ソユーズ打ち上げ等に代表されるR−7(ロシア語表記ではP−7)ロケットは旧ソ連の宇宙開発黎明期から現在のロシアの宙開発に至るまで常に中心的役割を果たし、また最も成功したロケットである。
R−7ロケットの外形的特徴は非常にユニークである。まず驚かされるのがエンジンの多さである。大小併せて32個ものエンジンから構成されている。このマルチエンジン方式は他のロシアのロケットについて言える特徴でもある。このように多数のエンジンを一斉に、また均等に燃焼させるのは技術的に非常に難しい為他の国では採用されていない。なぜR−7はこのような設計になったのであろうか?それはこのロケットの生い立ちを追えば想像することができる。
R−7ロケットは1953年、旧ソ連宇宙開発の功労者セルゲイ・コロリョフによって設計された。当初R−7は5トンの原爆を搭載する大陸間弾道弾ミサイル(ICBM)として開発がスタートした。当時のソ連の原爆はアメリカに比べ大変重かった。またアメリカは長距離爆撃機を西側諸国の基地に展開しておりソ連は完全に包囲された状態であった。このためソ連は当時としては驚異的なパワーを持った新型ミサイルの開発に着手したのである。
5トンの弾頭を1段式ロケットでアメリカまで運ぶのは到底不可能である。しかし多段式ロケットの技術(2段目の高空点火技術)は当時のソ連にとってはハードルの高いものであった。そこで考え出されたのが1段式と2段式との折衷案である1.5段方式である。中央のコアステージの周りに4つのブースターを配置する。この4つのブースターが2段式の1段目となる。4つのブースターの燃焼が終了するとコアステージから切り離れ投棄される。通常の2段式の場合はここでコアステージに点火されるわけであるが、高空でのエンジンの点火を避け、地上で確実に点火することにした(現在の常識ではR−7ロケットは液体補助ブースター付きの1段式ロケットである。しかしロシアでは現在でも2段式と呼んでおりブースターを1段目、コアステージを2段目と呼んでいる。ここではブースターを0段目、コアステージを1段目と呼ぶ事にする)。つまり発射時にすべてのエンジンの点火を確認してから発射出来る様になり打ち上げのリスクを押さえることが出来た。このためこのロケットは1.5段式と呼ばれるようになった(この方式はソ連の巨大ロケット”エネルギア”にも採用されている。月レース敗因のN−1ロケットの失敗は、上段ステージの多数のエンジンの点火に問題があった事が原因の1つであった。その教訓からエネルギアでは高空点火を避け、すべてのエンジンを地上で点火する設計となっている)。
またこのロケットには必然的に大推力のエンジンが必要となってくる。しかし当時のエンジンの技術はV−2号ロケットからやっと抜け出た状態にしかすぎず大型エンジンを開発するにはまだかなりの技術を積み重ねる時間を必要としていた。そこでコロリョフは大型エンジンの開発を断念、代わって比較的開発が容易な小型エンジンを束ねて大推力を出すクラスター方式でロケットを設計することになった。コアステージには4つのメインノズル(燃焼室)と4つのジンバル機能を持つ小型ノズルで構成されたRD-108、ブースターにはRD-108とほぼ同じでジンバル機能の小型ノズルが2つだけのRD-107エンジンがそれぞれ搭載されている。RD-108やRD-107は4つのメインノズルを持つがターボポンプは1つである。これにより各ノズルの燃焼のばらつきを無くしている(本来ならば燃焼室は1つにしたほうが抵抗が小さくなり効率的であるが振動と燃焼室に使う材料に問題があり小さな4つの燃焼室になったと言われている)。またこのターボポンプは現在主流のガスジェネレータ方式や2段燃焼方式などの燃料の一部を燃やしてそのエネルギーで駆動させるのではなく、過酸化水素の分解ガスによって駆動する方式をとっている。
RD-107/108単体の燃焼は1つのターボポンプによりばらつきを押さえられても4つのブースター間の燃焼のばらつきを押さえることは非常に難しい。このため開発初期は何度も爆発炎上を繰り返している。しかしソ連はこの困難を乗り越えついにR−7を完成させた。
なによりも驚かされるのはその開発期間の短さである。日本のH−2ロケットが完成までに10年以上の歳月を必要したのに対してR−7はわずか5年で完成している。いかに当時のソ連がICBMの開発を急いでいたのかが伺える。つまりこの短期間で大推力のロケットを完成させるには当時のソ連としてはクラスター方式しか選択の余地は無かったのである。
R−7ロケットのもう一つの特徴が発射台にある。R−7を支えている4つの支持アームが発射と同時に四方に倒れる光景は非常にユニークである。この支持アームは見た目の感じからチューリップと呼ばれている。通常のロケットは発射台にロケットの底部を爆発ボルトやフック等で固定される。R−7の場合も当初ロケット底部で全体を支える様に進めていたがそのようにするとロケット下部の強度を増すために重量が増えてしまう事になることがわかった。すでに初期設計段階から比べるとかなりの重量増となっていたためこれ以上重量の増加は避けたかった。そこで目を付けたのがブースターとコアステージの接続部分である。通常のブースター付きロケットはブースターと本体を上下2ヶ所を爆発ボルトで接続されているがR−7は先端の1ヶ所だけで接続されている(しかも積極的な接続法で無いため開発初期はブースターがコアステージから抜け落ちる事もあったと言う)。下部はばらけない様に他のブースターとパイプでつないでいるだけである。そのため力学的にはブースターの推力はコアステージの中央(燃料タンクと酸化剤タンクの間)で集中的に受け止める様になっている。このため接続部分は強度が高くなっている。この接続部分を支持アームで固定すれば重量を増すことなくR−7を支えられる。このようにしてR−7の宙吊り式発射台は考案された。ロケットを発射台に宙吊りにする方式は世界的に見てもこのR−7だけである。
このような様々な工夫と努力でソ連は世界初のICBMを手に入れた(ソ連は4号機のテストを以ってICBMの成功を全世界に伝えているが、実はこの4号機は完全な成功とは言えなかった。弾頭着弾の15〜20秒前にテレメータの信号が途絶え弾頭は発見されなかった。解析の結果弾頭とロケットが分離後に衝突したと推定された。次の5号機では分離のタイミングを変えたがやはり衝突の問題は解決できなかった。)。しかしそれは外交カードに使えはしたがとうてい実戦配備できるものでは無かった。なぜならばR−7は地上からしか発射出来ず敵の攻撃に弱く、なによりも液体酸素を酸化剤に使用していたために即時性に欠けていた。またR−7が完成した時は原爆も小型化されていたためにもはや大きすぎるロケットになっていたのである。
このような理由によりR−7は実戦配備されることもなくICBMとしての役目を終えた。しかしそのポテンシャルの高さは宇宙ロケットとして新しい道を切り開くことになる。
宇宙開発におけるR−7の功績は計り知れない。数々の世界初の宇宙機の打ち上げを成功させている。世界初の人工衛星”スプートニク1号”、世界初の人工惑星”メチタ(ルーニック1号)”、世界初の月ロケット”ルーニック2号”、世界初の有人衛星”ウォストーク1号”など数え上げればきりがないほどである。
中でも驚くのはアメリカを震撼させたスプートニク1号である。この衛星は公称84kgとされているがこの値は球体の衛星の重量であり最終段ロット(R-7のコアステージ)は含まれていない。厳密に言うと世界で初めて地球軌道に乗ったのはロケットと衛星をあわせると約8tであったわけである(当時スプートニク1号を肉眼で観察していたのはおそらく衛星では無く燃えがらのコアステージでは無いだろうか!?)。
また世界初の人工衛星を打ち上げたロケットが現在もなお有人宇宙船ソユーズの打ち上げを中心に幅広く使われている。これは今日でも十分通用するロケットを40年以上も前に開発していたことを意味している。
ここでR−7の構造を見てみよう。R−7は4つの大型ノズルと4つのジンバル(首振り)機能を持つ小型ノズルを備えたコアステージ(1段目)とその周りに4つの大型ノズルと2つのジンバル機能を持つ小型ノズルを備えた4つのブースター(0段)が取り巻く形で装着された構造となっている。ブースタは先細り下膨れでありこの様な形のブースターは世界のロケットを見ても例がない。
またR−7は発射台に横向きに倒された形で運ばれる。このために非常に頑丈な構造と成っている。同世代のアメリカのロケット、アトラスが機体の厚さが1mmにも満たない華奢な構造であるのと対照的である。(これについて1つのおもしろいエピソードがある。R−7がパリの航空ショーで初めて西側の目に出てきたときのこと、ソ連のロケット工がR−7にロープを掛けてよじ登るのを見たアメリカのロケット専門家はひどく驚いた。彼はアメリカの性能追求の為ペラペラな機体の為扱いが大変難しいロケットとR−7の重くて性能は良くないであろうが扱いが非常に容易なロケットを比べた場合どちらが良いのか分からなくなったとか。)ミサイルとして開発されたR−7は発射台にすぐに移動出来るように、また保管場があまり目立たないように横向きに倒されることが可能な構造となったのである。この方式は今は共に幻となってしまったN−1及びエネルギア/ブランに至る大型ロケットにまで継承されている。
誘導方式は開発初期には慣性誘導方式と電波誘導方式の混合方式を取っていた。これは慣性誘導方式をベースに途中で一回修正コマンドを入れるやり方である。現在でもこの方式が採用されているかは不明。
R−7ロケットは能力向上のための燃料タンクの大型化、補助ロケットの装着等の常套手段がその構造上不可能である。そのため性能向上はすべて上段ステージの変更でのみ行っている。R−7は上段ロケットの組み合わせでAシリーズとしてファミリー化を行っている。Aシリーズは以下の様になっている。
| 名称 | 構成 | 主な衛星 | 備考 |
| A | R-7のみ | スプートニク1号〜3号 | 軌道に乗るのは衛星とコアステージとなる。 |
| A-1 | A(R-7)に2段目を追加 | ルーニック、ウォストーク | 別名ウォストークロケット |
| A-2 | A-1の2段を強力にしたタイプ | ソユーズ、プログレス | 別名ソユーズロケット |
| A-2-e | A-2に3段目を追加 | 初期の月、惑星探査機、通信衛星モルニヤ | 別名モルニヤロケット |
| 直径 | 全長 | 重量(乾) | 重量(湿) | エンジン | 推力(真空中) | 比推力 | 燃料/酸化剤 | 燃焼時間 | |
| 0段 | 2.68m | 19.6m | 3.4t | 42.75t | RD-107 | 101t | 306s | ケロシン/液体酸素 | 118s |
| 1段 | 2.95m | 27.8m | 7.5t | 101t | RD-108 | 101.6t | 308s | ケロシン/液体酸素 | 286s |
| 1953年 | 設計開始 |
| 1954年5月20日 | R-7の開発正式決定 |
| 1955年 | バイコヌールがテスト基地に選定される |
| 1956年4月 | 1号機組立 |
| 1956年8〜12月 | エンジンテスト開始 |
| 1957年5月5日 | 飛行1号機ランチパッドに装着 |
| 1957年5月15日 | 初打ち上げ 50秒後に爆発(その後2回連続打ち上げ失敗) |
| 1957年8月3日 | 4号機打ち上げ成功 |
| 1957年9月7日 | 5号機打ち上げ成功 |
| 1957年10月4日 | スプートニク1号打ち上げ成功 |
| 1958年 | 改良設計 |
参考文献
「ロケットニュース」(日本ロケット協会機関紙)
「宇宙よ」(文芸春秋)