浪人生活はある程度の意思を持って始めました。今でも大手の代ゼミに通う事にしたのですが、理由は代ゼミの世田谷寮に入るためでした、寮長が名目上は「何でも見てやろう」の小田実さんで、その寮に入る事が私の目標でありチョット邪道の浪人生活でありました。寮の入るにあたり親の反対もありましたが、なんとか説得に成功し100万円親からもらいました。それは1年間の寮費(朝夕食事つき)、学費、小遣いでした。最終的には受験料と入学金の一部もこの100万円でカバーできました。一応理科系な私ですが、国立大学を受験するためは特に苦手な英語を克服する必要で意に迫られ、小田さんの講義を聴き同じ空気を吸えば少しは良いかなみたいなイメージもありました。もちろん受験勉強はしました。4当5落と言われた時代ですので、文字通り寝る間も惜しんで高校時代遊んだ分を取り戻そうと無理しました。4月から5時間寝ることはめったになかったと思います。あまりにも本気になりすぎて夏場に十二指腸潰瘍になりました。まだH2ブロッカーがなかった時代でしたので、もう少し遅ければ緊急手術だったのですが、二歩くらい手前で何とか薬で抑えることができる程度の状況でした。体を壊しては元も子もない(実は密かに東大の野球部を目指してました)ので、他の人がアクセルを全開にし始める夏ころから逆に適度に(気楽に)受験勉強をするようになりました。
小田さんのところにはいろいろな出版物が定期的にあるいは出版されるたびに山のように送られてきました。寮母さんが古いものから順次整理するのですが、整理=捨てる事ですので、どうせ捨てるならその前に読ませていただこうと思い、破棄の手順にはその前に小生の手を通る過程が加わりました。と、言うより寮母さんがたまってくると機械的に捨てていた書物を、小生が読んでから捨てるという手順になったわけです。定期的に捨てるお手伝いをしたのは「朝日ジャーナル」。その影響か今でも夜のニュースはTBSです。不定期に送られてくるもので面白かったのは、いろいろな劇の台本でした。演劇はともかく映画大好き人間でしたので無名なものでものめり込んで読んでいました。(浪人生なんだから勉強してりゃ良かったんだけど)今思えば捨てないで取っておけば、「なんでも鑑定団」のネタになったようなものも含まれていたと思います。(残念無念!)
