指原莉乃論
〜たまたま成功した「実験」〜
「さしこ」こと指原莉乃は、まったく新しいタイプのアイドルである。
以下に論じることは、AKB48のプロデューサー秋元康が語っていることを再話しているに過ぎない。ただ、彼が立場上、言うわけにはいかないことまでを論究することにのみ、本稿の意義がある。それとて、すでに一部では「常識」になっていることに過ぎない。
すなわち、本稿には僕自身のオリジナルはまったくない。そのことをあらかじめお断りしておく。
さしここと指原莉乃は大分県大分市の出身で、王子中学校を卒業しており、「さしこのくせに」のなかで大島優子に「田舎自慢」で完敗していることから、大分では「おマチの子」であることが推測される。中学卒業とともに上京し、大分の高校に通学歴はない。
僕は、もともと郷土出身タレントを応援する意味で、関東と大分でのみ放送された「さしこのくせに」を見始めた。さしこのことは、ほぼ何も知らなかった。
指原姓は、大分市には結構存在する。僕の小学校のときの同級生にも指原かおりさん(プライバシーの保護のため、漢字変換を避けさせていただく。たぶん、現姓は別のものになっていることだろう)がいた。現在の大分市議会副議長を務めているのも、指原姓の人物である。おそらく大分の者だけが、初見でさしこの姓を正しく読むことができるのである。
記憶に鮮明なのは、「大分合同新聞」2011年1月1日付第2部(テレビ・芸能版)の1面トップのインタビュー記事に載せられたカラー写真である。色紙に2011年の抱負が書かれてあるのだが、そこには「大分のみなさんに顔と名前を覚えてもらう」という意味のことが書かれてあった。絶妙だと思った。僕も、その後顔を覚えられなくて、がんばって覚えたのである。僕が北原理英を識別できるのは、さしこの顔を覚える過程で、何度もきたりえをさしこと間違えたからである。
しかし、すっかり「さしこ力」にやられてしまった。発売予定のさしこのソロ・シングルCDは、ついに購入予定にしている。AKBにおカネを使うことは、正直に言って、不本意である。ただ、発売日は未定なのであって、それは演出なのでは、と疑ってもいる。
これは郷土愛だと、一応、強弁しておく。
さしこは、バラエティのひな壇での短い発話で、何度も大分と口走る。
「理想のデートは?」との問いに、平然と「竹町でふない焼きを食べる」と言ってのける。
さしこの何が新しいのか。
さしこの特長(断じて変換ミスではない)は、地味で目立たず、何をやらせても結果を出せず、すべて中途半端な結果に終わることである。自分についての発言も、ネガティブなものばかりで、ふたことめには「わたし、可愛くない」「わたし、ぶすだから」「歌も踊りも下手」と、言う。「AKB48とは高橋みなみのことである」(秋元康)という意味で、たかみなとは正反対と言える。
バラエティ番組でのコメントも、的外れだったり、すべり気味であったりする。バラエティ番組では、番組中のゲームをうまくこなせるわけでもなく、体をはることも必ずしもできるわけでもない。バンジージャンプを跳ぶことができず、「リベンジ企画」でもふたたび跳べなかったほどである。テレビ史上、前代未聞だ。
これらが、さしこのセールスポイントなのである。さしこを知らない人びとにとっては、それがなぜ魅力たりえるのか、まったく理解できないことであろう。
お笑いの世界に「すべり芸」と呼ばれる領域がある。これこそ、その道の人びとにしか理解できない概念なのだが、「面白くないことが持ち味」というお笑い芸が存在する。代表的には、山崎邦正とか、ますだおかだの岡田とかが、「すべり芸」を得意とする芸人である。彼らがやっている、「寒い」ギャグは ほかならぬその人でなければ成立しない。例えば、ますおか岡田以外の誰が、あの調子で「閉店ガラガラ」とやって、テレビに出続けることができるだろうか?と想像してみれば、その不思議な存在の意味の一端が理解されようか。
例えて言うなら、この「すべり芸」を、アイドルがアイドルとしてやってみせているのが、さしこなのではないか、と考える。
何をやらせてもできないことが可愛い、というアイドルは以前にもいた。というか、何もできないことこそ日本独特のアイドル文化の真髄であった。何らかの芸に秀でた途端、それは脱アイドルを意味し、芸能界で一線で活躍し続ける場合も、アーティストやら、俳優やらに「脱皮」していくのである。バラドル・ブームの後は、バラドルやバラエティ・タレントというジャンルも開けたが、これもバラエティ番組で面白いコメントを言える、という芸がなければならず、正統派のアイドルではない。
さしこは違う。さしこは可愛くない。
外見のことではない。中途半端にヘタれ、中途半端に生意気なのである。「さしこのくせに」では、さしこは数々のことに挑戦させられたが、どれもまともにはできない。「さしこ推し」(指原莉乃ファン)たちの間で語り草になっているのは、たこ焼きチェーン店「銀だこ」でのアルバイト体験のVTRである。新人アルバイトとしてはやってはいけないことのオンパレードに、番組は最高視聴率を記録し、さしこが「ダメなコ」であることを、決定的に印象づけた。しかも、さしこは自らのVTRと、自らを評して「クソですね」と言ってしまう。「ダメなコ」を自認してしまう、何とも低い自己肯定感。
繰り返し言おう。この「可愛くないダメなコ」であることが、さしこの魅力であり、人気の源泉なのである。
2011年の「AKB総選挙」で、さしこは9位に躍進した。AKBでは、上位7人は「神7」(かみセブン)として別格で、8位が板野友美で、この「ともちん」は一般ウケが良すぎて、オタクたちのファンが離れて順位を下げた、と言われている。その次が、さしこなのである。
「位、人臣を極める」とはこのことである。さしこには、「神」の称号が似合わないのだから。
さしこが「神7」に入るのを防止するために、次回「総選挙」は行われないのではないか、と大真面目に「さしこ推し」たちは憶測する。
秋元康は、指原莉乃の快進撃の原動力を「さしこ力」と造語した。ダメなコが、みんなからダメだダメだ、と思われていると、ちょっとがんばったら「すごいね」とほめられ、好かれる力を意味するようだ。
一般に、「ロスジェネ」以下の日本の若い人びとは、自己肯定感が非常に低く、「どうせ自分なんて」と自分を卑下する傾向が強い。すなわち、この国の若者の大半が、自分はダメな人間だ、と思い込み、萎縮して生きている。換言すれば、「さしこ力」は誰にでもある力であり、特に若者で潜在的に強い、ということになる。
秋元が指原莉乃に「さしこ力で日本を元気に」というキャッチコピーを与えているのは、かなり本気だと、僕は考えている。
若者たちが、自己肯定感の低さを逆手にとって「さしこ力」を発揮し始めたら、確かに日本は元気になる、と真剣に僕は思うのである。
秋元が、早い時期からさしこに着目し、彼女をプッシュしてきたことは一部ではよく知られている。ブログを始めさせ、「ブログ1日100回更新」とか「1日200回更新」などを、深夜枠のAKBのバラエティ番組の企画でやらせ、また、次々にヘタレを暴露させ、2010年の「総選挙」での19位への躍進を導いたという。この順位は、AKBメンバーとしてテレビに出させてもらえるもののようで、「さしこ推し」たちはこの躍進を「奇跡」と呼んだらしい。
2011年1月、AKB48メンバーで初の冠番組「さしこのくせに」を、秋元自身やスポンサー、TBSプロデューサーなどでつくる「さしこ審議委員会」に審査させ、評価が悪ければ即打ち切りを強調した。途中では、番組存続の是非の視聴者投票をさせ、1万票を超えなかったら番組打ち切りを宣言した。2010 年の「総選挙」での得票が2千票程度だったさしこ本人は、その宣告に「無理、無理、無理、無理」と思わずリアクションしたが、即日1万票を大きく超えた。この投票には、スポンサーであるIT会社へのサイトへの有料登録が必要であったため、「ファン心理につけこんだ儲け主義」との批判がファンたちからあがり、このIT会社が謝罪に追い込まれる事態にまで発展した。「総選挙」に象徴される、いつものAKB商法ではあるのだが、それが当事者たちの予想を超える人気のために不測の事態にいたった、と言うべきだろう。謝罪コメントで、このIT会社が「秋元に叱られた」というコメントを発表したが、僕から言わせれば茶番である。
ここで強調したいのは、さしこに無理な挑戦をさせる番組を作り、さしこが「可愛くないダメな子」であることを浮き彫りにすることで、さしこを売ることを仕掛けた秋元の「実験」は、大成功をおさめたのだが、その成功は、歴史的にはたまたまだった、ということである。
AKB48の成功で、再び現在のカリスマ・テレビ仕掛け人という賞賛をほしいままにしている秋元康だが、彼の仕掛けがいつも成功しているわけではない。
秋元は放送作家としてテレビ界に登場し、作詞家などとしても活躍。中でも、彼の知名度を上げたのは「夕焼けニャンニャン」とおニャン子クラブを、まだ無名だったとんねるずを使って、システムとして仕掛けたことである。
松田聖子の台頭は、「アイドル工学」への注目を高めた。山口百恵が人生を切り売りし身を削ることで、国民的人気を博したのとは対照的に、聖子は職業としてのアイドル(原義は「偶像」の意)を、完成の域に近づけた。聖子ファンたちは、聖子の虚像を虚像として受け入れ、熱愛公表や、結婚・出産を、初の「ママドル」として歓迎し、彼女がどんなにスキャンダルにまみれようが、そのことで人気が衰えることはなかった。聖子の後続には、聖子とは似て非なるタイプのアイドルが次々に登場し、1980年代はアイドル全盛時代となった。ときの若者であった「新人類」と呼ばれた世代の一部は、「アイドル工学」を論じるのを好んだ。
そういう中で、秋元は「アイドル工学」の実践者として登場した。おニャン子クラブの成功は、仕掛け人秋元康の名声をいやがおうにも高めた。
おニャン子クラブの解散とともに、テレビ界は「アイドル冬の時代」に突入する。この時代にもアイドルは存在したが、80年代までのアイドルの典型からは外れるものだった。
「アイドル冬の時代」を終わらせたのは、モーニング娘。だった。その後しばらくの間、女性アイドルはモーニング娘。を中心とする、「ハロー!プロジェクト」の独占状態だった。
AKB48は、そんな中で2005年にひっそりと生まれた。このころ、オタクの街・秋葉原には、ネットアイドルや路上アイドルや、小劇場でのライブを中心に活動をする者たちなど、ノンプロ・アイドルたちであふれていた。ハロプロの経験を摂取し、秋葉原にばっこするノンプロ・アイドルたちの手法を、徹底的に模倣し、そのことを通じて、商業ベースに乗せようとしたのがAKB48だった。ハロプロの逆はりをするかのように、テレビだけにこだわることはしなかった。
2007年ごろから、オタクたちの間でAKB人気は高まった。
それにNHKが目をつけた。NHKはすでに、「紅白歌合戦」の視聴率を取るのになりふりかまわなくなっていた。そして、オタクたちは「紅白」を絶対に見ない層であった。「紅白」にAKB48を出せば、オタクたちの分は視聴率面で「純増」である。2008年末の「紅白」にAKBが出演すると、オタクたち以外の層もAKB48に魅せられ、AKB48は一気に国民的アイドルへと駆け上がった。この後のことは、誰もが知っていることであるから省略する。
注意したいのは、おニャン子クラブの解散から、AKB48の成功まで、秋元康が何をしていたか、である。
もちろん、作詞家や放送作家としての秋元は売れっ子であり続けた。彼が時代の寵児であることに中断はなかった。
しかし、この間も秋元はアイドル工学者であり続けたのである。彼は、こちらも中断することなく仕掛け人であり続けた。違うのは、この間、その仕掛けが成功しなかったことである。成功しなかった仕掛けが注目されないのは当然のことで、秋元が間断なくアイドル仕掛け人であり続けたことを知る者は、一部の者に限られた。かくいう僕も、最近までそのことを知らなかった。
その秋元が、AKB人気のさなかで仕掛けたのがさしこだった。
それは慧眼と言えば言えるが、秋元の失敗の歴史を考えに入れれば、「たまたま当たった実験」である。
「さしこ力」は、2010年代初頭の日本でその力を極大化させた。
この希望なき国の、希望なき時代でこそ、「さしこ力」はフルパワーを発揮する。それは、誰も予見しえなかった力である。秋元康でさえ、それを当て込んではいても、それを予見というべきではないのである。さいを投げたからと言って、賭けに勝つことは誰にも予見できない。現に、秋元のさいは、かつて裏目に出続けたことがあった。
僕は、若者たちが、「さしこ力」を遺憾なく発揮できるようになることを切に願うものである。
「3・11後」、日本社会は変わったし、なお変わり続けている。その変化の果てに、この社会がどうなっているのか、今のところ、誰にも予見できない。
そして、僕自身は自らの実践を、社会変革の「虚妄」に賭ける。実はそれは現実化するかもしれない。「さしこ力」がフルパワーを発揮して、ただの可愛くないダメな子をスターダムに押し上げたように。
最後に、もうヒトネタ。
さしこのソロ曲の振り付けは、かなり激しい。「さしこのくせに」で見せた運動能力測定が、「やらせ」でなかったとしたら、あれは相当ながんばりである。
ああ、すっかり「さしこ力」にやられてしまったようだ。
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