外資系の製薬会社に営業職(当時はプロパーと言いました現在はMRと言われています)として入社、理由は当時としてはまだ数多くない週休2日制であったからです。初任給は12万円でした。
社会人スタートにあたり約3ヶ月の研修生活を霧深い箱根の山で過ごしました。この3ヶ月で新社会人生活に向けて作った背広はすべて着る事が出来なくなりました。
箱根の山を降りて配属されたのは横浜の営業所に出社するころには夏であり、背広を着る必要性がやや薄れたので、あせって背広を新調したのででありました。当時小生の住まいは親の都合で代々木にあったので、毎日渋谷から東横線で横浜に通いました。が、後に実家が菊名(正確には西寺尾)に引っ越したので、幸いな事にオフィスのあった横浜駅西口には車で15分もかからない好条件の立地で、独身時代のサラリーマン生活をすごす事になります。
始業時間は9時でしたので8時半に家を出ると始業15分前にオフィスに到着。このスタート時間の8時半が旅編とは無関係ですが後の小生を朝ドラオタクにさせる事となります。
中規模の外資系製薬会社のMR1年生は、いわゆるパシリと同じでした。神奈川県の海岸線にある病院という病院は虱潰しに営業に行ったことがあります。
お陰で裏道は完璧に覚え、大げさに言えば渋滞知らずで鼻高々。海好きの友人に得意げに抜け道マップを指南していました。今では横横の開通や、新たな道路の開通、街中での厳しい交通規制などですっかり役立たずです。

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