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土佐・肥前藩        
           幕末の雄藩、土佐・肥前藩を訪ねて 〜

土佐藩(現、高知県)

身分制度の厳しかった土佐藩では、武士身分の中に上士・下士の区別があった。下士の人たちはほとんど政治に参加できなかったが、幕末には土佐勤王党を結成し、政治に参加しようと試みた。

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高知藩初代藩主 山内一豊
 関ヶ原の戦いの功績により土佐24万石を与えられ入国。三代の天下取りの間を生き抜いて出世した唯一の人物。

15代藩主 山内豊信の像
 後藤象二郎の策を入れ、十五代将軍徳川慶喜大政奉還を建白。                  

山内豊信

山内豊信(容堂)邸跡

その隣にある 山内家下屋敷長屋
 1階は7企画に分けられ、4部屋は畳敷き、2階は3部屋ある。

下屋敷内部
 この長屋に警護の者が詰めていた。

山内豊信に大政奉還を奏上したのが後藤象二郎…

後藤象二郎とは、第十五代藩主山内豊信(容堂)の新任を受け、公武合体論を唱え、その後坂本龍馬と接し、容堂にすすめて大政奉還の大業を成した。明治維新後は板垣退助と共に自由民権運動を推進。在野勢力の大堂団結を指導した。  

その後藤象二郎に大政奉還の考えを示したのが、ご存じ坂本龍馬
 ここから龍馬について見ていきましょう!

江戸にて千葉定吉に師事、北辰一刀流の目録を受ける。武市瑞山土佐勤王党に加盟。勝海舟門下生となり、長崎に海援隊を組織し中岡慎太郎とともに薩長同盟を実現。後藤象二郎と協力し、大政奉還運動を推進し、目的を達する。彼の政治改革案船中八策は新日本の行く手を示す基案となった。

坂本龍馬生誕の地
現在 病院になっている。
龍馬が持っていた同じ型の短銃。寺田屋で襲われた龍馬はこのピストルで応戦したが、手に受けた刀傷のため、弾込め中の弾倉を落としピストルも紛失。 龍馬の生まれたまち記念館 パネルや映像で幼少期の龍馬が過ごした、上町を紹介している。 桂浜にある坂本龍馬記念館  ここには、京都近江屋の血の付いた掛け軸など、龍馬に関する資料が豊富にある。また、実際に近江屋の部屋を復元していてわかりやすい。
龍馬の蝋人形
 リアルである。
近江屋の部屋の様子
京都の近江屋で坂本竜馬中岡慎太郎が暗殺された。
部屋の図
中岡慎太郎側から龍馬を見ている
 暗殺者が右から入ってきた。
   
龍馬側から中岡側を見る。
右の白い襖から暗殺者が入ってきた。

幕末の志士、京都の坂本竜馬 関連の地を訪ねて 〜

寺田屋

旅籠 寺田屋
 竜馬が京都で定宿にしていた。尊王の志士たちがよく泊まっていた。
旅籠 寺田屋
寺田屋事件
 竜馬が襲われた部屋
襲われた様子を描いた絵
竜馬が発射した弾の痕が柱に残っている。
竜馬が逃げた材木小屋
竜馬は屋根づたい逃げた。 現在の2階の窓からの様子。
竜馬に危険を伝えたのが おりょうであった。おりょうは入浴中に暗殺者がいることを知った。
 当時
おりょうが入浴していた風呂
おりょうは裸のまま、この階段を駆け上がり、竜馬に危険を知らせたという。
 後に竜馬と結婚する。
京都にある、土佐藩邸

竜馬が暗殺された、京都の近江屋
 寺田屋で難を逃れてから、わずかの出来事だった。
近江屋事件


肥前藩、36万石(現、佐賀県)  

外様各藩の中でも、8番目の石高を誇り、藩祖鍋島直茂から11代鍋島直大まで260年もの長きにわたり、安定した藩政が行われていた。 佐賀藩は1641年以来、革命によって福岡藩と1年交代で長崎警備の任務についていた。その装備は諸外国と比べると薄弱であった。10代藩主鍋島直正は防衛の任務遂行を懸念し、幕府にその旨を献策したが受け入れられなかった。かねてから西洋文化に関心を示したい直正は1859年、この地に、藩独自で洋式反射炉を築造し、築地大砲鋳造所を設け、長崎台場の防衛用大砲を製造した。1853年、その威力を幕府から認められ、幕府向けの大砲を製造した。1852年〜幕府が倒れるまで、佐賀藩が製造した大砲はあわせて271門におよんだ。

佐賀城
 鯱の門…1838年当時の姿を残す。佐賀の乱の銃弾跡も残っている。
佐賀城天守台
  天守閣は1726年に焼失し、以後再建されなかった。

本丸御殿

10代藩主鍋島直正が再建した。

本丸御殿内部

佐賀城近くの築地反射炉跡(日新小学校校庭にある)を訪ねて…
佐賀城内にある大砲      戊辰戦争で活躍した。     

築地反射炉跡

鉄製の大砲を造るための金属を溶かすための炉。一度に大量の鉄を溶かせる。オランダの築造書をもとにつくった。

再び、本丸御殿に戻ると…
本丸御殿の内部一之間から四之間、合わせると320畳の大広間。お世継ぎのお披露目、幕府からの贈答品のお披露目など、佐賀藩の公式行事が行われていた。貴重な資料が多く展示されている。 下の石
 江戸時代の佐賀城本丸御殿の敷き石。上の石は現在の敷き石。
和蘭(オランダ)風説書     幕府は、これによって海外の事情を知ることになる。
   
海外新話             アヘン戦争についての記録。 ロシア使節に関する記録   1804年レザノフが日本人漂流民4人をのせて、長崎にやってきた時の記録。

No.14 (http://www.geocities.jp/uchi1942y5/)

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