小学校入学前3ヶ月くらいの時に杉並区高円寺に引っ越してきました。もともと母親の仕事場が高円寺にあり、頻繁に来ていた土地で引っ越すにあたってなんら違和感はありませんでしたが、いざ父の勤めていた会社の社宅を引き払い高円寺に来ると、友達も無く遊び相手がいないので、小学校入学までの間はまたもや近隣探索が始まります。住まいは当時の住所で杉並区高円寺7丁目でしたが引っ越した直後に住居表示が変わり高円寺北3丁目となりました。
2年後に同じ高円寺でも環七を挟んで東側の北1丁目に引っ越すのですが考えてみるとそこが人生の中で最も長く(約10年)同じエリア(駅)に住んだ事になります。もっとも物心ついていない頃、小生の生誕地は中野区大和町でありますのでこれも駅圏で考えると明らかに高円寺であります。この期間が多分2年間くらいあります。
高円寺に引っ越した当時はまだ中央線は高架線ではなく複々線でもありませんでした。高円寺駅の阿佐ヶ谷よりには踏切があり、住居表示での高円寺の南北はこの踏切で文字通り遮断されていたわけです。
当時としては珍しいと思うのですが高円寺駅は駅ビルになっていて2階がスーパーマーケット3階が高円寺会館といういわゆる公民館になっていました。
北口の駅前は今のようにロータリーがあるわけではなく、戦後の闇市がそのまま残っているようなスペースでした。小さな空き地には東京オリンピックを前にしてカラーの街頭テレビがありました。
現在の環七は未舗装の片側1車線道路で、今でも変わらないペイントを施している関東バスのボンネットバスが野方駅との間をひた走っていたことが思い出されます。
引っ越してから1年くらいの間にユーミンの歌にあるようにオリンピックをひかえてアッと言う間に絵を描くように街の様相が変わりました。
後になってわかるのですが、比較的物価の安いエリアでしたので学生さんの町あるいは貧乏ミュージシャン(東京進出直後から高円寺内で何回も引越しをしていたという吉田拓郎さん、初代かぐや姫時代でまだ南高節と称されていた南こうせつさん、住所としては高円寺では無いと思いますが、いまや顔となっている大槻ケンジさん)や演劇関係者(富山県出身なのに何故か高円寺で有名な柴田理恵さんが最近の代表か)、アーティストの卵などがゾロゾロと住んでいたユニークな町で育っていたわけです。
小学校の先輩には後に高円寺純情商店街の名付け親となった直木賞作家のねじめ正一さん、後輩には女優の熊谷真美さん姉妹がいらしたようです。
現在では阿波踊りも全国的?に有名になりました、当時は高円寺バカ踊りと言っていましたが・・・。
スペシフィックに当時の高円寺の印象を思い起こすとすると、以下の4点があります。輪タク、傷痍軍人、乗馬、最後は触れ太鼓。
まずは輪タクです。輪タクをご存じない方も多いと思いますが、昔は結構走ってました。輪タクというのは今でも新橋あたりで御姐さんが乗っている人力車と、原宿というか表参道あたりでお姉さんが乗っているサイクルタクシーを合わせて2で割ったような乗り物です。
東京では(多分日本でも)最後まで高円寺に生き残っていました。(新聞ネタにもなった記憶があるので間違いないと思います)いつも北口に待機していましたが、お客さんが乗っている姿を見ることはめったにありませんでした。運転手さんと言うべきか車夫さんと言うべきか、相当なお歳だったとお見受けしましたが子供の頃の印象なので定かではありません。
傷痍軍人という言葉も知らない方が多いと思います。第二次世界大戦中に負傷された軍人さんはこう呼ばれていました。彼等は戦闘帽、軍靴に白い甚平のようなものを着てアコーデオンやハーモニカで軍歌を演奏していました。
電車に乗っていても(特に山手線に多かった)電車内にこのような方がたくさんいらっしゃいましたし、高円寺駅前にも義足や義手を装着された方がいらしたのが記憶に残っています。
乗馬と言っても脈絡がまったく無いので不思議に思うでしょうが、当時北口に開業されていた歯医者さんが通勤に馬を使っていました。相当変わった歯医者さんですよね。この歯医者さんは阿佐ヶ谷の方に住んでいたようで、毎日(だと思いますが)ルートを変えて通っていたようです。なんでこの事を書こうと思ったかと言えば、馬は落し物をしますよね!学校帰りに庚申通り商店街を歩くと、よくこの落し物があったので記憶に鮮明なのです。今考えれば迷惑そのもののような気がしますが、当時はあまり気にしなかったような・・・。
触れ太鼓と言ってもピンとこないでしょう。現在相撲部屋は54あり、埼玉県や千葉県最近は春日山部屋のように神奈川県にある部屋もありますが、当時の相撲部屋は30あまりで墨田区両国エリア以外にある相撲部屋はまれで特に離れていたのは阿佐ヶ谷にある花篭部屋でした。
大横綱の若乃花が所属していた花篭部屋ですので、場所前には触れ太鼓が一駅離れたわが高円寺エリアにも回ってきました。
NHKの相撲中継の始まりの時に流れるあの音色です。多分部屋付きの呼び出しの方が叩いていたのでしょうが、二人組で叩きながら広いエリアを回って歩くのは重労働であったにちがいありません。
でも、あの高く乾いた太鼓の音は忘れる事のできない音色であり、他に類を見ない一種の伝統芸と言っていいのでしょうか。
現在の高円寺に関しては既にいろいろな方が楽しいサイトをオープンされているので小生が書くまでも無いと思っています。 月間杉並本舗 高円寺MAP 高円寺へ行こう
なにはともあれ、当時の行動範囲(自転車+一部電車)を確認してみると東は新宿西は善福寺南は大宮八幡宮和田堀公園、北は石神井公園、でしたので高円寺にこだわらずこの辺はちょっと触れたいと思いますし、遠足、林間・臨海学校で訪れた場所も無理やり思い出してみたいとも考えました。

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