、六さんの情報が大変ありがたいです!
六条の布団締めの龍がええですね。帯に巻きついとるぶんですね。その後、先代旗岡に使われとったぶんですね。
旗岡の龍も、帯の中に納まっとるぶんで、ええ感じですね。

同じ町史ことひら五巻の、大井神社の昔の写真には、ちょうさが二台写っとりますね。
説明が載っとらんけど、写っとる二台は旧五條のちょうさか旧石渕か旧大橋か旧本村のちょうさなんやろうか?

大井さんでも昔喧嘩しょったのは知らなんだです。
そういや草薙金四郎氏の本には、県下でも琴平・榎井・五条のちょうさが一番荒いと書かれとったなあ。
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No.242 今、昼休みです 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/12/15(Mon) 13:08

ほんまや。丸亀にありますね。本島と平山ですか。本島のは通町から購入らしいので、もともと旧丸亀市内は七重とんぼ無しですかね。飾り方は宇多津と同じなのに、重の色は三島ですね。ほんまに勉強になります。ありがとうございます。

実は、ぼちぼち永遠の謎である、こんぴら五重、榎井七重の違いに迫るネタ振りをしようと思って確認したかったんです。とはいっても、私も専門に研究しているわけじゃないので、仮説、推測以上のことはできませんけどね。
私の仮説には、横瀬、旗岡、大橋、新居浜、及び観音寺方面の方にも参加してほしい点があるので、もしこれを読んでいたらよろしくお願いします。
近いうちにネタの書き込みします。

管理人さん、遅くなりましたが、昔やイベントの写真のスキャン成功しました。整理したら送ります。今週は忘年会が多くて、下戸の私にはちとつらいのですが、時間を見つけてなるべく早く送りますね。今日も忘年会です。(おっと、もう昼休みが終わってました。)

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No.241 検索ヒット 投稿者:もたか 投稿日:2003/12/13(Sat) 12:26

自分がネットをはじめた頃は、なんぼ観音寺の太鼓を検索しても一つもヒットせんかったので、仕方なしで自分でHP作りました。相当パソコン初心者でしたけど、なんとか1ヶ月程で簡単なのが出来ました。

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No.240 違い 投稿者:もたか 投稿日:2003/12/13(Sat) 12:20

満濃の太鼓は、太鼓の叩き方がだいぶ違うのでいつもどうやって叩いているのかが不思議です。なかなかリズムが憶えれません。
とんぼの無い七重の太鼓は、丸亀にもありますね。
まだ、あるようにも思いますが、あまりわかりません。

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No.239 誰か教えて下さい 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/12/10(Wed) 23:59

今頃になってなんですが・・・ひょっとして、全国で地区の標準形が七重布団でとんぼが無いのは榎井だけですか?(大井神社のように取り外すのは除く)
五重以下はとんぼが無いほうが多いような気がしますが、七重以上でとんぼが無いのは他に見たことがないです。

よっきさん、いわねえさんはもちろん、観音寺のもたかさんや、新居浜の黒龍さんはいろんなとこを研究されていると思いますので、是非教えて下さい。

申し遅れましたが、もたかさん始めまして。確か私がPCで遊びだした頃、ちょうさ関連のHPで最初にお気に入りに入れたのはもたかさんのHPでした。半分冗談で「六条太鼓台」で検索したらヒットしたのでびっくりしたのを憶えてます。

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No.238 違う違う! 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/12/08(Mon) 21:16

向かって左が六条です。右は旗岡。右端の高張提灯に東旗岡若連中と書いてあります。(この写真ではわからんな)・・・どうも昔から右左をよう間違う

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No.237 よっきさんにニュース 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/12/08(Mon) 21:11

町史ことひら第5巻361nに、例の映画出演記念写真が載っとるわ。これやこれ!ちょっと印刷が薄いな。ほんまにこれ誰が持っとんやろ?旗岡の人ってきいたんやけどなぁ。向かって右が六条です。

ついでに421nのちょうさが、伝説の旧五條のちょうさやろか?昔、大橋と喧嘩しよった大きなちょうさがあったと噂でしか聞いたことなかったけど、こらほんまに大きいわ。

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No.236 こんにちは 投稿者:よっき 投稿日:2003/12/07(Sun) 23:46

しゅうじさんへ
掲示板過去ログどうもありがとうございます。
大井さんは昔は五ヶ村の総産土神やったということですので、江戸時代はかなり賑やかなお祭りやったんではないんかなと思います。
かりん祭りみたいな、満濃町と琴平町との合同の寄り合いイベントとかできたらええですねえ。
その時には、昔の氏子同士が再び集まれるいう意味合いも含まれることになりますね。まあそこまでおおげさに考える人もおらんでしょうけど…。

六さんへ
どうもありがとうございます。
横町は今の富士見町でしたか。そういや町史ことひらの5巻にも載っとったような…。
六条の荒神さんの昔の場所も知りませんでした。なるほど。出かける前に安全祈願をやっじょるってええですね!

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No.235 Re:はじめまして 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/12/02(Tue) 22:40

体調不良や仕事が忙しくて書き込みができませんでした。
▼もたかさんへ
はじめまして、管理人のしゅうじです。
わざわざ大井さんのような小さな祭りを見にこられるとは、かなりの祭り好きなんですね。
大井さんはあまり中讃の特徴はありませんが、祭りを見て西讃との違いは感じましたか?

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No.234 はじめまして。 投稿者:もたか 投稿日:2003/11/29(Sat) 22:34

今年、はじめて大井八幡宮の祭りに行きました。
五条は前に見た事ありました。あと、まんのう公園に出ていた大橋も見た事ありましたが、それ以外は初めてでした。
また、機会があったら見に行きたいと思います。

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No.233 231のレス 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/29(Sat) 11:33

ごめん。前にどっかでカキコしたん間違えてたわ。「町史ことひら」第3巻144nからを読むと、横町は今の富士見町やな。この頃から高藪や阿波町という地名も存在しとるわ。神明町は今の道筋(讃岐新道)がついてからできた新しい町ということは確か小学校の時習った。今の高藪筋が昔の多度津街道やな。

よっきさん、私の妄想を誉めてくれてありがとう。平成2年のお披露目の御祓いも荒神さんでしました。毎年町廻りに出かける前にも、ちょうさを前につけて総代が御神酒をあげて安全祈願をやってます。
荒神さんって役場が出来るまで塩田歯科の横にあったんで。昔はその前で組み立てしよったんで。

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No.232 訂正 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/29(Sat) 07:43

ありゃ、間違ったままになっとった。
長谷川佐太郎のとこに瀬戸大橋が入っとる…ちゃうちゃう…
瀬戸大橋は大久保?ェ之丞(じんのじょう)ですね。

●長谷川佐太郎…満濃池の修築
●大久保?ェ之丞…道路・鉄道・瀬戸大橋

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No.231 ??藪 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/29(Sat) 03:02

高藪は先代の幕も笹藪だけやったですね!
新調しても全く同じままというこだわりがめちゃかっこええです。
布団締めも幕も掛け布団も、先代と同じままに新調しとりますね。渋いなあ。

狸屋うどんの二階に先代の高藪の布団締めがケースに入れられて飾っとりますね。
あの写真を撮るときはフラッシュの光が反射するのでうまくフラッシュを隠して撮らんといかんですね。

高藪は虎づくしですね。掛け布団も虎、幕もついになる笹、法被も虎。
対する阿波町は龍づくしですね。掛け布団も龍、幕も龍、法被も龍。
まさに龍虎の闘い。
金山寺も阿波町と同じく龍づくしですね。これは喧嘩の組み合わせでこうなっとんかな。偶然かなあ。


そういえば、高藪の地名は昔は横町やったんですか?
「町史ことひら」を全部読んだわけではないんですが、今の金沢町は昔の片原町で、今の新明町は昔は高藪の中に含まれていた、
ということはどこかで読みました。
勉強不足ですみませんが、横町についても「町史ことひら」のどこかに説明が載っとるんでしょうか?

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No.230 日清戦争 下関条約 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/29(Sat) 02:57

日清戦争の下関条約の一枚幕は素晴らしいですね!
宇多津ではないけど、今でも今年の祭りでも現役で使われよりますよ!
あの素晴らしい幕は今後もずっと使い続けてほしいです。もしかしたら個人的に一番好きな幕かもしれんです。


六条の荒神さんである須佐之男命の一枚幕の構想ってええですねえ。
榎井・琴平・満濃あたりで新たに幕や掛け布団を作るのなら、他にはどんな題材があるんやろうか?

●榎井は昔、藤原氏の荘園やったので、藤原氏の氏神でもある春日神社にもちなんで、藤原氏ゆかりの話(そんなん言うたら題材はよっけあるやろなあ)
●榎井の勤皇の志士、日柳燕石の物語(もちろん呑象楼も込みで)
●長谷川佐太郎(もちろん満濃池と瀬戸大橋を入れる。水神を表す龍なんかを入れて)
●森の石松(金毘羅代参・清水の次郎長など)

讃岐のゆかりの話なら

●志度寺縁起海女の珠取り(もう使われとるなあ)
●源平合戦・屋島の闘い(どっかのちょうさにあったきん、それをもとにもできるなあ)
●桃太郎(鬼退治。まさにちょうさにぴったりやなあ)
●浦島太郎(なんかロマンがあってええなあ)

こうしてみるとええ題材はよっけありますね。

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No.229 志度寺縁起 海女の珠取り 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/29(Sat) 02:54

あまり刺繍については注意して見とらんきん、ええっと、海女の玉取りはどのちょうさに使われとったっけ…

大橋は大人ぢょうさ子供ぢょうさ両方共に海女の玉取り物語の幕ですね。
大橋の子供ぢょうさの幕の古い刺繍は味があってええですね!めっちゃ古そうですね。
ああいう幕こそが凄く貴重なもんやと思います。

旗岡はなぜ海女の玉取りの幕にしたんでしょうか?
先代六条の飾り一式が先代の旗岡に行ったんですよね。布団締め、昼提灯、昼提灯の吊り金具、太鼓など。
すると、幕も六条のが行って以前に旗岡でもし使いよったんなら、先代六条の幕が海女の玉取りなら、それがもとになったんやろうか?
…とまあ個人的に勝手な推理をするぐらいなら、まずさっさと地元のとっしょりに話を聞けよ、となりますが…

横瀬は唐木の彫刻が海女の玉取りの物語ですね。

ほかのちょうさにも海女の玉取りはありそうなんですが、そこまで注意して見とらんので…
やっぱり琴平・満濃にも、宇多津太鼓台写真集のような写真集がほしいなあ。

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No.228 水引き幕 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/29(Sat) 02:51

六さんへ
>私の妄想する幕は勿論、赤別珍の1枚物です。これだけはどうしても譲れない昔のスタイルへのこだわりです。

是非是非!!!
素晴らしい!!!
大大大賛成です!!!

いずれやるときには、六さんの言うこの昔ながらの大こだわりでやってほしいですね!
今の六條の幕も凄く好きやけど。あれはもとは生稲の幕やったんでしたっけ。
今の幕の、生地の質感も全体の赤みもええ感じですね。全体の雰囲気はこのような感じで。
と、私は先代の六條の幕はどんなんか知らんままに、はたから勝手に言よるだけですが…

まあほんまに六條は、締めが繋がっとる帯から赤い一枚幕まで、よう伝統を残しとってもろて、安心できるちょうさですね!

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No.227 隅提灯 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/29(Sat) 02:48

しゅうじさんへ
新道と五條は昔は青い法被やったんですね。両方とも今は黒い法被ですね。

天皇は以前は隅提灯は昼提灯と夜提灯の二種類を使い分けよったんですね!
新道は今も昼提灯と夜提灯を使いよりましたっけ?
榎井の旗岡も昼提灯と夜提灯を持っとります。

隅提灯を使わんようになった理由が大変興味深いですね。やっぱり聞いてみんとわからんもんですね。
こういう生の話を聞くのが大変勉強になります。

>一、金縄が揺れて提灯を破って、毎年修理せないかんきん。
>二、飾りが大きくなって中に入る時に邪魔になるきん。

一の理由は、金縄が昔ながらの一本の鉢巻ではなく、各面の四本に分かれたから、で、
二の理由は、四枚の掛け布団が大型化したから、が原因になりますんでしょうか。
まるでリアルタイムでちょうさ文化の歴史の変遷を見よるようです。面白いですね!

今の、掛け布団が二枚ではなく四枚ある姿は、これからも残しといとってほしいです。

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No.226 ところで! 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/27(Thu) 22:36

ワシがいっぱいカキコしよんを知って、これ読みもってニヤニヤしよる奴ら!もうボチボチ何か書き込みせえよ!「いつも読んみょるで」だけでは管理人さんも寂しいやないか。
最近、もと金さんもどしたんやろ?
満濃の重鎮も、奥さんよろしく頼みます。

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No.225 補足 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/27(Thu) 22:30

黒龍さん、ひょっとして仕事中・・? 先日はどうも。

私の妄想する幕は勿論、赤別珍の1枚物です。これだけはどうしても譲れない昔のスタイルへのこだわりです。最近は琴平でも4枚物が増えましたが、やはり金糸は控えめに赤地が見えて決してでしゃばらない1枚幕が好きです。

ところで、高藪の虎はやはり地名へのこだわりなのでしょうか?1枚幕で刺繍が笹藪だけっていうのも渋いですよね。幕と掛け布団が連携してますよね。主役はあくまで掛け布団ですっていうとこがいいですね。こんぴらでは一番好きなちょうさです。

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No.224 こだわり 投稿者:黒 龍 投稿日:2003/11/27(Thu) 15:32

おそらく海女の玉取りであったと思います。
合田縫師に依頼すれば間違いないですね。
こだわりを持って頑張って下さい。
影ながら応援しております。

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No.223 六条を題材とした幕 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/27(Thu) 01:33

もし私が幕新調に携われば、六条には今でもみんなでお祭りをしている荒神さんがあるので、その祭神の須佐之男命を題材とした幕にします。悪霊を退治する荒神を表現する幕を縫師さんと考えることを妄想するだけでワクワクします。それにより六条地区をというか六条の伝統や精神をも表現することがほんまのこだわりであり、みんな文句なしに喜んでくれると思います。おばちゃん連中の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
掛け布団もそんなふうにして題材決めたらよかった・・当時はそんな知識も考えもなかった。ただ他所には無い物にするという気持ちだけはみんなにありましたけど。
もしよっきさんの希望するような本が出来たら、うちの紹介文が「幕は六条地区に祀られる荒神社の祭神須佐之男命の悪霊退治を表し、掛け布団は榎井の西端にあたる地区の守り神である白虎を表現している」とでもなれば最高ですね。(掛け布団にはたまたま4枚とも虎がはいっています。白虎の悪霊退治とこじつけれんやろか)

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No.222 私の新しいこだわり 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/27(Thu) 01:05

六条では、おそらくここ数年の内に幕の新調計画が持ち上がると思います。昔の写真から、おそらく海女の玉取りであったと思います。ところが、つい最近、旗岡が海女の玉取りの幕を新調しました。
旗岡に負けないような海女の玉取りを制作する手もあると思いますが、題材の二番煎じになることが六条の住民の同意を得られるとは思えません。復元を目指すことよりも、他所とは一味違うということに価値を見つけるほうが六条の伝統やこだわりであり、みんなが素直に受け入れてくれると思うのです。
今回の締めの新調ではほんまにみんなが喜んでくれたのですが、ほんまいうと、ほとんどの人は昔のデザインがああだったことは憶えてないと思います。それよりも他には無いようなデザインやつくりだったことのほうが気に入ってくれたんだと思います。

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No.221 中讃スタイル 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/27(Thu) 00:44

ということは、その地区のスタイルなんてものはまだまだ流動的だと思いませんか?はたして中讃スタイルなんて存在するのだろうかという気持ちになってきています。
私らはこれまで、こんぴらや榎井のスタイルのこだわりについて多く投稿してきましたが、旗にしても調べてみるとあんな程度のものだったんですよね。
しゅうじさんが前に大橋の大きさがうらやましく思っていたことを書いていましたが、まさに満濃では大きさや金糸の多さを張り合うことが素直に受け入れられたんじゃないのでしょうか。道も広いので、琴平や宇多津のように大きさの限界が無く、坂出の変革に近い形で発展しているんじゃないのかなぁ。
前にも書いたように、刺繍の柄を憶えている人、ましてや細部までこだわっている人なんてちょうさ好きの中でもごく一部ですわ。
細部にこだわらないのなら、金糸の量と値段を考えると、しゅうじさんとこのやり方も住民の気持ちの入った正解のひとつだと思いませんか?

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No.220 見つけたで 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/27(Thu) 00:27

尾崎明男氏のHPにある詫間の明治時代の締めは右が阿龍で昇降も逆です。昔は今のように定型化してなかったんでしょうか。観音寺は今でも龍じゃないとこも多いですよね。
よっきさんの言うとおり、私も締め一つとっても昔は定型なんてなかったんじゃないかと思います。
新調する時に、その土地や時代、世相に合ったものを取り入れてきて、今の状態があるのでしょう。
例えば幕や掛け布団の武者絵や退治物なんかは明治になってからの作品だそうです。これらは当時の国策に加担するような題材が多く、国威宣揚の道具としてぴったりだったんでしょうね。神功皇后の新羅攻め、玉取り海女の犠牲精神と忠誠心、神社を守る龍や虎等々・・宇多津にはさすがにもう使ってないようですが、下関条約なんてのもあったそうですね。これなんかは、今だと国際問題にでも発展するような題材ですが、当時は民衆の気持ちを表現した素晴らしいものであったに違いありません。すべてその時代を反映しています。

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No.219 よっき さんへ 投稿者:いわねえ  投稿日:2003/11/26(Wed) 23:12

 ありがとうございます。
さっそく更新します。

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No.218 法被 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/25(Tue) 21:57

▼よっきさんへ
写真に写っている青い法被は子供ぢょうさの頃の新道です。
ちなみに五条の初期の法被も青でした。たぶん市販の法被やったんとちがうかな。

四隅の提灯を昔は昼提灯と夜提灯を使い分けよりました。使わんようになったんは、
一、金縄が揺れて提灯を破って、毎年修理せないかんきん。
二、飾りが大きくなって中に入る時に邪魔になるきん。
以上の原因でのけました。決して西讃の影響ではないです。

うちもそんなに飾りにはこだわりがなかったなあ。このHPをやるようになってから気になりだしたわ。

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No.217 飾り 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/25(Tue) 21:43

みんな讃岐弁やきん私も讃岐弁にするわ。ちょっと言葉使いがわるい時があるかもしれんげどこらえてな。

▼六さんへ
たぶんネットワークの中国製やと思うわ。うちの親も「坂出から説明にきて、材料を送って縫うてもらう言いよった気がするわ」って言よった。
それと布団締めは私がなんとなく覚えとんは、どっかが中国で作ったけどできに満足できんですぐに手放したんを譲ってもろたと思う。

今度新調する時は私もかなり年寄りになっとるやろうから、その時はこだわって先代の飾りにしようと思います。
といってもどのぐらい先の話やら…。

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No.216 刺繍 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/25(Tue) 07:29

六さんへ
個人的に思うことですが、今のちょうさの布団締めの龍の阿と吽と珠と剣の固定は、
もともとの昔はそんな決まりごとは無かったんではないんかな、と思います。
神社仏閣の阿吽とは逆やし。

結局わかららないです。刺繍についてはまるで知識が無いですので…

刺繍については私は昔からほとんど気にしたことが無かったです。
それがこちらの地域性なんでしょうか。刺繍のことはほとんど話題にもならんしなあ。

>あれだけ好きな年寄り連中の誰一人として、掛布団の柄を憶えてなかったんですわ。
>唯一、太鼓叩く時に虎の尻尾がすぐ下に見えよった気がする・・くらいのもんでした。
私も、未だにこれと同じ様な感じです。

ちょうさの写真集でも出してくれたら気にするようになるんかな?町が出してくれんかなあ。豊浜や宇多津のちょうさの本のように。

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No.215 昼提灯 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/25(Tue) 07:16

昔の天皇の写真見ました。形がまさに中讃風ですね!
おおっ、しゅうじさんの話通り、七条に提灯があるやん!この姿は大変嬉しいです!
青い法被が写ってますが、あれはどこの法被なんでしょうか?

やっぱり昔は隅提灯の昼提灯やったんですね!
天皇が平成10年(1998年)に飾り一式を新調した時に、隅提灯から隅房に変えたんでしょうか。やはり西讃からの影響でしょうか。

>大井さんだと、ちょうちん→電球→電灯と二十年ぐらいの間に変化しました。
>実は神社ごとに違いがあるんだと思います。
>では、中讃独自のスタイルはどんなところがあるんでしょうか?
>とんぼがない、横棒がある、その他は?

中讃のちょうさの非常に大きな特徴として、この「四隅の昼提灯」がまず挙げられると思います。
琴平や榎井のちょうさはもとより、吉野の大宮神社のちょうさとかでもそうですね。
中讃の伝統のスタイルやと思います。
「隅提灯の昼提灯」「四枚の掛け布団」は今では中讃にしかあんまり見られませんが、西讃でも昔はこのようだったという話もあるようです。

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No.214 中讃南部のちょうさ 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/25(Tue) 07:09

いわねえさんへ
私は四国お祭り村へは行ったことがなかったです。行っとけばよかった…

いわねえさんのHPでまとめて頂いている内容からの訂正の、第一弾です。
間違いがあれば、ご指摘を宜しくお願い致します。

〔補足〕●善通寺市(大麻)大麻神社 10月4日(土)、10月5日(日)○高橋
高橋は昭和の終わり頃に出来た。

〔補足〕●綾歌郡 飯山町(東小川)八幡神社 10月18日(土)、10月19日(日)○樋ノ口
人手不足のせいか、平成14年以降出ていない。「飯山町史」には、樋ノ口のちょうさの先代と新調後の白黒写真二枚と説明が載っている。
現在は手作りの子供みこしが四台出ている。

〔追加〕●仲多度郡 琴平町(苗田)石井八幡神社 10月25日(土)、10月26日(日)〇豊明(子供ちょうさ)

〔追加〕●仲多度郡 仲南町(佐文)加茂神社 10月18日(土)、10月19日(日)〇佐文(子供ちょうさ)

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No.213 ちょうさの並び 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/25(Tue) 07:04

昔の春日神社のお祭りでの、大人ちょうさの並びをまとめてみます。

(前方・西・神事場)@横瀬…A御神輿…B六条…C蔵中…D旗岡(後方・東・神社)

昔の西中と東中については、子供ちょうさであり、運行してなかった時期もあったようですので、はっきりとは言えんのでしょうか。

しゅうじさんへ
大井八幡宮のお祭りでのちょうさの並びについてよく分かりました。どうもありがとうございます。
最後に五台全部並んで夜の国道を行くのはええですね!
御神輿さんの行列を先導するちょうさは、お祭りを楽しむために、わざと時間をかけるようにすんですよね。ええもんですねえ。

善通寺市の大麻神社のお祭りでも、高橋(たかばし)のちょうさが御神輿さんの行列を先導しながら、休みもってゆっくりと進んみょりました。

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No.212 まとめ 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/25(Tue) 07:03

西中は昭和56年に新調して、その年のお祭りより大人ちょうさになっています。
その前二年間の昭和54年と55年に、昔の子供ちょうさを出して復活させ、運行したようです。
それまでは、二十数年間も、運行を中断していたようです。

春日神社の中に飾ってある西中の奉納写真は、その昭和56年の大人ちょうさにした初めの新調当時の写真ですね。

しゅうじさん、小松先生の本とさらに「香川県の民俗芸能」まで読んだんですね!
その他に図書館で参考になる本として、「町史ことひら」全五巻、「琴平町史」「満濃町史」「仲多度郡史」らに、歴史や神社や地域分けなどの
基本のことが載っていますね。ただ、なかなか詳しくは載ってはないですね。
私の場合は、そこから先は、草薙金四郎氏の郷土本や資料本などを読むしかなかったです。

で、行き着く先はやっぱり、地域の方々にいろんな話を聞かせてもらいたいなあと思っています。

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No.211 西中の年表を少しまとめてみます 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/25(Tue) 07:01

「祭り情報2002えじゃーないか」より、西中の紹介文を一部抜粋してみます。

『もう二十年余り前の話になりましょうか?
 ある集会でチョウサを出そう・・・という話しが飛び出してきました。私が高校生の頃西中太鼓台で事故があり、それ以降、自治会の倉庫に保管されたままでした。
 すでにボロボロだったチョウサをそのまま倉庫に入れ二十数年(中略)。しかし、オンボロとはいえ、一度目にすると、そこはそこ、取り敢えず修繕をしようと若衆、ご婦人方のご協力を得て、何とか二年ほど運行してみましたが、見かけとともに安全性の問題があり「新しくやり直そう」という声が度々あがり・・・(中略)。
 私の子供の頃も、やはり西中のチョウサは小さく、オンボロであったからである。「ヨッシャ、ボクよ見とれ!来年の祭りには西中のチョウサ大きいの造ってやるヮ、待っとけ・・」「ほんまナ、おっちゃん」「男に二言は無いワ」子供は喜んで走り去って行った。私が三十九歳の時である。(後略)

ええ話ですねえ。

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No.210 情報 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/25(Tue) 06:57

こんにちは。中讃ちょうさ情報の更新お疲れさまです。
こちらの掲示板の書き込み内容も、これからは保存してもらえれるんですね。
それでもここでは最新200件のみの表示になりますので、できれば、過去の書き込み内容もHP内で表示してもらえれたらありがたいです。
こちらの掲示板は、大変勉強になっていますので。

>このHPわりと多くの人が見てるみたいです。
あらら、誰が見よるかわからんですよね。
承諾なしでの現役の方の個人名やイニシャル名の表記は控えるようにしませんでしょうか?狭い町なんで、迷惑がかかったらいかんですし。

やっぱり昔の話なんかは、なかなか聞く機会がないので、いろいろと教えてもらいたいです。
普通に昔の話を知れる機会は、今では「祭り情報 えじゃーないか」からと祭り当日に聞くぐらいしかないですね。

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No.209 さてここで、マニアックな疑問が 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/24(Mon) 23:49

日本中の神社仏閣や奉納物は阿吽の動物や人物に守られてますが、これらは向かって右が阿で左が吽が一般的って知ってました?それなのに、太鼓台の締めに関しては、六条や天皇のように少々のデザインの違いはあれど、阿吽の左右が逆の形が固定化されています。(これを投稿する前に雨の中、春日神社で確認してきました。ほんまにええ年齢して何しよんやら)
これは実は昨日忘年会で一緒だった合田縫師の疑問なのです。歴史やいろんな説等をよく勉強している人なんですが、何時、誰がこのようにしたのか分からないようです。
合田氏が作った坂出の浜西太鼓台でその疑問を全国の太鼓愛好者に投げかけているそうです。浜西はこれらのHPで見れます。
http://inaho-niihama.hp.infoseek.co.jp/hamanisi/hamanisi.htm(喜怒哀楽をクリック)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4591/hamanisi1.htm
よっきさんやもと金さん、陰陽五行や風水等からも是非謎解きしてください。

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No.208 みんな、なんで固まっとん? 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/24(Mon) 23:13

昨日、満濃の重鎮M鍋宅で、新居浜人も含めて忘年会がありました。このHPをPRしてきましたが、なんとM鍋氏はPC音痴でした。一応、お気に入りに入れてきましたが、はたして投稿するまでに何日かかることやら。
さて、管理人さんの質問についてですが、ネットワーク製で間違いないようです。写真もいっぱい撮ってました。基本的には野津郷と一緒のようですが、やはりデザインが違いますね。
どうもネットワークでは、下絵も制作する人に任すらしいので、もし天皇にこだわった人がいない限り、中国のデザインでしょうね。日本では阿吽の位置が固定され、阿龍は宝珠を持つものと定型化されてますものね。
龍は中国4000年の歴史の中で生まれた動物なので、いろんなパターンがあるのかもしれないですね。下絵描いた人にちょっと聞いてくるわけにはいかんし、謎のまま終わりそうですね。

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No.207 それはそうと 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/21(Fri) 18:28

保存できるんですね。よかった。よっきさんのカキコがあってから、書き込むのを躊躇してました。思う存分できますね。

▼いわねえさんへ
四国お祭り村は一度だけ行ったことありましたが、確か新居浜のどこかの太鼓を展示してたくらいで、全然印象にありません。いろんな写真を展示していたような気がしますが、なんせちょうさしか興味がなかったので話題にするネタがありません。ごめんなさい。

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No.206 間違ってたらごめんなさい 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/21(Fri) 18:21

締めの写真見る限りでは、坂出のネットワーク川口縫師さんかどこかの海外発注製品でないかと思います。野津郷や本村が確かそうですよね。実物は大井さんの夜の参道でしか見たことないので、違っていたらごめんなさい。
最初に写真見た時から、阿吽とも投げ尾なので気にはなっていました。吽龍が投げ尾の場合は剣を持たないことが多いようですが、阿龍も宝珠を持ってないですよね?(写真で見えないだけかもしれんけど)
元になるデザインがないものか、いろんなHPで探してみたんですが、同じようなものはひとつも見つかりませんでした。とても珍しいと思います。
実は、東雲さんとこでも書き込みした合田縫師作の六条の新調した締めも両方投げ尾です。その元になった先々代の締めは多分高木縫師作らしいのです。
今はほとんど見かけませんが、昔は新居浜にもいくつかあったみたいですね。
私もあまり詳しくないので、これ以上はボロが出るといけないし、参考までにうちの写真を送信しておきます。

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No.205 四国祭り村?  投稿者:いわねえ  投稿日:2003/11/20(Thu) 23:35

 そうです。それです。
いつか一度行こうと思っていたらいつのまにか閉園。
情報を出して下さい。

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No.204 布団締め 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/20(Thu) 21:54

このHPをはじめるまで自分のところの飾りをじっくり見ることはなかったと思います。
じっくり観察してみて気付いたことがあります。布団締めの右側の龍が剣を持っていないんです。先代には剣があったのを覚えています。
気になって他のところの布団締めも調べてみたんですが、剣を持ってないのはあっても、跳び尾なのは見つけることができませんでした。
ひょっとしてかなり珍しいものなのかもしれません。それとも間違っただけだったりして。(^o^;

▼よっきさんへ
最初のほうがすでに消えてしまいましたが、これからは保存しておきます。

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No.203 掲示板の保存 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/20(Thu) 00:40

こちらの掲示板では、最新200件までしか表示されないみたいですね。
すると、これからまた新しい書き込みが一件づつなされるたびに、古い書き込みが消えて行くことになりますね。

大変勉強になる書き込みが多いのですが、それらがどんどんと消えて行くのが残念でなりません。

管理人さん、どうにか過去の書き込みを保存できませんでしょうか?

私がこういう書き込みをするとまた一つ古い書き込みが消えて行ってしまう訳ですが・・・

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No.202 縫い師 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/20(Thu) 00:05

見る人が見れば、その飾りを作った縫い師がわかるものなんでしょうか?
確かにいろいろと特徴がある気はしますが、誰が作った作品かまでは全然分かりません。
一番重要なことは私が天皇の飾りを作った人が誰なのかは知らないことなんですけどね。(^^;
誰か写真から見て分かる人いませんか?

▼六さんへ
メールはちゃんと届いてますよ。さっき返事をしておきました。

▼いわねえさんへ
そういえばそんなものありましたね。確かあそこにもちょうさを飾っていたような・・・。

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No.201 しゅうじさん 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/19(Wed) 23:51

昨日メール送ってみたんやけど、やっぱり届いてない?どうもOUTLOOKがうまく動かん。

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No.200 四国祭り村? 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/19(Wed) 23:48

コトバスが瀬戸大橋ブームに便乗して佐文の山の中に作って、間もなく閉館したとこのことですか?

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No.199 『琴平町氏子祭に関する研究』を読んで 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/19(Wed) 21:18

なかなか面白い本でした。いろいろな発見や、うちとの違いを知ることができました。
その中でも一番興味を引かれたのは、もともとは琴平の丁佐や太鼓輿が旧小松郷の氏神である大井八幡宮に奉納されていたということです。
明治維新での神仏分離の時に氏子の地区が変更され、琴平地区が金比羅山の氏子となったことで、金比羅山に奉納するようになったそうです。
しかし明治以前に大井八幡宮に四条地区が祭りに参加していた記録はないそうです。
もしかしたら明治以前の大井八幡宮の祭りは非常に盛大なものだったかもしれませんね。

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No.198 熱気 投稿者:いわねえ  投稿日:2003/11/18(Tue) 22:47

 好きなもんで、あちこちのBBS見るけど、
どこともオフですが、ここが1番燃えていますね。
今まで言えなかったマグマが出てるみたい。
 ネタが尽きたら今度は閉園した四国祭り村を話題にしてね。

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No.197 写真 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/17(Mon) 21:14

祭りの写真を投稿したいけど、パソコンに取り込む装置がなくあきらめている方々。
郵送か直接渡してもらうと、私が取り込んで投稿しますよ。
新しいものから古いものまで、いい写真があればどんどん送ってください。
もちろん写真はお返しします。
興味があれはぜひ一度メールしてください。

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No.196 新事実判明!! 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/17(Mon) 21:06

本村のちょうさですが、平成11年(ちょっと不確か)に心棒を除く一式を新調したそうです。
なんか綺麗になったなあ、とは思っていたのですが、新調していたとは気付きませんでした。(^o^;
どうやら大井さんのちょうさは全部、比較的新しいものになっていたんですね。

▼六さんへ
飾りを新しくするときに、七重は大きく作り直しました。
でも飾りが違うだけで全然違う雰囲気になるものですね。やっぱり飾りは重要なんですね。

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No.195 しゅうじさん、これや! 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/16(Sun) 23:25

下の写真の時代に、跨線橋を超えて来る姿をよく覚えています。多分本体を新調したとこで、綺麗な姿が高いとこを通るのが格好良かったです。
しかし、今のように衣装の大きさが変わると全然違うちょうさみたいにに見えるんですね。
私も送りたいのですが、生憎スキャナー持ってないし、今年の写真を送ろうかと思ったこともあったのですが、なんとOUTLOOKの設定が不十分で、うまく起動しないことがわかりました。(現在使っているメールソフトにアドレスをコピーすればいいのはわかっていますけど)
その内ええのを送りますから、その時はよろしくお願いしますね。

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No.194 それにしても凄い書き込み量 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/16(Sun) 23:11

もの凄い盛り上がりをみせてますね。これだけ濃い内容の中讃のHPは他にはないんじゃないかな。返事などはできませんが、とりあえず読んでいるだけでも面白いです。

▼よっきさんへ
確かに参道の雰囲気は私も好きです。何とも言えない祭りらしさが味わえますね。

並びについては元々は、たぶん奉納が始まったのが古い順番だと思います。
少し前:五条地区(どこか不明)−御神輿さん−大橋−天皇−新道の順番でした。

数年前:五条−御神輿さん−大橋−新道−天皇
どのちょうさもマルナカの前を通って帰っていました。それだと天皇が帰るのが遅くなるため、鳥居さんをくぐったらそのままUターンできるように最後列に着くようになりました。

現在:五条−御神輿さん−大橋−新道−天皇−本村
その後、本村が奉納するようになり最後尾につくようになりました。

昔は五条が祭りを終わらさないために、一生懸命参道をかいて時間をかけていました。
しかし、最近になって祭りの最後に5台全部でパレード?(大井八幡神社から満濃のマルヨシを列んで行進)をするようになったので、少し速く進むようになった気がします。

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No.193 昔の御神事の並びについて 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/16(Sun) 23:07

横瀬、六条、中之町、旗岡の4台だけでした。Yさんもそう言っていたので間違いありません。
Yさんによると、東中は丸尾の酒屋に置いたままで町廻りもしてなかったようです。私も当時の東中の友達に誘われて丸尾に見に行った記憶しかありません。
西中が出てない理由はわかりません。そういえば玄龍寺の前に飾ってた記憶しかないわ。ここも町廻りしよらんかったんやろか?昔の地主の安川さんのちょうさやと聞いていたので、運営する組織作りができてなかったんやろか?・・・いや待てよ、榎井暗黒時代に突然御神事に出てきたような記憶がかすかに・・・
西中のよう知った人に聞かなわからんな。

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No.192 例の本の記述について 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/16(Sun) 22:50

よっきさんが誉めるくらいやから、その本の観点はすばらしいと思いますが、学生を使った調査本って案外いいかげんなとこもあるんですよ。私も大学時代に調査をやらされたことあるんですが、相手のちょっとした勘違いや思い込みを、裏付けしないで鵜呑みにしてしまうんですよ。多分、色並びの慣習は、証言した人の記憶からの思い込みやと思います。東中のKさんじゃないのかなぁ。
20年代の旗無しの写真や鼠屋さんのS26の西山の旗有り写真や歴民館谷川の丸金の旗などを総合すると、おそらくこんぴらで付け出したものを、ボロ隠しに真似しただけやと思います。
けど、あの色分けは今となっては必要やと思いますね。チームカラーみたいでええですよね。

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No.191 よっきさん、旗の結論じゃ 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/16(Sun) 22:37

先日、東中のYさんという私より多少上の人の証言がとれました。Yさんが小学校の時、六条は紫か紺やったそうです。パッと見、旗岡との区別がつかなかったそうです。また、Yさんより年上の人の証言では、子供の時、六条と高藪は一緒やという記憶があるそうです。子供ってちょうさを旗の色で判断しがちですよね。私の以前のカキコやこれらの証言から、間違いなく赤から紫に変えていますね。
私のリレー説はあっさり否定されました。毎年くじ引きしてたそうです。そしたら私もくじ引きしたはずやけど記憶が無いなあ。多分、うちが優勝した年の色しか記憶に残ってなかったのかなあ。
Yさんの記憶では、蔵中の黄色以外は全部よう似た色やったということです。東中の日の丸は間違いなかったです。Yさんはいやでしょうがなかったようです。

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No.190 ちょっと懐かしい写真 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/16(Sun) 22:34

HPを少しだけ更新しました。
昔の写真を二枚ほど追加しました。
一枚目:25年ほど前の先代の天皇です。形も琴平に似ていると思います。この頃はまだ提灯を使ってました。
二枚目:15年ほど前の天皇の写真です。ちゃんとゴマはとってかいてますね。まだ飾りが古いままなので、ちょっとアンバランスな感じが漂ってます。
二つの写真で共通するところは、今は金縄は台が新しくなってからつけられてますが、実は先代にはついてなかったんです。新しい発見でした。

ところで皆さんも古い写真などがあれば、是非送ってください。もちろん新しい写真でもいいですよ。

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No.189 いわねえさんへ 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/16(Sun) 22:24

いわねえさんは姉さんじゃなく兄さんやったんですね。今まで勝手に凄い姉さんがおるもんじゃ思ってました。姉さんの鉢巻姿まで想像してましたわ。年齢もほぼ同じやし。
さて、早速の変更ありがとうございます。「つなぎ」って表現いいですね。どっちの顔もたつようないろんな意味が含まれているような気がします。元東子供会の連中はちょっとこそばいかもしれんけど、まあ自分らもよう我慢せんかったんやからね。

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No.188 どんどんやってくださいよ 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/16(Sun) 21:47

みなさん気にせずに知ってることを、どんどん書き込みしてください。
いろいろと勉強になってますよ。

さて今日は皆さんに影響されて図書館に行って来ました。それで『香川県仲多度郡琴平町 氏子祭に関する研究』と『香川県の民俗芸能』を借りてきました。
香川県の民俗芸能のなかで、天皇が奉納しだした年が分かりました。どうやら昭和5年頃から奉納されだしたそうです。大橋の次に古くから奉納されていたみたいです。
その他にも満濃町や、琴平町の情報も少しだけですが載ってました。またまとめて情報を掲載したいと思います。

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No.187 管理人さん、ごめんな 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/16(Sun) 16:14

なんか六条の生い立ちみたいな話ばっかりになってしもて。
でも、このHPわりと多くの人が見てるみたいです。この掲示板も楽しみに毎日見てる人もいたくらいです。ただ、みんなの知識についていかんのでカキコできんらしいですが、すごく勉強になるらしいです。
23日の忘年会で、必ず何人かを道連れにします。もう少しお待ちください。

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No.186 そんな中からエピソードを1つだけ 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/16(Sun) 16:09

もちろん、新調の過程でいろんな事はありましたが、その中でも私が一番好きなエピソードを1つだけ。
いつもは口数も少なく、おとなしそうに見えるMさんが実は一番こだわりの人やったっていう話です。
忠実な再建を目指したため、みんなで昔の写真持ち寄ったり、こんぴらの古そうな本体(確か4つとも)の寸法を頼んで測ったりして、設計図は自分たちで書いたのです。みんなはこれでええやろということになったのですが、Mさんは実物大でないとピンとこんと言い張り、私と二人でコンパネに書いて立ててみたんです。ところが、平面では七重の逆台形の微妙な角度とバランスが写真と一緒かどうか自信がないと言い、一人でベニヤで赤く塗った実物大を作り、コンパネの上に取り付けたんです。それをみんなで下から見上げて微調整したのでした。
今でもそれが目に浮かびます。ちょっとええ話でしょう?

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No.185 そんなたいそな事や無いです 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/16(Sun) 15:50

ワシ一人でしたわけやないしね。私よりちょうさ好きがようけおったってことですわ。
六条は1つが20〜30軒の6自治会に分かれているんですが、どの自治会長もほんまに協力してくれました。どの臨時総会でも、新調承認と寄付金のことは拍子抜けするくらい即決し、その後は昔話に花が咲きました。こりゃますます忠実に再建せないかんわと思いましたね。
寄付金は、太鼓と本体の最低限を目標とし、みんなのちょうさを強調するため、1軒あたりの額を決めるより1世帯も残らず寄付をお願いしたいということにしました。自治会長も一緒に回ってくれて、ほんまに1軒の残らずしてくれ、目標額の倍の額が集まりました。ある独居老人のおばちゃんなんか、総会の後ずっと貯金しよったんでと言いながら500円玉をいっぱい箱に入れて持ってきてくれました。ほんまに感動しましたわ。
その後の掛け布団の寄付も同様で、あれはどっちかというと年寄りから、それも特におばちゃん達からの命令に近かったです。

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No.184 9月30日のお払い 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/16(Sun) 01:09

前にも少し書き込みましたけど、大井さんの参道での夜のお祭りの雰囲気はとてもええですねえ。
先頭に五條が担いて休みもってゆっくりと進んで、御神輿さんの行列があって、その後に四条のちょうさ四台が並んで。
四条のちょうさ四台の並ぶ順番はどのように決まっとんのでしょうか?

榎井の春日さんの、9月30日の宵祭り(宵々祭りと言うのが正確になるんかな)の雰囲気も凄く好きです。
夜に榎井のちょうさ六台が集まって来て、お払いがあって、御幣をもらってちょうさに取り付けて、神主さんがちょうさを清払いして。
夜ののんびりした雰囲気がとてもええですね。
個人的には、祭り全体の中で、一番好きかもしれんです。
これから祭りが始まるでーいう。

こんぴらの9月30日の夜のお払いも、同じくのんびりしててええ雰囲気ですね。

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No.183 昔のちょうさの並び 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/16(Sun) 01:06

六さんへ
大変ええお話をどうもありがとうございます。本当に素晴らしいお話ですね。
六さんの苦労とバイタリティーが伝わって来ます!

>小さくても地区全体で運営しているのは立派な大人ぢょうさに分類すべきと思っています。
私も、地区全体の代表として出とんのなら、ちょうさは大きさなんかに関係なく対等やと思います!

旗については、変えたり、日の丸や旭日旗とかやったのもあったんですよね。やっぱり一概には言えんのでしょうか。

>それに昔は西から順番に並ぶということで、横瀬が一番やったんで。御神輿の前を先共するのは横瀬だけの役目やったんで。
現在の大井さんは五條がその役目ですね!
昔は春日さんでも、横瀬がそうやったんですね。

(前方・西・神事場)@横瀬…A御神輿…B六条…C西中…D蔵中…E東中…F旗岡(後方・東・神社)
昔のちょうさの並びはこうなんかな。
今は、毎年並びの順番を変えて、年が変わるごとに一台づつ先頭をぐるっと交代して並ぶようになっとりますね。

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No.182 四条・五条について少しまとめてみます 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/16(Sun) 01:04

「祭り情報 えじゃーないか」より
『琴平町内(五条)10月1日(水)・2日(木)〔石渕、庚申堂〕』
『大井八幡宮(五条)10月10日(金)・11日(土)〔大橋、天皇、新道、本村、五条〕』

●琴平町五条の中の、○石渕〇庚申堂は、現在はお祭りの日程は金刀比羅宮氏子祭りの日程で行っています。
●琴平町五条の中の、○五條(五条)は、氏神の大井八幡宮のお祭りに参加しています。
●満濃町四条の中の、○大橋○天皇○新道○本村は、氏神の大井八幡宮のお祭りに参加しています。

大井八幡宮のお宮のある場所は、琴平町五条にあります。
大井八幡宮の氏子の範囲は、まあ細かいことを抜きにして言えば、琴平町五条(を含む現在の琴平町大字五条)と満濃町四条(の中の現在の満濃町大字四条)です。

さらに「祭り情報 えじゃーないか」より
『若林神社(四条)10月11日(土)・12日(日)〔生稲〕』

●満濃町四条の、○生稲は、若林神社です。

若林神社は、満濃町四条(の中の現在の満濃町大字吉野下)にあります。

旧四条村は、現在の満濃町大字四条と満濃町大字吉野下との地域です。

さらに福家の獅子舞のこともありますね。

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No.181 六条のもんです 様 投稿者:いわねえ  投稿日:2003/11/15(Sat) 14:32

 ええ話やん。
しびれたねえ。
それとこの事聞いたんで、マイHPも引用させてもらって
更新せねば。

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No.180 よっきさん、ありがとう 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/15(Sat) 02:51

やっぱり赤やったんやな。
でもそんなこと決まっとったちゅう話聞いたことなかったけど、どんな人から聞き取ったんやろか?東中は日の丸付けとった記憶しかないけどなあ。
横瀬の旗は、確か白っぽい地に丸に横やったと思う。
色はご承知のとおり白黒写真で不明です。
それに昔は西から順番に並ぶということで、横瀬が一番やったんで。御神輿の前を先共するのは横瀬だけの役目やったんで。

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No.179 〃5(最終まとめ) 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/15(Sat) 02:39

大人ぢょうさ、子供ぢょうさの区別は単純に大きさで決まるものではないと思っています。前にも述べたように、子供は大人が存在する部落あってこそ、それにたかれない子供を喜ばすために存在するもので、小さくても地区全体で運営しているのは立派な大人ぢょうさに分類すべきと思っています。大きさだけで分けるんやったら琴平のは新居浜からみたら、全部孫ぢょうさやで。

なんかまとめが理屈っぽくなってしまいましたが、というわけで、あの小ちょうさはあくまで西子供会の所有物と位置づけ、先代六若は、新調した時から約30年前に諸事情により運行を止めたものを指すことになっています。(締めや幕等は寄贈という形をとりました)
その時ついでに子供会も合併して一つにしてもらいました。子供が減ってきたこともあって丁度よかったようです。
まあ、部落が二つに分かれるような原因がちょうさなら、昔のように他所の地区からもうらやましがられるような仲良し部落に戻ったのもちょうさが原因という、ほんまに愛すべき六条です。

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No.178 〃4(まとめ) 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/15(Sat) 02:20

お披露目の前の試験組みの時は部落中の子供が生き生きとしたものすごく嬉しそうな顔で全員が寄ってきました。その時の緊急記念撮影の写真は今でも私の大切な宝物です。やはり小学生には他所より小さく、全員が参加していないというコンプレックスはかなりあったのでしょう。
現在、全国には好きでたまらない有志で所有し運営している所も多いと思います。それはそれで立派なことだと思います。それを否定する気は毛頭ありません。
しかし、六条のように昔に部落の共有財産が存在したとこでは、やはりそのようにしないと納得できなかったのでしょう。そして一度承認したみんなの所有物には、とことん愛情を注いでくれる人が多く存在していたのです。

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No.177 〃3(ごめんな、まだ続きがあるんや) 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/15(Sat) 02:03

平成元年の大破損は、そんな私たちにとってはまさに神の救いだったのです。
もう一度30年前に戻るぞ!ということが決まると、まず西中に参加している連中を説得し、自治会の臨時総会を開いてもらい、後はとんとん拍子に進みました。
コンセプトは「部落みんなの財産、みんなで運営」という当たり前のことでした。以外だったのは、お年寄りが喜んで賛成してくれたことです。何を今更という意見を覚悟していたのですが、先代の写真を伸ばして、これを復活させますということがきいたのでしょうか。みんな先代のことが大好きだったのです。
他所の連中は苦労したやろって言うてくれたけど、全然そんなことはありませんでした。まだ小ちょうさの中にいた時のほうが苦労は多かったです。

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No.176    〃  2 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/15(Sat) 01:45

この頃は私はまだ大学生でこちらにいなかったので、詳しくは知らんのやけど、なんか大喧嘩があったそうです。そのせいで、なんと東子供会は当時新調していた隣の西中に協力して参加していました。
小さいけどちょうさが出来たと聞いて喜んでいた私は、元々東子供会で育ったのですが、先輩の誘いもあり、その西子供会のちょうさのお手伝いをしてました。しかし内情を知れば知るほど、この異常事態に心を痛めておりました。
また、小さいながらも結構な花が寄るのもゴタゴタの原因になりました。
一部の子供会のものということで、六若を名乗ることはままならぬということで、御花御礼も六条西子供会という名称でした。
一緒に運営していた人も、一部を除きほとんどの人がどうにかせな部落がワヤになると思っていました。
しかしながら、既に存在しているちょうさを頭から否定することは当初作った人達に気兼ねで簡単にはできませんでした。

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No.175 旗の色 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/15(Sat) 01:32

小松秀雄先生の研究本からの、榎井についての項より一部抜粋です。

『昔は氏子祭区域の西の方から、赤、白、黄、青、紫、という慣習があった。しかし、最近は黄緑や紺が流行り、習慣が崩れてきているという。』

北の地区であり旗の無い横瀬を別としての五地区として考えると、昔は、西から順に、六条=赤、西中=白、蔵中=黄、東中=青、旗岡=紫、だったようです。
しかし、横瀬も一時期旗を付けとったみたいですし、六さんの言うとおり、途中で旗を変えたこともあったんかもしれんですよね。
昭和の終わり頃、蔵中と六条は、大人ぢょうさになる前は、今とはまた違う色やったし。

今の六条の赤も13年たつんですね。確かに慣れとりますよ!
いや、個人的にあの桃色の印象がかなり強かったということですんで。
あれはまさに夜桜をイメージしとったんですか!?六条の人の考えることは凄く粋ですね!

祭りで桜といえば、南新町の法被は、桜の型のマークですね。

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No.174 一部抜粋 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/15(Sat) 01:31

研究本より、一部抜粋してみます。

『我々の調査は、多くの外来者が作ってきた琴平の「外向きの顔」ではなく、住民たちが作る「内向きの顔」を対象にしたものであった。言い換えれば、参詣や観光でやって来た人々が作る琴平の姿ではなく、町民が地域の普段の社会生活を基礎にして築きあげる「ハレの地域生活」を明らかにしようとした。』
『琴平の氏子祭そのものに関する研究所は今のところほとんどないと言ってよい。言い換えれば、調査研究の対象になったことがない。したがって、今回は祭りの現場に行って、観察や聞き取り、及びアンケート調査を通じて生の資料を出来る限り多く収集することに努めた。』
『知名度や伝統の重みという観点からは金刀比羅宮大祭が氏子祭りよりも数段上かもしれないけれども、地域社会の生活と組織に密接に密着しているのは氏子祭りである。』

ええ姿勢で調べてもろたんやなあ、と大変感服しております。

琴平と榎井についてはこう書かれています。
『祭のエネルギーが合同による相乗効果のために何倍にも大きくなったように思われることである。町の統合や活性化にプラスに作用しているのではなかろうか。』

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No.173 小松秀雄先生の研究本 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/15(Sat) 01:27

小松秀雄先生の研究本「香川県仲多度郡琴平町氏子祭りに関する研究」は、
小松秀雄先生と大学生とが、平成元年の夏から琴平町で聞き込み調査をして、平成元年の祭りの時も現地で調査して出来上がったもの、と書かれとります。
内容は、ちょうさに係わる個人名なども多く載っとるもんですので、表に出るような一般向けの本ではなく研究書といったものです。
ですので、この本を読んどる人は、かなり好きな人や、祭りのHPを開かれとるような人など、少数の人ぐらいやろなあ。
当時は他にちょうさについての本がまだ無い時代で、例えば書籍「新居浜太鼓台」もまだ世に出る前やったので、
前例がないままでちょうさのことについて調べるのは大変やったのではないでしょうか?

内容については、地元の祭りの文化についてスポットを当てています。
私は個人的に、この本を読んで、ちょうさや祭りで見るところを学んだと思います。

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No.172 子供ぢょうさの現状と課題 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/15(Sat) 01:24

170については話題にするのは止めときましょう。これは榎井だけの問題です。この場で議論する問題ではないでしょう。
そこで160の話題を少し広げてみます。子供ぢょうさに羨望の気持ちを持つのは、自分とこに大人ぢょうさを保有しているからです。そうは簡単なもんではありません。みなさんの今後の参考になればと、自分の経験を少しばかり記します。
六条では西と東の二つの子供会が存在していました。最初に小さいちょうさを作ったのは西子供会でした。当時榎井とこんぴらの祭りが一緒になった頃で、多くのちょうさが榎井にも乗り入れてきたことが誘引となったのでしょう。単純に子供を喜ばせてやりたいという気持ちだけだったことは間違いないと思います。
そうなると、当然東子供会はええ気はしませんわな。
一緒にやろうという働きかけも採り方によっては入れてやろかということになりますわな。

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No.171 ねえさんへ 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/14(Fri) 00:23

そういえば、子供会のちょうさの頃、なんかわからんけど女子大生が何人かついてきてた記憶があるわ。あれがその本のための調査やったんやろか?みんなに打ち解けてる様子もなかったけどなあ。会話した記憶も無いし。
ところで、その本から布団の柄と旗の色はわからんかったんですか?

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No.170 来年の榎井の祭りは・・・・ 投稿者:六条のもん2号です 投稿日:2003/11/14(Fri) 00:19

ほんだら、私は桃色でいきましょうか。
みなさんのアツイ、アツイ語りをしばらくながめておりました。久しぶりにカキコします。
六さん、来年は宵祭り中止です。
おまけに本祭りを金・土曜にしょうという話が・・・。
宵祭りはええとしても、今更1・2日を変えるのはと思うのですが。いかがでしょうか?反対しているのは、六つのうち二つだけです。

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No.169 よっき さんへ 投稿者:いわねえ  投稿日:2003/11/14(Fri) 00:09

これはあの小松秀雄先生の研究本からの情報やなあ、と思いました。
 ⇒はい。小松秀雄先生より、拙書寄贈の依頼の手紙があり、すぐに御自宅にрオ、御礼のこの本を頂きました。

それなのに、その後もいわねえさんには現状のことを指摘せずにずっとほおっておいていました。どうもすみません。
 ⇒気にしていませんから。
でも御存知なら、ぜひお教え下さい。
出来たら、写真も欲しいです。

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No.168   〃 2 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/14(Fri) 00:03

よっきさんの希望に添えるかどうか、今年の写真の何枚かの旗をペイントでこつこつ桃色にしてみたんですわ。(作業中娘に笑われてました)
さっきのカキコのとおり、やっぱり琴平で1台だけのもんにしたい気もあるし。
しかし正直、思ったよりピンとこんな。もう赤で何年もたつので慣れたというより、イメージが出来上がってしもたんかもしれんな。(ちなみに桃色は最初の年だけです。H3年は赤でした)
また、最初の年は唐木も新品で白っぽいし、掛け布団も金若の白なので、桃色が合ったのかもしれん。アルバムみても、確かにインパクトが強い色でした。
でも今の六条は、他所よりも金糸が少ない、全体に赤っぽいイメージのちょうさなので、むしろとことん赤のほうが合うような気もしますね。

あの旗まだあるので、来年の宵祭りにでも黙って付けてみよかなぁ。

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No.167 古代桃色の旗 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/13(Thu) 23:48

そうです。あれはまさに夜桜をイメージしたものです。当時、法被のデザインの寄り合いの時の案の一つに金さんの桜吹雪を粋に散らせるという案も出たんやけど、秋祭りに桜は無いやろちゅうことになって・・、しかしながら捨てがたく、旗に採用となったんですわ。
琴平の住民の判断基準は、他所には無いもので、粋に目立つことが大きな要素であると育てられますよね。
掛け布団の柄と同様、旗の色もそのような基準で採用になったんですが、前カキコのとおり大目玉ですわ。どうも年寄りの粋には合わなかったようです。
ちょうさのアピールには最も重要な箇所の一つである旗と掛け布団は、調査不十分にも関わらず、早く注文しなければならなかったのですが、まあ10年もしたらそれが伝統になるわって皆で納得してたんですけど、まさか反対されるとは・・。
昔は、その年の若い衆頭に全権委任していたらしく、代々によって喧嘩のための改良を平気でやっていたそうです。おじさん時はロープ切られてもいいように、立棒と横棒をボルトで縫ったそうですが、大失敗だったようです。そら折れやすいやろけど、昔の年寄りのほうが若者に寛大やったんでしょうな。

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No.166 あんたら二人もすごいわ・・・ 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/13(Thu) 23:25

どうも運動会リレー説は却下されたような・・・
ほいで165では色はわからんかったん?
新たな発見。古いアルバムからもう1枚写真を見つけたよ。多分撮った年が違うんやろけど、なんと旗のトーンが全然違うがな。
実はさっきまで、いろんなちょうさの写真を白黒にして比較してたんやけど、こりゃ紫かもしれん。多分途中で変えたんやな。ボロちょうさに旗だけ異様に綺麗です。
鼠屋さんのS26の西山には旗があり、うちのおじさんの写真には横瀬以外に無いことを勘案すると、こんぴらで旗付けだしたんで、こっちもボロ隠しに丁度ええわちゅうて付けただけやろな。うちは最初赤にしとったけど、当時の若い衆頭が紫のほうがかっこええぞちゅうて変えたに違いない。今でも紫って言い張る人はまさに当時の若い衆頭の一人です。

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No.165 六条の旗 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/13(Thu) 06:58

「香川県仲多度郡琴平町氏子祭りに関する研究」には、昔の榎井の旗の色のことが載っとります。
東西の五地区の順にと書いとりますので、北の広い地区である横瀬以外の、榎井の通り沿いの地区の、
(東)旗岡ー東中ー蔵中ー西中ー六条(西)
の順番のことだと思われます。
横瀬は旗は無かったことになっとんのかな?
昔は途中で変えたかもしれないんですかね?


六条が大人ぢょうさになった時は、桃色の旗と鉢巻きでしたね!
今でも、六条のその桃色の鉢巻きを使いよるのを見ますね。
お披露目の時に初めて見た時は、鮮やかでええ色で衝撃を受けました。
うわっ!桜色や!かっこええー!
あれは一年間だけでしたっけ?二年間ではなくて?
鉢巻きも、同時に黒にした法被とのコントラストが綺麗やったです。見た目は夜桜のイメージ。
ぜひ、六条にはもう一度あの桜色の旗を復活させてほしいです。個人的にあの時の印象が強過ぎて…
琴平・榎井・五条で、他には無い、六条オリジナルの色で、めちゃくちゃかっこよかったです。

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No.164 蔵中の旗 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/13(Thu) 06:54

>こんぴらのケンカの時の陣取りは陰陽道で言う九星に合致しているのです
>(北=一白<西若>、東=三碧<阿波若>、南=九紫<金若>、西=七赤<高若>)不思議ですね〜。

もと金さん、最高です!!!
いや、以前に私も、東青・南赤・西白・北黒の色分けとは関係は全然無いよなあ、と思ったことがありますので。
ほんま、よう見つけましたね!私はそこまで調べませんでした。
他にもこのことを見つけとった人はおるんかな?


榎井の蔵中は、今も黄色ですが、昔も黄色だったそうです。
中之町が文字通り榎井の中心であり、蔵中が中之町の中心であると考えてみます。
(東)旗岡ー中之町ー六条(西)
(東)東中之町ー蔵中之町ー西中之町(西)
横瀬は榎井の中でも、北の広い地区ですので、ここでは榎井の通り沿いの五地区の並びだけを考えてみます。
(東)旗岡ー東中ー蔵中ー西中ー六条(西)
もしかしたら、(北)に横瀬・(南)に五条、と考えてもよいかもしれませんが。

そうです、蔵中が榎井の真ん中に来ます。
その蔵中が黄色です。
これは陰陽五行での、中黄にあてはまりますね。

・・・まあ、偶然やろなあ。

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No.163 横瀬の旗 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/13(Thu) 06:51

>昭和20年代の写真では、今と反対で横瀬には旗があって、六条や旗岡は付けてないんです。

今では横瀬は、琴平・榎井・五条で唯一、旗を付けんのが頑固なこだわりの伝統になっとりますよね。

昔一時期に付けとったという横瀬の旗の色は何色やったやろうか?白黒写真では分からんですよね。

横瀬の色といえば、鉢巻きがエンジ色です。
今年の榎井のポスターには、各ちょうさの名前のところに、旗の色で色分けしとりましたね。
ところが横瀬は旗が無いんで、作った方はあまり何も考えんと桃色を使うたそうです。
あそこには鉢巻きのエンジ色を使うとってほしかったです。

エンジ色・茜色は、琴平・榎井・五条で、他には旗や鉢巻きに使われとらんですね。横瀬のカラーやと思います。

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No.162 香川県仲多度郡琴平町氏子祭りに関する研究 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/13(Thu) 06:46

「香川県仲多度郡琴平町氏子祭りに関する研究」 研究代表者 小松 秀雄

「平成元年まで」の、琴平の金刀比羅宮氏子祭りと榎井の春日神社例大祭についての研究本です。
高松空港跡地のサンメッセ高松のところにある、香川県立図書館にあります。よろしければぜひ御一読を。

いわねえさんのHPを初めて見たとき、六条を子供ちょうさ、西中を中ちょうさ、と表記していたのを見て、
これはあの小松秀雄先生の研究本からの情報やなあ、と思いました。
それなのに、その後もいわねえさんには現状のことを指摘せずにずっとほおっておいていました。どうもすみません。

また、いわねえさんに、こちらの地域の訂正点や追加情報や現状などをまとめて伝えんといかんですね。
本村が現在の三代目に新調した年とか、六条の子供ぢょうさが嫁いどるかもしれん仲南町買田などの北小学校区の地域のことなど、
私ではまだまだ分かってない不明な点が多いのですが…

それにしても、いわねえさんは本当に凄いですね!
探偵ナイトスクープでの「全国アホ・バカ分布図」の作成の快挙よりも、はるかに凄いことやと思います!

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No.161 提灯 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/13(Thu) 06:39

旗岡は昼間は七条提灯はのけとりますね。
今年、春日神社例大祭のポスターがありましたが、それを見た時に大きな違和感があるなあと思ったら、旗岡の写真に七条提灯が付いとりませんでした。

私なんかは、新しいほうの人やと思うんで、ちょうさには昼間にも提灯が付いとるのが普通やと思っとりました。
そのせいで、個人的にはですが、提灯は昼間もずっと付けとるほうが好みです。
横の広がりに立体感が出とるし…提灯が揺れとる動きもええもんやし…
子供の時にちょうさの絵を描っきょった時には、提灯が絵全体のええアクセントになっとりました。

ろうそくを使うのは大変なんでしょうね。
天皇や六条で、今でも実際に蝋燭をやったことがあるいうんは凄いですね!

愛媛県の西条の祭りでは、今でも提灯に蝋燭を使いよるようです。
提灯が燃えんような工夫があるんかなあ?

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No.160 前の六条の子供ちょうさ 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/13(Thu) 06:35

>大橋の子供ぢょうさをかく時は、大人が6人もよればかけるようなちょうさなので、子供が乗っているにもかかわらずむちゃくちゃ揺らしてました。

やっぱり子供ぢょうさはええですねえ。

>担がしてもらえ(=えじゃーないかがやらしてもらえる)、太鼓でも何でも子供に有利な子供ちょうさがが羨ましく思えたものです。子供にとっては、等身大のちょうさがやっぱり嬉しいんですよ。

子供にとってはそうでしたね!私も当時は、六条の子供ぢょうさやったら担けれるのに、と思っじょりました。
実際に9月30日に担きました。塩田歯医者の角の時に。めっちゃ楽しかったです。あれは何年の時やったんかなあ。

子供にとっての子供ぢょうさの楽しさは、大人ぢょうさでは味わえないものが味わえれる、そういう存在がありますね!
子供ぢょうさはええもんやなあと思います。

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No.159 横若の思い出など 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/13(Thu) 01:52

●六さんへ
 確かに横瀬のちょうさって不思議ですね。私が子供の時は、宵になると突如として現れ、いつのまにかいなくなってしまう正体不明のちょうさというイメージがありました。こんぴらのちょうさとは明らかに違う外装(七重、綱状の8本の房、どことなく中華風な布団締めのデザイン)で、おまけに旗がないので、パッと見、一体どこのちょうさかわからんというわけです。が、かくいう私も中学生の時、北野町の連れと太鼓を叩かせてもらった記憶があります。当時はとても大きくて、張りのある太鼓でした。まだ新かったのか、残響が凄かったのを覚えています。

●よっきさんへ
 10月歌舞伎の時の写真拝見させていただきました!しかしまぁよくみつけましたねぇ。東京の人の目にも刺激的なお祭りとして写ったんですね。確かに町の道路のど真ん中に陣取って大騒ぎしていて、機動隊が出てきてるんですからね。

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No.158 も一つ、愛すべき横瀬のちょうさ 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/13(Thu) 01:22

今日仕事中、たまたま六条の年寄りと横瀬の私より少し上の人と交えて祭りの話をしました。私のPCの壁紙が今年のさしたとこなのでそうなった訳なのですが。
昔から六条と横瀬は仲間意識が強く、うちの喧嘩の時は必ず加勢にきてたそうです。
この横瀬はいつも他所と違うことをしてくれる。旗にしても昔は一つだけ付けてたのに、みんなが付けると止めてしまう。
何があったか知らないけど、何年もこんぴらの祭りに参加するという掟破りを平気でやってしまう。
最近では、七重の回る電飾が印象的でした。(あれをしたKも死んでしもたなあ。)
今は幟を持ってアピールしています。
そのくせ、年寄りになっても太鼓を叩きがったり、かきたがる人が大勢いますよね。若い者はのいとれ!って雰囲気が漂ってます。
うちの嫁は九州からきて、ちょうさを初めて見たときから、その雰囲気が気に入り、ずっと横瀬ファンです。

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No.157 今日も寝る前に昔話を 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/13(Thu) 01:00

前に少しカキコした、ドベになっても旗岡に負けるなと言われた榎小運動会の花(決勝は必ずプログラムの最後でした)部落対抗リレーの鉢巻とバトンの色は、今思うとちょうさの旗の色と同じじゃなかったんではないかと思います。
六条の赤は間違いありません。旗岡は紫みたいな色の鉢巻してたと思います。なんせライバルと教えられたからよく憶えてます。
1年から6年までメンバーが揃わない部落もあったので、ちょうさの単位とは少し違う区分けをしてたのですが、中ん町あたりは黄色だったような気がします。後は白とか水色とかがあったと思うけど、どこかは忘れた。
最初は当時の先生の粋な計らいと思ったけど、はたしてどのようにして旗をそれぞれ違う色にしたのかを考えると、逆やったんでないやろか。
何らかの話し合いがないと別々の色にならんわなあ。ほんならリレーの鉢巻の色でええやないかというふうになったのかも。
以上、まるっきり勝手な推測です。

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No.156 訂正 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/12(Wed) 23:06

天皇の今の飾りはちゃんと国内で注文してつくったみたいです。私が中古だと思いこんでいたようです。
『中国のは虎が猫になるわ!!』とみんなが言っていたから、やっぱり国内でつくることにしたみたいです。みんな琴平には負けますが、それなりのこだわりがあったみたいです。(^-^)

▼もと金さんへ
私も切れた豆球を交換したり、緩んだ豆球を締め直す作業を手伝っていたのを思い出しました。

▼いわねえさんへ
地道な苦労が実を結んでいるんですね。そこまでやっていたとは想像もしてませんでした。これからもがんばってくださいね。

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No.155 報告 投稿者:いわねえ  投稿日:2003/11/12(Wed) 21:30

県別のページはヤフーから検索した時によくヒットしてたのですが、あそこからはホームに戻れず、いったいどんな人がここまで調べとんやろと思ってました。只者ではないと思ってましたが
 ⇒只者ではありません。変わり者です。
ただ恥ずかしいことなんですが、PCおんちでホームによう帰れないんです。何かええ方法ありませんか?

 私の資料ベースは全国の自治体に往復はがきです。
ちなみに日本には約3、300自治体がありました。
まあ3、000枚の往復はがき手書きで書くには3年かかりました。

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No.154 提灯の灯火 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/12(Wed) 21:08

 提灯を昼間もつけるようになったのはどういう事情なんでしょうねぇ(今は五重布団に上がれないから?)。昔だったらボロ隠し的な意味があったと思いますが、今はどこも立派なんだから、昼間はいらないかなと思います。因みに昔(今はどうかわかりませんが)、金若では、提灯の中に小さな懐中電灯がぶら下がっていて、こどもの頃、その1コ1コの懐中電灯の電池交換と電球交換をやらされていたのを覚えています。

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No.153 旗の色について 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/12(Wed) 21:07

 横瀬にも旗があったんですか?面白いですね。でも旗の色って不思議ですね。私は最初、陰陽道でいう方角と各地域の位置関係が関係しているのかなぁと思いましたが、各地域の実際の位置関係とは合致していません。ただ、これは偶然発見したのですが、こんぴらのケンカの時の陣取りは陰陽道で言う九星に合致しているのです(北=一白<西若>、東=三碧<阿波若>、南=九紫<金若>、西=七赤<高若>)不思議ですね〜。ケンカって実は何か深い意味があるのかな〜?(ないない<笑>)

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No.152 提灯にろうそく 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/12(Wed) 06:27

実はうちも一度やったことがあります。ろうそくだと電球に比べるとかなり暗いし、かいた時には消えるのもあれば、燃えるのもあって大変でした。(^^;
結局ろうそくはその一回だけでやめました。
うちは昼間は提灯をつけてなく、神社に入る前に準備してましたよ。それだけでもかなりの時間がかかり、待ってる間に大量の酒を飲んでできあがる人もかなりいたような・・・。

▼元金さんへ
確かに琴平や榎井も元はどこかの影響を受けたんでしょうね。しかし、今とは違ってそんなに情報が伝わりやすい状況ではなかったと思いますので、あまり他からの影響を受けることがなく独自のスタイルになったのかもしれませんね。

▼いわねえさんへ
そういった文献や資料はどこで手に入れているんですか?私も最近気になったので本屋を覗いてみてもそれらしい本はありませんでした。

▼六さんへ
確かにこの掲示板も地域に根ざしたディープな話題になってますね。これだと新しい人は入りにくいかもしれませんね。でもこのスタイルを崩すことはしませんよ。(^-^)

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No.151 みんなアツイ! 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/12(Wed) 00:15

150入れよる間に4つもカキコがあったがな。
しかしこの掲示板は他では決して見れんようなもんになっとるで!
いわねえさんよろしくお願いします。ねえさんの県別のページはヤフーから検索した時によくヒットしてたのですが、あそこからはホームに戻れず、いったいどんな人がここまで調べとんやろと思ってました。只者ではないと思ってましたが、マイだんじりまで持っている人とは・・・。
さっき提灯の話題が出てましたが、私個人的には昼間は付けたくありません。鼠屋さんのHPや古い写真では提灯なんかは付けていません。そのほうがシルエットがはっきりして私の好みです。しかし、今は配線の関係で付けっぱなしにしないと大変なのでしょうがないです。私は見てないけど、子供会ちょうさの時に、ほんまに蝋燭を入れて提灯を付けたら燃えてしもたそうですわ。そらそうやわなぁ。

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No.150 ついでに旗の色も 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/11(Tue) 23:50

掛け布団は、今の年寄りが若い時には既に目玉も抜かれたようなボロボロだったので、そんなに印象は無いのは仕方がないかもしれんけど、旗の色さえ断言できる人がおらんかったんです。なんせ白黒の写真しか無いので、金縄の太さなんかは分かりますが、色まではちょっとねぇ。色のトーンからは私は赤で正解やと思うんですけど。
ここでまたよっきさんが喜ぶネタを。私のおじさんが持っている昭和20年代の写真では、今と反対で横瀬には旗があって、六条や旗岡は付けてないんです。おじさんによると、締めが汚くなって隠すために付けたんじゃって言ってました。
平成2年の時は、琴平でどこにも無い色でええやんいうことで古代桃色で出たのを覚えてますか?年寄り連中からキャバレーでないんぞって大目玉を喰らいました。
地区内外のいろんな人の意見を総合して、多分赤やったわいうことになったんですが、いまだに紫やったという人もいます。案外昔はこだわりも無く、途中で変えたんかもしれんわな。

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No.149 平成元年度文部省科学研究費補助金による報告書 投稿者:いわねえ  投稿日:2003/11/11(Tue) 23:43

 いつもこのBBSを見るときは上に書いた本を参考にしています。題名は 
香川県仲多度郡琴平町氏子祭りに関する研究
―現代の社会変動と地域の祭礼―

 もっとも淡路で会ったよっきさんは今は大分変更していると云われていたが、やはり参考になる。
今も六条の図柄書いていないか探していました。

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No.148 ちょうさの大きさについて 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/11(Tue) 23:33

 ちょうさの大きさというのは、担ぎ手の数や年齢層、経済事情もあるでしょうが、やはり、大きさがその地域のパワーの象徴であるという意識が強いのでしょう。「自分達も、より大きく、より高く、より華やか」にという気持ちがそうさせるのでしょうか。。。
 でも、私も子供の時は、子供ちょうさの人が羨ましかったです。大人ちょうさでは、中学生以上でなければ担ぐことができず、太鼓も中・高校生や大人達にすぐ取って代わられてしまうので、なんとなくつまらなかった時期がありました。それに比べ、担がしてもらえ(=えじゃーないかがやらしてもらえる)、太鼓でも何でも子供に有利な子供ちょうさがが羨ましく思えたものです。子供にとっては、等身大のちょうさがやっぱり嬉しいんですよ。

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No.147 ちょうさのこだわり 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/11(Tue) 23:32

琴平町の人のちょうさへのこだわりですが、満濃町の方からご覧になると、えらい細かいことにこだわるんやなぁと思われるのではないでしょうか。琴平町の場合、多少ばらつきがあるものの、どこのちょうさも装備、スタイルがほぼ標準化されており、大きさも類似しているため、部分的な比較がし易いところがあります(これは偶然なのか、歴史のなせる業なのかはわかりません)。逆に、比較がし易い(=比較されやすい)分、限られた中での“独自のこだわり”(=個性)を大切にしたいと考え、デザインのオリジナリティを強調しているのではないかと思います。法被と同様、よそにはない、自分達のカラーを大切にしたいという気持ちが強いのかもしれません。
でも、琴平町のちょうさとて、満濃町と同様、もともとはどこかの地域のちょうさの影響を受けながら今のようなスタイルになっていったんでしょうけどねえ。

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No.146 レス 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/11(Tue) 23:26

▼六さんへ
うちも先代の掛け布団の柄にしておくんだったと、最近になって後悔してます。といっても私みたいな若造が何を言っても通りませんけどね。
まさかあのバクの絵柄が珍しかったとは思いませんでした。獅子の布団はそうでもないかな?
幕は龍と鷲(鷹かも)の絵柄でした。

先代のちょうさは結構小さかったですよ。本当にどこでも簡単にさせるぐらいのサイズでした。
たぶん今の旗岡よりも全然小さかったと思います。

昔ながらを貫き通すのは非常に格好いいことだと思います。これからも伝統を守っていってくださいね。

▼よっきさんへ
『飾りが大きくなったのだから、提灯をつけると飾りが隠れてもったいない』というのがみんなの意見です。
先代の時は飾りを隠すように、非常に沢山の提灯をつけてました。

大橋の子供ぢょうさをかく時は、大人が6人もよればかけるようなちょうさなので、子供が乗っているにもかかわらずむちゃくちゃ揺らしてました。

本村についてはまた情報を仕入れておきます。

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No.145 なるほど! 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/11(Tue) 23:02

まだ若いのにしっかりしたご意見、ありがとう。でも先代天皇ってそんなに小さかったっけ?そんな記憶無いけど、勘違いかなぁ。
私も今、風呂の中で適切な表現を考えていました。「自己満足の域を出ることの無い愛着」というのが一番近いかも。
よっきさん、愛着の域を出て、こだわり続けるワシやあんたみたいな人種はようけはおらんと思うで。
例えばうちの復元にしても、あれだけ好きな年寄り連中の誰一人として、掛布団の柄を憶えてなかったんですわ。唯一、太鼓叩く時に虎の尻尾がすぐ下に見えよった気がする・・くらいのもんでした。写真にはボロボロの布団がかすかに写っているくらいで、まあそれからでも、これは一匹もんでは無いやろ・・先代大橋のように昔から竜虎柄もあるで・・ということで今の柄にした程度で、もしかしたら全然違うかもしれません。
誰か憶えている人がいたら教えてほしいんですけど、
そんなお年の人はPCなんてさわってないわなぁ。

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No.144 完成型と発展型の違い 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/11(Tue) 22:16

琴平や榎井は既に独自のスタイルが確立され、ちょうさも今のが完成型なのではないでしょうか?
だから今までのスタイルを貫き通そうとしているんだと思います。

それに比べて満濃町はまだ歴史も浅く、発展途中なのではないでしょうか?
自分達のスタイルを模索している段階のような気もします。

それと満濃町には西讃の中古が多くあるため、琴平とは違ったスタイルになっているんだとも思います。
これから満濃でもちょうさが新調されると思います。
たぶんそれは各部落の今のちょうさを元に作ると思います。だらか西讃に似てくるかも。

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No.143 詳しい経緯は知りませんが 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/11(Tue) 21:48

天皇が新調したときにはまだ子供だったので詳しい話は知りません。
しかし、やっぱりみんな大きくしたかったんだと思います。
先代のちょうさは人数が少なくても、すぐ差し上げることのできるぐらいの大きさでした。
今の五条より小さかったでしょう。
だから子供の頃は大橋の大きさに憧れたものでした。

新しくして大きくなりましたが、全体のバランスは先代とあまり変わってないと思ってます。やっぱりみんながあまり先代と違う形にはしたくなかったんだと思います。

飾りについてはみんなが大きいものを希望してました。

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No.142 逆に管理人さんに質問 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/11(Tue) 21:30

天皇は昭和59年に新調したようですね。昔から跨線橋を超えてくる姿は記憶にありますが、先代のは榎井型に近く、満濃の中では小ぶりでも一番親しみを持っていました。
それを新調した時にかなり大きくしたと思いますが、その大きさは地区でどのようにして決めるのですか?
大きくしたいという人もいれば、そのままの大きさでええやないかという人もいると思います。みんなが隣の大橋みたいに大きくしたいと思っていたのですか?
そのままに作り変えるよりも、むしろいろいろな意見の調整のほうが労力が大きいと思うのですが。すんなり今の形や大きさに決まったのですか?

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No.141 どうもうまく表現できてない・・ 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/11(Tue) 21:03

136のことですが・・・
六条には年寄り達が先代を語る時、必ず「横瀬や旗岡よりは小ぶりに見えるけど一番重たかった」という言葉があります。おそらく横瀬の人も旗岡の人も自分とこが一番重たいと語られる言い伝えがあるんじゃないでしょうか?決して量って競い合ったわけじゃないのにみんながそう信じています。そのような気持ちが自分とこのちょうさの全ての箇所にあるってことですかねぇ。
新居浜や観音寺や豊浜のちょうさを見て、それはそれで素晴らしいと認めても、自分とこがやっぱり一番やと思っているというか・・・そう思うように小さい頃から無理矢理インプットされているというか・・・
ある部分を新調する時も、それを変えるという発想が全く無いと思います。
こんなんで少し分かってもらえたかなぁ。

よっきさんへ。平成元年までのはあくまで子供会所有のものであり、昭和30年代までのを先代六若と表現いたしております。

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No.140 生稲 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/11(Tue) 07:07

現在の琴南町の明神のちょうさは、元をたどれば、大野原で使われとったものが、
昭和後期に豊中町の田井に来て、先代の田井として使われとったものらしいですね。
それがその後、満濃町でのどういう経路を渡って、明神に来たのかを再度確認してみんといかんですね。
あれれ。うーむ…
現在の田井は平成5年に新調しているようです。

生稲については、六さんに教えて頂いたことですが、先代の六條の子供ぢょうさの飾り一式
(布団締め・幕・掛け布団)が生稲の大人ぢょうさからのものやったらしいですし。
それが去年までの六條の布団締めでもあり、今の六條の幕でもあるんでしたっけ?
すると当時の生稲は何年にどういう流れで新調していたのでしょうか?

六さんにお願いして、よろしければ、生稲の方からそのあたりの年度のことや流れを聞いて頂けれれば…

東雲写真館のHPでの一昨年の生稲の写真では、まだ子供ぢょうさが新調する前の写真ですね。
生稲の、子供ぢょうさの新調も、孫ぢょうさができたのも、何年だったかはわかりませんが、
つい最近やったと思います。

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No.139 本村 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/11(Tue) 06:59

以前の「えじゃーないか」には、先代の四条本村のちょうさは大野原から来た、と書かれとりました。
いわねえさんのHPにもそのように書かれてとるのは、それをそのまんま私が伝えたからやなあ。
現在はその後新調しとりますね。先代のそれが二代目やとしたら、現在のは三代目となりますね。
本村は昔にもちょうさを持っとって、復活するまで30年間以上長い間中断しとったとのことですので。

その後、本村が現在のちょうさに新調したのは平成何年でしたっけ…?

地名について余談ですが、琴平町五条にも本村がありますね。
満濃町四条にも本村があるので、同じ大井八幡宮の氏子の地域内どうしで少しまぎらわしいかも?

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No.138 子供ぢょうさ 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/11(Tue) 06:56

阿波町は大人ぢょうさと子供ぢょうさとの両方があったというのは聞いたことがありましたが、
今でも子供ぢょうさを蔵の中に残しとるとは!大変貴重ですね!
神明町の子供ぢょうさも昔あったかもしれんということを聞いたことがありますが、
はたして本当なんでしょうか?

今年八年ぶりの復活の大橋の子供ぢょうさは、ずっと昔からあるちょうさらしいですね。
古い幕が素晴らしいです。大井さんまで持って来てほしいなあ。
生稲は大人ぢょうさと子供ぢょうさと孫ぢょうさとの三台もあるのはええことやなあと思います。
満濃町吉野の木の崎も、大人ぢょうさと古い子供ぢょうさとがありますね。

五条の子供ぢょうさや、石渕の子供ぢょうさは、大人ぢょうさが出来た今でも残しとるんやろうか?

子供ぢょうさはええもんやなあと思います。
昔の大井さんでは、大橋の子供ぢょうさを担く時が一番盛り上がっじょったと聞きましたが…

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No.137 満濃町と琴平町 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/11(Tue) 06:54

琴平・榎井はちょうさに対するこだわりが強いように思います。
確かに、よそのちょうさの五条布団・七条布団の形のことまで比べて気にしてますね。
六條のちょうさの布団締めなど、昔ながらのこだわりはほんまにええことやと思います。

満濃は地域が広いこともあってか、太鼓の叩き方など、神社ごとにも文化が違いますね。
現在の満濃はいろいろとちょうさの文化が入り混じってきていますよね。
満濃は、琴平とは違ってて、おおらかな地域性なんやとおもいます。

>大井さんだと、ちょうちん→電球→電灯と二十年ぐらいの間に変化しました。

個人的には、提灯に+αとしての電灯はあってもええけど、電灯を付けても七条提灯はのけることなく、
提灯は伝統として是非残しとってほしいなあ。
琴平町の、頑固に提灯の伝統にこだわっとる姿勢は好きです。

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No.136 うまく言えませんが 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/11(Tue) 01:23

琴平と榎井の人ってみんなが自分とこのが1番やとインプットされているとこかなぁ・・
例えば、金若で育てば龍の白布団や、あまり角度の無い五重蒲団が一番綺麗で、西山の武者絵や高藪の赤っぽいイメージの中での虎とかをうらやましく思ったことはおそらく無いでしょう。
旗岡にしても、全部新調したにもかかわらず黒獅子や小さい締めはそのままで、幕も大昔の玉取り海女にしましたね。(七重の形を変えたのはちょっと残念です。あの一段一段が角ばっていたが旗岡らしくてよかったのに)
横瀬の退治もんの布団のそのままの新調で見事です。
六条の30年ぶりの復活の際も、先代のより忠実な復元を目指しました。今の若い者までがそれが一番と思っています。
飾りだけじゃなく、形状や大きさまでそのままでいようとしますよね。
わりと新しいもの好きの町民性だと思いますが、なぜかちょうさについては、頑なに変えてはいけないと思っています。
変えるっていうことは、他所の真似したことになり、それは粋じゃないっていう気持ちが強いのかなぁ。

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No.135 琴平町と満濃町の違い 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/10(Mon) 21:40

琴平のちょうさは昔からあまり形は変わってないように思います。琴平町独自のスタイルですね。
一方、満濃は豊浜の影響を受けて豊浜に似た形だと思います。
飾りの大型化や夜の照明が思いつきます。
大井さんだと、ちょうちん→電球→電灯と二十年ぐらいの間に変化しました。
実は神社ごとに違いがあるんだと思います。
では、中讃独自のスタイルはどんなところがあるんでしょうか?
とんぼがない、横棒がある、その他は?

▼六さんへ
孫ぢょうさは本当に珍しいですね。
ところで生稲が新しくなったのはいつでしょうか?

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No.134 子供ぢょうさレス 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/08(Sat) 23:22

案外そんなに珍しいことじゃないかもしれないです。阿波町の蔵には今でも組んだまま置いてあるし、うちにも昔あったような話を年寄りから祭りの度に聞きます。大人ぢょうさの後を子供だけのえじゃないかで町を回ると、結構な御花が集まったそうです。
昔は中学生くらいにならないとちょうさにたからせてくれなかったようなので、子供ぢょうさを作ったんじゃないのかなと思います。
子供ぢょうさという名前は、小さいという意味じゃなく、大人があっての子供だと思うのですが、違うかなぁ。
生稲みたいに孫ぢょうさまであるのは凄いですね。よほど運営を上手にしないと難しいと思うのですが。
もうすぐ生稲のちょうさの神様M鍋んとこで忘年会ですわ。このHPを充分PRしときます。あいつ最近PC買うたって言ってました。

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No.133 太鼓 4 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/08(Sat) 22:24

よっきさんのおかげでいつも古いことを思い出すよう努力する癖がついてきたような気がします。
先代旗岡の太鼓のことでまた思い出しました。
あれも実は元先代六条の太鼓です。昔、旗岡のツレがわざわざ蔵の中を見せてくれてわかったのです。全然音が違うんじゃと言っていました。もともと旗岡のは、横に吊り下げていました。(蔵の新築の時捨てとらへんやろか?)胴が割れていたのを補修してあったのも、うちの伝説と一致します。
二つを比べると、高さは短いのに、えらい胴が横にはっていた形をしていた記憶があります。より球体に近いような形でした。
皮は昭和20何年かに張り替えていました。苗田村杉田倉五郎(だったと思う)翁とサイン入りでした。この人は、獅子も含め、近辺の太鼓のほとんどを張っていたと思います。このサインはよく見たことがあります。もう亡くなっていると思いますが、地元の人なので、我々がインプットされている良い音の出る張り方をしてくれたんじゃないかと思います。
やはり、形や張り方は太鼓の命かもしれんですね。

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No.132 子供ちょうさ 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/08(Sat) 19:25

大橋や生稲は大人ぢょうさと子供ぢょうさの二つを所有してます。私はずっと地元だったので何も思わなかったのですが、ひょっとしてこれって非常に贅沢なことなんでしょうか?
他の所だと『大人ぢょうさは無理だから、子供ぢょうさにした』なんてことを聞きます。
もしかしたら非常に珍しいことなのかな?


それにしても新しい中讃の人が増えませんね。やっぱりみんな祭りにはあんまり興味がないのかな?(^^;
それとも祭りの時だけ盛り上がれればいいのかな・・・。

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No.131 あれ? 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/08(Sat) 19:21

今日色々なHPを見ていたら気になる記事を見つけてしまいました。
『先代の太鼓台は満濃町本村地区に売却され、現在は琴南町明神地区で奉納されています。』という記事をみつけました。
と言うことは現在の本村の台は三代目ということになるのかな?

▼六さんへ
やっぱり太鼓は低音の効いた腹に響く音がいいでしょう。
うちのちょうさはならないからと言って、いつも酒をかけてたような・・・(^^;。
本当にいい太鼓は誰が叩いてもいい音がでる太鼓だと思っています。

▼よっきさんへ
これからもどんどん自分の地区の話しをしてください。別に大井さんだけにこだわることはないですよ。少しでも中讃の祭りの情報が集まればと思ってやってますから。
それに、いろいろな所の話しを聞けるのも非常に面白いですよ。

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No.130 琴平町制百周年記念 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/08(Sat) 04:29

琴平町制百周年記念の時、私も西駐車場の陸橋の上からも、勢ぞろいしたちょうさを眺めよったのを思い出しました。
歌舞伎役者のお練りと一緒に金陵の郷の前まで行って、ちょうさを担いてましたね。賑やかやったですね!
もと金さんによると、昔歌舞伎の練りかなんかの時にも一部のちょうさが街中をパレードしたとか。
こんぴら歌舞伎と言えば、二度?の例外を除けば春の公演ですが、そんな時にも一部のちょうさが出ていたとは。

今、金丸座の補強改修工事をやっじょりますが、その完成記念に、来年に歌舞伎をまた秋に呼んで、「金丸座改修記念行事」として、
琴平・榎井・五条・苗田・上櫛梨・下櫛梨、の琴平町の全部のちょうさと獅子舞をもっぺん集めて、あの時と同じような式典をやってくれんかな?町長さん。

http://www.ben-s.com/diary99.8.9.10.html
↑平成11年に金丸座で秋に「こんぴら歌舞伎15周年記念舞踊公演」があった時の、歌舞伎の方の日記です。
10月2日の日記の中で、こんぴらのちょうさを見た感想が書かれてます。

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No.129 ちょうさの映画出演 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/08(Sat) 04:25

>昭和15年に、榎井の奇人「日柳燕石」をモデルにした映画が松竹か大映かで撮られ、ロケに六条と旗岡のちょうさが出演した

これはもしや、ちょうさの歴史上、初の映画出演か!?
さっそく検索してみました。

日柳燕石(くさなぎえんせき:1817〜1868)
〈〉幕末期の博徒・志士
尾上松之助『勤王侠客』映画・大正7年
井上正夫『日柳燕石』舞台・昭和14年
杉山昌三久『日柳燕石』映画・昭和16年
龍崎一郎『天馬往来』映画・昭和28年
観世栄夫『花神』テレビシリーズ・昭和52年

日柳燕石
製作=大都映画 
1941.02.13 大都系
9巻 白黒 
監督 ................  石山稔 
脚本 ................  石山稔 
原作 ................  木村毅 
撮影 ................  松井鴻 
出演 ................  杉山昌三久 本郷秀雄 水川八重子 琴糸路 中野かほる 東竜子 

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No.128 天領榎井燕石まつり 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/08(Sat) 04:24

六さんへ
天領榎井燕石まつりのお話ありがとうございました。
春日神社のお祭りの後に、別の日に行ったんでしたっけ?
三年間やったんですね。かきくらべも三年間やったんですか?
よかったら他にも燕石祭りのエピソードがあったら聞かせてください。

昔の映画のロケに六条と旗岡のちょうさが出演した記念写真って凄いですね!傷つかずに貴重に保管されているんでしょうか。
昔は高張提灯も使ってたんですね。今は西山が使ってますね。
当時は「東旗岡若連中」ですか!ん?現在は北旗・南旗・西旗で、東旗というのはないような…?
なんか質問ばかりになってすみません。

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No.127 太鼓 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/08(Sat) 04:03

六さんへ
個人的には、担っきょる時に、据えとるよそのちょうさは賑やかに叩っきょってほしいです。

太鼓といえば、先代の旗岡の最後のほうは渋くて低い、とてもええ音がしよったですね。
やっぱり張り替えたら高い音になってしまうんですかね?
あまり全部のちょうさの音は聞けてませんが、今は旭町や西中がええ音がしよるなあと思います。でも来年になったら音が変わっとったりして…
あのHPの榎井の動画ですが、早い時間帯の時の動画(再ウプというところの動画)では担く時の太鼓の音がしっかり聞けますね。

しゅうじさんへ
以前のえじゃーないかの中で、福家と天皇が獅子を大井さんに奉納していたと載っていたので。
他の地区に担くのを手伝ってもらいよる光景はとても好きです。満濃の良さですね!

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No.126 祝1000! 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/08(Sat) 04:01

HPのカウンターが1000超えてますね!
しゅうじさんおめでとうございます!

いつも掲示板を利用させてもらってありがとうございます。
管理人さんのとこは大井八幡宮やのに、よその話題もいろいろと振ってすみません。中讃南部のちょうさのHPいうたらここになりますので…
こんなにようけの人が見よるんなら、誰がこれを見よるか分からんですね。

先日、大井さんの参道を通った際、例の鳥居さんを見ました。
高い台座がありました。なるほど、このHPの天皇地区の秘話に書かれていたのはこのことか…
鳥居さんひとつとってもおもっしょい話があるもんですね。

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No.125    〃  3 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/08(Sat) 00:13

さっきのカキコの後、よっきさんが教えてくれた動画を見ましたが、ちょうさのビデオって撮っている場所の近くのちょうさの張り合いの「とばした」の音のほうをよく拾っているので、せっかくの「えじゃないか」がうまく聞こえないのですね。声は聞こえるのに。
いっそのこと、えじゃないかの1台以外は太鼓を止めてみますか。もしかき比べするなら、そのほうが注目度が増して、太鼓の良し悪しもよく分かり、ええ雰囲気出るかもしれませんよ。

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No.124    〃  2 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/07(Fri) 23:57

バチの先を太くすると、ほんまに同じ太鼓かと思うほど音が変わるのは確かです。子供ぢょうさのバチで叩くと「カンカン」と鳴ります。力一杯叩いても全然違うのは不思議です。
叩き手の技術も重要な要素だと思います。いや一番大事かもしれません。決して力まかせでないが、力強い叩き方と、3人から4人の息のあったリズムがええ音を出すと思います。
うちでは高校の頃から上手いと評判だった若い衆が20歳くらいになり、御神事で叩かしてますが、2時間くらいは平気でええ音出します。たいした奴らです。今はもう70歳くらいになった、みんなが認める昔の伝説の叩き手のおっちゃんらはいますが、こいつらもそうなって欲しいですね。
やっぱり、ええ音の太鼓にみんながきちっと合わせた「えじゃないか」と「さしたさした」は快感ですな。
でも、そろそろ皮が伸びすぎてきたかもしれません。張り替えるのはちょっと惜しい気もする・・また「カンカン」になるやろしね。

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No.123 太鼓の鳴り 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/07(Fri) 23:37

これってわりと難しい問題ですよね。音の良し悪しは地域等によって全然違います。
琴平では「ズンズン」と腹に響く低音がきいたのが良しとされています。しかし、うちが作った太鼓屋では、新品の時の「カンカン」に近い音が良い音らしいです。
平成2年に新調したうちの二尺の普通の太鼓が、ここ最近、他所のもんに「お前んとこよう鳴んりょるのぉ」とよく言われているので、ちょっと自慢も含め、経験から参考までに一言。
昔の人がよくしていた酒をかけるのは、太鼓屋に厳禁されているので、厳守しています。濡らすと早く伸びて「ズンズン」になるのを勘違いしていたのだと思いますが、どう考えても皮には良くないですよね。
ちょうさは年に何回も叩かないので、ええ音がするまで皮が伸びるのに10年くらいはかかるってことでしょうか。

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No.122    〃 2 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/07(Fri) 23:02

その時展示会場ですごく珍しい写真がありました。
昭和15年に、榎井の奇人「日柳燕石」をモデルにした映画が松竹か大映かで撮られ、ロケに六条と旗岡のちょうさが出演した記念写真なのです。二つのちょうさが並んで写っています。
(よっきさんが喜びそうなネタを一つ。旗岡の高張提灯に「東旗岡若連中」と書いています。当時は旗岡全体ではなかったんですかな。)
旗岡の誰かが持ってるらしいのです。私は普通のコピーを貰ったのですが、当時とは比較できないほど性能が良くなったコピーで拡大をしたいのですが・・・
六条と旗岡の当時の若い衆がエキストラで出演し、みんなちょんまげ姿で写ってます。とっくに亡くなった親戚のおっちゃんや小さい頃にいた近所のおじいさんが写っているのがとても楽しいものです。
旗岡のもん、誰かこの掲示板見んかなあ。

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No.121 天領榎井燕石まつり 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/07(Fri) 22:47

アルバムによると、平成4年から6年までの3年間にやってます。これは当時流行りのまちおこしの一環で、衰退する商店街の活性化が目的に、3年間限定の県費補助により商工会が実施したものですね。「榎井小唄」を作ったり、全店の大売出し、榎井小生徒の官軍パレード、春日神社での市、各地区による小イベントなどでもう一度榎井商店街に人を歩かそうというものでした。
六条は、子供会の子供達が地区の人に頼んで不要物を集めてフリマして大儲けしたり、お寺にちょうさを展示して、その下で婦人会のお茶会(訳わからんけど、おばちゃんらのリクエストでした)やったりしました。
ちょうさはオープニングセレモニーを盛り上げるために出演し、かきくらべをしたり、商店街をパレードもしました。
しかし、行政等の主催するイベントはまあこんなもんで、やはり町衆の心からのお祭りにはかなわんってことですかな。

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No.120 太鼓 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/07(Fri) 07:32

鳴りの悪い太鼓は皮を張り替えただけでは駄目なんでしょうか?
いくらちょうさが立派でも太鼓の音が悪いとやっぱり駄目ですね。

▼よっきさんへ
天皇が獅子だったという話は聞いたことがありません。
でもずっと昔は獅子だったかもしれませんね。
やっぱり天皇がいつからちょうさを奉納しているかを調べるのが重要ですね。
大橋の次ぐらいに古いのでは思っています。

▼もと金さんへ
情けない話ですがうちは神社でも、他の地区に手伝ってもらってます。(^^;
世帯数に対してちょうさが大きすぎるんでしょうね。でも小さくするのは嫌かな。

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No.119 ありがとうございます♪ 投稿者:いわねえ  投稿日:2003/11/06(Thu) 23:39

 ◎よっきさん
情報お待ちしております。

 ◎もと金さん
宝物殿の第二資料館と聞いたのですが残念です。
せっかく行ったのに。
そうそう船だんじりは倉敷の乙島だそうです。

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No.117 榎井も面白いですね! 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/06(Thu) 23:01

●よっきさんへ
情報ありがとうございます。榎井のちょうさを写真や動画でみて、立派なちょうさが増えたなあとつくづく感じました。私の昔の記憶の中では、大きかったのは横瀬と旗岡、東中で、そのほかのちょうさは中くらいのちょうさだったかなという感じだったので、大人ちょうさが6台にもなった姿に正直驚きました。あと、ケンカはあまりしないとのこと。いろいろとややこしい問題もあるのかもしれませんが、怪我や人間の喧嘩にならない程度に祭りのクライマックスを彩って欲しいなぁと思います。ブラックドラゴンさんのお話だと、こんぴらでは中ちょうさの旭町と南新町がケンカをしたとのこと。果たしてどんな感じなのか見てみたいですね〜♪。

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No.116 ”かりんまつり”について 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/06(Thu) 22:59

●しゅうじさんへ
情報ありがとうございます。“かりんまつり”というのはバラエティに富んでいるんですね。また、総出で担ぎくらべをするなど、氏子まつりでは決して味わえないシチュエーションでの楽しみ方をされているんですね!こんぴらでも昔歌舞伎の練りかなんかの時に一部のちょうさが街中をパレードしましたが、歌舞伎の添え物みたいでつまらなかった(やっていた町民にもそんな意識があったのではないかと思います)ですね。やっぱりちょうさならではの楽しみ(しかも氏子まつりでは有得ない)をイベント的に仕立てあげられると、面白いかなと思います。例えば、こんぴらのちょうさの世話人等は、榎井のちょうさのケンカとか担ぎくらべなどを見たくても、夜の準備等に追われ、見られないのが実情です。しかし、一同に集まる機会があれば榎井のちょうさを楽しむこともできますものね。

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No.115 あやうたふるさとまつりに行ってきました 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/06(Thu) 03:14

あやうたふるさとまつり、行ってきました!
町主催の「イベント」ということで、普段は一緒になることがない綾歌町の各神社の各地域の大部分の獅子組が、一斉に集まりました。
こういうのはええもんですね!十何組と出ていた獅子組ごとに特徴があるし。もちろん法被も太鼓打ちの装束も違うし。
「ゆらい」の巻物を読み上げる形式の獅子舞は、綾歌町あたりが特に盛んなのでしょうか?

屋内ホールのステージでもいくつかの素晴らしい伝統芸能の発表があったのですが、中でも、
噂には聞いたことがあった綾南町の香川県立農業経営高等学校の和太鼓「拓心太鼓」には感動しました。
農経高校の拓心太鼓は、和太鼓で全国で三位にもなったとか。とにかく素晴らしかったです。鳥肌が立ちました。
11月15日(土)16日(日)の農経高校祭の両日の12時から13時半の間にも拓心太鼓の披露があると言っていました…この時間で合ってるかな?
農経祭では花や作物の苗などが安く手に入ることでも有名なイベントですが、あの拓心太鼓を見に行くだけでも価値があると思います。

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No.114 福家 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/06(Thu) 03:05

しゅうじさんへ
福家の獅子舞は今は若林神社に出てるのかもしれないんですね。若林神社には今、二つ獅子舞が出ていると思います。
そういえば天皇も昔、獅子舞をしていたのでしたか?

いわねえさんへ
こんにちは!本州からわざわざ中讃南部のことまで注目して頂いてありがとうざいます。
金刀比羅さんの宝物殿にそんなものが!?普段はどこかにしまっているんでしょうか?
仲南町の佐文のちょうさのことや、飯山町の樋ノ口のちょうさが去年今年と出ていないことなど、
まだこちらのことをお伝えせないかんことがありますね。まとめてからまた書き込みします。

もと金さんへ
同じ榎井の中でも、ちょうさの大きさや形の違いなど、それぞれのちょうさ毎に他のちょうさとは違う大きな特徴があると思います。
しかもだんだんと、どこか一部分が新しく変わってたりしてますね。
それで喧嘩の時も有利不利があると思います。
今の榎井の喧嘩ちょうさは、旗岡と東中・六條と蔵中との組み合わせでやってましたが、最近は六さんの言う通りやらない時もあります。

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No.113 かりん祭り 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/06(Thu) 02:56

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No.99 は私です。ありゃ、名前が入ってなかったです。

ちょうさや獅子舞などのお祭りは、@「氏神への奉納」A「地域の町廻り」こそが本来の大切なあるべき姿やと思うので、
「その他のイベント」はあってもええけど、優先順位はBの次ですね。決して優先度がひっくりかえってはいかんと思います。

満濃町のかりん祭りはそのことが十分に考慮されてて、本来の神社の氏子としてのお祭りとは重ならんようになってて、ええイベントになってますね!
来年あたり、神野からも参加してほしいです。遠いやろうけど…

ブラックドラゴンさんへ
榎井の燕石まつり、私も当時見ていないので知らないのですよ。平成何年のいつでしたっけ…?
榎井のちょうさが集まったイベントですよね。今はしていません。またせんのかな?

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No.112 リンクありがとうございます 投稿者:いわねえ  投稿日:2003/11/06(Thu) 01:58

 まいど岸和田のいわねえです。
リンクありがとうございました。
ぜひPRしにマイHPにも書きにきて下さいね。
 さて琴平さんの宝物殿にキリコとか千歳楽か船だんじり?があると聞いているのですが、本当なんでしょうか?
行ったけど分かりませんでした。

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No.111 写真 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/05(Wed) 21:53
ちょうさをさしている時の写真ってなかなか難しいですよね。しかも自分のところはかいているから自分で撮ることもできませんしね。やっぱり祭りをよくわかっている人に撮ってもらうのが一番でしょうね。

▼いわねえさんへ
リンクありがとうございます。こちらも早速させてもらいました。
だんじりもちょうさとは違ったおもしろさがあるんでしょうね。

▼六さんへ
広報活動ありがとうございます。確かに満濃は私ひとりですから少し寂しいですね。まあ、時間をかけてでも参加者が増えてくれることを願ってます。

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No.110 ヒストリーに変更 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/11/05(Wed) 21:41

ちょっと聞こえがいいように、ストーリーからヒストリーに変更しました。内容は全く変わってませんけどね。(^^;

▼もと金さんへ
かりん祭りとは仮面ライダーショーがあったり、太鼓の演奏があったりするような祭りです。神社などとは全く関係のないイベントです。
数年前から新居浜や豊浜の影響でしょうが、町興しの一環としてかき比べをやるようになりました。

▼ブラックドラゴンさんへ
ビデオカメラに編集用のソフトが付属されていませんでしたか?なければ編集キットみたいなものが必要だと思います。

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No.109 榎井のちょうさについて 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/05(Wed) 20:03

 榎井の6台のちょうさについて教えてください。写真や動画では、どこもほぼ同じ大きさに見えるんですが、実際のところ、大きさの違ってあるんでしょうか?あと、春日さんでのケンカの対戦カードって今はどのようになっているのですか(それは毎年固定?)?しかし、ケンカのカードってどうやって決まるんでしょうね?

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No.108 できないよー 投稿者:ブラックドラゴン 投稿日:2003/11/05(Wed) 12:53

動画ファイルを送ろうと思っていたのですが、編集とか分割って編集ソフトがいるんですかね?よ−分からんので方法を誰か教えてください・・・。

六さんへ
何年か前に榎井では燕石まつりなる行事をしていたように記憶してるのですが、今もしてるんですか?

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No.107 写真があるにはあるが・・・ 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/03(Mon) 17:26

平成2年9月23日の写真が何枚かありますが、スカです。
もちろん私はちょうさにたかっているので撮れるわけないので、ちょうさ素人の妻が跨線橋から撮ったのですが、ちょうさが並んでいるとこは上から撮るもんじゃないです。当時はほとんどが天幕をはずしていたので、文化祭の作りかけのモニュメントの集まりみたいです。下から撮ったのもあるけど、写真には3台までがやっとで、全然雰囲気が出ていません。
やっぱり生で見ないかんですわ。

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No.106 集結いいですねぇ。 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/03(Mon) 01:37

●しゅうじさんへ
ストーリーのページの創設。とてもGOOD!だと思います。こういう話がデータベースになって、代々引継がれていくといいですね。あと本州のHPとのリンクおめでとうごさいます!満濃には氏子祭りとは別に「かりんまつり」というのがあるんですね。そこでは、そのまつりならではのイベント(集まるだけでも十分イベント性がありますけど・・・)みたいなものはあるんでしょうか?

●六さん、よっきさんへ
集結の話ですが、まぁ、大きなイベントまではいかなくても、折角の機会を盛上げる目玉みたいなもんを作れば、集まる動機付けが高まるかな〜なんて思った次第です♪。日程的には榎井、五條、こんぴらが一緒に集まれる30または1日頃なのかなと思います。お十日との併せ技にすると、最早ちょうさどころではなくなっている地域の人達にはちょっとキツイのかなぁと思います。でも16台ものちょうさが1か所に整列した姿、見てみたいですねぇ!

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No.105 違うな 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/03(Mon) 00:30

99はよっきさんやな

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No.104 おお!本州デビューや 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/03(Mon) 00:13

やりましたね。地域限定HPでも見てる人はいるもんですね。しかし、地元満濃からのカキコがちょっと少ないと思い、野津郷の知り合いにPRしておきました。私も満濃のお祭りはあまり知らないんで、多くの人の参加を期待します。

さて、集合ネタの続きですが、私の気持ちは99(多分ブラックさんと思うが)と同じで、祭りに行政が介入するのは好みではないのですが、実現するにはもと金さんや管理人さんの言う通り、その部分だけでも町主催のイベント化したほうが可能性が高いように思いますね。町長は金若バリバリの方やし。話を持って行けば案外うまくいくかもしれんなぁ。
いっそのこと、おとうかの前日にしたらどうでしょう。こんぴらのちょうさはほんまの奉納になるし。踊りの半プロ集団に払っているお金を回してもらったら管理人さんのいう出演料くらいはあるやろし。
そやけど、そうなったら榎井は関係ないやろ言われるかなあ?

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No.103 リンク集作ったんですね 投稿者:いわねえ  投稿日:2003/11/02(Sun) 22:44

 まいど岸和田のいわねえと申します。
はじめまして。
確か昨日はリンク集がなかったような。
拵えはったんやね。
すーさんに続いて私もリンク貼らせて下さいな。

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No.102 HP更新しました 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/02(Sun) 11:05

少しだけHPを更新しました。

▼六条のもん2号ですさんへ
メールありがとうございました。早速掲載させてもらいました。間違いなどがありましたら連絡ください。

▼六さんへ
やっぱり祭りで喧嘩をしていると、いろいろと引きずるところがあるんでしょうね。でも子供同士があんまり険悪にはならないで欲しいものですね。

ルールのある書き込みはいいですが、挑発や侮辱するような書き込みは厳禁とします。

▼もと金さんへ
>祭りを肴に参加者みんなで酒を飲む(労い合う)のって最高でしょうね
確かに面白いですよ。そうそう、もう時効でしょうから書きますが、10年ほど前だと高校生にも「祭りなんやから飲め」と進めてくるおっちゃんは多数いましたよ。(^^;
それで飲んでしまう未成年も少数いたような・・・。(^o^;
もちろん今はそんなことしてませんよ。

▼よっきさんへ
>そういえば、昔は大井神社のお祭りに獅子舞も出ていたそうですね。
福家地区(曖昧)が昼間は獅子を奉納していたそうです。今は若林神社だったと思います。なんでみんな大井八幡神社から離れていくかな・・・(T-T)

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No.101 ちなみにかりん祭りでは 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/11/02(Sun) 10:51

琴平、榎井で集つまるのはなかなか難しそうですね。
ちなみにかりん祭りでは「祭り」とありますが、どこのちょうさもあくまでもイベントだと思って参加していると思います。
だから結構気楽?に参加してくれるんだと思います。本当は満濃町の全部が参加してくれればもっと盛り上がるんでしょうが、何せ満濃町は広い!!
遠いところからの参加は非常に大変なことなので、今は満濃町役場周辺(五条も)の地域が参加しています。
こんなことを書いていいのか迷いながら書きますが(結局書くんかい!!)、町から各地区にいくらかの寄付が出ています。なんせちょうさを出すと、食事代などかかりますので、これが出ないとみんな参加しないと思います。
琴平町もあくまでもイベントとして話しを進めていくと、スムーズに話しが進むかもしれませんね。

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No.100 綾歌町の獅子舞競演 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/02(Sun) 05:31

今年の綾歌町の「あやうたふるさとまつり」は、11月2日(日)3日(月・祝)でした。
綾歌町役場のアイレックスで行われます。
綾歌町の地元の各神社の各地域の獅子舞がたくさん集まるそうです。

11月3日(月・祝)の午前9:45からゲストの虎舞い、午前10:15から綾歌の各地域の獅子舞の競演だそうです。10:40分頃まで。

問い合わせ先
http://local.yahoo.co.jp/closeup0311/matsuri/chugoku_shikoku/11781/ 

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No.99 別にイベントにせんでもええんで 投稿者:no Name 投稿日:2003/11/02(Sun) 05:30

日程やスケジュールの関係もあると思いますが、本来のお祭りにさしつかえのない範囲で、新たにちょうさが集まれるやったらええと思います。
六さんの言う通り、別にイベントにせんでも、ただ単純に集まってよそのちょうさが見れてわいわいできるだけでええんですけど。
9月30日の夜か10月1日の夕方かに、あるいは祭り直前の日曜日かにちょっと運行距離を伸ばすだけでええんやけどなあ。

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No.98 西駐車場 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/02(Sun) 05:27

六さんは琴平と榎井とがもう一度集まろうとして動いていた当事者の一人やったんですね!
今やったら、隣りの満濃町ではかりん祭りで各神社のちょうさが集まるということをしょうるし、
地元を盛り上げる為やし、地域活性にもなるし、そんなめんどげなことを言う人もおらんと思いたいです。

今実現したら、同じ日程でやっりょる石渕と庚申堂も一緒に集まれたら16台になりますね。

琴平町制100周年で集まったあれは平成2年?でしたっけ?9月23日(祝)?でしたっけ?うろ覚えですが…
西駐車場に、琴平の8台、榎井の6台、五条の石渕?の合計15台が集まって、象郷の獅子舞も一斉に集まって、歌舞伎役者のお練りがあって…
今考えたらあれはほんま凄いですね。誰かあの時の写真撮ってないんかな?

昔、皇紀2600年の時にも記念に一緒に集まってお祭りをしたことがあると聞いたことがあります。

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No.97 集結いいですね。 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/02(Sun) 02:52

かつて榎井とこんぴらのちょうさが集結したようなことがあったんですね。知りませんでした。ぜひ見たかったです(どなたか写真もってたら見せてほしいわぁ)。十数台ものちょうさが集結するのは壮観でしょうね。私もそんな機会があるといいなぁと思います。祭りが異なるのは確かですが、既に日程まで一緒にしたのだから、イヘ゛ント性の高いことをして琴平町のちょうさ祭りを内外にPRしていくのも観光施策として面白いと思いますけどね。そのためには、10/1,2日制から土日制に変えるべきでしょうね。ケンカは2日のフィナーレとして、1日は担ぎ比べコンテストみたいなのをやるとか、あと、各地区の女性に法被を着てもらって、着こなしを競い合うというのも面白いかもしれませんね。併せてキ゛ャラリーに対しては撮影会(写真コンテスト)などを催すというのもいかがかななんて思います。

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No.96 祭りの日程の記憶 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/02(Sun) 02:48

各地区の祭り日程ですが、私が小学生に上がった頃(昭和51年)は、確か1日目に虎屋の前で旗岡と出会っていたので、榎井とこんぴらの祭りが別の日だったという認識はありませんが、間違ってたらゴメンナサイ。それから、大井さん関係では、私が通っていた琴小でも確か五條の子は10月15日に休めました。当時とても羨ましく思ったのを覚えています。

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No.95 10月1日、西駐車場 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/02(Sun) 00:30

実はもう一度やりたいと動いていた当事者の一人でした。同年代のちょうさ好きの集まりで、みんな自分とこのちょうさにたかっているので、榎井とこんぴらのちょうさで町廻りで出会わないとこは、新調しても見れんが・・・という単純な気持ちから出た話でした。1日の夕方は何も予定も無いし、西駐車場が駄目やったら榎井が30日に集合しよる東駐車場でもええやんということで、みんなそれぞれ世話役に話して、各総代会で議題にしてもらうまではいったのですが、こんぴらのほうで、祭りが違う、駐車場は榎井やということから反対されたようです。
根回しなどしなくても簡単にできると思ってたのですが、ほんま甘かったです。

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No.94 おおっ!ほんまや。春日さんの祭の日 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/11/02(Sun) 00:11

町史に50年と54年の両方書いてあるわ。50年やったら私は高校生なのに憶えてないってことは54年が正解ですかな。
小学生の時は間違いなく12、13日でした。おとうかの11日は町教育委員会の定める休日であったのは琴平町の学校へ通った人は知っていると思いますが、榎小では12日に学校へ行くと「榎井の子は手を上げな」と言われ、「明日休みやな」と13日は榎井の子だけ休めました。同じように大井さんの16日は五條の子だけ休みでした。今思うとなんちゅういいかげんなことやったんかと思いますが、10月は休みばっかりのような気がしてたのを憶えてます。
でも年寄りは未だに15、16のイメージが強いので、12、13は多分長くはなかったと思います。
当時は満濃池のゆる抜きの次の日も家に田んぼがある子は手を上げさせられて休めました。ちょっとうらやましかったけど、当時は子供も勉強するより労働力としての価値のほうが高く、彼らも大変だったんでしょうね。

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No.93 獅子舞 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/01(Sat) 01:13

そういえば、昔は大井神社のお祭りに獅子舞も出ていたそうですね。

獅子舞といえば、琴平町制100周年記念式の時に、西駐車場でちょうさ15台が集まった前で、
象郷の獅子舞が一斉に舞った姿は素晴らしかったです。
是非もう一度あのような光景を見たいですね!

明日明後日の土日の綾歌町の「あやうたふるさとまつり」に、綾歌町の地元の獅子舞が出るそうです。
獅子舞の出演時間は確認しないとわかりません。
http://local.yahoo.co.jp/closeup0311/matsuri/chugoku_shikoku/11781/ 

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No.92 労やぶり 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/01(Sat) 00:52

六条のもんです2号さんへ
大変良いお話をありがとうございます。
五條のちょうさは魂のこもったちょうさなんですね。
またお話を聞かせてください。

六さんへ
ウチでは「ろうやぶり(労やぶり)」と言ってます。
とっしょりの方々もこう言っていますので、いまさらこの言い方は絶対に変わることはないでしょう。

ブラックドラゴンさんへ
琴平と榎井が10月1日に西駐車場で集まらんか、という話は、以前に具体的に話が出ていたと聞きました。
その時は、榎井の方はおそらく話はまとまる様子でしたが、琴平のほうが根回しに時間がかかって、
結局その当時の世話人の代も代わり、自然と立ち消えになったそうです。

もと金さんへ
>実際は、浅草の三社まつりや神田明神の神田まつりなどでも、厳しい掟があり、仕切り人が常に目を光らせています。
浅草では御輿の上に上がるのを禁止するために、担き棒の上を三角に尖らせて乗れないようにしたとか…
人のもめごとは起こってほしくないですね!目を光らせる人がおってほしいです。

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No.91 五条地区の謎 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/01(Sat) 00:41

と、私がいくつか調べてみた結果においては「町史ことひらの記述はあてにならない」ということをまずは前提に置きまして…

>輪つぃの記憶では現在の五條のちょうさよりもちょっとちいさいちょうさと、子供ぢょうさの二台が奉納されていたと思います。たぶんこれが石渕と庚申堂でしょう。
>その頃にはまだ五條と本村は奉納していませんでした。五條には花車や、本当に小さい子供ぢょうさがあったように記憶してます。

>>庚申堂は最初御神事の時は五条の前やった
>四条地区以外のちょうさが二台連続でかき上げをやっていたのを覚えています。
>その当時は大橋(先代)、大橋子供ぢょうさ、新道(先代子供ぢょうさ)、天皇と五条地区の二台だったと思います。一台は太鼓が重の下に横にして置いていたように記憶してます。

情報ありがとうございます!
花車や本当に小さい子供ちょうさがあったのは覚えています。どなたか個人で作ったのでしょうか?
あれが正式に慶納のだったのかどうかは分かりませんが、大井神社の周辺のものだったように思います。

石渕と庚申堂は、日程が変わった年が違うかったのではないでしょうか。

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No.90 ケンカ考 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/01(Sat) 00:40

●ブラックドラゴンさんへ
法被情報有難うございます!帰る楽しみが増えました。ちょうさのケンカもやはり紳士協定があるから楽しいんですよね!一線を越えてしまうと、端で観ている人は面白いのかもしれないけど、当事者・関係者にとっては不幸この上ありませんもんね。ちょうど不祥事を起こした高校野児が甲子園の道を断たれるのと同様、あらゆる努力が泡と化し、何もかもがつまらなく、白けきってしまう。荒々しい祭だからこそ、秩序は本当に大切です。だから、総代の責任は重く実際大変だと思いますね。

●六さんへ
東京ではよく「火事と喧嘩は江戸の華」などといいますが、実際は、浅草の三社まつりや神田明神の神田まつりなどでも、厳しい掟があり、仕切り人が常に目を光らせています。
ちょうさのケンカも一種の祭礼・儀式の一部なんでしょうね。醜い人間のケンカや怪我人の発生は、神様に対しても失礼にあたるでしょう。楽しくも厳粛に行うところに、本当の華があるのかもしれませんね。

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No.89 「町史ことひら」はあてにならない 投稿者:よっき 投稿日:2003/11/01(Sat) 00:38

しゅうじさんへ
>石渕、庚申堂は平成5年まで奉納していた。
>本村は平成4年に大野原から中古で購入した。と某HPに情報がありました。

すみません、その某HPへの情報提供をした者は私だと思います。
以前にとあるお祭りを見に行った時にそのHPの管理者さんに偶然お会いしまして、「町史ことひら」の祭りの部分の写しをお渡ししました。
しかし、その後、いろいろとお祭りのことを調べていくうちに「町史ことひら」に書かれていることも、ええかげんやなあということがわかってきました。
特に昔の年代の記述についてはあまり信用できないと思います。
何より、巻ごとに祭りのことの記述が違います。
例えば、榎井の春日神社の例大祭の日が琴平の氏子祭りの日と同じ日にやるようになったのは、
片方の巻では昭和50年と書いてるし、片方の巻では昭和54年と書いてるし。どっちなんや…
六さんによると、昔は15・16日でその後12・13日になってから変わったそうですね。
いったい正しい真相はどうなんでしょうか?

こういうことは、実際に地元の昔の当事者の方々に聞かないとわからないと思います。

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No.88 祭りは生きる楽しみ 投稿者:もと金  投稿日:2003/11/01(Sat) 00:37

●じゅうじさんへ
それはよかったです。祭りも楽しいですが、祭りを肴に参加者みんなで酒を飲む(労い合う)のって最高でしょうね(当時私はまだ高校生だったので酒は飲めませんでしたが、それでも十分楽しかったもの・・・)!

●六条のもんです2号さんへ
残念ながらそのTVは観てないのですが、とても刺激を受けました!それから感動の物語。とても素敵でした。おっしゃるとおり、人間いつ死ぬかわからないのだから、ちょうさに触らずに死んでしもたら、浮かばれませんもんね(笑)。来年は帰ろっ!(会社の来年のカレンダーに年休入れとこ・・・)

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No.87 ついでにもういっちょう 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/31(Fri) 22:26

ブラックさんの一同に集まる機会、大いに賛成です。(喧嘩まではせんでもええかと思うけど・・)
だいぶん前からこんぴらのツレらとよく話はしてます。1日の夜ならどこも空いとるはずやけどなぁ。西駐車場はほぼ真ん中で集まりやすいんやけどなぁ。平成2年の再現をしてみたいですよね。
今は、満濃のツレと合併記念大集合やってみたいのぉなどと話しています。
夢で終わりたくないですよね。

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No.86 喧嘩について3 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/31(Fri) 19:24

ということで、こんなに誠実な管理人さんに迷惑がかからないよう、喧嘩についての思い出やエピソードなどのカキコは自由かと思いますが、ほんまの喧嘩に発展するような、相手に対する誹謗、中傷等を書き込むことは禁止としませんか?
まだ、そのような書き込みはありませんが、今後とも出て来ないように、またそんな記事があれば遠慮なく削除してくれるよう提案します。
おそらくここにカキコしているみなさんなら賛同してくれると確信しております。

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No.85 喧嘩について2 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/31(Fri) 19:16

みんなが緊張感を持ち、ワクワク、ドキドキするような喧嘩という奉納をしたかったのですが、やはり人のいざこざは発生します。うちでは怪我人も出ました。うちは大昔にちょうさの喧嘩中に死人が出ているので、もうやらせてくれんかもしれんと思ったこともありましたが、その後なんとか平穏な喧嘩(?)で盛り上がってました。
しかしながら、最近、あるちょうさと右翼とがもめることがあり、それが尾を引いているため、総代会で話し合い、今年は申し合わせで一切喧嘩をしませんでした。今後このようにならないように、より厳しい取り決めをしないと、みんなが満足するようなものにはならないと思います。
こんぴらでは、この伝統あるちょうさの喧嘩が絶えることなく続いていますが、やはりちょっと前は人の喧嘩ばかりになり、実行委員会を結成して、厳しい取り決めにより、いい形の喧嘩による奉納になるよう努力していると思います。高藪の若虎会の結成もその産物でしょう。(ちょっと暴走もあったみたいですが)

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No.84 喧嘩について 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/31(Fri) 19:01

喧嘩についてのカキコが多くなってきました。こんぴらと榎井のちょうさを語る上ではなくてはならないものですが、おそらく他の地域、特に個人HPには喧嘩の記事は厳禁である新居浜の人がこれらを見ると異常に感じると思うので、ちょっと一言。
もちろん、昔の喧嘩は本当に相手を破壊するものだったようです。うちにも「それほんまなん?」みたいな武勇伝が多くあります。金若にも同じような伝説はいっぱいあると思います。
榎井ではそれぞれが新調した頃、当時の若い衆だった我々も当然したくておれませんでした。しかしながら、昔のようにマジでやって、人の喧嘩になったり、いつまででも尾を引くようなことはいやでした。小さい小学校で学び、みんな顔見知りの住民達がいつもいがみ合うなんていやでしょう。そんなことで、各ちょうさの同年代の人たちで、喧嘩という名の奉納になるようなことをしようと毎晩のように話し合いました。博多の山笠の競争みたいに、各地区で競い合うことを表現したかったのです。
(続く)

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No.83 動画送ってくださいね 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/31(Fri) 14:28

▼もと金さんへ
>ぜひこの「どうやぶり」の効用を活かさない手はないと思います。
どうやぶりではないですが、祭りが終わった後の食事の時にいろいろとコミュニケーションをとってますよ。
おっちゃん達に「おまえは昔から〜」とか耳の痛いお話をして頂いてます。(^^;

>写真でみると昔に比べ法被が大きくなった?
ほとんどのところが昔と比べると、裾が長くなっていると思います。これも西讃、新居浜の影響かな?

▼ブラックドラゴンさんへ
動画ファイルですが、是非送ってくださいね。結構楽しみにして待ってます。

>中讃地区のは土台にゴマの軸をかますための窪みがあってそれに軸をかましこむだけなのです。
そうですね。あのタイプの土台は中讃だけかもしれませんね。それとがついているところが多くありませんか?
ちなみに天皇は豊浜タイプの土台です。そんなに高さはなく、20cmぐらいだと思います。ゴマは鉄製であんまり転がりは良くありません。正直タイヤが羨ましい時があります。

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No.82 感動的な話ですね 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/31(Fri) 14:18

▼六条のもん2号ですさんへ
五条にはいろいろな人が関わり、凄い思い入れのあるちょうさなんですね。みんなの祭りにかける思いもそうとうなものがありそうですね。
この話を掲載したいと思いますが、よろしいですか?
まとめてもらってメールに送ってもらえると嬉しいです。それか、私が掲示板から抜粋して記事にしましょうか?

>庚申堂は最初御神事の時は五条の前やった
四条地区以外のちょうさが二台連続でかき上げをやっていたのを覚えています。
その当時は大橋(先代)、大橋子供ぢょうさ、新道(先代子供ぢょうさ)、天皇と五条地区の二台だったと思います。一台は太鼓が重の下に横にして置いていたように記憶してます。
その当時は大橋の子供ぢょうさもかいていたのを思い出しました。

▼六さんへ
>今はちょうさが通らないとこまで車で集金に行きます。
うちはそこまではやってません。ちょうさが通る道沿いにお花集めをさせてもらってます。
でも本当はお花をもって出てきてくれる人からだけ集めるのがいいのかもしれませんね。しかしそれだと運営もしていけませんからね・・・。難しいです。

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No.81 六さんへ 投稿者:ブラックドラゴン 投稿日:2003/10/31(Fri) 13:31

僕は中学生の頃に榎井にいる友達にビデオを見せてもらったことがあったのです。子供ちょうさ六条の潰れる姿を見た記憶があります。東中との喧嘩で潰されたと思います。その後大人ちょうさに変身した六条のちょうさを見て金山寺の古い掛け布団をつけていたのを見ました。法被も確かこの時に変わったと記憶してます。榎井のちょうさの喧嘩を見に行った時も六条の応援をしました。蔵中に好かんやつがいたからかもしれんけど。一生に一度でいいから、琴平と榎井のちょうさを一箇所に集めていろんなちょうさと喧嘩してみたいなと思う今日この頃です。おっさん達に頼んでみようか?

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No.80 中讃のちょうさの特長なのかな 投稿者:ブラックドラゴン 投稿日:2003/10/31(Fri) 13:22

中讃地域のちょうさは豊浜や新居浜に比べて小さいとかマイナ−だとか言われているけど、よくよく見るとおもしろいことが分かったのです。みんな知ってるかもしれないけど、豊浜とかのちょうさのゴマは台車型になっていて高さ40〜50cmくらいの大きさなのです。中讃地区のは土台にゴマの軸をかますための窪みがあってそれに軸をかましこむだけなのです。布団も五重だったり七重だったり、大人ちょうさは「とんぼ」はつけてないとこが多いですよね。豊浜のちょうさとかの台車やとんぼをのけると大差ないのでは(計ったことないけど)ないのかなと思います。担棒から上の高さではあっちのほうがでかいけどね。
そうそう、琴平では今年子供ちょうさの南新町と旭町が喧嘩したんですよ。大人ちょうさの喧嘩を後に控えて、良い演出をしてくれました。

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No.79 祭り好きは多いね。 投稿者:ブラックドラゴン 投稿日:2003/10/31(Fri) 13:08

>もと金さん。
法被の旧デザインは龍が今のより小さく、白で龍をかたどっていたうえに少し着色があったり、金粉をまぶしてあり、長さも短めでした。今のは龍がでかく、金粉の量が少なく長さは膝まであります。1万7000円くらいだったかな。総代の法被は白生地に黒龍です。
>祭り好きのみんなへ
今は規制が厳しくなって上に上がれないけど、今は我慢の時です。いつか昔みたいに上に上がって指揮できる時代がくるそうです。それまでは絶対に上がらないでね。

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No.78 もと金さんへ 投稿者:六条のもん2号です  投稿日:2003/10/31(Fri) 01:30

昨日のNTV「今日の出来事」の「新居浜の祭特集」を見られました?これは東京に住んでいる新居浜出身の学校の先生が主人公だったのですが、祭の3日間は妻と子供を東京に残して新居浜へ帰ってきて、3日間完全燃焼をして終わったらすぐ東京へ帰るという話でした。その人が言った言葉がすごい。「祭は三日間だけ。百歳まで生きても300日しかない。だから、1日1日一生懸命祭にかける。」という言葉でした。この言葉には感動しました。ちょうさバカはようけおるけど、こんな言葉聞いたのは初めてでした。
「もと金さん」来年は帰ってきましょうよ。再来年も次の年も…帰ってこれるちょうさがあるんですから。

しゅうじさん。
今日はようけカキコしてすみませんでした。

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No.77 六さんの涙の出るような話を一つ 投稿者:六条のもん2号です  投稿日:2003/10/31(Fri) 01:18

次は、六さんの涙の出るような私にとってはうれしい話を一つ。実は私高校まで六条に住んでおって、その後五条に移り住み、3年前に六条に戻ってきました。15年前六条が新調することになった時、祭りというても付けるちょうさも無く、2日の夜はつるやの四つ角へ行って喧嘩を外から指をくわえて見ているだけの日々でした。その時六さんが「六条も大きなちょうさ作るきん。お前も六条のもんやから、来年から来い。」というてくれました。正直無茶苦茶うれしかったです。これで、指をくわえんでもすむと…やっと堂々と行けるちょうさができると…。そして完成。結婚したての観音寺から来たうちの嫁に「こんぴらの喧嘩を見ないかんで」というて当日、色々あって結局喧嘩はできんと終わったその晩、「今年はごめんな」「来年は絶対に見せてやるきんの」と涙ながらにいうてくれました。うちの嫁もその時のことは今でも忘れていません。それからというもの、一日も参加を欠かしたことはありません。今では小学生のうちの子供もおもいっきりはまっています。子供につらい思いをさせんでよかったと…。これからは「めんどいおっさん」になって、六さんにどこまでもついて生きます。

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No.76 1つ忘れとった 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/31(Fri) 00:16

町史ことひら第4巻154ページには石渕と庚申堂が琴平に参加したのは平成6年からって書いてあるぞ

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No.75 カキコ出来んかったわい! 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/31(Fri) 00:07

2号ともと金さんの大作のせいで2回も書き込む前にはじかれたわい!2号のあんなええ話の後ではなんもできんやないか。

といいながら2号へ。
心配するな!子供がおる限り太鼓は鳴り続けるわい。そんな悲観するより、お前もめんどいおっさんになってちゃんと叩かせい!

しゅうじさん。
集金だから止まれんのですよ。昭和30年頃までのゴマを付けなかった時は、御花は相手からくれるもので、いただいた時はちょうさをさして、羽織を着た元老が持っている竹に挟んで口上を述べたそうです。私のじいちゃんのそんな写真があったような気がします。
今はちょうさが通らないとこまで車で集金に行きます。

よっきさんへ
もう少し時間を下さい。

もと金さん。
こっちにおらんのが惜しいが、とても東京におるとは思えん。

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No.74 しゅうじさんへ 投稿者:六条のもん2号です  投稿日:2003/10/31(Fri) 00:01

先程も書き込みしましたとおり、五条は平成元年あたりから徐々に大きくなり、今の形になりました。20年近く五条にかかわっている人に聞くと、「石渕はもう20年位前からおらんかったんと違うか」というてました。「庚申堂は最初御神事の時は五条の前やった」「ほんでも、琴平小学校が1・2日しか休みにならんという言い訳を残して琴平へ行った」とも言うてました。ということは、もうひとつの子供ぢょうさは五条かな?五条の中心人物に聞いた話です。

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No.73 もと金さんへ 投稿者:六条のもん2号です  投稿日:2003/10/30(Thu) 23:50

本当に当時は寒かったですねえ。「おとうか」のお下がりなんかは、みんなコートを着たりしていたのにここ数年の氏子祭なかでも、「夏かあ」と思うほど暑いし、2日間歩き回ると日焼けするくらい日差しが強いです。なんか変です。

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No.72 続きです。 投稿者:六条のもん2号です  投稿日:2003/10/30(Thu) 23:39

すみません。知らん間に書き込みになっていました。
すごいなで終わる話しですが、実は、その後に涙・涙・涙が待っていたのです。15年程前の1台目から携わっていたうちのちょうさ好きの一人が一昨年亡くなり、そして昨年……一人で縫い上げた方が、一年以上の闘病生活の後祭前の夏に亡くなり、その後を追うようにして、もう一人のちょうさバカの方が、ちょうさの組み立てが終わったすぐ後で交通事故で亡くなりました。本当に悲しい話で、縫った人は最後まで幕の10cm四方位が縫えてないことを気にしながら逝ったということです。ですから、五条のちょうさは本当にそういったいろんな魂のこもったちょうさです。とうとうカキコしました。苦労話第一幕はここまでということで失礼します。

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No.71 五条のちょうさ 投稿者:六条のもん2号です  投稿日:2003/10/30(Thu) 23:22

完成までの涙、涙の苦労話し第一幕です。
五条のちょうさが現在の形になるまでに、約12年程の年月がかかっているのです。最初、平成元年くらいから七重・欄干・土台・飾りというように、毎年一つずつ仕上げていき、6年かけてあらかたの形ができあがりました。当然作成したのは、地元の素人数人で、特に縫い物の飾り(締め・幕・布団)は一人の人が99%毎日縫い上げました。でも、気に入らずに再度作り直そうということになり、そこから又約6年かけて、今のちょうさが完成したという次第です。ですから、今倉庫にはもう1台眠っています。とにかく安い材料を探し、それを毎日毎日たった一人で締め8枚、幕4枚、布団4枚で縫い上げたという話しです。当然夜は、2,3人の人が手伝いに毎日訪れては作りました。とんぼも全て素人の手作りです。それだけなら、ああすごいなあt

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No.70 太鼓について 投稿者:もと金  投稿日:2003/10/30(Thu) 22:52

六条のもんです2号さんへ
太鼓の叩き方等にも現代の子供の様相が現れてるんですね。昔、毎朝6時30頃、総代のおっさんの家の戸を、思いっきり叩きながら、「おっさんバチくれー」と大声を張り上げ、登校時間ギリギリまで叩き、両手に豆を作り、カットバンを巻いて粋がっていたのを思い出しました。そんな子供はもういないんですかねぇ。ちょっと寂しいです。
 それから、あの当時、縦棒にはうっすらと霜が降りていたのを覚えています(昔は寒かったんやなぁ)。

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No.69 帰りたいですー 投稿者:もと金  投稿日:2003/10/30(Thu) 22:49

ブラックドラゴンさんへ
はじめまして。役場のHPで、金山寺太鼓台の元気な姿を拝見できるのも、ブラックドラゴンさんら地域の方々のお陰ですね。ありがとうございます。
写真でみると昔に比べ法被が大きくなった?のでしょうか(パワーアップしてるんですねぇ)。若虎会って阪神みたいですね。高藪の新しい法被ぜひ見てみたいものです(コワイのかな?)。金山寺の土台は40年にもなりますか。。。あれってちょっと低いんですよね。土台をもう少し高くすると、担ぐ時、楽なんですけどねぇ。。。あ〜来年は帰りたいです。

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No.68 花について 投稿者:もと金  投稿日:2003/10/30(Thu) 22:47

六さんへ
 花の集め方が「ちょっとあんまりやなあ」という話は私も覚えています。どこも集金事務みたいにやって来るので、「うちは今年はせんのや!」と断られた先もあったとのことです。当時としても、「今のやり方をどうにかせないかんなぁ」という話が問題になってたように思います。これもどうやぶりの席上での話だったと思います・・・
 花は確かに新調等の資金源になっているとは思いますが、微々たるものと思っています。実際のところ、やはり地元の寄付を募っていかないと、なかなか新調できるもんではないんじゃないかなと思いますね。

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No.67 どうやぶりの思い出 投稿者:もと金  投稿日:2003/10/30(Thu) 22:45

しゅうじさんへ
「どうやぶり」はぜひやってください!大人の「どうやぶり」は実は1回しか出たことがありませんが、すごく楽しかった思い出があります。普段挨拶はしても、酒や食事を共にすることがない人たちが、氏子祭りの共有体験を通じて、お互いの想いをさらけ出し、お互いの人柄をよく知り合えたのです。「えっ、この人が?」と思う人が、ちょうさに寄せる夢や新しいアイディアを語り出したり、普段寡黙なおじいちゃんが昔の武勇伝などを熱く語り出す。おばちゃんも炊き出しのメニュー改善案を出し合ったり、おばあちゃんからは飾り素材の工面や修理の苦労話が飛び出すなど、いろんなコミュニケーションが湧出し、みんなが元気になり、地域への想いが深まり、結束と絆が固まる貴重な時間なんですよね。祭りそのものも大切ですが、ぜひこの「どうやぶり」の効用を活かさない手はないと思います。 ちょうさが好き、地元が好き、だから私も人肌脱ぎたいという気持ちはここから生まれるのではないかと思いますね。

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No.66 レス 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/30(Thu) 21:47

▼六条のもん2号ですさんへ
>太鼓の音を期待できんようになっていますよねえ。
確かにそうかもしれませんね。でも太鼓が鳴っているだけましでしょう。
うちなんて休憩中や、お宮でも太鼓が休んでいることがあります。これははっきり言って恥ずかしいことです。(-_-;)
昔は『絶対太鼓は止めるな!!』って言われていたのに・・・。今のコには無理な注文なのかもしれませんね。

▼六さんへ
>花をくれた家の前で太鼓を早打ちしてちょうさをシーソーみたいにゆらすのを何回も見たことありますが、あれがお礼と思てたんですが。
やっているところもありますね・・・。(^^;
でも琴平や榎井の町中だとそんなことをやっていると進めなくなってしまいませんか?

▼よっきさんへ
>これまた謎ですね!琴南のちょうさといえば明神と上内田ですが…他にもあるのかな?
もしかしたら長炭のどこかかもしれません。記憶が曖昧なのと、又聞きなのではっきりと言い切れない状況です。

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No.65 石渕、庚申堂、五條、本村の関係 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/30(Thu) 21:40

石渕、庚申堂は平成5年まで奉納していた。
本村は平成4年に大野原から中古で購入した。と某HPに情報がありました。

はっきり言って曖昧な記憶ですが、覚えていることをまとめてみました。
輪つぃの記憶では現在の五條のちょうさよりもちょっとちいさいちょうさと、子供ぢょうさの二台が奉納されていたと思います。たぶんこれが石渕と庚申堂でしょう。
その頃にはまだ五條と本村は奉納していませんでした。五條には花車や、本当に小さい子供ぢょうさがあったように記憶してます。
石渕と庚申堂が奉納をやめた後、五條が奉納するようになったと思います。(ここが一番曖昧な記憶)
その数年後、本村が数十年ぶりに復活し奉納するようになりました。
全て平成に入ってからの出来事だったと記憶しています。しかし、私一人が曖昧に覚えている記憶ですから、信憑性には欠けます。(^^;
五條のことなら六条のもん2号ですさんの方が詳しいかもしれませんね。

1.石渕、庚申堂がやめたのと五條が始めたのはどちらが先か?
2.五條と、本村はどっちが先か?
この二点ははっきり記憶していません。

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No.64 法被 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/29(Wed) 23:11

天川神社には、今は出ていませんが、かつてはだんじりも数台出ていたそうです。

ブラックドラゴンさん、こんにちは。
金若の法被は迫力があってええですね。
白黒反転の総代法被もかっこええです。
高藪の法被は昔の法被も好きです。若虎会の法被はなんとなく少し金若風に近いような、気のせいかな?

今年新たに色が反転したのを作った西中の法被も、去年からこんぴらさんの鬱金(うこん)色が復活したという西山の法被も、一昨年から新しく虎退治の絵の入った横瀬の法被も、
私は基本的にどの法被も好きです。

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No.63 上内田(かみないでん) 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/29(Wed) 22:39

しゅうじさんへ
情報ありがとうございます。五條が奉納してなかった時があったんですか?
そういえば、昔は小さな手作りのちょうさもあったような…あれはなんだったんでしょうか?慶納のちょうさだとか言ってたような?

>先代の天皇のちょうさが、台だけ琴南に引き取られたんですがどこだったんでしょうか?
>もう二十年近く前だから、すでに違う台に変わっているでしょうね。

これまた謎ですね!琴南のちょうさといえば明神と上内田ですが…他にもあるのかな?

琴南町の造田の天川神社の上内田(かみないでん)のちょうさは、大正時代には既にあったそうです。
それ以前の昔、このちょうさは琴平か榎井のちょうさであり、そのまままるごと貰い受けて来たそうです。
布団締めの龍や幕は当時のものではありませんが、掛け布団や昼提灯や彫刻などは当時からのままのものをずっと使っているそうです。
今年の神社でのお祭りは10月19日(日)の昼13時頃からでした。

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No.62 ただの「ちょうさぼっこ」です 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/29(Wed) 22:38

お祭りの時期に、いろんな人にちょうさのことを聞いたら皆快く話してくれますね。
私は六さんに比べたらまだまだ若造なので、肝心な知識はあまり無いと思います。
昔のこととか、何年にどうしたとかは知りません。
おっさんやとっしょりの方々に、もっともっと教えてもらいたいなと思います。

六さん、いつもありがとうございます。
あれはやっぱり金若の座布団やったんですね!
ちなみに金若の昔の座布団は一枚だけ見せてもらったことがあります。
もと金さんの言う、地元の方々が修理した座布団ですね。良いお話ですね!
締めと幕と金縄は生稲のやったんですか。
すると、先代のが仲南に行ったというのは本体と座布団になるんでしょうか?

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No.61 花の御礼 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/29(Wed) 22:27

花をくれた家の前で太鼓を早打ちしてちょうさをシーソーみたいにゆらすのを何回も見たことありますが、あれがお礼と思てたんですが。

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No.60 続き 投稿者:六条のもん2号です  投稿日:2003/10/29(Wed) 18:02

これも少子化の影響と、体力不足で朝から一人でたたいてやろうという子もおらんし、付いとる親もみんな平等に順番にたたきよう。というのがあってやと思います。まあある意味今の時代ではしょうがないのかなと・・・。自分の時代に六条にちょうさがなくて、つらい思いをしただけに、長々とカキコしてすみませんでした。これにて終了。

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No.59 太鼓について 投稿者:六条のもん2号です  投稿日:2003/10/29(Wed) 17:56

確かに今は、たたき方の練習というものはなくなったし、組み上がってから毎日のようにたたくということはなくなったと思います。それも大人の責任かなと。今、祭りの当日でもない時に太鼓をたたくと近所迷惑になります。数年前六条でも早朝から太鼓の音がしたといって苦情がありました。それ以来中には入れないようにしています。(悲しい話です)それと私が小学生の時は、六条にちょうさがなかった時代ですので、旗岡に行ってました。当時は、よそ者ということで、太鼓をたたくなんてことはもっての他で本体にもまともにさわれず、綱だけをひたすら引っ張っていたと思います。それと、太鼓をたたくのは上級生になってからという暗黙の了解もあったと思います。それと男だけという・・・。今は違います。連れて来たよその子はたたくわ小学校1・2年生の子はたたくわ、低学年の女の子はたたくわで、太鼓の音を期待できんようになっていますよねえ。次に続く。

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No.58 気にしてませんよ 投稿者:しゅうじ@管理人  投稿日:2003/10/29(Wed) 15:53

▼六さんへ
どうやぶりではないですが、祭が終わったら集会場でおばちゃん達が作ってくれたおむすびやうどんを食べならがお酒を飲んでます。
これもいろいろと交流があって楽しいです。

お花集めは難しい問題ですね。もしかしたらうちも集金のようになっているかもしれません。

>花をくれた家の前ではちゃんとちょうさでお礼しますよね。すばらしいです。
これはどういった行動でしょうか?なにもしてない気が・・・。(^^;

▼ブラックドラゴンさんへ
>もし、このHPに掲載していただけるならば、ご提供差し上げます。
喜んで掲載しますよ。メールで送ってください。一つ3MBぐらいの動画にしてもらえると嬉しいです。

>でも最近の子供は練習しないから、僕はなるべく子供達に教えるようにしてます。
確かに練習しませんね。私なんかちょうさが組上がると、ほぼ毎日のように学校から帰ったらすぐに叩きに行ってました。
でも最近の子は練習はしないし、えらいことからは逃げるという印象があります。
組み立ての時に子供が来ないもの、なんか寂しい感じがします。

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No.57 動画はええな! 投稿者:ブラックドラゴン 投稿日:2003/10/29(Wed) 12:30

町役場のHP見ました。琴平の祭りを動画で見れるとこはここぐらいやろうか?他にもあれば教えてください。今年は嫁さんに頼んでビデオを撮ってもらったのですが、あまりアングルが良くないのです。そのためにデジタルビデオカメラを買った私はほんまに祭りバカですな。もし、このHPに掲載していただけるならば、ご提供差し上げます。高藪と阿波町のはgoodに撮れてました。他に必要な人がいれば、提供できる範囲でしますよ。なにせあまりデ−タ処理が苦手なので・・・・。
もと金さん!来年は帰ってきまいよ。僕も来年はフル出場する予定です。あ!!!!!!それと法被のデザイン変わったの知ってます?何年前だったかな?忘れた・・・。高藪も若い衆で若虎会なるものをつくって、法被を新調してました(かっこいいよ)
あと金若の土台は40年使っているものらしいですよ。他のとこと比べて太いし重たいよ。太鼓のたたき方は昔と変わってないですよ。でも最近の子供は練習しないから、僕はなるべく子供達に教えるようにしてます。
今年の喧嘩は1回目は負けましたが、2回目は途中ハプニングがあったものの勝ったと思います。

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No.56 気ィ悪んせんといてな 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/29(Wed) 08:06

昨夜はようけ書いてすんません。めんどいおっさんの独り言やと思て下さい。「他所のことはほっとけや」ということで結構です。

昨日、たまたま花の集め方や祭りの日の変更などについて他の地区の人と議論したとこやったんで、少々興奮していたのかもしれません。

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No.55 どうやぶり 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/29(Wed) 06:31

忘年会もかねて、年末にやっているみたいです。
しかし、そんな時期にやっても集まるのは年寄りばかりで、祭りで活躍?した人達は集まりません。
やっぱり本祭りの夜にやらないと、意味は意味がない気がします。
まあ、いろいろ事情があるんでしょうから、あまりみんなも言わなくなりました。

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No.54 続々おっさん 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/29(Wed) 01:55

ということで、しゅうじさん。こんな時代だからこそ、経費節減なんてストイックなこと言わないで、お祭りくらいパーッとやりましょうや。お祭りは昔から日本人の心にある年に1度ハレの特別な日なのですから。

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No.53 続めんどいおっさん 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/29(Wed) 01:47

前のカキコに関連しますが、琴平、榎井でのまるで集金するような花集めは大嫌いです。自分とこのちょうさを綺麗にするために、他所からちょっとでも多く花を集めるというのは間違っていると思いませんか?
自分のとこのちょうさは自分のとこでしまいするのが当然だと思うのです。花はちょうさを持ってきたことに「ありがとう、まあ一杯やってくれ」みたいな意味だと思うのです。
私が六条を好きなのは、全員がこの気持ちを持っているからです。花はくれた人の気持ちを汲んでなるべく使いきり、それでも今まで借金をせずに、地区内の寄付でちょうさをここまでしました。
これを見て、そんなん当たり前やという方も多いと思います。特に満濃は地区内で積み立てをして綺麗にしていくとこが多いと思います。花をくれた家の前ではちゃんとちょうさでお礼しますよね。すばらしいです。
私と同じ意見を持つ者は大勢いるのですが、一斉に申し合わせでもしないともめるもとになってしまうわなあ・・ということで実現は困難です。

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No.52 ちょっとめんどいおっさんになります 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/29(Wed) 01:20

しゅうじさん、「どうやぶり」はせないかんわ。勿論、各地区によって諸事情があり、他所の者が口出すのは間違いを承知で一言。
ちょうさの運営は若い衆だけではできません。炊き出しのおばちゃんや、花方や帳場の年寄りのおっちゃんらがいるからこそできると思っています。うちはそのおばちゃんやおっちゃんも一緒にやります。実は下戸の私もこれだけは休んだことはありません。地区のみんなをまとめて一つのことをやりとげたその年の総代の最後の大仕事兼晴れ舞台なのです。祭りはここまでしてワンセットじゃないでしょうか。
これも東雲さんとこにカキコしましたが、地区の活性化は勿論、転入した人が地区になじむのにすごくいいきっかけなのです。
今年のどうやぶりで若者たちと、ちょうさが上がらんようになってもどうやぶりだけは止めれんなぁと確認しあいました。
年に1回近所のおばちゃんとデュエットするのもなかなかいいもんですよ。

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No.51 そういえば 投稿者:しゅうじ@携帯  投稿日:2003/10/28(Tue) 22:48

先代の天皇のちょうさが、台だけ琴南に引き取られたんですがどこだったんでしょうか?
もう二十年近く前だから、すでに違う台に変わっているでしょうね。

天皇が新しい台に変えたときの苦労話は、私がまだ子供だったのであまり聞いていません。
一番の問題はやっぱりお金だったと思います。世帯数が少ないから、一軒当りの負担も大きかったみたいです。
そのためあまりこだわってはないかな。聞く話には布団締めは、どこかが中国で作ったが、できに納得ができず手放したものと聞いた気がします。

天皇の詳しい情報を収集する必要がありますね

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No.50 盛り上がってますね 投稿者:しゅうじ@携帯  投稿日:2003/10/28(Tue) 22:31

これだけ盛り上がるとHPを開設して良かったと実感できます。

▼六さんへ
春日や琴平ではいろいろルールがあるんですね。
大井さんでは喧嘩の伝統がないから太鼓で張り合うようになったんでしょうね。

▼六条のもん2号ですさんへ
私はずっと『労破り』だと思ってました。(^o^;
昔はあったんですが、運営を自治会に譲ってからは経費削減のためなくなってしまいました。

▼よっきさんへ
記憶が定かでないんですが、石渕と庚申堂が奉納して時は五條が奉納してなかったような気がします。
大橋の子供ぢょうさは8年ぶりに出したそうです。

▼もと金さんへ
私も同じように、「音が小さいぞ!!変われ!!」と厳しい罵声?を浴びながら、必死で叩いてました。

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No.49 続きです 投稿者:もと金  投稿日:2003/10/28(Tue) 22:26

 こんぴらでも、ちょうさを新調する際に苦労があったと聞いていました。つまり、縫師の件についてもそうですが、“知っている人”が周りにおらんので、予算も含め、どういう手順や計画で進めたらええのかがわからんというのが一番多かったようですね。確かに何十年かぶりに新調するのですから、地域の長老といえども、昔の記憶は風化してますよね。。。

 よっきさんの情報網、凄いですね!私も西中が手作りで作ったという話は、中学の同級生の親父さんから聞いたことがあります。それで榎井の人もちょうさが好きなんやなぁーと感じいったのを憶えていますよ。

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No.48 すごい情報網ですね 投稿者:もと金  投稿日:2003/10/28(Tue) 22:24

 夕べは掲示板をよう見ませんでしたが、既にこんなにカキコが・・・六さん、私もこんぴらに残ってたら間違いなくうるさい(=執拗なまでにこだわる)オッサンになっとったと思います(爆笑)。たぶん今帰っても「あれどこのオッサンや?」と若い子らに唖然とされるのかな〜見下ろされたらかなわんな。
 金山寺の昔の掛け布団(ビニールでカバーしてた)を六条さんでもされてたんですか!懐しい〜。私がまだ幼児の頃、父母ら近所の人が夜当番の家に集まって、あの竜の修理をしていたのを覚えています。バラバラになった刺繍を縫い直し、金箔やら紅やらを買ってきて上から塗ってました。割れてなくなった竜の目玉は牛乳瓶を割って充当していました。それだけに皆愛着があり、新調してもしばらくは手放さなかったと聞いていました(ボロだった時は新調できたらどんなに素敵かと想像を膨らませ、いざ全部新調してみると昔のボロが懐かしくなる。不思議なものですね)。

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No.47 2 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/28(Tue) 01:00

さて、困ったのが掛け布団です。
寄付金が予想以上に集まっていたので一気に注文しようかとも思ったのですが、当時は誰も縫師についての知識も無く、またその他もろもろの理由もあり、まあとりあえず、その頃掛け布団を新調してた金若の某氏に縫師を紹介してもらい、どっちにしても1年では無理ということで、金若の中古を購入したものです。
(もと金さん、これも縁ですな)
その後もう1回寄付を集めたりして、平成5年に完成したのが今の竜虎の掛け布団です。

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No.46 よっきさん、あんた何者や? 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/28(Tue) 00:43

しかし恐るべき情報量ですな。いったいどうやって調べるんですか?

東雲さんとこでも書いたように、うちの古いんは旗岡が買うて帰って、使えるとこだけ使ってたようです。昔の写真を見る限りは、使えるとこはほとんど無いようにも思うんやけどな。
新調する時にそれを買い戻そうという案も出たんですが、そななんふが悪いわいうことになったんですわ。なぜか昔から六条と旗岡はライバル意識が強く、運動会の部落対抗リレーでも、ベーでもええから旗岡だけには負けるなって無茶なことを言われて育ちました。
多分ちょうさの喧嘩がいろんなとこに影響していたんでしょうな。

締めと幕と金縄は子供ぢょうさの時に生稲の中古を購入して、サイズの合わないまま付けていたので、とりあえずそれを使うことになりました。
(字数の関係で次に続く)

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No.45 六条 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/28(Tue) 00:00

六さんへ
六条のお話ありがとうございました。
平成元年まで先代の子供ぢょうさ、平成二年から今の大人ぢょうさですね。
布団締め、座布団についても分からないことばかりです。中古だったのですか?
金若のような白地の座布団を六条が使っていたような記憶もあります。

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No.44 西中 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/27(Mon) 23:23

西中については、以前の「えじゃーないか」に話が載っていましたね。
西中が大人ぢょうさにする時は、一年間の中で休んだのはわずかに盆の三日間だけで、あとは毎日毎日手作りで作ったとの苦労話を聞いています。
痛快だったのは、本体を作ってる最中に、いつの間にやら西中の畳屋さんのこだわりで畳を敷いてしまう設計にして、
ここに世界で唯一の、畳敷きのちょうさが出来上がったということです!

春日神社の中には、大人ぢょうさにした当時の一枚幕の時の西中の写真が奉納されて飾られています。西中にとって、よほどの出来事だったのでしょう。
ちなみに春日神社も普段は鍵がかかっているので、お祭りや正月の時でないと中は見れませんが…

天皇、六条、五条などの新調の苦労話も、語れる範囲があれば是非、聞いてみたいです。

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No.43 昔の西中のちょうさ 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/27(Mon) 23:13

昔の西中の子供ぢょうさですが、西中が大人ぢょうさになって使われなくなった後に、琴南に行っています。
琴南町の川東の明神の八幡神社、その明神(みょうじん)のちょうさとして使われていたそうです。
本体も飾りも昔からの古いままで残っていたそうです。
私がその話を知った時には時すでに遅く、明神は既に現在の大人ぢょうさに変わっていました…

現在の明神のちょうさは、若林神社のお祭りで使われていた先代の生稲の大人ぢょうさです。
生稲が新調して、その後すぐに先代の生稲が明神で使われ始めた訳ではないようで、一年か二年はまだ先代の西中を使っていたようです。

こころあたりがあるので、また分かる方に詳しく話を聞いてみたいと思います。

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No.42 石渕 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/27(Mon) 23:09

石渕が今の大人ちょうさになったのはそんな前じゃなかったような?
(布団締めに龍の無い)子供ぢょうさ→(布団締めに龍の入った)中ちょうさ→現在のちょうさ
の変遷だったように思います…
石渕の子供ちょうさも、先代があったという事でしょうか?

石渕と庚申堂が10月1日・10月2日に変わる前は、大井さんに七台のちょうさが集まっていたのですよね?
さらに大橋の子供ぢょうさも来てたのなら、賑やかだったんでしょうねー!その当時を是非一度見たかったです!

石渕と庚申堂が10月1日・10月2日に変わったのは何年からか分かりますでしょうか?

思うのですが、ちょうさについての年表が欲しいですね…!

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No.41 いかんわ、寝れんがな 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/27(Mon) 01:16

国道みたいに広いとこは別にして、大昔は町廻りの時でも鉢合うと、必ず喧嘩で決着をつけていたからでしょうな。うちにも、年寄りの話から、多くも武勇伝を聞きます。おそらくどこにも伝説はあるはずです。
最近(言うても大分前から)は、はちあう手前から、お互いの総代が話をつけ、どちらかが止まって待ちます。その時はやはり譲られたほうが先に「よいよい」するのがルールですな。これは相手が子供ぢょうさでも平等です。
今年、うちが譲られた時に「よいよい」したのに、某ちょうさが「とばした」を止めんかったんで、ちょっとやかまし言いに行ったら若い衆にことわりに来られましたわ。横並びの時は張り合わすのは当たり前ですが、「よいよい」の太鼓の速さのことまで知らん間におらんでましたわ。
とうとうそのやかましおっさんの一人になってしまったような気がする・・・もと金さんもずっとこっちでおったら・・・

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No.40 ”緊張感2” 投稿者:もと金  投稿日:2003/10/27(Mon) 00:23

▼ろくさんへ
昔はどこのちょうさにも名物的な怖いオッサン(仕切り人的な人)が一人か二人はいて、私達の間では「○○のおっさん=要注意人物」として恐れられていました。その人たちは昼間はクール(でも酒は飲んでいる)なのですが、毎年、夜のケンカの時に異常にエキサイトする人たちで、その過激さを知っているだけに、昼間でも決して目を合わさないようにしていたものです。
特に当時、うちのケンカの相手だった「西山」や「高藪」の時は緊張しました。。。もっとも、今は、そんな名物オッサンも少なくなり、昔みたいな異常なエキサイティングさはなくなっているとのことらしいですが・・・

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No.39 ”緊張感” 投稿者:もと金  投稿日:2003/10/27(Mon) 00:20

■■もと金山寺です。わたしも「六さん」にならって「もと金」と名乗らせてください(^_^)。■■

▼しゅうじさんへ
すれ違い時や横並びの時の太鼓の張り合いは必須でした。狭い道でのすれ違いは必ず「よいよい」、国道など広い道でのすれ違いは「とばした」でした。疲れてちょっとでも気を抜くと、酒気を帯びた怖面のおっさんがサッと幕を開け、「オマエら、性根が入っとらん、全員替われぇ!」と怒鳴りつけられる。せっかくゲットした台座を明け渡したくなかった私たちは必死で叩きました。でも相手が自分のとこより小さいちょうさの時は、逆に「アホぉ、抑えんかぁ!」と戒められました。コワイけど愛情味溢れるオッサン達でした。。。

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No.38 いかん、カキコしすぎか 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/27(Mon) 00:08

掲示板が真っ赤になっとるがな。しかし、ちょっとでも質問があったり、指摘するとこがあったら書かずにおれん性格なんで。管理人さんごめんなさい。

ここで2号の記事を指摘し、ウンチクを少々。

「どうやぶり」は元来「頭屋振舞い(トウヤブルマイ)」が訛ったものですので「堂破り」やましてや「労破り」等と表記するのは間違いでしょう。
もともと祭りの頭屋があたると大変やったそうですな。獅子組ではまだその風習が残っているとこがあるそうです。私の母の里(多度津の田舎のほう)が何年か前に100年に1回くらいの頭屋になって、やっぱり頭屋の振舞いでお客をしたそうです。

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No.37 ということで、もと金さん 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/26(Sun) 23:09

なぜか、すれ違う時に止まって待ってくれるほうには、掛け布団のすぐ横にもたれてこっちを見ているちょっとめんどげなおっさんが、どこのちょうさにもおると思いませんか?
かといって、間違えて「トバシタ」で行こうとしてもそのおっさんが怒鳴ることはなく、怒鳴ってくるのは、ちょうさの向こう側か後ろから出てくる、もひとつめんどげな年寄りのおっさんだと思いませんか?

私はいつもそのもたれているおっさんの視線が気になり緊張します。

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No.36 六条と五条は手造りです。 投稿者:六条のもん2号です  投稿日:2003/10/26(Sun) 23:08

六条の手造りの苦労話しは、「六さん」が携わった中心人物の一人でありますので、これ以上の情報者はおらんと思います。五条につきましては、これはすごい苦労話しが潜んでいます。「とんぼ」「七重絞め」「幕」「掛け布団」その他もろもろの全てが数人の人達の手造りです。私も「六条のもん2号」でありながら、「五条のもん」でもあるという関係上、その方達のことはよく知っています。それはもう涙・涙の物語です。もしよかったら、その方に確認して掲載できる範囲でレスをいれたいと思います。こうご期待。昨日は五条の「堂破り」が豚○館であり、大いに盛り上がりました。管理人さんのちょうさでも「堂破り」なるものはあるのでしょうか?ちなみに六条の「堂破り」も結構盛り上がります。よね「六さん」。

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No.35 おっ、新たな発見 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/26(Sun) 22:42

六条の復活劇については、東雲さんの掲示板に簡単にまとめてますが、子供ぢょうさの頃の話になると、自治会内のいろんな感情のこじれが出てきて、ちょっとこういう公共の場では言いにくいので、もし実際会うような機会があればお話しましょう。
まあ、今はちょうさも運営方も昔に戻したことで、自治会もうまくいっていると思います。

さて、本題ですが、満濃はすれ違う時は太鼓ではりあうんですか?琴平と榎井は逆に昔からそうしてはならないルールがあります。
すれ違う時に「トバシタ」を叩くと喧嘩する意思ととられ、相手に失礼になるので、必ずお互い「ヨイヨイ」にします。
町廻りの時は子供が叩いているので、たまに気がつかず「トバシタ」のまま行こうとすると、必ず相手のおさんが血相変えて怒鳴り込んできます。逆の時もあります。
これももと金さんのいう緊張感のひとつだと思います。

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No.34 五条と六条は 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/26(Sun) 21:55

ちょうさを手作りで造ったみたいですが、詳しい話しを
聞かせてくれる人はいませんか?
凄い苦労されたでしょうから、その話しを是非聞いてみ
たいし、記事にもしてみたくなってきました。
きっかけ、苦労話、自慢できるところなどなんでも書き
込んでください。

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No.33 ちょっと残念2 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/26(Sun) 21:52

文字数制限があるため、レスを二つに分けました。
やっぱり無料だといろいろと制限がありますね。

▼六条のもんさんへ
それではこれからは、六さんと呼ばせてもらいます。

>中讃まつり情報の中で、「旗岡」が「鳩岡」になってます。
ご指摘ありがとうございました。早速修正しました。

>あんまり小さかったので、すぐに2代目を作ったらしいが、これもあまり大きくなく、またすぐに3代目を作ったらしいです。
今まで全部手作りなんですか?いろいろと苦労があるんでしょうね。

>私の記憶に間違いなければ石渕のものです。
石渕は今のより前にちょうさは存在したのでしょうか?
もしかしたら大井さんに来ていたのがそうかもしれませんね。
石渕には昔からちょうさがあったのでしょうか?それとも今のが最初ですか?
でも大井さんに石渕と庚申堂が来なくなったのはちょっと寂しいです。
でも、ちょうさを運営していくためには仕方ない判断だったんでしょうね。
もう戻ってくることはないのかなあ。

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No.32 ちょっと残念 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/26(Sun) 20:56

結局時間が無く鳩峰の祭りは見に行くことが出来ませんでした。
これで来年までちょうさを見ることがないでしょう。ちょっと寂しいですね。

▼よっきさんへ
>特に挙げるとすれば、琴平は鞘橋の前、榎井はマルオの前、五条は大井さんの参道でしょうか。
大井さんの参道にちょうさが五台列んでいる姿は私も好きです。うちも五条みたいに
神地場までかいて行くぐらいしないといけないんですが、なにぶん人数が少ないため
手伝いがないと上がりません。

>今年の琴平の金刀比羅宮氏子祭りでのちょうさの動画が見れます。
すばらしい動画をありがとうございました。祭りの興奮がまた少し甦りましたよ。

▼もと金山寺さんへ
>あとちょうさのすれ違いも大好きです。お互いの勇姿に目を奪われつつも、あらめて
>自分のとこのちょうさへの情が深まる独特の緊張感がいいですね。
負けてなるものかと必死になって太鼓を叩いていたのを思い出しました。
しかし、うちの太鼓はならないからいつも負けてましたけどね。(^^;
それにしても最近の子供は張り合いがないのか、すれ違いざまに太鼓をやめて手を振って
いるのには呆れてしまいました。

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No.31 それより 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/26(Sun) 08:30

先代西中は、たしか大昔のを一度復活させたものでしたよねぇ。よく保存していたもんでした。榎井暗黒時代になる前に出ていたあのちょうさは今はどうなっているのか知りませんか?
私らが小さかった頃、あれは戦前の大きな地主であった安川さんが作ったんやとよく聞かされたあのちょうさは、広袖のと同じくらい昔を知るうえで価値があると思うのですが。本格的な中ぢょうさでしたよ。

今日も仕事で、残念ながら常包のちょうさは見に行くことができませんが、今度石渕の知り合いに聞いてみますわ。

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No.30 おそらく 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/26(Sun) 08:09

石渕でないでしょうか。東雲さんの写真見た時から引っかかっていたのが、掛け布団と昼提灯の金具。金糸でなく、獅子の油単のような掛け布団が気になってしょうがなかった。私の記憶に間違いなければ石渕のものです。大きさも年代も合うように思いますが。
よっきさんが聞いた人も何年も前のことなので、ちょっとした記憶にズレがあるのでは。

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No.29 私も今調べていた 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/26(Sun) 01:20

おそらく、よっきさんはもしや六条から・・と思ったのでは。私もその頃の娘のアルバム探して調べてました。
先代は平成元年が最後でした。私が参加したのは三代目になってからなので、前2代は知らないのですが、初代は子供会の親の手作りで、ほんまに小さいものだったらしいです。あんまり小さかったので、すぐに2代目を作ったらしいが、これもあまり大きくなく、またすぐに3代目を作ったらしいです。台場から上の大きさはその3代目と同じくらいに思いますが、よく見るといろんな部分が確実に違います。年代も合いません。
蔵中が今のに新調したのがその頃でなかったかと思い、先代蔵中の写真を見つけたけど、大きさがちょっと違うと思います。
とすると、残るは先代西中ですか。西中もその頃に今のに新調したはずですね。

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No.28 六條の子供ちょうさ 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/26(Sun) 00:46

もしかして「はとか」が先で、当て字で「旗岡」と漢字を付けたのかも?
いや、やっぱり「はたおか」→「はとか」の発音の変化かな。
ちなみに「ちょうさ」を「丁佐」と書くのは当て字でしょうねえ。
逆に、「西山」を「にっしゃま」と言うのは発音の変化でしょうし。

さっそくですが、六さん、こんにちは!
六さんに教えて頂いたことをまとめてみました。

今の大人ぢょうさになる前の先代の六条の子供ぢょうさは平成?年まで使われていた。
(すみませんが、六さん正しい年を教えて下さい…)
その先代の子供ぢょうさは仲南のほうに売った。おそらく仲南町の買田。
六条の子供ぢょうさは、三代あった。

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No.27 常包(つねかね) 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/26(Sun) 00:27

こんにちは。
明日の日曜日で各地のお祭りはほとんど終了ですね。
琴平町の苗田の石井八幡神社も明日の日曜日がお祭りですね。

明日は見に行けないので今日の夕方、鳩峰八幡神社の周辺まで見に行きました。
片岡・大向・常包の三地区がそれぞれちょうさと獅子舞を持っているようです。
大向の座布団は、旗岡が新調時に新調して二年間だけ使った座布団を現在使っているようです。

常包(つねかね)の人に話を聞きましたら、現在の常包のちょうさは、今から17年前くらいの頃(昭和6?年頃)に榎井から来たちょうさだそうです。
(正確な年数まで聞けませんでした)
子供ぢょうさで、常包に来てから足を継ぎ足して台場を高くしています。
幕・座布団・昼提灯は常包に来てから新しくしていますが、本体・布団締めは榎井からやって来たそのままです。

今日はそれらの詳しい話を聞けませんでしたので、できれば明日どなたかが聞いてほしいのですが…
昭和何年に、どこの地区から来たのでしょうか?

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No.26 おっ!間違い見〜つけた 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/25(Sat) 09:47

中讃まつり情報の中で、「旗岡」が「鳩岡」になってます。確かに「ハトカ」と発音しますが、これは古文で習った音の変化でしょうな。「西山(ニッシャマ)」を「ニシヤマ」と読む人が一人もいないのと同じですわな。

東・蔵・西中を総称して「中之町」と書き「ナカンチョ」と言っていたのを知ってますか?というより、もともと一つの部落を便宜上3つに分けたんだと思いますが。今でもお年寄りはよく使いますよ。
ずっと昔の蔵中のちょうさのことを「ナカンチョのちょうさ」と呼んでいたようです。いまだにそう呼ぶおっちゃんもいます。

皆さん、これから私のことは「六さん」とでも呼んで下さい。「もんですさん」の箇所が、折角の皆さんの文章を読みづらくしている。

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No.25 ちょうさの動画の紹介 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/25(Sat) 01:47

http://kappa64.hp.infoseek.co.jp/
↑こちらのHPでは、今年の榎井の春日神社例大祭でのちょうさの動画が見れます。
リンク先のHPの管理人さんの許可を得て、こちらのHPと東雲写真館のHPにのみ紹介させて頂きました。

http://www.town.kotohira.kagawa.jp/dayori/ujiko/index_f.html
↑琴平町役場のHPです。
六条のもんですさんに教えて頂きました。どうもありがとうございます。
今年の琴平の金刀比羅宮氏子祭りでのちょうさの動画が見れます。

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No.24 うれしいなぁ 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/25(Sat) 01:11

寝る前にちょっと覗いてみたら、みなさんの素早いレスの嵐!
今年は祭りが終わってからも、いつまででも楽しめるわ。しゅうじさん、ほんまに感謝です。
これからも、琴平、満濃しかわからん限定ネタを思いついたらどんどん書き込みますんでよろしく。

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No.23 いいですねぇ 投稿者:もと金山寺  投稿日:2003/10/25(Sat) 00:25

ちょうさの古い歴史の中でいろんなスタイルの影響を受けながらも、その土地ならではのオリシ゛ナリティが形成され、独特の個性が育まれてるんですよね(これがホントに面白い!)。
私の好きなちょうさの風景は、六条のもんですさんと同様、狭い街中のちょうさですね。姿はどこにも見えないけど、リンの音がどこからか聞こえてくる。どこにいるんだろうと見渡しても見つからない。狭い路地裏に入って通りをみつめていると、リンと太鼓の低音が次第に大きくなり、太い縦棒がぬっと現れ、金繍をまとった巨大な土台が、房を揺らしながら、ゆっくりと通過して行く姿ですね。
あとちょうさのすれ違いも大好きです。お互いの勇姿に目を奪われつつも、あらめて自分のとこのちょうさへの情が深まる独特の緊張感がいいですね。
私も紫にしてみよっと(ホンマちょうさハ゛カやなぁ〜<笑>)。

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No.22 10月26日(日) 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/24(Fri) 23:59

こんにちは。
大変残念ながら、私もこの26日(日)は見に行けれません。
鳩峰八幡神社のお祭りは是非、最初のちょうさ三台の担き登りから、三つはあると思われる獅子舞までじっくりと見たかったのですが。天狗やだかも居るようですし…。
夕方ならば、まだお祭りはしていると思います。ちょうさを解体するのは夜だそうです。


私はちょうさのある風景はどれも好きです。
やっぱり比較的昔のままの景色が好きかな?田んぼや神社での風景とか。
特に挙げるとすれば、琴平は鞘橋の前、榎井はマルオの前、五条は大井さんの参道でしょうか。
あと、休憩中に子供たちがちょうさに群がってる姿も好きです。

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No.21 Re:遅くなってすみません  投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/24(Fri) 22:55

>まずは開設おめでとうございます。
ありがとうございます。私はちょうさに関してもあまり知識のない
若造ですので、色々と教えて下さい。m(_ _)m

>どんな場所にあるちょうさ姿が好きなんでしょう?
私は稲刈り前の田んぼの真ん中を進んでいる風景が非常に好きです。
それともう一つ、跨線橋をみんなでがんばって押して上がるのを後ろ
から見ているのが好きです。別にさぽっている訳じゃ無いですよ。
でも跨線橋を越えるのは非常に疲れます。

ちなみに私の書き込みの朱色は、法被の色に合わせてみました。
子供の頃はあまり好きではありませんでした。
しかし、新しい法被に変わってから少し色が変わったのと、歳をとって
シンプルな良さも分かるようになったからか、今は気に入ってます。

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No.20 遅くなってすみません 投稿者:六条のもんです 投稿日:2003/10/24(Fri) 22:38

最初に何か気のきいたことを・・・と思いながらなかなか思いつかず、書き込みが遅くなりました。まずは開設おめでとうございます。
さて、ここに投稿しているちょうさバカの人達は、どんな場所にあるちょうさ姿が好きなんでしょう?
秋晴れに映えるちょうさ、緑をバックに赤と金糸が綺麗なコントラストになっているもの、金色に輝く稲穂の中を進むちょうさ、等々それぞれ好みの絵があることと思います。
私はなぜか昔から、榎井や琴平の狭くて古い町並みの軒先いっぱいに進むちょうさが大好きです。少しカーブしていて向こうが見えにくい場所から1階の軒より少し背の高い赤い七重が見え始めるとワクワクします。榎井の旧道や琴平では阿波町筋を通る姿が好みです。内町も古い町並みですが、ちと道幅が広すぎる。
こうなると、ちょうさの伝統を守るどころか、私の好みのために町並みを守ってもらわないと困ることになりますな。うかつに新築できませんな。

なお、私の文字色は六条の旗の赤にさせていただきます。

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No.19 Re:布団 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/24(Fri) 20:49

琴平のちょうさの歴史は200年ほど前とかなり古いですね。
ところで、他の中讃の神社はいつぐらいからちょうさを奉納
しているのでしょうか?大井八幡宮は昭和初期に大橋が初め
て奉納したとなにかで読んだ記憶があります。
たぶん琴平に影響されて奉納するようになったんでしょうね。

▼もと金山寺さんへ
琴平は四枚の布団なのに、宇多津では布団がないというのも
非常に興味深いもですね。
もしかして伝わった元が違うのかもしれませんね。
それにしても、白い布団は初めて見ました。これは全国でも
非常に珍しいのではないでしょうか?

▼よっきさんへ
詳しい情報ありがとうございます。残念ながら日曜日は夕方
しか時間がとれないので、行っても終わっている可能性があり
ますね。(^^;
もしよければ、鳩峰神社のレポートをお願いできませんか?

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No.18 鳩峰八幡神社 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/24(Fri) 07:58

こんにちは。
鳩峰神社のお祭りは、東雲写真館のHPでの写真を見ると獅子舞も出るようですね。
26日(日)の昼の時間まではわかりませんでした。
ちょうさが坂を登るのを見るのなら早いうちに行って待ってたほうが良いですね。

私は神社に行って時間があれば、よく境内の中に昔の写真が飾ってないか見ています。
飾ってあれば、ガラスに光が反射しないようにフラッシュを隠して撮影してます。

宇多津のお祭りは25日(土)の昼にも26日(日)の夕方にもちょうさが神社に集まるようです。
都合が合えば、25日(土)の昼は宇多津の祭りを見て、26日(日)の昼は鳩峰八幡神社の祭りを見るのが一番の理想です…

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No.17 布団 投稿者:もと金山寺  投稿日:2003/10/24(Fri) 01:28

こんばんは。またまたお邪魔させていただきます。
鈴木さんのHPなどを拝見させていただくと、まとまって布団が4枚なのは観音寺の琴弾神社のちょうさにみられますね。中讃地区のちょうさもひょっとしたらその影響を受けているのかもしれませんね。
また、布団の色も赤が一般的のようですね(なぜか金山寺と阿波町は白。これも謎です。鼠屋さんの昭和11年の阿波町の写真をみても白なんですよね。。。)
六条のもんですさんの六条のちょうさの布団締めのこだわりと同様、掛け布団のデザインにはいろんな個性が顕れていて面白いですね。ただ共通しているのは阿吽の組み合わせというところでしょうか。

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No.16 昔ながら 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/10/23(Thu) 15:46

大井八幡宮も最近は新居浜、豊浜の影響をかなり受けています。
照明、法被など色々あります。
でも琴平、榎井地区は昔ながらのスタイルを貫いている
ように見えます。それはとても大切なことだと思います。

ところで布団が四枚なのは、中讃独特なものなんでしょうか?

▼よっきさんへ
はじめまして、これからもよろしくお願いします。
私の地区も世帯数が少ないですよ。だからこのHPを見れば、
私の正体はすぐわかってしまいますよ。(^o^;

鳩峰の坂道を担いで上がるのは凄いですね。
ちなみに何時ぐらいから宮入りなんですか?

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No.15 はじめまして 投稿者:よっき 投稿日:2003/10/23(Thu) 00:30

こんにちは、はじめまして。
よっきと申します。東雲写真館のHPからやって来ました。
HP開設おめでとうございます!

中讃では、西讃や東予のようなお祭りが盛んな地域とは違って、各神社ごとにお祭りが分かれて行っており、
昔ながらのその地域の氏子が氏神に奉納するという祭りの形が残されていて、本来のお祭りの良さがあって大変好きです。
こちらでは各地区ごとの世帯数も少なく素性が分かりやすいみたい(?)なので、
とりあえずはどこの地域の者なのかは控えておきますね。書き込み内容で分かる人には分かると思いますが。

今週末の10月25日(土)26日(日)は、満濃町の長炭の鳩峰八幡神社の祭りですね。
26日(日)の昼が神社でのお祭りのようです。
ちょうさが三台、神社につながる坂道を担いて登るようです。

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No.14 いつかは・・・ 投稿者:しゅうじ@携帯 投稿日:2003/10/22(Wed) 11:17

こんにちは、しゅうじです。
いつか琴平町、満濃町のちょうさが集まれるようなイベントがあるといいのにと思います。

▼ブラックドラゴンさんへ
はじめまして、これからみんなで盛り上げていきましょう。

▼六条のもん2号ですさんへ
写真ありがとうございました。
さっそく掲載させてもらいました。
やっぱりデジカメは夜の撮影が苦手なんですかね。

▼もと金山寺さんへ
写真は見たことありますが、実物は見たことありません。
機会があれば見に行きたいと思います。
やっぱり琴平のちょうさは歴史があっていいですね。

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No.13 またおじゃまします。 投稿者:もと金山寺  投稿日:2003/10/22(Wed) 01:44

しゅうじさんこんばんは。またおじゃまします。
私には写真がないので、ふたたびカキコで参加させていただきますね。ところでバクの掛け布団って本当に珍しいですね。竜虎獅子などと同様、縁起の良い動物ですが、このデザインを選んだ人々の想いや願いが偲ばれますね。
ところでしゅうじさんは琴平町文化会館に旧谷川のちょうさが展示されているをご存知ですか?
ここのちょうさの掛布団もユニークで、架空の関取がデザインされています。こんぴら写真館さんのHPhttp://homepage3.nifty.com/konpira/index.htmlにもアップされていますが、ぜひ一度本物をご覧下さい。

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No.12 すみません 投稿者:六条のもん2号です  投稿日:2003/10/21(Tue) 22:21

名前がへんになっていました。↓の投稿は私です。

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No.11 ありがとうございます 投稿者:の  投稿日:2003/10/21(Tue) 22:19

早速写真を掲載して頂きありがとうございます。何せ安物のデジカメなので、画像悪くてすみません。それと、夕方新居浜のちょうさを息子がバンバン撮ったものでメモリーがいっぱいになり全部撮れませんでした。又、何か情報があれば投稿します。

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No.10 待ちに待ったHPです 投稿者:ブラックドラゴン 投稿日:2003/10/20(Mon) 21:00

しゅうじさん。あなたは最高です。なかなか中讃メインのちょうさHPはないんですよね。私は東雲写真館の掲示板を見て寄りました。琴平の金山寺のもんです。これからの発展を楽しみにしてます。

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No.9 Re:なるほどですね。 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/20(Mon) 20:39

▼もと金山寺さんへ
>お隣の満濃町で、立派なちょうさが
>こんなに沢山出ていたとは、
>存じませんでした。
大宮神社のちょうさは大井八幡宮のちょうさよりもまだ大きかったですよ。

>道の狭く、袋小路のような町中では
>新居浜や豊浜のような長い縦棒だと
>角などで身動きがとれないので
>縦棒を短くする。
そうかもしれませんね。私の地区でも路地が狭いため、ちょうさ自体も細めになってます。
それに、芯棒も短めです。

▼六条のもん2号さんへ
初めましてしゅうじさん。私の名前は「六条のもん2号」(六条のもんさんともども
よろしくお願いします)といいます。
はじめまして、これからもよろしくお願いします。

>大井神社か満濃町役場ではお会いしてるはずですね・・・。
そうですね。私はどちらも参加したから、もしかしたら見かけているかもしれませんね。
それにしても五条のちょうさは凄いですよね。あれだけかけるのは憧れてしまいます。
しかも、お宮さんを出てから神地場まで書いて進むのにも脱帽です。
一部には「自分の地区の人でかけないようなちょうさをつくるな」と言う厳しい意見も
あるぐらいです。

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No.8 四条地区はフレンドリー? 投稿者:しゅうじ(管理人)  投稿日:2003/10/20(Mon) 20:33

土曜日にかりん祭りに参加してきました。結局、担ぐつもりが太鼓を叩いてました。(^^;
結構宮入りの時に叩いた経験はかなりあります。太鼓もなかなか面白いものですよ。
それにしてもうちの太鼓は全然鳴りません。(T-T) 皮を張替えてくれないかな。
それにしても大井八幡宮(四条地区)の人達は、他の地区のちょうさでもかくのを
手伝ってくれるから非常に助かります。
他の神社の人から見ると一台のちょうさに、色々な法被を着た人達が集まっているのは
不思議な光景に見えるかもしれませんね。他の地区の人間にはちょうさを触らせないっていう掟?があるところあるでしょうから。

ところで皆さんは『太鼓台』と『ちょうさ』だとどちらの呼び方が馴染み深いですか?
私は『ちょうさ』の方です。『太鼓台』という呼び方は最近になって聞いたような
気がします。

そうそう、皆さんの地区のちょうさを紹介してくれませんか?写真と簡単な説明文をメールで
送ってもらえたら掲載したと思います。

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