成田美名子における人権・自由・平和
1997年に、成田ファン数人でつくるコピー誌に執筆したものです。そこからくる内輪でしか通
じない話になっているところは修正しました。ご意見やご感想などありましたら、
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少女マンガを「政治的」に読むという人はほとんどいないらしいが、僕はそういう特殊な読み方をす
る。ただ、「政治論」をやってしまうと「シャールはなぜ王子さまでなければならなかったか」という
「芸術方法論」に踏み込まねばならなくなるので、ここでは「人権論」「自由論」「平和論」だけをと
りあげたい。
まずは、「人権」「自由」「平和」ということに関しての成田作品からのせりふの引用からはじめよ
う。
1.ジェル「人間ならだれでも生まれたからには自由に幸福を追う権利があるはずなのに」(『エイ
リアン通り』6巻16ページ)
デビッド・レイノルズ「人間ならだれでも自由に幸福を追う権利があるはずだっ!」(『エイリアン通
り』6巻181ページ)
2.ジェル「レーガンよりカーターのがおれはよかったと思うわけ!」(『エイリアン通り』7巻42ペー
ジ)
3.ジェル「『力には力を』の政策が解決につながるとでも思ってるのか」(『エイリアン通り』8巻127
ページ)
4.ジェル「人間てなぁ生来自由であるべきものなんだ。なのにその権利を奪うものがあまりにも多すぎ
る!内乱、弾圧、飢え!」(『エイリアン通り』8巻127ページ) ジェル「おれは人間が人間らしくな
いってのはでーっきらいなんだ!!」(『エイリアン通り』8巻128ページ) シャール「たとえば祖国の
独立解放を真実願ってそれに一生を費やした人ってさ、おれ自由だなァと思うわけよ」(『エイリアン
通り』8巻128ページ)
5.サマーキャンプ参加の女の子「原爆反対集会!」 アニス「原爆?」女の子「ヒロシマ・デイがもう
すぐでしょ。いっしょに参加しない?」(『CIPHER』4巻75ページ)
6.ロブ「アニスが生まれた年の8月ってなにがあったか知ってるかい?」(中略)「8月はなんといっ
てもウッドストック!」(『CIPHER』5巻21〜22ページ)
7.双子の祖母「パパたちは戦争反対のデモに行ったんだよ。おまえたちはベトナムにゃやらないよ。ご
らん。きれいだろう?このあかりが美しいのはみんなが自分の罪に気づいてそれから逃げなかったから
だよ。覚えておおき。アメリカの最も美しい夜だよ」(『CIPHER』6巻55〜56ページ)
8.サイファ「『どこに住もうと自由だから出てっていい』て言われたらおまえ嬉しいか?」 シヴァ
「・・・・・・!」(『CIPHER』3巻12ページ)
ジェイク「どこに住もうとおまえの自由だ」(『CIPHER』7巻117ページ)
9.レヴァイン「1ページ目に『自分に還れ』って分がありましたね」 マイキー「そう、つまりあれは
国や民族じゃなく基本は個人なんだっていう…。えーと、この辺の民族間の抗争にアッタマきてたもん
だから」(『ALEXANDRITE』1巻121ページ)
10.エジプトの人「アメリカでは黒人は黒人の教会へ行く。違いますか?」 バート・ジェンキンズ「
――いや、そうかな」エジプトの人「ここでは皆同じモスクに行きます。同じ1つの神を信じてるんです
から」(『ALEXANDRITE』6巻81ページ)
11.「彼は戻りたがったけど、彼自身も逮捕される恐れがあった。ここにいれば反対運動もしやすいけ
ど、きっと長い間ギリシャの地を踏めなくなる」ロクサーヌ「2つの道の間で彼は悩んで、N.Y.で反対
運動をしていたメルクーリが軍事政権にギリシャ国籍を剥奪された日、もう1つの方の道を選ぶことに
決めたのよ」(『ALEXANDRITE』7巻59ページ)
12.理子「私たち温室の花みたい。水族館の魚みたい。狭い水槽でぶつかって海へ帰れずにいる」(『N
ATURAL』1巻76ページ)
13.大崎「『自分で決めろ』なんて言われたことなかったな」 ミゲール「――。つながれているのは
こいつの方なのか――?」(『NATURAL』2巻111ページ)
14.アリーシャ「日本人じゃないわ。あんたはJRよ!」(『NATURAL』3巻184ページ)
15.成田美名子「ネルソン・マンデーラのために同人誌を作ろうったってちょっと 無理があるよね」
(『CIPHER』11巻163ページ)
1.はご存じレイノルズ父子の信条である。日本国憲法第13条には、「個人の尊厳」「幸福追求権」と
呼ばれるもの規定があるが、内容において、レイノルズ父子の信条と同じである。幸福追求権は、憲法
の人権規定の最初に置かれている、最も重視すべき人権の内容とされている。憲法のすべての人権規定
がこの権利を根拠としている、という学説もある。また、憲法に明文規定のない「新しい人権」(プラ
イバシー権、環境権など)も幸福追求権を根拠に認められている。
成田美名子が「幸福追求権」が日本国憲法で規定されていることを知っていたかは明らかではない。
しかし、レイノルズ父子の幸福追求権の主張は、日本国憲法を空気のように感じて育ってきた私たちに
とって「常識」とも言える。だから、私たちは無条件に共感する。そして、マンガの中のフィクション
としてではなく、まさに自分も幸福追求権を持っているということを、私たちはここで確認しなかった
だろうか。日常生活の中では見失いがちなこうした人権の重要性を、レイノルズ父子の言葉によって
「私にもこの権利がある」と学んだ。今の日本社会では、当たり前の権利を「当たり前だ」と主張する
ためには大きな勇気が要る。そうした勇気をレイノルズ父子に見いだして、私たちはかっさいを贈るの
である。これは、成田によるかなりラディカル(根本的)な人権論だとは言えないだろうか。
4.でも同様の権利が指摘される。ここでは自由の主張がさまざまな形をとって行われている。
「自由」と言った場合、普通は私たちは「束縛されない」というイメージでとらえることが多い。そ
のイメージは正しい。ただ、そのとき自由を奪うものとして「内乱、弾圧、飢え」を考えに入れている
だろうか。アメリカの黒人や第3世界=発展途上国を常に視野に入れる成田にとっては、このことは自
明であるかも知れないが、私たちの大半はジェルに教わったのではないか。そして、自由であることと
は「人間が人間らしく」あることなのだと指摘されるのである。ここまで自由の概念が広がったところ
で、シャールがさらにラディカルな自由概念を提起する。「自由のない社会で、束縛とたたかうことは
自由な生き方なのだ」と。
政治哲学の分野で、「自由には2種類ある」という議論がある。単に「束縛されない」という「消極
的自由」と、「何かを実現する」という「積極的自由」と。私たちは「消極的自由」については敏感だ
が、「積極的自由」にはあまり自由を感じてこなかったのではないだろうか。束縛だらけの毎日に疲れ
、慣れてしまって、「積極的自由」をあきらめ、結果として「消極的自由」をも失ってしまっていない
だろうか。4.でシャールの言う「自由」は、そこで「積極的自由」のあり方を示して私たちのそんな日
常に問題を投げかけているのではないだろうか。
同様のことは11.でも主張される。自由な祖国を取り戻すためのアレクサンドロスの苦渋の選択が語
られ、同時にその選択は当然かつ貴いものとして語られる。15.のネルソン・マンデラへの自然な言及
も、そうした「自由のために闘う人」への成田の敬意を示している。そして同じ目線から、日本の学校
生活は12.のように自由のないものとして批判される。また、13.のように日本における自由の問題を象
徴的に表現している。自由や民主主義の基本は「自分のことは自分で決める」ということ(自己決定権
)であるということを端的に指摘していると言えよう。成田美名子のラディカルな自由観がここに反映
されている。
マンデラ元南アフリカ共和国大統領の名が出たが、考えてみれば「ネルソン・マンデラのために同人
誌を作る」という発想が出てくる日本人の芸術家がどれくらいいるか疑問である。確かに欧米では南ア
のアパルトヘイト(人種隔離政策)反対運動を支援するためのアルバムがそうそうたるトップ・ミュー
ジシャンによっていくつも制作されている。しかし、チェルノブイリ原発事故について皮肉った曲を収
録した忌野清志郎のアルバム発売に電力会社が圧力をかけて大手レコード会社からの発売を妨害したと
いうのが、日本という国の自由度である(このアルバムはインディーズ・メーカーから発売され、後に
忌野は「バカなヤツらが俺の口をふさごうとしたら、かえって宣伝になっちまった」という歌詞の曲を
作っている)。成田自身は、こうした言及を当然のこととしてさして気にせずに発言していると思われ
るが、日本社会は社会的発言に対して普通は狭量なのである。成田はインターナショナルでボーダーレ
スな感覚を持った両親に育てられたせいで、その辺りの感覚の自由さが日本社会の狭量さを意に介しな
いのだろうか。
ここでもうひとつ、「自由」の多面的な側面を成田美名子が忘れていないことを指摘したい。8.を見
てほしい。「自由」という言葉の冷たい側面を映し出している。この「自由」は「消極的自由」に含ま
れるものではあるが、この「自由」は弱者の権利を守るものではない。僕は以前、他人にかかわらない
ようにするための「個々人の自由」を逃げ口上にすることに批判的だが、逃げ口上としての「個々人の
自由」もこうした「自由」と同じ意味であると考える。「自由主義」の名の下に弱者に配慮しないとい
うことが日本やアメリカでは幅を利かすことがあるが、この「自由」の内容は、4.でジェルが主張する
「自由」とは正反対のものであると言えよう。
成田の人種差別への反感は、10.にも現れている通りであり詳論を要しない。ここでは9.や14.にも見
られる人種問題や民族問題における人々の心の中のバリアを問題にしたい。どうやら成田は9.での「基
本は個人」ということで、個人の平等から人種問題、民族問題の解決を模索しているように思われる。
その発想は14.での「自分は日本人」という枠にこだわっているJRへのアリーシャの非難にも見ること
ができる。僕は「基本は個人」では、社会問題、政治問題としての人種問題や民族問題を解決できない
と考えている。人種や民族という単位で「違う人間集団があってもいい」という相違点をその集団同士
が許す必要があるからである。ただ、成田が問題にしているのはあくまで人々の心の問題であり、そう
問題を限定すれば成田のアプローチも誤っていない。現実に、個人レベルで民族や宗教の異なる人々が
仲良くしている例は無数にある。当然のことながら、成田の作品のテーマは社会的主張ではなくそうい
う人の心の問題なのだから、それを非難する必要はなく、成田が社会的視点をも含んだメッセージを発
信していることを最大限に評価したいと考える。
成田美名子の平和論については、気づいておられる方もいることだろう。具体的には2.3.5.6.7.に表
現されている。
2.の議論は、政治的には正確ではない。カーター大統領も大国アメリカの威信を守ろうとしたことで
はレーガン大統領と共通する点が多いからである。しかし、ベトナム戦争後のアメリカの対応として、
緊張緩和(デタント)、軍縮、「人権外交」といった政策が印象的だったカーターに対し、ソ連を「悪
の帝国」と呼び、「強いアメリカ」をスローガンとして軍拡を進めたレーガンという印象は、一般には
強い。その点で、その他のキャラたちの後述するような平和に関する言動も考え合わせるなら、「レー
ガンよりカーターのがよかった」というジェルの発言は成田自身の意見であると僕は推測している。そ
こには、『エイリアン通り』連載中のレーガン大統領の軍拡や「力の政策」への成田の不安が表現され
ていると考えていいだろう。3.のジェルの発言は、この僕の推測を裏付けることとなっている。
5.については、アニスがその場で違和感を感じているように、唐突な発言である。アメリカの若者は
、こうした政治参加を普通に自然に行うことの表現でもあるが、成田自身もそうしたアメリカの若者と
同じような感覚を持っているのではないか、ということをうかがわせる場面である。前述したように、
社会的発言を普通に自然に行っているというのが成田自身の姿勢なのである。そしてそれが「原爆反対
集会」なのも実にヒューマンで自然で、むしろ「死刑制度廃止反対」だと違和感があるだろう。それく
らい成田のヒューマニズムは徹底している。同じことが6.の「ウッドストック」にも言える。ちなみに
、ここでウッドストックとは、ベトナム反戦や「LOVE&PEACE」を訴えて1969年に1週間昼夜ぶっ通
しで行われた野外ライブであって、スヌーピーにとまっている黄色い小鳥のことではない。
そして圧巻は7.のベトナム反戦デモの場面である。これまでとりあげた場面の多くは自然に普通に成
田の思いがあらわれたものが多かった。ところがここでは、「罪」の意識とともに、明確に戦争反対の
メッセージが表明されている。アメリカ国民の間では、今なお「ベトナム戦争は正義の戦争だった」と
言う人がかなりいる(日本でも社会の有力者の多くが「太平洋戦争は侵略戦争ではなかった」と思って
いるのと共通しているかも)。成田は「戦争反対」のメッセージを当たり前のものとして送っているが
、それは必ずしも社会的な「常識」ではないということを考えるなら、成田の「罪」の感覚に対する鋭
さはどんなに称賛してもし過ぎることはない、と僕は思うのである。
こうした考察から導き出される成田美名子の平和主義とは、ジョン・レノンの「Imagine」の世界で
あり(歌詞カードには日本語訳もついてるよ)、日本国憲法の前文や第9条の戦力不保持の平和主義の
思想のめざすものである。僕自身の平和構想は、「戦力を持たないことの軍事的優位」というものであ
り、成田美名子の思想(かなりの日本人が持っているものと同じと考えていいもの)とはややズレを感
じる。僕の考え方の方が珍しいのだから、それは仕方がない。芸術と政治論という表現法も違うのも関
連しているだろう。ここでは、敬愛する成田美名子と志向を同じくしていることを喜びたい。
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