MUP REPORT Vol.4

MUP REPORT Vol.4 August 1995


目 次

  は じ め に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・MUP事務局

MUPの想いで 〜 新たな出発に向けて〜・・・・・・・・白須 正

MUPについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・刈谷 勇雅


京都における新しい景観・まちづくり構想・・・・・・・・・刈谷 勇雅     まちづくりとそのの仕組みについての断片的テーゼ・・・・・土井 勉  MUP風雑感・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高谷 基彦



は じ め に
    

 MUP(Modern Urban Policy現代都市政策研究会)が産声を上げたのが,1984年
の3月。その設立趣旨は次のようなものでした。

 『 京都市では,今後のまちづくりの方向を定める「京都市基本構想」がまとめら
れ,続いて「京都市基本計画」の策定が急がれている。また,京都活性化の焦点であ
る平安建都1200年(1994年)まで残すところ10年となっている。このような我々
をとりまく情勢は,私たち一人一人に今以上に都市計画,都市建設の望ましい姿,あ
るべき姿をどのように描き,どのような施策を行うのかを真剣に考えなければならな
うことを要求している。
 こうした点を踏まえ,本研究会では,都市計画あるいは都市建設の現状やあるべき
方向を学び,科学的・総合的な都市政策を進めるための手だてにしようとするもので
ある。ひろく都市計画に関して興味を持つ人たちの積極的な参加を望むものである。』

 それ以来11年が過ぎ,2週間に1度の研究会も260 回を超えました。その間,研究
会例会での研究発表や共同研究,視察旅行,他の研究会との共同事業,「MUP REPORT」
の発行など,都市政策をキーワードに多彩な観点から研究活動を進めてきました。
  思えば設立趣旨にある「京都市基本計画」も10年前に策定され,今や「新京都市基
本計画」の時代となっています。また,平安建都1200年も多彩な記念事業が繰り広げ
られる中,昨年,記念すべき年を迎えることができました。その間,社会はバブルの
絶頂期からバブルの崩壊へと激しく変化し,都市計画とは何か,都市整備とは何かと
いうことを改めて考え直す一つの節目に,今私たちはいると思います。
 このような状況を踏まえ,私たちの研究会MUPも,心機一転新しく出直そうとい
うことになり,1984年設立以来のMUPをこの3 月に一旦解散し,同時に「新MUP」
を結成して,現在「京都の活性化」とは何かをテーマに研究活動を始めています。
 というわけで,今回の「MUP REPORT Vol.4」は,「旧MUP」の思い出話や日頃の
研究成果などを中心としてまとめました。
 今後,この11年間の成果を引継ぎ,「新MUP」として「MUP REPORT Vol.5」が1
日も早く刊行できるよう研究活動を進めていきたいと考えています。

                           MUP事務局


MUPの想いで …新たな旅立ちに向けて…


                  文化観光局文化課 白須 正

 MUP設立に向けての懇談会は,昭和59年3月に開催されている。私は,その集ま
りに,都市計画局,建設局以外の唯一のメンバーとして出席し,MUPの設立から参
加している。

 当時経済局に勤務しておりはとんど技術職の人と接触のなかった私がMUP設立当
初から参加していた理由は,この呼び掛け人である土井さんと知り合いであったこと
による。土井さんとは,昭和57年に私が「研修」に2回にわたり「京都経済の振興の
あり方」について投稿し,その中で京蔀が産業都市であることを強調したところ,そ
の内容に関心を持った土井さんが私に会いに来られたところから始まる。

 当時の私は,自分でいうのも何だが現在に比べて京都の問題について良く勉強して
おり,エコノミスト′81という勉強会も始めていたので,土井さんの誘いには積極的
に応じた。MUPのメンバーは,まさに新進気気鋭の若手の集まりといった雰囲気で,
会議は和やかな中にも活気が溢れ,それぞれの業務の紹介から始まったと思うが,私
にとって非常に興味のある内容であった。

 当初の3年間位,私は一度も休んだことがないはど熱心なメンバーであった。昭和
60年にはMUPで最初で最後の共同研究である「京都・美都市計画」の策定に取り組
んだが,私は産業振興を担当し,ベンチャービジネス振興の重要性について述べた。
この研究は京都新聞の平安建都1200年記念論文募集に応募するためのもので,給果は
優秀賞であったが,最優秀賞である京都府の井上氏の論文に比べて,発想,内容とも
我々の方が数段優れていたと確信している。また,ベンチャービジネスの振興につい
ては,本年京都商工会議会所会頭が稲盛氏に代わり京都経済界がこれに着手すること
となり,京都市も遅ればせながら取組を進めるようであるが,この点でもこの論文は
10年先んじていたのである。

 昭和61年には,エコノミスト′81と合同で公開シンポジウムを開催している。この
ときは私はエコノミスト′81の側で参加したが,助言者に立命館大学の二場邦彦氏,
京都芸術短期大学の大西國太郎氏をお招きし,多くの一般職員の参加も得て,我々の
主張をアピールする良い機会になったと思う。

 以降もはぼ毎回出席を続けていたが,係長になり仕事が忙しくなってきたことや例
会の内容が旅行のスライドや建築の技術的な話が多くなってきたこともあり,やや出
席も悪くなっていった。これに加え,平成4年には足を捻挫し,加えて腹を痛めたこ
ともあって精神的なスランプに陥り,例会から足が遠ざかってしまった。平成6年位
から体調も良くなり,再び参加し始めたのだが,今度は自分自身の問題意識の低さか
らたまに参加する程度になっていた。

 今回,MUPが再発足するにあたり,私自身が感じているのはMUPの活動内容よ
りも自分自身の意識のありようである。私のMUPに対する関心が最近薄らいでいた
のは,何よりも最近の私の怠惰な生活にあった。京都の現状や問題点について考える
ことを停止していた私は,当然,こういった問題に対する関心も薄れ,勉強もしない
という状態であった。勉強すると,環在の京都の状況や京都市役所のあり方について
も自分なりの考えや不満,怒りが生じ,その絃果これらを体系的に整理し,広く訴え
たいという意識が沸き,これが研究を始めることにもつながっていく。こういった状
況になると,様々な問為に関心が高まり,自ずとMUPにも積極的に参加することに
なると思うのである。

 平成6年度の1年間無為な生活を過ごしたが,ここらで気分を一新し,新たな思い
で市政に臨まねばと考えている。昨年度から文化観光局に異動したが,今年度中に,
京都市文化芸術振興計画の策定という今後の京都市の文化行政の根幹に関わる極めて
重要な仕事を仕上げねばならない。そのためにも,より多くの人と接し,様々な考え
を吸収することが重要である。

 MUP設立から11年が経過し,我々も若手世代から中堅世代になった。年代,経験
に応じて,市政に対する考え方が変わっていくことは当然である。しかしながら,絶
えず問題意識やより良い市政を目指すという意欲を持ち続けることによって,新たな
飛躍が可能となる。このためにも,第2期MUPの発展に向けて,積極的に関わって
いきたいと考えている。



MUPについて
    (雑誌「公務研修」1994年5月号に寄稿したもの)

                          苅谷勇雅
                                             
1.はじめに

 MUPは1984年 3月に生まれた。都市計画やまちづくりに関わる仕事に携わっ
ている私たち職員が自主的な学習の場を持ちたいと集まったのがきっかけだった。
正式名称は「現代都市政策研究会」。まちづくりに不可欠な地図(MAP)にひっかけ
て,ふだんはMUP(マップ,Modern Urban Policy)と呼んでいる。2週間に1回の
例会をこつこつと続けて10年余,先日251回目の例会を迎えた。自分たちのこと
ながら,もうそんなになるのかと集いてしまう。「若手職員」のはすだった仲間も多
くはりっぱな中年,いや「中堅職員」。もちろん,新人の加入もあり.けっして平均
年令が上がりっぱなしと言うことではないのだが。最初は共同研究やシンポジウムの
開催などと盛りだくさんな活動をしていたMUPも最近は主として気楽な情報や経験
の交換の場としての役割も重視している。それもよし,都市やまちについての楽しい
語らいを今後とも続けていきたいと思っている。

2.MUPの活動目標

 MUPでは創立以来3つの活動目標を掲げてきた。
 第1は会員の研究発表を軸に都市づくりについてできるだけ具体的に考えることで
ある。第2は都市や建築を直接見聞することである。第3はできるだけ広範囲に外部
講師を招き,その講演や発表をもとに議論することである。
 第1の目標は仕事に閑わっての実体験に根ざした都市づくりの問題点を分析し,討
議すること。そして様々な機会,チャンネルを通して具体的に提案し,実現しようと
言うことである。第2の目標については,ます,MUPの恒例行事として年に数回,
日帰りや1泊2日で各地に出かけている。話題になった新しいプロジェクトや建築,
歴史的な地域や町並み,古建築などなんでも貪欲に見て回つている。その際,おいし
い食べ物やお酒の追求も忘れない。次にMUP会員はしばしば海外の都市を訪ねてい
る。休日,休暇を利用しての個人旅行や出張.研修等での視察などで常に世界のまち
づくりの現場をウォッチングしている。現代は情報社会で世界のまちづくりの動向な
どは日常的にマスコミや書籍等で紹介されているが,やはり実際に自分の目で見るこ
と.また直接自分で見なくても共通の関心を持つ仲間からのスライドやビデオなどで
の発表に地れることはインパクトが強い。ヨーロッパ,アメリカだけでなくアジア諸
国,中国,アフリカ等にでかける人もいる。すでに数回以上海外へ出かけているメン
バーも少なくないが,最近では年に2回,3回とでかけるケースもある。後述のよう
にMUPでは会員3人を1989年に「都市探検隊」として,ニューヨーク,ボストンに
「派遣」している。第3の目標については,外部講師を招いて,その知識や見聞を吸
収することで我々自身の見聞の幅を広げようとするものである。都市づくりに明わる
大学の研究者やコンサルタント,建築家,市役所の同僚や幹部,市会議員,新聞記者,
彫刻家等々これまで実に多くの人に講師をお願いした。これらの外部講師は我々にな
い知識を提供してくれるだけでなく,新たな人的ネットワーク形成の契機ともなって
くれるありがたい存在でもある。

3.MUPの活動を振り返る

 さて,これまでのMUPを振り返つてエピソードやトピックを拾ってみよう。
 MUPの活動の最初のまとまった成果の一つは,京都新聞社が1985年に募集し
た「建都1200年記念論文」に我々が共同執筆した『京都・美都市計画』が優秀作
に選ばれたことだ。これは.建都1200年や21世紀に向けた新しい京都の街づく
りについての提案が求められたもので,当時のMUPのメンバー11名が議論を重ね
た上でそれぞれの専門や持ち味を生かして分担執筆してまとめた。京都の魅力の中心
を『都市の美』としてとらえ,それを実現するための「小さな大都市計画」,「結び
あう文化計画」,「しなやかな都市づくり」等の提案を行った。建都1200年の年
を迎え,今読み返してみると.至らない点もいろいろ発見できるが,当時としては清
新な提案ができたと思っている。最優秀賞は逃したものの優秀作となり, 賞金も獲得
した。我々の勝手な評価では視点,内容において最優秀作を超えているとさえ思える
のだが‥・。この共同論文の中で具体的な整備計画として提案した都心部の公園再
整備がその後,時期をおかすして実現したのもうれしいことだった。

 創設期のもう一つの思い出は,米国の都市デザインナーのウエミン・ルー氏の講演
会を開健したことだ。MUP会見以外の市職員や都市計画コンサルタント等が多数参
加し,氏の実践的な講演内容に活発な質疑もあり,大いに盛り上がった。 アメリカの
都市では草の根の民間の資力や能力を都市空間整備に向けて巧みに組織化し,成果を
あけている実状に感銘を受けた。

 アメリカの都市計画についての関心をさらに深めたのは,京都市が1987年に開
催した「第1回世界歴史都市会議」の関連で同都市計画局が主催した「国際専門家会
議」にパネラーとして出席したハーバード大学のハレプン・クマラ教授からボストン
の「成長管理計画」についての資料をMU P会員がいただいたことである。 ボストン
は京都の姉妹都市であり,同じ歴史都市として以前から関心を抱き,MUP例会でも
何度かテーマとして取り上げてきた。この成長管理計画の内容を例会などで検討する
中で,ボストン市が市民の幅広い支持を得て,これまでの超高層ビルの林立という都
市の開発トレンドを大きく変え,いたずらな「成長」を管理し,環境保全につとめる
とともに,成長の果実の一部を低家賃の住宅供給やマイノリティの就業教育費にあて,
地域や一般市民の暮らしの向上を実現するという,都市計画と社会政策の結合に取り
組んでいることかわかった。当時,日本でもサンフランシスコ等での成長管理計画が
紹介され始めていたが.ボストン市について包括的に検討したのはMUPが早い例で
はないかと思う。この成果については1989年2月の「地域と経済」誌に発表している。

 こうしてアメリカの都市づくりについて関心を深めたMUPは,ついにニューヨー
ク,ボストンに「都市探検隊」を派遣することになった。先述の通り,よい都市づく
りを進めるためにはより多くの優れたものを実際に目で見て,手で触れ,その空間を
体験することが重要である。それで,MUPの会費や論文賞金等で蓄えた留保金をそ
の海外探検の費用の一部に助成することとし,内部で立候補を募り,3名の「ニュー
ヨーク・ボストン都市探検隊」か実現したのである。長い休暇をとることはもとより
不可能なので,1989年4月はじめのわずか7日間現地では実質4日間の駆け足探検
隊であった。ニューヨーク,ボストンそれぞれ2日だけであったが,単なる個人旅行
とはちがう「使命感」を感じつつ,両都市の興味あるプロジェクトを精力的に見て回
つた。使命といえばたまたま同時期に行われたボストンマラソンの優勝者に贈られる
京都市長賞の盾をボストンまで持っていくという思わぬ大役も務めた。空港の金属探
知器にこの盾がひっかかり,30分ことのシャトル便に一便連れるというハプニング
もあった。

 ボストンではビーコン・ヒルやパック・ペイ地区などの保存地区,クインシーマー
ケットやチャールズタウン等のウォータフロントの保全的開発地区等を見て回った。
また,ボストンの都市計画と再開発を総合的に推進している部局であるBRA(ボス
トン都市再開発公社)を訪ね,局長や特別補佐官と面談できた。そしてボストンの都
市づくりに関する最新資料も大量に手に入れることが出来た。また,都心部全体の数
m×lOm余に及ぶ大きな模型を見ることができた。400分の1くらいの縮尺であ
ろうか,これくらいのスケールとなると個々の建物のボリュームやデザインを都市環
境,都市景観全体との関係で検討できそうである。ひるがえって我が京都市にこのよ
うな都市デザインを検討する全体模型か置かれるのはいつの日の事かと,思わす溜息
が出た。

 MUPメンバーの最も間心ある都市は言うまでもなく,この京都市である。創立以
来・先述の「京都・美都市計画」をまとめたように常に検討課題としてきたが,その
間,我が京都ではますます困難な都市づくりの課題が明らかになってきている。地価
の上昇とこれに起因する建物の中高層化が急激に進むと同時に,地上げ等による虫食
い状空地の大量発生,さらに都心部での人口空洞化とコミュニティの弱体化等々が起
こっている。産業・経済面での地盤沈下も言われて久しい。千年余にわたって常に日
本文化の頂点となり,歴史的蓄積が周期の自然と融合して個性的な魅力を形成し,多
くの人々を引きつけてきた京都が,このままでは活力も鹿力も失うという危機に立っ
ている。「新京都市基本計画」の策定に取り組んでいた企画調整局からの求めに応じ
て,MUPはこのような危機意識に立って共同討議を重ね,1991年1月に大部の
「新京都市基本計画策定に向けて −都心再生を中心にMUPからの提案−」をまとめ,
提出した。この提案では「都心再生」に論点をしぽり,「成長から成熟へ」をキーワ
ードに京都の危機と再生への視点をまとめた上で,都心再生のグランドデザイン,イ
ンフラ整備の方向,都心の魅力の回復と向上策等について論及し,市民と行政の共同
・協力体制の確立のための行政の企画調整能力の向上やまちづくり推進機構の整備を
訴えている。この提案は新基本計画策定に寄与しただけでなく,提案直後に京都市が
設置した「土地利用及び景観対策についてのまちづくり審議会」での議論や答申をあ
る程度先取りした内容であった。

 このように書いてくると,MUPのこれまでの活動はかなりまじめに進めてきたよ
うに感じられることだろう。そういう面も無くはないが,たいていの例会は実際には,
気楽に自分が話したいことを話し,聞きたいことを聞くだけである。 MUPの例会は
午後6時半から始まり,9時過ぎに終了する。開始時間頃になると通常の会場として
いる職員会館「かもがわ」に数人の仲間が集まってくる。パンをかじったり,併設の
レストランから軽食をとったりしながら,雑談が始まる。仕事のこと,家族のこと,
最近見た映画のことなどなど。この雑談が責重な情報交換になったり,ストレス解消
になったりする。しばらくしてさらに何人かが集まると例会開始。発表者はたいてい
レジメや資料をたっぷり用意している。スライドを使うことも多い。発表の途中でも
遠慮無く自由に意見や感想を述べあうが,これが新しい見方を提供してくれるし,か
たよりも正してくれる。会員の中には個人として論文を一般雑誌や学会誌等に発表し
たりしている者もいるが,原稿提出の前に例会で発表し,メンバーの反応を確かめる
ことが多々ある。MUPでの議論の効果もあって会員のうち2人が今年工学博士号を
取得している。

4.MUPの今後の課題

 昨年度の20回の例会のテーマを記したのが別表である。このうち,話題提供をメ
ンバー外の人にお願いしたのが5回で,全体の1/4である。テーマ別で見ると京都
のまちづくりに明するもの−6回,日本の他都市のまちづくりその他に関するもの−
6回,外国のまちづくりに関するもの−8回という構成になっている。例会の構成と
しては特に問題は無いが,以前のような共同研究ができなかったのが残念だ。最初
に記したように主力メンバーの多くが中堅となってより仕事が忙しくなり,仕事以外
には持続的に一つのテーマを共同で追求することが難しくなってきたことが最大の理
由である。職務時間が終わってからの活動であるから,あまり「研究成果」を上げる
ことにこだわらす,情報交換や仲間としての親睦を図ることで充分ではないかという
意見もある。なかなか結論が出ない課題であるが,私個人としては無理のない範囲で,
適切なテーマで共同研究に取り組みたいと思っている。当面,MUPの研究機関誌で
ある「MUP REPORT vol4」の刊行に取り組み,この2年間の活動をまとめ
るとともに,外にむけての情報発信をしたいと考えている。


京都における新しい景観・まちづくり構想

                          刈谷 勇雅
 *ボリュームが大きいので別ページにリンクしてあります。

  

まちづくりとそのの仕組みについての断片的テーゼ

                          土井 勉

  阪神大震災はまちづくりを考える上で大変な教訓をもたらした。このことを通して
考えたこと,思ったことをあまり気配りせずに書いてみたい。えらそうやないか,と
かゴーマンやとか思われる方もおられると思いますが,荒削りのままで,見ていただ
くことにしたいと思います。

1 建物の安全性にばかり目がいく計画屋は,総懺悔論的である。

 阪神大震災で多くのことを学ぶことができた。一つは,工学系の人間でも計画系の
技術屋と構造系の技術屋の発想の違いである。
 構造屋は設計における安全について忸怩(じくじ)たるものが多いのであろう。し
きりに,安全性について考える発言が多い。無理も無かろう。
 しかし,計画屋を自負する私の目から見れば,構造の安全性ばかりを論ずるのは一
種の総懺悔論に思える。都市は要塞ではない。ガチガチに鉄骨とコンクリートで固め
ればよいというものではない。また,災害時にハードだけが人を救うのではない(も
ちろん,ハードを軽視しているのではない)。今回,近隣の人付き合いが人を助けた
事実は,むしろ日常的に隣近所の人の顔が見えるまちこそが安全であり,かつ安心な
まちであることが確認された。計画屋には,ここから,まちづくりの発想を広げてい
くことが望まれるのではないか。

2 言論勝負のマスコミ・「文化人」で底が割れた人が見えた。

 「美談」が多い一方で,新聞・マスコミや「文化人」の発言にも本物とそうでない
人たちとの差がリトマス試験紙のようにはっきり見えたように思う。
 一例を挙げるなら,というよりも読まなければよかったと思った記事に,朝日新聞
に掲載された加藤周一論文(二月の末だったと思う)がある。神戸市が,何もできな
かったことを激しく攻撃し(反論できる立場にない神戸市を痛めつけて溜飲をさげる
のは,どうかと思う。),次に高架構造物の崩壊については,これまで一切これらの
構造物の設計に一切タッチしなかった人と外国の人による新たな設計基準の作成をす
べきであることを提案している。加藤氏は,工学とは現実の応用問題を解くことによ
って実体が形成されるということをご存じ無いのかも知れない。これまでに一切の構
造設計に関与しなかった人の技術基準等で設計された構造物には,恐しくて近寄れた
物ではない。こうした発言がどれだけ多くの人々に混乱を起こすことになるのだろう
か。
 また,神戸いじめである。確かに一杯一杯神戸市でもドジっているとこりがある。
しかし,震災前に震度7に対応する防災計画を実施することに伴う事業費の負担につ
いてはおそらく市民的合意が取れなかったと思う。また,今回の災害は,平時ではな
い。平時を想定したシステムが非常時に動かないのは,いわば当たり前である。
 先週,芦屋でもらったビラに「・・・公務員は市民のために身も心も尽くすのが当
然の仕事であるはずだ。それなのに態度がでかい云々」とあって,これを見たとき暗
澹(あんたん)たる気持ちになった。こんなことを言っててもはじまらない。

3 区画整理は悪くない。ゴールの大枠のイメージの共有が重要。

 では,何から始めるのか。先ずは,衣食住からである。安全と安信の確保であろう。
 現在提供されている仮設住宅は,平屋ベニヤづくりのものであって,あまりにも貧
しい住まいである。災害用仮設住宅として厚生省が備蓄していた物だそうだが,ちょ
っとあんまりだ。しかも,備蓄されていた物が平屋であったからなのか,都市部で,
仮設住宅用地がないところでも,ひたすら平屋仮設住宅というのも随分と貧しい気分
にさせられる。阪神間では被災地のファッションにしても,結構お洒落であった。仮
設住宅だってお洒落で使いやすいものが開発される必要がある(実は今,知人がログ
ハウスタイプの物や別の所では段ボールタイプ,コンテナタイプの物を考えている人
たちもいる。早く実現すればいいのだが)。
 次にきちんとした土地区画整理事業の枠組みの作成である。マスコミは区画整理事
業を悪者扱いしているが,土地の権利を変更しても課税されない数少ない事業手法で
あることなどは全く報道されていない。また。むしろ区画整理の区域内の人々の方が,
区域外の人々に比べて,生活・住宅再建についての選択肢が多くなる(区域内外,特
に半壊マンションの人々とは,かなりの差があるように思う)ことについて,丁寧に
説明がされるべきである。こうした緊急事態の時にこそ,冷静にきちんとした説明が
重要である。住民の意見を聞くことも,もちろん重要であるが聞いた意見をいかに計
画に反映するのかのストーリがないと,相互不信が募ることになる。そうした点から
もきちんとした区画整理の説明が必要である。
 そして,要するに区画整理は,あくまでもまちづくりの手段であって,その手法を
使っていかなるまちを形成するのかについてのイメージの大枠の共有の方が,最も緊
急に必要である。
 まずイメージの共有,次にそのゴールに向かって,どのようにすれば到達できるの
かの筋道を描くこと,このストーリーに基づいて事業手法や資金計画・地元の説明と
協力を求めることが望まれるのである。
 という問題意識で小さな実践を芦屋で行っている。全くのボランティアであるが,
さて,うまくいけばきっといいまちが再生する(はずである)。

4 CDCs(Community based Dvelopment Corporations=コミュニテイ開
 法人,NPO=Non Profit Organaization=民間非営利組織の一つ)の重要性が
 確認された。

 区画整理が悪くいわれているのにも,訳があって,実は比較的基本的で単純な事柄
の説明が十分になされていないことに起因していることが多い。区画整理や換地は,
専門性の高い職種であり,行政内部でも十分に理解されているとは,とうてい言いが
たい。また,全てではないが,往々にして行政の区画整理担当者は区画整理事業を行
うことが目的となっている。地元の人々にとっては,区画整理以上に自分のまちが上
物を含めてどうなっているのかを知りたがっているのだが,それには十分答えられな
い。
 再開発も同様だし,多くの建設省都市局・住宅局の事業は一般の人間には,なかな
か総論的な事業の仕組み以上を理解するのは,なかなか難しいことなのである。
 それをわかりやすく説き解すことは行政では,いろんな思惑が絡み困難な事が多い。
ここにCDCsなどのNPOの出番があるように思う。さらに丁寧な説明だけでなく,
まちづくりを持続的に続けるコーディネーターが必要である。行政のまちづくりは(
=区画整理・再開発等)は事業が完成すれば一件落着である。しかしまちは持続的に
形成されることが必要となる。かつてMUPで講演していただいたウエミン・ルー氏
もプロジェクトとは事業の期間が決まっているものと定義できるが,人の営みは永続
的であるといわれて地球のスライドを映されたことを思い出す。まちの人々にとって
重要なものは,この継続性である。公物管理的なメンテナンスは行政が行うにしても,
各種の行事や人々を効果的に結集してまちの持続力を維持していくためにもCDCs
が果たす役割は大きな物があるように思う。

5 地域イメージはまちづくりのイメージ

 これは京都でも同じ。これまでの都市計画事業の発想は全て,問題・課題発見から
スタートしていた。この発想でまちをつくれば全国の都市が機能的に同じものを備え,
デザイン的にもそれほど大差は生まれない。結果として,どこもお同じようなまちに
なったのである。
 これからのまちづくりは,子供を育てるのと同様である。悪いところは直すように
するが,同時によい点を伸ばすことが重要である。この良い点に注目して,まちを形
成しようとするのが,都市の個性化を促進することになるのである。一時エコノミス
ト’81の人たちが「京都らしさ」をテーマに活動をされたが,まさしく「〜らしさ」
について,これから真剣に考えねばならないのである。
 個性化を考える場合,おそらく次の4点が重要となる(以下は大久保昌一氏に教え
ていただいたものである)。
 (1) その土地の固有性(歴史・風土)
 (2) その地の人々の願望・願い
 (3) この二つから導き出される物が時代に潮流と適合しているのかのチェック
 (4) 以上三点をまとめて,わかりやすくイメージをついたえることばをみつけること
というものである。いままで,我々は(1)はよく考えていたが(2)については,予定調
和的になんとかまるやろう的に思っていたし,(3)は軽視することおびただしい。(4)
だけなんとか考えるが,ことばの遊びになって説得力がないものとなっていた(どこ
のまちづくりのコンセプトも似たようなものである)。
 これからは,もっとまじめに個性化を考えねばならない時代となろう。まちの良い
点に注目することが大切である。

6 まちの生みの親と育ての母。育ての母が重要

 基盤整備には基盤整備には多くの区画整理等多くの手法があり,まちを生み出すこ
とはなされている(区画整理は都市計画の母と言われていることは,みなさんもよく
ご存じのことと思います)。でも,この母は生みっぱなしなのである。せっかく生ま
れた子を育てない。生みの親や産婆はいるけれども,育ての母が不在なのである。   
 先に述べたCDCs等は明らかに,産婆であり,育ての母,あるいは乳母である。
まちの乳母をいかに育成するかが,女性の社会進出が進み・高齢化社会になる時代に
おいては,ますます重要となる。

7 まちには細街路が必要
 
 災害に強いまち志向,先程述べた都市の要塞かを促進しかねない。われわれが都市
に望むのは,ヒューマンスケールのまちであり,歩くことのできるまちである。
 街区の周囲は,防火・防災の手当を行うことは不可欠にしても,街区内部について
は,いわばマンションの共用通路と同じ用に考え(平面マンションですね),これを
路地風に民地側で整備することが望まれるのではないか。京都の路地の再生にしても,
この種の手が考えられないだろうか。で,前面道路はどうするのかという問題につい
ては,共同建替と路地の「道路扱い」の両面で,なんとかならんのでしょうか。いや,
工夫が大事で,先ず何が創りたいのかをはっきりさせた後で,創り方の解決法を考え
ないと,なかなか手法から考えたのでは面白い発想は拡がらないということなのです。


M U P 風 雑 感

                              高谷基彦 

 2週間に1度,回を重ねること11年間の長きにわたって活動を続けた第1期MUP。
今から11年前といえば,ちょうど私が30代になったばかりの初々しい頃? それが今
や40の大台を超え,当時まだ幼稚園にも行っていなかった長女が今年は中学に入学。
この11年間を振り替えるとたいへん感慨深いものがある。
  MUPでは,いろいろな事が勉強できた。「現代都市政策研究会」という本名の枠
にとらわれることなく,都市論あり,芸術論あり,はたまた海外事情報告ありと多種
多彩な論客が,これまた多種多彩な内容を展開するところがMUPの魅力の一つでは
なかったかと思う。
 第1期MUP最後のレポートの発行に当たり,この「多種多彩」の良き伝統(?)
に習い,日頃思っていることなど,とりとめもない話であるが,MUP風雑感として
まとめてみようと思う。

○ この4月からハード4局が3局に再編された。建築技術と土木技術という職種の
 違いによって,局を分けるのは本来的ではない。業務の内容を重視し,効率的かつ
 市民にとっても分かりやすい組織にすべきである。そういった意味では,今回の再
 編は一歩前進ではないかと思う。
  とはいっても,やはり新しいハード3局はやはり技術屋の世界である。再編をも
 う一歩進めるためには,建築と土木という技術屋の境界を取り除くだけではなく,
 技術と事務の境界も取り除く必要があるのではないか。まちづくりの世界には建築
 や土木技術も必要であるが,経済や法律,福祉といった観点も必要である。一方,
 市民との直接の窓口に当たる区役所は,完全な「事務」の世界である。市民と行政
 のコミュニケーションを十分に行うためには,「事務」だけでなく「技術」の観点
 も必要ではないか。技術と事務の交流を次の段階では進めるべきであると思う。

○ 実は私は隠れた競馬ファンである。とはいっても馬券は買わない。毎週テレビ中
 継を見ているだけで楽しい。私が競馬に興味を持ち出したのは,高校生の頃。当時,
 タニノムーティエとアローエクスプレスという馬がいて,この2頭がデッドヒート
 を繰り広げていた。前者が関西馬,後者が関東馬である。前者はいつも後方から追
 い上げ,ゴール寸前で後者を追い抜く図式だった。この関西馬が関東馬を席巻する
 姿に何ともいえず快感を覚えたものだ。私にとってこれがもっとも魅力的な出来事
 であった。これはプロ野球にも通じることである。阪神−巨人戦で阪神が勝ち巨人
 が負ける,あの快感である。
  ある意味では,これは一種の地域ナショナリズムであろう。関西で生れ育った者
 にとっては,関西が関東より勝ることに満足感を得る。自己中心主義といえばそれ
 までだが,そういった感覚は大切にしたい。このことは都市づくりについても通じ
 る話だと思う。都市のアイデンティティを大切にしたまちづくりのためには,良い
 意味での地域ナショナリズムが必要なのではないだろうか。

○ 市役所の新庁舎問題は,現在一頓挫しているようであるが,新庁舎の建設場所に
 ついては,現在地ではだめで,南部市街地の高度集積地区に建設し南部の活性化を
 図るべきだといった声も聞こえる。確かに高度集積地区には核となる施設がない。
 そこに市庁舎が建設されれば,それなりのインパクトを与えるであろう。しかしそ
 れでよいのだろうか。市庁舎とは何なのか。単なる行政事務所ならそれでもよいが,
 市庁舎の機能はそれだけではない。市庁舎はそこに市民が気軽に集まり,市民と行
 政とがコミュニケートできる,そういった役割や機能こそが市民が市庁舎整備に求
 めるものではないか。その意味からいうと,市庁舎は市民が行きやすい交通便利な
 場所に建設すべきであろう。
  同じようなことが,そのほかの公共施設についてもいえる。例えば南区役所に隣
 接して建設された健康増進センター。施設はたいへん立派なもので,機能も充実し
 ているが,交通は非常に不便である。近辺の人以外は,気軽に利用してみようかと
 いう気にならないのではないか。
  京都に限らずどの都市でも,交通の利便のよいところには公共施設の立地が少な
 い。そこに立地しているのはたいてい大規模な商業施設やオフィスビルである。市
 場原理からいうと,それは当たり前のことかもしれないし,公共サイドの財政事情
 からいってもそうならざるを得ないことかもしれない。しかし都市運営とは決して
 「公」が「民」に従属することではない。市場原理をコントロールしながら,最大
 限の市民サービスの獲得を目指すことがほんとうの都市運営ではないだろうか。こ
 れからも,いろいろな公共施設の整備が進められると思うが,施設の立地場所につ
 いては,そのような観点も踏まえて進めてもらいたいものだと思う。

○ ついにこの春,私もあこがれのパソコンユーザーの一員になった。もちろん今や
 一世を風靡しているあのDOSVマシン/FMVである。パワーユーザーになるぞ
  と決意した訳ではない。こういえばパソコンマニアの人には叱られるかも知れない
  が,高額な高級機種を自在に操るようなマネはできないし,今のところ家庭でその
 ような必要性も感じないけれども,何となくあれば楽しいのではないか,3人の子
 供も大きくなったらパソコンの一つも操作できないようでは,といった軽薄な動機
 で購入したのが実情である。が,しかし,パソコンの電源をオンし,マウスを動か
 した途端そのような動機はどこえやら。毎夜遅くまでパソコンの前に座り続ける毎
 日である。日曜日などは3人の子供と順番待ちをする始末。まだ5歳にもなってい
 ない幼児が上手にマウスを操る姿を見ると,ただただ感心するばかりである。私の
 ような者が家庭でパソコンをいじくるようになったとは,いよいよパソコンがマニ
 アの時代から家電製品の時代になったのだなと実感している。

to be contined・・・・

(編集後記)

 この文章は1995年8月に出されたMUP REPORT Vol.4からピックアップ
(文章データのあった物を中心に(^_^))したをものを再編集した物です。
    ↑
  1999年末にスキャナー(OCR)を導入したので大幅に追加することができるようになり
ました。

作成者:MUP事務局

Last Update:2000/01/08

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