中国陶磁器インターネット美術館

 

ニシキ・コレクション                   The Nishiki Collection

  

万暦赤絵はそんなに良い物?
                                                        

日本では万暦赤絵の評価は非常に高いのです。これは万暦年代に民窯が大きく盛んになり、沢山の製品を輸出しました。その一部が日本にも入り、その時から大変貴重な物になり、日本では中国陶磁器の代表になりました。明治以後は文化人、作家、画家などが愛したので日本中の人気物になり、今では各家庭で必ず食器の中に一、二点は、万歴赤絵様式のものが有る様になりました。

しかしこれを作った中国では、万暦赤絵は必ずしも評価は高くありません。家庭にもありません。お店にも売っていません。お土産物店で日本人相手にコピー物を売っているくらいで、美術館にも数は少なく、良い物は見た事がありません。中国の人は万暦赤絵は好きでないのです。

しかし万暦年代は中国陶磁器の歴史の中で重要な時でした。それは始めて大量生産をした時代だからです。

私も万暦年代の事を、少し調べて見ましたので考えを書いてみます。    三年ほど前に景徳鎮に行きました。景徳鎮の陶磁器会社の経営者の案内で三日間程滞在しました。                             景徳鎮は来年が1000年祭だと言う事で、インフラの整備に町中にぎわっていました。道路工事の残土の中にも、陶磁器の破片が沢山落ちているのは、さすが景徳鎮です。お土産に少し拾って来ました。写真で紹介します、いつ頃の物でしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

磁土カオリンの出る、高嶺山に行きたいと思いましたが、40キロ以上あり、山が険しく道が悪い、車で行くのも大変だから次にしなさい、と言われて行けませんでした。今は道も良く成ったと思います、次回は必ず行って見ようと思います。

この旅行の時に景徳鎮の博物館で買った本ですが面白い物がありました。万暦年代の事など景徳鎮の事をいろいろ書いてあります。          本の名前は「高嶺」サンケイ出版社、名古屋市中村区城屋敷3−43、   TEL 052(411)5805 です。中国の人が書いた本を、日本人が翻訳して景徳鎮の博物館で売っていました。この本は地元の人が高嶺山や景徳鎮の、歴史を書いて有るので大変勉強になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この中にも万暦年代に大量生産が始まったと詳しく書いてあります。    高嶺山は険しい山です。谷が深く幾重にもつながっています。カオリン鉱石は表土の砂の10−30メートル下に10センチ位の鉱床が在った様です。 多くの箇所で川や溝で分断され浸食されて風化し川や岩の割れ目にに体積したのでしょう。このようにして長い間自然に出来たカオリン土は非常に純度の高い良い物だったようです。                           元の時代から万暦年代までは、この様な自然に体積したカオリン土を使って陶磁器を作っていた様ですが、万暦年代には使い切り、山砂の下の鉱床を掘って使い始めたのです。これは掘った残土が大量に残っているので解かるのです。                                       又鉱床を採掘する大量の工夫、鉱石を砕いて水で晒してカオリンを取る人夫など、今まで無かった新しい仕事が出来ました。大量の人が集まって量産を初めましたので、かなり正確な記録も残って居るようです。          万暦年代は技術の転換期です、官窯よりも民窯が盛んになり、量産して輸出を始めた時です。素朴な製品が多く、官窯の製品と呼ばれる様な素晴らしい物は少ないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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