憲法9条は非現実的か?(2)

 (1)では憲法9条の現状維持のレベルの話をした。今回は、憲法9条の理想である「非武装中立」の 意義と実現性についてである。
 人間に誇りという感情が、近代的人権観とともに存在する限り、武力では紛争の真の解決は できない、と僕は思っている。誇り・尊厳のためには死んでも構わない、という人々が必ず 存在する限り、武力でいかにそれを抑圧しても紛争は起き続けるからだ。
 1993年に、東アフリカのソマリアが内戦で無政府状態に陥ったときに、国連安全保障理事会は 米軍を主力とする 平和執行部隊を派遣し、ソマリアの社会秩序を回復しようとしたことがある。しかし、このとき 最大武装勢力を米軍が力で抑え込みにかかるが、武装勢力側の激しい抵抗にあって失敗し、 米軍と平和執行部隊は撤退を余儀なくなされた。実は この平和執行部隊というのは、それまで消極的で最小限の活動にとどまってきた国連平和維持活動 (PKO)の任務を拡大し、積極的な軍事力の関与で平和をつくりだそうという国連の構想に、 米国が「世界の警察官」として世界の紛争に介入しようという戦略に利用可能だということで、 これと連携して行われた テスト・ケースであったとされる。ソマリアのケースは、国際社会の支持があったとしても、 軍事紛争当事者に外から軍事的攻勢をかけてそれを抑え込む ことに限界があることを示したのであり、国連のPKOの「平和強制部隊」への強化という構想は 頓挫し、米国もこのケースを機に国連を利用して世界各地に介入するという戦略を見直すことに なる。
 1999年の新ユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)のコソボ紛争への NATO(北大西洋条約機構)軍の介入(実は米軍が主力)は、セルビア人勢力によるアルバニア系 住民の迫害を阻止するための 「人道的介入」と言われ、ヨーロッパの左翼勢力はこの介入を支持し、彼らは現在でもその正しさを 疑っていない。しかし 、NATOが介入すると 同時に激しいアルバニア系住民の虐殺が行われ、僕は介入をしなかった方がましだったのではないか と思う。NATO軍とロシア軍の占領下にある現在のコソボは事実上の独立国となっており、 アルバニア系住民の民族主義武装勢力がセルビア系住民を迫害するという逆転現象も起こっている。 この軍事介入が平和をもたらしたか?というと、否というのが僕の答えである。僕はこのコソボ紛争 の顛末を見ていて、軍事力による紛争解決が有効ではないのだな、という思いを強くした。
 2001年には、一旦は和平への道を歩んでいるように見えたパレスチナ紛争が、当時野党党首だった シャロン氏の挑発行動(パレスチナ人の反発を押し切って、エルサレムのユダヤ教の聖所 「嘆きの壁」に参拝することで、和平を妨害した)で、一気に紛争状態になってしまった。紛争に なればシャロン氏の出番ということでイスラエル首相選挙と総選挙に勝利したシャロン氏が 首相に就任 するのだが、投石などで抵抗するパレスチナ人に、戦車やロケット砲でイスラエル軍は対抗した。 イスラエル軍によるパレスチナ人虐殺も各地で起こるが、圧倒的な軍事的劣勢でもパレスチナ人は 抵抗をやめない。日々報道される自爆テロは、その抵抗の極端な例である。非戦闘員を無差別殺害する テロは、人道的に許されるものではないため国際世論の支持を得ることができないし、イスラエル 国内の強硬派へのイスラエル人たちの支持を増やし、和平推進派への支持を減らす効果をもたらし、 有効な抵抗手段とはいえない。そして、自爆テロにはイスラエル軍はやはり圧倒的な軍事力で報復する のであって、まさに「暴力の連鎖」である。軍事的に優勢な方(イスラエル)が軍事力で抵抗を 抑え込むことが不可能であることを悟らねば、問題の解決にはならないが、劣勢の側も暴力に頼る ことが愚策であることを理解すれば、事態が好転する可能性は高まるのではないか。
 2003年のイラク戦争にいたっては、完全にボタンの掛け違いが起こっている。まず米軍を中心とする 占領軍(多国籍軍――日本の自衛隊もその一部)の撤退がなければ、事態の収拾は難しいのでは ないか。米軍が撤退すれば、すぐに紛争が なくなるわけではない。民族間対立や宗派間対立は紛争を惹起し続けるであろう。しかし、それも イラクの人々が自ら苦労して模索するしか道はなく、外国の軍隊がどうにかできるものではない。 治安維持やイラクの自前の治安部隊の整備に外国の軍隊が必要だというのなら、これまでイラク戦争 に関与してこなかった国の軍隊にやらせるしかないだろう。そういう措置をとっても 難しい事態に立ち至っているのが現状であると思うが。
 以上は、最近の主な紛争の例から、軍事力による紛争解決の試みが決して「現実的」ではなく、 むしろ コストのかかる非効率なやり方だということを示した。紛争解決に軍事力が有効な 時代は去った、というのが僕の認識である。非軍事的な手段による紛争解決こそが現実的だし、現に ヨーロッパではEU、東アジアではASEAN(東南アジア諸国連合)を中心にそういう動きが 進められているし、「東アジア共同体」構想も力を得てきている。アフリカや中南米でも 事態は同様である。
 軍事力を基礎として外交を進めようとする米国の方が実は国際的に孤立しつつあることに注目すべき である。米国が経済的にも軍事的にも最大最強の国だから、米国抜きで国際社会を運営してこうという 国はないのだが、だから孤立していない、というのも当を得ているとはいえないのである。日本外交が 極端な対米一辺倒であることに影響されてか、日本のマスメディアの国際報道も米国中心である。 「国際」というときには米国しか意識されていないことも多いが、それは錯覚である。
 具体的に、日本をめぐる安全保障情勢について検討してみよう。(1)でもふれたが、北朝鮮にせよ、 中国にせよ、現在の米日両軍の対等な敵ではないことを確認しておこう。
 北朝鮮が「先軍政治」を呼号し、国民生活を 犠牲にして軍備を固めるのは米軍が怖いからである。北朝鮮が軍事的野心を持つとしても、それは 朝鮮半島の統一が主題であり、拉致問題も対南工作の一環である。北朝鮮が「南進」すれば、 韓国軍が在韓米軍や在日米軍と一緒になって行動するし、日本は その出撃基地になるだけでなく、米国の同盟国として日本が戦闘に関与することを想定せざるを えないから、 日朝は軍事的に対立しているといえるのである。そして、経済危機に苦しむ北朝鮮に「南進」の 力はない。戦争をするには食料も物資も不足しすぎているし、何といっても敗北必至である。 北朝鮮の軍事費は推定約2千億円、日本の軍事費は約5兆円だから、実に25分の1である。 朝鮮半島有事のありえるシナリオは、 むしろ米軍によるイラク戦争型の北朝鮮への先制攻撃である。したがって、日米同盟を破棄し、 在日米軍基地を撤去すれば、自動的に日本は北朝鮮の敵ではなくなる。
 「中国の脅威」を云々する声があるが、これも冷静に考えれば米日両軍の敵ではない。米国は、 現在米国に対抗可能な国はロシアと中国だとし、特に経済成長著しい中国を脅威対象国として 軍事的に万全の態勢をとろうとしてきた。それを中国が脅威と感じないわけがない。それで、 経済成長に応じた軍備拡張を進めているのである。「力」には「力」で、という対応では際限ない 軍拡競争になるだけで、緊張関係を強めることになって、かえって安全保障は危うくなると僕は 思う。だから、中国の軍拡は賢明な政策ではないが、それは米国の圧倒的な軍事力になんとか 対応しようとしているのだと考えれば、理解は可能である。こういう場合は軍事的に強い方が 問題の主要な原因と考えるべきである。だとすれば、やはり日米同盟を解消して在日米軍が撤退 すれば、日本が中国に与える脅威は圧倒的に減少する。
 日中間には尖閣諸島をめぐる領土問題と それにからむガス田などの資源問題を抱えるが、そういうことを軍事的に解決しようというつもりは 中国にはない。武力行使を行えば、国際世論の袋叩きにあい、経済に悪影響をもたらしかねない。 現在の中国にとって、13億の民を食わせていくのが最重要課題なのである。 それなのに、ときどき軍事力による威嚇を見せるのは中国の愚かしいところといえるだろう。 中国にせよ、韓国にせよ、領土問題に歴史認識の問題をからめてきている。これは日本の弱点である。 歴史認識の問題を清算して、中韓につけいるすきをなくし、冷静な交渉に入り、領土問題を めぐる歴史的経緯を国際社会に訴えることでしか、領土問題は解決しないだろうし、そういう方向で なければ、資源の共同開発で話をまとめるという方向も難しいのでは ないか。日中いずれの側からも軍事的対応を前面に出していいことはない。
 とにかく、日米同盟にもとづく米軍のプレゼンスが東アジアの緊張の根源である。日米安保条約の 破棄すなわち「中立」の実現こそが東アジアの安定に資する。しかし、ここに「非武装」の懸案がある。 はたして、米国が おとなしく安保条約の破棄を認めてくれるだろうか。日本の対米従属は骨がらみである。米国が 何らかの制裁措置を発動した場合、日本は耐えられるだろうか。安保条約10条は通告破棄を認めている。 条約上の権利を行使しただけであることを国際世論に訴えれば、支持をかちとれるだろう。 だが、国際的な非難に米国が音をあげるまで、日本は耐えられるだろうか。
 このことの問題は、実は日本国内の安保体制支持勢力の動きも重要な役割を担う。1973年に、チリの 左翼政権がCIAの差し金で軍部がクーデタを起こして倒れているが、その前には米国は経済制裁 などでチリ国民の左翼政権からの離反をはかっている。これに左翼政権の政策的な誤りもあって クーデタは成功した。逆の例としては、2002年にベネズエラの革新政権に対し米国の支援を受けた 国内保守派がクーデタを起こしているが、国民の政権支持が強かったために失敗している。日本で 安保破棄を志向する政府が成立したとき、米国が、経済制裁や在日米軍を動かすといった直接の 介入をするかどうかはわからないが、はっきりしているのは国内の安保維持勢力が何らかの激しい 抵抗を組織するのは間違いない。それがチリやベネズエラのように非合法手段までを用いるかというと これもまたわからないが。
 僕自身の予測では、国際世論の非難を恐れて、米国は直接的な介入 措置をとれないと思う。むしろ大変なのは、介入の可能性を国内保守派が喧伝することによって、 日本国民が安保条約の 破棄をなかなか支持しないことであろうし、一旦は安保破棄を志向する政府が生まれても、国内 保守派の激しい抵抗に日本国民が動揺することだろう。安保破棄に日本国民の確固たる支持を 得られれば、ことはスムーズに運ぶと 思う。米国が介入をちらつかせるとしても、国民世論の動揺をねらったものであり、実際の 発動は米国自身への打撃が大きくなるために行われない、と考えるべきではないか。
 だとすれば、米国の脅威に対抗するのに軍事力は要らない、ということになる。ただし、もし僕の 予想に反して在日米軍を動かして安保体制を維持する、という選択を米国がするならば、日本の 自衛隊は日本政府と日本国民を守るのではなく、米軍と行動をともにするだろう、ということを 忘れてはならない。自衛隊は、その名に反して、米軍の、米軍による、米軍のための軍隊である。 兵器の規格統一は当然のように行われているし、指揮命令系統までもすぐに米軍指揮下の共同作戦に 入れるように組織されている。前述したように、その軍事力編成は米軍を補完するものとなっている。 日本を守るのに軍事力が必要な、最も想定されうる米国の脅威には自衛隊は対抗する意志を持たない。
 安保廃棄後も自衛隊は存続するだろう。米国への日本国民の不信感が高まって安保条約の破棄= 「中立」を日本国民が選択したとしても、 「非武装」への国民の不安が同時に解消されるわけではなく、自衛隊の解散には連動しない。 自衛隊は、単独でも強力な軍事力を持ち、海軍力の脆弱な中国への対抗は充分すぎるほどだろう。 そもそも米軍のいない日本は中国の仮想敵国ではなくなるのだが。ともあれ、米国以外の近隣諸国に 対しては、「専守防衛」に徹するにはありあまる軍事力はある。軍事力を維持するのにはそれなりの 費用がかかる。米軍補完の装備を放棄したとしてもそれなりにはかかる。近隣諸国の仮想敵国では なくなった日本は、その費用を払う必要があるのか? いかに米国といえどもイラク戦争型の侵略を 民主国家に対しては行えない。もう、自衛隊を解散 してもいいのではないか? それとも、何万分の一の可能性の米軍の脅威に、ある程度抵抗できる 程度には備えておくか? 中国や北朝鮮が攻めてくることはないにしても、台湾や朝鮮半島で紛争が 起こった場合にはとばっちりがくるかもしれない。しかし、それは軍隊の仕事ではなく、むしろ 海上保安庁が担うような警察的な仕事ではないだろうか。それに軍事的に備えるより、どこの国に とっても仮想敵国ではない 状況を活用して、それらの紛争が生じないような外交や経済の努力をした方が建設的なのではないか?
 以上のように、何万分の一かの不確定要素を別にすれば、僕は「非武装中立」は現実的たりうると 考えている。しかし、その何万分の一を無視していいのか?という問題は残る。日本国民の自由と 独立と生命にかかわる問題だからだ。何万分の一がゼロに なったことが、国民的な確信にならない限り、「非武装」は実現できないだろう。したがって、 「非武装」は政治的スローガンとしては適切ではない。政治家は約束できないことを公約 すべきではない。日本共産党が自らの安全保障政策を決して 「非武装」と呼ばないのはこのためだと僕は理解している。


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