大学は八王子に移転したばかりの東京薬科大学に救っていただきました。移転するにあたり授業開始が5月の連休明けだったので3月の初旬の国立一期校を受験して以来、実に2ヶ月の暇をこいていた事になります。
ただ、単に暇していた訳でなく車の免許を取得し、高校時代の先輩とバンド("シカゴモドキ"と言う名前でした)を組んで東大の五月祭に向けて練習したりしていました。音楽は非常に好きな分野であり、このころまでは将来の職業の選択肢の一つとして考えていましたが、私の演奏を聴いた当時の彼女(この人は音楽が生活の糧です)がキッパリと私には才能が無いと指摘したので、五月祭を最後に持ってた楽器を即捨てました。今思えば少し未練ではあります。
本題です。大学では最初植物研究部に入り植物採集をしていました。が、短期間で先輩諸氏に追いつこうと短絡的に物を考え、植物採集の効率を良くするためにはなるべく目的地に近いところまで車で乗りつけ、あとは歩く(走る?)!という作戦をとることにしました。この作戦は他の人の何倍も植物を採集でき、あっという間?に先輩方が歳月をかけ苦労して収集してきた実績を追い越すに至るはずでした。この極悪非道的な植物採集を非難する人々を尻目に道なき道を走り回る日々が続いていたのですが、もともと車好きだったので、植物採集をする手段であった車が、いつのまにか道なき道を走り回る事が目的となり、結局植物採集はどこかへすっ飛んで、後に自動車部に入部しラリーを始める事になります。

大学に入学はしたのですが、大学の授業は単位を落とさないように適度に受け片手間ではありましたが、実はしつこく受験勉強をしていました。
しかしながら生来、体を動かすことが好きだった私は出身中学・高校の陸上部のコーチとしてグラウンドに顔を出すだけでなく、チャレンジとして日本泳法を始めました。
大学3,4年には夏場の一月以上を中学校の臨海施設がある千葉県の富浦で過ごしたこともあります。この日本泳法のメンバーが冬場にスキーをする人が多かった事と、自動車の練習には夜間誰もいないスキー場の駐車場が最適であることから、スキーを本格的に始めました。

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